光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.17 手をつなごう、今を生きる女性たち!

植西 武子 去る5月3日、東京・練馬の光明園に金田隆栄理事長をお迎えして、20余名の女性が集いました。金田理事長はお忙しい中を遠路九州より、本会のご指導にお越し下さいました。 女性ばかりで集うことは初めての試みでした。若…

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光明主義と今を生きる女性 No.16 お浄土に生まれた母へ

山内 ふじ子 お母さん、お浄土は如何ですか?大好きなお花はいっぱい咲いていますか?大好きだった法伝寺のお上人様、また他のお上人様方とご一緒ですか?如来様や菩薩様に囲まれて楽しくお過ごしでしょうね。法友の方達とみんなで楽し…

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光明主義と今を生きる女性 No.15 エプロン部隊の活躍

祢次金 文子 エプロン部隊を支えた人 「エプロン部隊」と言えばその要は何と言っても故藤田さだ様の存在です。お念仏の熱心さに関してはこの方の右に出る人はなかったと思います。その藤田様を中心に、井出景子様、佐藤きん様、盛岡か…

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光明主義と今を生きる女性 No.14 聖者から女性へのメッセージ

○○子君よ。あなたに全く賢婦の光を添うるものは酷なる砥石なり。あなたを平凡の婦として衆人敢えて感ずるものなきに至りなば、あなたが栄華の夢を結ぶときなり。人いかなるものにても気質のザビなきものなし。之を磨きみがきて光をあた…

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光明主義と今を生きる女性 No.13 聖者から女性へのメッセージ

されば君よ。天の無限より与うるところの力には、士女の区別なし。されば起てよ、奮えよ、大ミオヤはあなたに非常なる力を加へ給うなり。 将来のあなたの職業については、精神的に宗教家となつて、身は現在の位置に置いて、専ら努力した…

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光明主義と今を生きる女性 No.12 母と私と光明会

祢次金 文子 戦時下の少女時代・救われた命 終戦を目の前にした6月、静岡市内は突然の大空襲により、一夜にして全てが灰と化し一面が焼け野原となってしまいました。 当時10歳(小学校5年生)の私は、家族で安倍川の河原目指して…

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光明主義と今を生きる女性 No.11 本堂の阿弥陀様、台所の菩薩様

菅野 眞慧 数年前の善光寺年頭別時最終日1月5日の出来事です。元旦からの別時念仏を皆さんが満行し、晴れやかな笑顔で帰路就くのをお見送りしました。善光寺に住む者として、今年も無事にお別時が終わったことを喜んでおりました。天…

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光明主義と今を生きる女性 No.10 私の光明生活 其の2

※その1はこちら 田代 悦子 (4)別府上人との御縁 次男の泰彦が大学受験に失敗して浪人を決めた時、三年先輩の従兄弟の高杉義明君が、常々とても熱心にお念仏している姿を見て、自分も頑張ってみたいと、誘われるままに瀬戸田にあ…

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光明主義と今を生きる女性 No.9 私の光明生活 其の1

田代 悦子 (1)光明主義との出会い 「悦子ちゃん、明日は良いお話が聴けるから、学校から帰ったら、直ぐ伯父さんの家においで」と伯父さんから言われて、当時高校1年生だった私は急いで帰って伯父さんの家に参りました。 奥座敷を…

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光明主義と今を生きる女性 No.8 私の母の事

福岡県宗像市 小田久子 私の母は40代前半に目が不自由になり両眼とも見えなくなりました。母は福岡県田川郡の香春町という所に独りで住んでいました。庭が意外と広く畑を作ってまして、その畑の中間に外風呂がありました。その日も夜…

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