みひかりをささげて。
大ミオヤは常に真正面に在ます。
日時:令和7年7月19日(土)、20(日)
場所:光明学園相模原高等学校
導師:山上光俊上人(島根県向西寺住職)
人数:26名(関東支部 大人14名・子供4名、光明学園 卒業生1名、先生6名、子供1名)
猛暑の中、光明学園6階の修養室において、親子別時念仏会が開催されました。
開講式では、司会の伊藤旭栄教頭先生の進行で、伊藤支部長より親子別時23回の歴史のお話し、天野校長先生よりお念仏の声が響く喜びと生徒の方々の学外活動・インターハイでの活躍などの紹介、山上上人よりご挨拶をいただきました。遠藤さんの伴奏で「聖きみくに」を合唱し、スタートしました。
その後、山上上人のご法話(後述)をいただきました。次は森井尼の指導による念珠づくり。今年は透明の玉と黄色の玉の組み合わせで、とても夏らしい爽やかな念珠になりました。完成した方から部屋を移動して、教室で写仏(塗り絵)。6種類の線画の中から1つを選び、色鉛筆やクレヨンで着色し、オリジナル仏画を楽しみました。その後、『昏暮の礼拝』・聖歌「念仏七覚支」をお称えしました。夕食後、クライマックスの献灯式。暗闇の中、役員を中心として「いまささぐ」の合唱の中、子供を先頭に一人ひとり阿弥陀様にロウソクの灯明をお供えしました。最後に山上上人から「みひかりの中で、大ミオヤのお育てをいただくことを祈念」していただき、厳粛な雰囲気の中で一日目が終了しました。
二日目の早朝に、無量光寺様に参拝。山上上人のお導師のもとお念仏・ご焼香をさせていただき、その後、弁栄聖者、一遍上人、笹本戒浄上人のお墓にお参りしました。朝食後、『晨朝の礼拝』、聖歌「歓喜のあした」を合唱。その後、山上上人のご法話(後述)を拝聴しました。休憩を挟んで、参加者全員が円陣を組んで、おやつタイム。自己紹介・参加しての感想等が話され、最後に感想文を記入いただきました。
閉会式は、伊藤旭栄教頭先生、伊藤支部長のご挨拶、そして山上上人のお言葉をいただき、聖歌「のりのいと」を合唱し、終了しました。
2組の親子と1組の親・子・孫の参加をいただきました。光明学園の先生にもご協力をいただき、心より感謝いたします。
感想文の一部のご紹介です。「こうさくが楽しかった。」(5歳男)、「ロウソクをはこぶときに1人ではこべたときがうれしかった。」(8歳女)、「仏様に見守られていることを意識することが重要だと思いました。」(47歳男)、「山上上人様のお念仏を唱えること、オオミオヤ様が毎回お救いの気持ちで向かい合っていること・・改めて大切だと思いました。」(62歳男)
みひかりのリレーを来年も楽しみにしています。
(記:佐藤蓮洋)
山上上人御講話まとめ
花輪 智之
「吾が」心に照り込み給う光明
冒頭で小説「蜘蛛の糸」の朗読を聞き、自分だけが助かろうとする主人公が「吾が」という自我に捕らわれた結果、皆と一緒に助かったかもしれない別の道を自ら閉ざしてしまった悲劇に触れた。それは日常生活に埋もれ、諸法無我、諸行無常の仏教の真実が見えなくなっている私達の現状に重なっている。
田中木叉上人は、「吾が」の迷いを取り、そのまま活ける真実である如来心、すなわち、如来様の御光を頂いて、如来の中の「吾が」心となる念仏を次のように指南なされた。
「”南無”と如来様のみ姿を心に打ち込んで、”阿弥陀仏”と如来様のお光明を、お慈悲を、吾が心に頂く。南無と打ち込んで阿弥陀仏と頂く、それを一声々々の度毎に南無と捧げて阿弥陀仏と頂く。一声毎に、心を取り直し、心を向け直しては、南無と捧げて阿弥陀仏と頂く。かく心が私と如来様を巡環してそれを放任せずに、一声々々に心を如来様に通わして巡環させる間に、久遠劫来片時も忘れさせ給う暇とてなく、唯迷える我等の心の闇の心に光を差込み救い下さる一念に燃え給う大ミオヤは、やるせなきお慈悲のみ姿を以って初心の内は、眼にこそ見えね、心にこそ感ぜね、必ず吾が心の中に照り込み給う。この大智慧、大慈悲の光明、わが心に照り込み給う」
そして、親しみをこめて南無阿弥陀仏と称える度に如来様の愛がかえってくる念仏の「念」を「愛念」と捉えるようご指導なされた。人は決して「吾が」の一人ではない。念仏により如来様と共にある真実を実感できるようになる。念仏が楽しくなり、私たちの心が明るく清らかになっていく。
弁栄聖者が伝えたかった事
弁栄聖者は如来様のお育てによる見仏、就中、如来様の御心そのものとなる活きた霊的全生命に到る見仏を宗致(終局目的に到る中心)としつつも、たとえいまだ見仏できなかろうと、現在を通じて如来様の永遠の光明をいただき、活きた信仰となる光明生活を標榜して光明主義を御立てなされた。
そして、如来様が常に真正面に在ますとの信念が最も大事であり、見不見にかかわらず、我、如来と共に在りとの確乎たる信念こそ宗教の第一義となされた。さらに、如来様が一切衆生の御親であり、真実に大ミオヤと信じるのが入信の第一歩とされた。
在まさざる処なく、本より真正面に在まして大慈悲のまなざしを以って見そなわし給う如来様を真実の御親である大ミオヤと念い、常に離れず心を注ぎ、南無阿弥陀仏と称える度に段々と御光を頂く。そして、御光に照らされて心が霊化される、如来様の御心の内容に染まる(無限の愛の情を中心とした知情意・感覚にわたる光化の心相の)お育てを頂く。光明主義は大ミオヤの永遠の愛(慈悲)と智慧にお育て頂ける宗教である。光明学園は聖者の御教えに基づき永遠の愛と智慧を育む深い情操教育に満ち、それを世に広く発信していく学び舎である。
「如来は絶対的に尊く在まして何れの処にも在まさざることなき霊体なれば、無上の尊敬心を以ってアナタは今現に真正面に在ますものと信じて霊名(みな)を呼び奉れば大ミオヤの大慈悲の霊胸(みむね)に響きて慈悲の眦(まなじり)を注ぎて我を見そなはし給うと思いたまえ。また大悲のミオヤをお慕い申して一心に念じ奉るべきものであります。」(『人生の帰趣』)