光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 12 五根

一 信根とは如来の真理を聞きて如来の恩寵を被むる時は必ず自己は若しくは解脱、若くは救霊せらるることを信じて疑わず。如来は我親にて我は其子たりと信じて此信が基礎となり信の根底が確乎として、又此信を発達せんが為めに次に精進根…

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行者発熱の文 11 活ける信仰

 釈迦のみおしえによりてつらつらおもんみるに、弥陀は我らが心霊の大慈父にして、久遠劫来わかれし子をしばしも忘るる間なきと仰せらるれども、子はさともおもわで久しく経にけるを、ミオヤの慈愛の暖かなる霊気にもよおされてや、未だ…

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行者発熱の文 10 情の念仏

 念仏は情に在りて理に在らず。〔譬えば〕風人の月花に我を抛ちて、万邪皆忘れて聖理にかかわらずして情行を浄め、君子の情を成ずるが如し。念仏の道もまたかくの如し。 専ら彼の仏を念じて唯往生を願い、一心不乱に称名して善すら尚と…

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行者発熱の文 9 情の念仏

 聖徳太子の念仏法語に、念仏は情に在りて理に在らず、〔譬えば〕風人の月花に我を抛ちて、万邪皆忘れて聖理にかかわらざるごとし。実に然かおもう。仮令いかほど理論の上に有神論が勝利を得、弥陀の実在の理論を巧妙に論ずるも、未だ真…

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行者発熱の文 8 更生

 こころの更生と云うは、人の生れつきの心はわがままにてよきものでなく、物を苦にし、いろいろの気質のためにまどわされて、自身で自身をせめ、また人に対してもへだてがつきなどして、気質のかどがあり、円滑に人ともゆかないのである…

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行者発熱の文 7 浄き心に

 いかがしてこの光にあうことが出来ましょうと云えば、至心に不断に如来の御慈悲の相好光明に意を注で一心に念じ、あけてもねてもさめても念をかけて、而して心に念容して、如来よあなたの尊き御思召を私の心のうちにあたえ玉えと、自身…

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行者発熱の文 6 如来の温熱

 如来の慈愛の温熱は人をして寒慄せしむる畏怖にも憂悲苦悩のなかにもその心情を融和して而して安穏と歓喜とに美化せしむ。 麗かなる春の和き温き霊気に霊酔せばいつしか憤怒、恨戻、嫉忌、復讐、などのすべて〔の〕害他的の悪しき動機…

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行者発熱の文 5 死別の善知識

 御小児さま、はかなくならせられしとの御事、傷ましきかぎり哀悼に堪えず候。みどり子、何の罪なき、ほとけさまのようなこころのものを、いかなれば、無常の殺鬼という残酷なる奴は、憐れみもなく命を奪い去りしぞとおもえば、実に無常…

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行者発熱の文 4 歓喜と感謝の職務

 君よ、現在君が執てをる職務をば、真に神聖なる物として大みおやが選みてさづけ玉いし業として、悦んでつとめて居る哉。将た是も人間の活き役、何か為ねばならぬ故に此の職務を執ってをるに過ぎぬと思いなされ玉う乎。 私が是迄多くの…

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行者発熱の文 3 霊的気分

 春来れば暖温なる和気が徐ろに到り新緑萌発し、また蕾の芽生して花開くが如く、如来の光明は眼には見えねども、ただ如来は実に在すことを信じて、一心に念仏して至心不断なれば、漸々に光明に触るることを得。然る時は自然に自己心中に…

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