光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 62 主人公を主我から本尊に

 吾人、自己の心中に、帰命信頼すべき本尊いまだ安置せざるむかしをしのぶ時は、まことに自ら恥じ自ら恐る。むかしの生れしままの我心情のあさましさよ。面にこそあらわれね、いかり、憎、嫉、慢、貪などのすべての罪悪の要素として心裏…

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発熱の文 61 光明家庭の心得

光明家庭の意得 一、父母は慈悲と正義の観音勢至にて、実行の範を以て子女を光明に指導すべき事。 一、各自は闇黒の気質を淘汰し、光明の本心に基き平和たるべき事。 一、忿恨等を発し、衝突を為すは、光明を失う故なりと覚知すべき事…

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発熱の文 60 四種の光明

 世の人々を見るに、受がたき人身、遇がたき仏法にあうとも、仏の光明を仰ぐに由なく、闇きよりくらきに入りぬひとびとのあわれさよ。  仰ぐべきかな如来の光。我々は五塵六欲のちりの繁き中に六根常に心を汚しつつあり。若し如来清浄…

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発熱の文 59 道徳の根底

 今やわが国家、国民の体・知・徳の三育について大いに注意を払い、力を注ぐに至りては大いに喜ぶべきことにて、中について最も善良の国民を造るは、いまだ根底を確定せず。わが国民が、人生はいずれに向かって、何の帰着点を定めて、国…

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発熱の文 58 年頭法語

大なるミオヤは十劫正覚の暁より、可愛き子を待ち詫び玉うとは、仮に邇きを示せしものの、実には久遠劫の往昔より今時の今日に至るまで、可憐き子の面の見たさ、また子を思う親の心の知らせたさに、番々出世の仏たちを御使しなされて、苦…

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発熱の文 57 聖き光

 この光明によりて自己の精神を霊化するにあらざれば、人生の真の幸福は得らるるはづなかるべし。  人の苦と感ずるも楽と観ずるも帰する処は其人々の精神にあり。他人より観れば、彼はいかに苦しからんとおもうも、其人は内心平和に満…

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発熱の文 56 航海の譬え

 吾聖きによる友なる湯地夫人照子きみよ、この人生は数十年間の航海中にてあれば、まことに日和よき日に甲板の上に共に談笑し遊戯し運動し舞踊し、歓楽のなかに船の上なるを打ち忘れて過る日もあれば、忽ちにうってかわりて天候が変じて…

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発熱の文 55 遠大なる望み

 理想のぼさつとして生活せるもの、遠大なるのぞみなしに日をくらすベからず。望みなしにあるものは、すでに心霊死したるものなり。いかなる望みかこれなる。聖国の世つぎたらんことなり。聖国の世つぎとならんには、その資格を備えざる…

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発熱の文 54 炭の譬え

 黒き炭に火がつく時は、おき火の紅赤にまた熱を発する如く、我らが煩悩の罪悪の闇黒も、如来の慈光の加わる時は、恰も黒炭に火の燃つつある如く、若し炭を離れて火の燃ることなき如く、我らが煩悩の心にこそ如来の慈光は燃ゆべけれ。あ…

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発熱の文 53 慈しみ深き吾大オミヤ

 如来の恩寵は吾胸中に存在してつねに暖炉を発し、我は如来恩寵の懐に在りて感謝禁じがたし。慈悲の温容は寐ても離れず、なさけ深き面かげはさめてもわすれがたく、朝な朝なに仏を懐きて起き、夜な夜なは仏を懐きて寐ね、我いかる時は我…

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