光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

光明園 9月の報告

佐藤蓮洋

〈一行三昧会〉9月1日(日)に9名参加。
お念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「如来讃」「諸根悦予讃」)、昏暮の礼拝をお称えしました。 
〈念仏と講話の会〉9月22日(日)に11名参加。
午前中はお念仏、晨朝の礼拝、聖歌(「念仏三昧」)。午後は花輪講師のご講話を拝聴しました。 

【講話(9月)】 花輪 智之

 今回の講話では、前回に引き続き、弁栄聖者が『宗祖の皮髄』で引かれた『首楞厳経』を手掛かりにして、聖者が捉えた法然上人の真精神を深堀する。

1『首楞厳経』をめぐる法然上人の真精神
 弁栄聖者は、『宗祖の皮髄』において、『首楞厳経(勢至円通章)』(宗祖の本地たる勢至菩薩が超日月光の仏に導かれた念仏三昧の法、すなわち真実の自己の真性(如来蔵性)を自ずから開く親子相憶い合う因縁)を引いて、如来と離れざる親密なる因縁を宗教の中心真髄と為すことが法然上人の真精神であることを明らかにされた。
 法然上人の御弟子である親鸞聖人は同じ『首楞厳経(勢至円通章)』を一連の和讃で表現し、晩年の著作である『浄土和讃』の最後に収め、「源空聖人御本地也」の一言で結んだ。そして、親子相憶い合う因縁の件を「如来は衆生を一子のごとく隣念す、子の母をおもふがごとくにて、衆生仏を憶すれば、現前到来とおからず、如来を拝見うたがわず」と讃じた。『浄土和讃』の真意が浄土三部経や諸経を題材として、真の仏身土を表明することにある点を考慮すれば、恒河沙劫から十二仏としてあいつぎ、最後に超日月光の仏として世に出でた無量光仏の真相が久遠実成の如来であること、その如来に導かれた念仏三昧によって一切の法(存在)が悉く真如法性(無自性・空)であると円かに悟らしめられることが、親鸞聖人が明らかにせんとした法然上人の真精神であろう。
2「法性法身」と「方便法身」
 親鸞聖人は『唯信鈔文意』等において、無色無相の真如法性(仏性)、無自性・空の場やその妙用(働き)そのものを「法性法身」(第一位の如来、絶対無限)として真の仏身土であること、その派生態として、姿形をもって、十方世界に光明名号を放ち、一切各各の衆生を救いたもう(光明名号により迷情をはらって、絶対無限への絶対的帰依の信心を廻向し、自然法爾である法性のみやこに摂取する)報身阿弥陀仏(尽十方無礙光如来)を「方便法身」(第二位の如来、有限に対する相対無限である如来の表現)であることを説く。
 一方、光明主義では、「真如法性」が大ミオヤの自境界(常住不変かつ完全円満なる万徳である十二光の統一態、如来蔵性)である超在一神の面に相当し、「尽十方無礙光如来」が十界の一切を自中に発現し、終局目的として一切衆生を、大ミオヤの万徳を円かに体現する諸仏へと摂取する大ミオヤの絶対的現象態である汎神の面(如来のみからだ、真応身)に相当する。その両面が大宇宙全一の大ミオヤ(三身即一、本有法身にして本有無作の報身である超在一神的汎神)の一大人格に統一された同位同等・円融無碍の「法性法身」(絶対無限)である。その本より完備する無尽の相好光明大霊力が、大ミオヤの全体をあげた聖容(万徳の完全なる現われである「絶対の表現」)として在さざる処なく、見不見にかかわらず、一切各各の真正面に在しまして、無縁大悲のまなざしをもって、みそなわして下さっている。そして、信愛の念により聖容を見奉り、万徳の内容に融合する霊応(親密なる因縁)を通して摂化せられし終局に、「真仏土」(諸仏と等しき覚位の世界、至真至善至美の聖きみ国)に実在的に帰入した(超日月光の境界となった後にこの世を離れた)衆生が、十界を我が身として大ミオヤと一如に全分度生・分身利物の活動をなす「方便法身」となる。
3 帰命尽十方無礙光如来
 筑波山立身石の下には、親鸞聖人の十字名号「帰命尽十方無礙光如来」と弁栄聖者の三昧発得の頌「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念 一心専念能所亡 果満覚王独了々」の碑が並んでいる。あたかも、三昧発得の頌が十字名号の帰命の一心を包むかのように、所帰の真実在(「弥陀身心遍法界」)、去行の核心である親密なる因縁(「衆生念仏仏還念」)と神人合一(「一心専念能所亡」)、所求の終局(「果満覚王独了々」)の各面を展開している。また、弁栄聖者は、大ミオヤの真実を三昧直観し、十字名号の真意を礼拝儀の「至心に帰命す」(所帰、所求)や「至心に勧請す」(去行、所求)として、広く深く開かれたのであろう。
 「宇宙本来如来の真身土にして絶対無限の如来の真土を離れて世界一物も有るなし。…深秘的に尽十方無礙光如来、円融無碍の霊性により重々無尽、真徳の故に十方面に無尽の霊象を現じ無尽の霊能を以って一切を度す。宇宙は感覚より見れば物質的自明の世界観なるも、観念的に自観せば如来の境界、至真至善至美の真理の霊界にして、如来不可思議の自境界なり」(『無対光』)

第四十四回大巌寺別時念仏会 佐藤 蓮洋

日時: 九月十三日(金)午前九時半~午後五時
十四日(土)午前八時半~午後五時
十五日(日)午前八時半~午後四時
会場: 檀林 龍澤山 大巌寺
導師: 大南龍昇上人(浄土宗勧学)
参加者:13日(21名)、14日(29名)、15日(26名)

 猛暑の中、感染予防の観点から、日帰り三日間の別時念仏会は、黒幕で囲まれた本堂で、多くの扇風機がフル活動する中スタートしました。
 開会式では、ご住職の長谷川匡俊上人よりご挨拶がありました。別時を始められたお母上の長谷川よしこ様(弁栄聖者を戒師とされ、大正9年に得度。ご結婚後、還俗)の別時への深く尊い思い、歴代導師を務められた河波定昌上人、藤本浄彦上人、大南龍昇上人への感謝の言葉が続きました。また、令和に入ってからは台風の被害による書院の修理やコロナ禍で念仏会の中止も余儀なくされた困難を乗り越え、四十四回を迎えることができた安堵と喜びのお気持ちをお伝えになりました。そしてご病気の不安を抱えつつ、お導師をお引き受けいただいた大南上人への深い感謝の言葉で結ばれました。
 午前中は念仏三昧、晨朝の礼拝、ご法話、光明歌集「心田植歌」をお称えしながらの行道、食前・食後の言葉のお称え、そして午後は念仏三昧、ご法話、聖歌、念仏三昧というスケジュールで進められました。休憩では、冷たい麦茶、多彩なお菓子が振る舞われるとともに、凍った保冷剤もいただき、熱中症対策にもご配慮いただきました。
 閉会式では受講者代表として、大巌寺幼稚園の先生から「子供たちの感性の豊かさを大切にして、日々の生活の場で活かしていきます」と大南上人への感謝の言葉が伝えられました。大南上人は3日間を無事に終了した安堵のお気持ちを述べられ、長谷川住職は導師を務められた大南上人への感謝のことばとともに、参加者皆さんにはこのお別時で得たことを日々の生活の中で味わい実践していってほしい旨の言葉で結ばれました。最後に全員で聖歌「のりのいと」を合唱し、3日間の大巌寺別時念仏会を終了しました。
 色白で、赤い唇が印象的な正面の三昧仏様に深く感謝しながら、また来年お会いできることを楽しみに帰路につきました。日々の精進がはじまります。なお、大南上人のご法話は、田代泰彦さん、花輪智之さんと私の三人でまとめさせていただきました。 

【大南上人のご法話】

弁誡師に賜った弁栄上人の書簡

(記:一~十五 佐藤蓮洋、十六~感想 田代泰彦)

 *ご法話は「『辨榮上人と辨誡師』山崎辨戒編 霊鷲山善光寺より刊行」の書籍より一部抜粋された配布資料を参考にお話をいただきました。なお、番号のあとの「 」内の見出しは、大南上人が付した仮題です。

●一「筑波山修道」
辨誡上人は明治42年3月に初めて弁栄聖者とお会いし、お話を拝聴し大変感動された。その後、善光寺のご住職であった弁栄聖者が各地に布教されている間、12年間留守をお守りし、聖者の死後、ご住職になられた。弁栄聖者からの御返事のお手紙は70通ほどあり、このお手紙は弁誡上人が初めて、聖者に送られた手紙のご返事であり、辨誡上人が聖者の筑波山中のご修道の動機、目的等を尋ねられたもの。聖者は東京にて華厳五教章の講義を聞いて、理論的に頭では理解したが、実際に修行してみなければお釈迦様のお悟りを本当に知ることはできない、だから入山されたんだ、と述べられている。
●五「光明念珠」
弁栄聖者が考案されたお念珠について、弁栄聖者は如来光明主義の会員の必携すべきものであり、この一連の念珠に宗教の要を示せり、とお伝えになられている。如来光明礼拝儀の最初に弁栄聖者が描かれたイラストが参考になります。如来三身(法身、報身、応身)、法身の一切智と一切能、十二光(無量光、無辺光、無礙光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光)、報身仏の左右の御手である智慧と慈悲。そして私達を救わんとする如来の光明を得、如来と合一するための私達の心として「信、愛楽、欲望(知、情、意)」を明かし、お数珠の一粒一粒に聖者のみ教えをなぞられた。要は、この一連の念珠に、如来様のお気持ちと衆生の心が合一して救われるという光明主義の核心が全てあらわされている。
●十「念仏三昧を勧む」
善光寺の留守を守られている辨誡上人に、お念仏がなにより大切ですから、何はともあれ、まずお念仏をしなさい、と励まされているお手紙です。如来様は宇宙の中心であり、私達の真正面にいらしてくださる。私にとっての中心は、ここ。宇宙がいかに広くても、その中心は今ここにしかない。いかなる場所、いかなる時でも、真正面に如来様がいらして見守ってくださるんだ、という気持ちでお称えするのが念仏三昧のポイントです。如来様が見えないというのは、私達の目が曇っているから、自己責任なんです。
●十二「念仏三昧と養生」
月を待たずに、先ず、池をほれ。私たちの心が純粋で混じりけがなければ、池に月は自ずから宿る。如来様の光明があるのに、私たちの心にうつらないで終わってしまうなんて、もったいない。その心を清める方法が念仏三昧です。お手紙の最後に弁栄聖者は弁誡上人に対して、お父さんのような、弟子を思う気持ちが溢れた私心のない励ましのことばを綴っています。思いやりのある優しい言葉。優しい聖者のお気持ちがあらわれている。
●十五「本願力・円具教精神主義」
本願とは、大ミオヤの願であり、誰もが仏になってほしい、親である私と同一の位置になってほしいということ。力とは、智慧と慈悲と霊化の3つのはたらき・能力で、中でも私達の心を変えてくださる力(霊化)が大切。如来様の光明のお力を只受け止めて努力するのは浄土教と同じ。自分の力で成仏するわけではなく、報身の心におすがりする。宇宙の二面としての自然界(娑婆。迷っている人)と心霊界(浄土。悟っている人)は実は、一つなのです。
●十六「円具教の浄土観」
娑婆の実態というのも如来の中に存在する。衆生も元々如来の子である。そして仏性を備えている。娑婆にいる私たちが大ミオヤの光に照らされるならば、娑婆の悩み多き生活も光明の生活に変わる。これは、すべてのものが神と同じものを目指し、一生涯をかけてやり遂げていく。それが超在一神的汎神教の意味である。いつでもどこでも私たちは如来光明中にいるのだから生きているうちに、如来の光明に気づけばいい。そういう素晴らしい教えであるから円具教という円かに具わった教えなのである。
●二十五「弥陀と縛り付けたる我が心」
禅宗で説いているものは、すべてのものから解き放たれた自由な境地を得ることなのだが、それが得られないのは、そのことにとらわれてしまうからだと説く。それに対して、弁栄聖者の考えは正反対である。弥陀を想って捨てないことが私(弁栄聖者)の信仰のあり方だ。弥陀合一の世界というものを禅に対して吐露されている。阿弥陀様に摂取され同化して信仰の生活をするのが一番大切なことなんだと。
〇「一切の作為ことごとく念仏ならざるなし」 心が阿弥陀さんと一体となっているならば、もう私(弁栄聖者)がすることはすべて阿弥陀さんのすることだから、一体化している。そうなれば口称念仏していなくともすべての行為というものはすべて阿弥陀さんがする行為と同じではないか。法然上人は称名が一番だが、弁栄聖者に言わせると、全部仏行になる。何もおろそかにするものはない。
●二十九「弁栄上人と財物」
お金はすべて光明主義を広げるための資料なのだからそのために使わなければならない。
●三十一「光明主義宣伝も時教相応」
如来光明の教えも、時代にマッチしたものであることを忘れてはいけない。それを工夫して教えなければならない。文明開化に会う人への教えをしなくてはならない。それでなければ闇に迷う人を救うことはできない。
●三十二「生きるとは生まれること」
如来様の恩寵をいただいて、真実の自己(仏性)を育てるのが人生の一大事である。法然上人が活躍された時代は、戦乱の世であるから、人が生きていくのが精いっぱいの時代だった。仏教の修行をして悟りに近づくのは不可能な時代であった。そういう恐ろしい時代だったからこそ、ただ一声南無阿弥陀仏と唱えるだけでお浄土に生まれることができる、こういう教えしか人々を安心させることはできなかった。しかし時代は変わった。西洋の文化が入って、人々の考えも変わった。そういう時にふさわしい大ミオヤの恩寵を蒙って霊を養うということが今のお念仏の教えだと聖者は考えられた。念仏は死ぬためではなく、生きるためのものなんだ。光明をいただいて生まれ変わることなんだと。
●五十四「厳しき指導」
弟子弁誡への厳しいお手紙。新しい説教所は、弁誡さんの活躍する場を作りたいという師匠の弟子を思いやる優しい気持ちにあふれている。また、「土屋、吉原、田中、大谷各上人と比べて、あなたは其の志気に乏しい」という叱咤激励の言葉などは聖者独特の教え方。また、道誉上人のお話を持ち出し、どうせ命がけのことならば大を持って行けという(積極的でなければつまらない。)聖者の激しい教え方の一端がうかがえる。
●七十「老いたる病衲」
絶筆 自分のところに施されたお米はどこまでも仏様の賜りものであることがよくわかる。このときかなり体調を崩されていたと思われる。休んで病を養う日もなく、この世にはたくさんの衣服に困る子供たちを見るのが忍びないと。
感想
今回の書簡は、出版されている書物では伺い知ることのできない聖者の人柄を彷彿とさせる言葉で満ちていることから、弁栄聖者がとても身近な存在に感じられる。このような文章に焦点を当ててくださった大南上人の慧眼に感謝したいと思いました。

【宗教詩の風光】「それを教えてくれたのは人ではない」・「見えぬけれどもあるんだよ」 ― ”まど・みちお”と”金子みすゞ”の世界 ―

(記 花輪智之)

宗教とは、詩とは
 宗教の原語Religionは「再結」、すなわち離れたものが再び結合する状態を意味する。光明主義から宗教を捉えると、宗教とは「永遠なもの」であり、「大いなる生命」であり、「大宇宙」である「大ミオヤ」と「わたくし」が合一すること。そして、念仏三昧(念弥陀三昧)により、「大ミオヤ」である「阿弥陀仏」と「わたくし」が一つになる。また、医師にして真宗の伝道者であった米沢英雄は本当の詩を「根源の世界の消息を人間の言葉に翻訳して人々に伝えるもの」として定義している。
まど・みちおと金子みすずの詩の世界
 童謡「ぞうさん」の作詞者で有名な詩人まど・みちおは自由な解釈が許される詩の世界の中で無生物や生物に愛情を注ぎ、本質を突くおおらかな詩を残された。その詩は仏教の本質にも通じるものであった。
 例えば、”今ここで見ることは、思うことなのか 「今」の前と後ろに、無限につづく 明日と昨日を…「ここ」からはじまる無限のひろがりを…”(「今ここで見ることは」より)という詩は、道元禅師の「有時」(存在は絶対現在の時にある)の思想に通じるものがある。また、”(大事な事が見えない目を)ばかな目だなあ と 思うけれど そう 思うことが できるのは もう ひとつのすばらしい目が 見はっていて くれるからだ いつも あたしたち にんげんの 心のまん中に いて”(「もうひとつの目」より) という詩の言葉は、絶対的主体性(真実の自己)を思わせる。
さらに、”ぼくが ここに いるときは ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに いることは できない ・・・ああ このちきゅうの うえでは こんなに だいじに まもられているのだ どんなものが どんなところに いるときにも その「いること」こそが なににも まして すばらしいこと”(「ぼくが ここに」より)という詩の「ここ」は、弁栄聖者が三身即一の本有無作の報身と捉えた超在一神的汎神の大ミオヤ(大宇宙全一の中心)を思わせるものがあり、”ここは宇宙の どのへんなのか いまは時間の どのへんなのか・・・やらずにおれない素晴らしいこと 山ほど あって 生かされている! 自分で 生きているのかのように こんなに たしかに!”(「こんなに たしかに」より)という詩の「たしかに」には、聖者の御教えで言う処の四大智慧、大ミオヤの無辺光によって生かされている世界を思わせるものがある。まどさんの詩は、自我を突き抜けた無我の目で見た宇宙万物の根源への郷愁が表現されている。
 童謡詩人金子みすずは、代表作「星とたんぽぽ」で”見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものがあるんだよ”と表現した「見えぬけれども大切なもの」の身近さを、数々の詩の中でうたっている。例えば、「・・・朝と晩とに忘れずに、私もお礼あげるのよ。そしてそのとき思うのよ、いちんち忘れていたことを。忘れていても、仏さま、いつもみていてくださるの。だから、私はそういふの、「ありがと、ありがと、佛さま。」・・・”(「お仏壇」より)や、「私は好きになりたいな、何でもかんでもみいんな。・・・世界のものはみイんな、神さまがおつくりになったもの。」(「みんなを好きに」より)のように。そして、そこに、やさしく温かい根源からのまなざしを見出して、「私がさびしいときに、よその人は知らないの。・・・私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。」(「さびしいとき」より)とうたい、世界の根源である「ありとおしの存在」との一体感(凡仏一如である大悲)を表現した。
大いなる寿の御光
 法然上人の生涯にまつわる小説を執筆した作家佐藤春夫は、「或詩人の願い」という詩の中で”どうかして生涯にうたひたい、空氣のやうな唄を一つ 自由で目立たずに、人のあるかぎりあり いきなり肺腑にながれ込んで、無駄だけすぐに吐き出せる さういふ唄をどうかして一つ…”という願いを込めた。その空気のような唄は、経で示された教説をまとめた韻文であり、教えを行ずる道を伝える釈尊の宗教詩(詩偈)の智悲の息吹に通じるものがあろう。
 例えば、『法句経』の代表的な詩偈では、「ゴータマの弟子は、つねによく醒め覚る、昼となく夜となく 彼らがつねに念ずるは仏陀にあり、ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり遊行して、うむことなし ひとり自己をととのえ、林間にありて、心たのしむ」とうたわれている。その智悲の息吹は「念ずる」心として吹きわたり、その一端は、詩人坂村真民の「念ずれば花ひらく」の詩に花開いている。そして、その「念ずる」私たちを根底から活かしめている「あたりまえ」のありがたさを、人生の最後に弁栄聖者の『無辺光』に感化された井村和清医師は、「あたりまえ」(『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』収録)の詩で表現している。
 弁栄聖者は、釈尊に導かれた念弥陀三昧の道により、詩偈を貫く智悲の息吹に体達され、日常生活の一瞬一瞬の「今」「ここ」に「たしかに」ある大いなる寿の御光の照らし(大ミオヤの十二光の御働き)を私たち一人ひとりに伝え、気づかせる縁として、光明主義の御教えとともに数多くの聖歌や御道詠を残された。
 「自性はもとより浄らけし、肉我の気質ぞ汚すなれ 聖なる光りを感ぬれば、聖きみむねも啓示れむ 如来の慈悲いとふかく、我らが感情に融合時は すべての悩も薄らぎて、平和と歓喜の極みなく 光のうちの生活しには、身をも心もやすらけし きよき光をかうむれば、非霊気質もきよめられ 内には充てる智悲の徳、面てはおのづと麗しく 円かに備はる人格は、聖意体現はす相なり 聖旨に背きてぬば玉や、三の闇路におつる身の 千とせの獄もみ光りに、忽ち明くは為ぬべし」(聖歌『光の生活』)以上
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