佐藤蓮洋
〈一行三昧会〉
10月6日(日)に8名参加。11月3日(日)10名参加。お念仏、晨朝の礼拝、聖歌、昏暮の礼拝をお称えしました。11月3日には、光明園の庭で収穫された柿をお供えしました。
〈念仏と講話の会〉
10月20日(日)に10名参加。午前中はお念仏、晨朝の礼拝、聖歌。午後は花輪講師のご講話を拝聴しました。
10月の講話のまとめ
花輪智之
今回の講話では、法然上人の三昧証入や念仏三昧の果に関するご道詠を手掛かりに、釈尊が出世の本懐の宗教的内容として明らかにされた念弥陀三昧を学んでいく。
- 浄土の荘厳見るぞうれしき 弁栄聖者は、『宗祖の皮髄』において、法然上人のご道詠「阿弥陀仏と申すばかりのつとめにて、浄土の荘厳見るぞうれしき」をお引きになり、『三昧発得記』を抄し、宗祖が三昧証入により、浄土の荘厳や仏の相好を見奉る霊的感覚が開かれてくる様子を辿っている。さらに感覚にとどまらず、知情意をあわせた四方面で円満となる道が開かれるのが三昧発得の花であり、真空に偏ぜす、妙有に執せぬ中道の三昧が釈尊の境界であり、宗祖が究竟として入神するところであることを強調されている。
そして、法然上人の「あみだ仏に染むる心の色に出でば、秋の梢の類ならまし」のご道詠を引き、光化の心相(清浄光、歓喜光、智慧光、不断光のお育て)を基に感覚・知情意の四方面での三昧の果を説かれた。それに続く、『宗祖の皮髄』第二部では、その三昧の果を「教祖の霊的人格の実質」、すなわち釈尊が念弥陀三昧により開かれた円満なる霊格(大ミオヤの光明摂化の終局目的を表現する霊的人格の模範)として、表相の面(三相)と内容の面(五徳)からお説きになった。 - 念弥陀三昧 『無量寿経』の序文において、佛々相念によって迹仏(一切衆生を光明摂化の道に導く大ミオヤの能動的ご分身)である釈尊が出世の本懐として宗教的内容を御示しになられた念弥陀三昧は、一切衆生の終局である三相五徳(全分度生の活動に即し、感覚・知情意の四方面で超在一神的汎神である大ミオヤの完全円満な万徳を内外に顕現する境界に安住)の果を実現せしめる。
念弥陀三昧を弁栄聖者のご道詠「月を見て 月に心のすむときは 月こそおのが姿なるらめ」をなぞってみるならば、次のようになるであろう。 - 「月を見て」 弁栄聖者が釈尊の初発菩提の心情を「舎那円満の月の顔 見まく欲しさに 恋すなれ」と詠われたように、見不見にかかわらず、念持仏(三昧仏)を手掛かりに憶い上げる大ミオヤの聖容は自分の信念に相応した相対的な御姿でありながら、大宇宙全一の絶対中心(自中に十界の一切を生じ、一切を帰入せしめる根源かつ一切を統摂する中心)として本より平等一切に遍在する常住不変の聖容(常住不変である超在一神の完全円満の万徳の日光を円かに映し、その月影(霊応)で一切処を照らし、一切衆生を汎神(諸仏)へと摂取する舎那円満の月の顔、無尽の霊応を発現する大ミオヤの全体をあげた妙色相好身(真応身)という感じを次第に深くするように心を注ぎ、お慕い申し、いつもできるだけ、大きく、はっきりと見奉れるように、憶念する(心の中心を絶対中心に直結する、そして中心を得て悉く全体を獲得する)。
- 「月に心のすむときは」 「舎那円満の月の顔」の月影(霊応)の摂化(相好光明大霊力のお育て)により、主観中の客体(衆生の信念に感応して心想中に発現する活きた聖容である霊応身)として大ミオヤが融合下さり、心眼(慧眼、法眼、仏眼)が開かれること、そして、大ミオヤの摂化の終局目的である超日月光の境界において、真実の自己の心身(真応身)と一如になり、大ミオヤの聖意の内容が一人ひとりの円満なる心の内容として展開され、全分度生の活動(大ミオヤの絶対的現象態と一如になる妙有)即大ミオヤの常住不変かつ完全円満な万徳の顕現(常住不変の真実在と一如になる真空)の中道に安住すること、すなわち釈尊が開かれた三相五徳の果を分相応に現わすこと
- 「月こそおのが姿なるらめ」 「舎那円満の月の顔」を完全に体現する釈尊の「牟尼満月」を満位として、大ミオヤの万徳の日光を映す月が真実の自己の姿であり、分相応に全分度生の活動する弥陀即一切諸仏の諸仏(仏の子)として大ミオヤと真実かつ永遠の親子関係となる。
念弥陀三昧は、一切衆生の一人ひとりを大ミオヤの智悲の聖情に融合し、大我の“中”(十界を包む弥陀のふところの“中”であり、大宇宙全一の絶対“中”心であり、一大人格の真空妙有の“中”道)に安住せしめる。そして、その安住が無住処涅槃(大ミオヤの常恒不断の大活動態と一如になる真善微妙の聖きみ国)即自性清浄涅槃(大ミオヤの常住不変の自境界)、すなわち生死をこえて諸仏の常に住みませるところ(弥陀即一切諸仏)となる。
「自性は十方法界を包めども中心に𠑊臨したまう霊的人格の威神と慈愛と仰ぐもあり。真空に偏せず妙有に執せず、中道に円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、真善微妙の霊天地に神をすまし遊ばしは、この大乗釈迦の三昧、宗祖が入神するところなりとす」(『宗祖の皮髄』)
第十六回光明園別時念仏会 弁栄聖者報恩念仏会(関東支部後援)
日時:11月17日(日)9時~17時
会場:光明園
参加者:16名
光明園の庭で収穫された柿とゆずがお供えされ、秋の恵みに感謝しながら、第十六回光明園別時念仏会が開催されました。今年も一日の開催でしたが、昨年と同様に、長崎からの参加者をお迎えし、また、講師の方々との活発な質疑応答もあり、密度の濃い会となりました。
午前中は念仏、晨朝の礼拝、聖歌「弁栄聖者哀悼曲」、田代泰彦講師のご講話。食堂(昼食場所)には「心田田植歌」をお称えしながら行道。午後は聖歌「念仏七覚支」、念仏、加藤智神父のご講話を拝聴しました。閉会式では、伊藤代表役員のご挨拶、聖歌「きよきみくに」を合唱し、その後、茶話会を楽しみ解散となりました。(柿とゆずがお土産として配られました)
講話は、田代泰彦氏から「私と光明主義の関わり」と題し、ご自分の体験も含め、光明主義を現代科学の面から説明するという挑戦的なお話しでした。ご講話は、田代氏ご本人にまとめていただきました。加藤智神父様には「還相の菩薩・苦難のしもべ―弁栄聖者追想―」と題してお話をいただきましたが、「宗教とは懐かしさに出遭うことである」という言葉がとても印象に残りました。まとめは花輪智之氏にお願いしました。 (記:佐藤蓮洋)
講話 田代泰彦氏
講題 「私と光明主義の関わり」
記:田代泰彦(本人)
- 自分と光明主義との関わり 自分の祖母の兄が事業家で弁栄聖者を崇拝している人で、当時は田中木叉上人も来られて念仏会が自宅で時々開かれていたと聞いたことがあります。そのご縁で、祖父母そして母親も熱心な信者となり、その影響で私も中学の頃、神戸の聖堂で杉田善幸上人のお別時についたのが最初です。その後、父親の転勤で東京に移動し、正受院というお寺で、山本空外上人や、その弟子の別府信空上人、矢野司空上人のお別時に何度か参加するようになりました。
- 自分の体験 大学一年の春、別府信空上人のお寺にひと月お念仏をする機会を得ました。その頃、自分は何でも物事を否定的に考えるような卑屈な考えに囚われ、いつもイライラしていました。それが、ひと月のお念仏の後、自分では意識はないのですが、周りからは穏やかになったといわれ、めったにイライラしなくなっていました。今思えば、これが如来様のお育てだったのかもしれません。本当に別府信空上人様ご夫妻、ご家族の皆様には言葉に表せないほどの宝物をいただいたと思っています。
その後、大学を卒業後は、一般企業で社会人生活を送りながら、どのようにお念仏の世界と普段の世界が関わっていけばよいのか試行錯誤の連続で、今もそれが続いています。この二つの世界はかなり遠い存在に感じますが、以前から自分が興味を持っていた現代の科学が、その距離を縮める可能性があるのではと感じていました。現代の科学は随分と進んできて、その理屈からも神の存在、オオミオヤの存在を意識せざる負えないことが発見されつつあります。このことを今回ご紹介したいと思います。 - 人間原理について 宇宙が誕生して160億年~200億年がたったといわれています。そして今までに宇宙が進化する過程で、人類の様な知的生命を必然的に生み出したとする考え方を人間原理(Cosmological Anthropic Principal)と呼ばれることがあります。このような考えは、物理学者、天文学者、生物学者、化学者などの最先端の研究者から提唱されています。
- 桜井邦朋(日本の宇宙物理学者)「宇宙の意思に人間は存在するか」について
宇宙の成り立ちから、人間が生まれてくるまでの過程を考えると余りにも多くの偶然が重ならないと人類は存在することはありえなかった。これはあたかも宇宙の意志があったからではないか(強い人間原理)と著者は考える。 - マーカス、チャウン著「僕らは星のかけら」
人間などの生物をつかさどる炭素やリンなどの元素がどこから来たのか。それは、ビックバン後、何代もの恒星の爆発を経由し漸く作られた元素だった。それもほとんど奇跡の様な物質の性質、赤色巨星の温度などが関係していることから、人間は宇宙がその出現を準備したと考えられる。 - 村上和雄著 「生命の暗号」
それぞれの遺伝子は見事な調和のもとで働いている。ある遺伝子が働きだすと、ほかの遺伝子はそれを知って仕事の手を休めたり、一層作業のピッチを上げたりすることで全体の働きを調整している。このような見事な調整がたまたま偶然にできたとはとても思えない。この見事な調和を可能にしているものの存在(Something Great)は、もちろん目には見えず、感じることもなかなかできないが、その存在はあるに違いないと生命科学の現場で実感する。 - まとめ 宇宙がビックバンから始まったこと、つまり人間が生まれるべくして生まれる環境がSomethingによって作られた。それを受けて生命は生まれ、進化し、人間業では到底説明できない精巧な遺伝子を基に身体を作り上げている存在、それが人間。このことは、光明主義の超在一神的汎神という考えがぴったりと当てはまるのではないかと考えてしまいます。
光明園での念仏、日常から離れた別世界の方々との交流、弁栄聖者をはじめ偉大な先学が遺してくださったお教え、これらに近づく方向として、このような現代科学からも同じように大いなる力を理解することは、とても大切なことではないかと思いました。
講話 加藤 智神父
講題「還相の菩薩・苦難のしもべ―弁栄聖者追想―」
記:花輪智之
- 今回の副題について 今回の講話の副題の「弁栄聖者追想」の「追想」とは、懐かしく想い出すこと。現世において、弁栄聖者とは時を隔てているが、そのことは、私(加藤神父)に聖者が親しくお会いくださるために、何の妨げにもならない。私に聖者がお会いくださったのは、聖者が還られた世界、つまり過去・現在・未来の全ての時が成満しておられる世界からであったからである。その世界とは、聖者が、そこから来られた世界であり、時や場所、区別や差別を越えた世界である。
- 「還相の菩薩」と「苦難のしもべ」 仏門に生を享けた私は、人には「往相の人」と「還相の人」があるように感じていた。それを仏教的に表現すれば、「往相の菩薩」(仏の国である浄土への往生を求めて修行に励む人)であり、「還相の菩薩」(浄土から還り来ている人、自らの浄土往生を後回しにして、他者を先に浄土を送ろうとされる人)となる。特に、「還相の菩薩」は、浄土の働きである念仏に活かされて、法然上人の名前の如く、「法爾自然」にそのようなふるまいをなされるから尊い。それとともに懐かしい。私たちに、私たちが還らせていただく世界を顕して下さっておられるからだ。
カトリックの伝統においても、「苦難のしもべ」と呼んで、「還相の人」の存在に気づいていた。他者の救いのために、他者の「苦難」を代わって背負うために、他者の「しもべ」となって下さる方であり、十字架上にその生涯を終えたナザレのイエスこそ、「苦難のしもべ」その方と信じられて来た。
仏教における「還相の菩薩」は、浄土の教主である阿弥陀仏を、その身に映す存在であり、阿弥陀仏のご本願の世界である浄土をその御働き(「念仏」)の内へ導いて下さる存在である。一方、カトリックの「苦難のしもべ」は神の国の主であるキリストをその身に宿し、そのいのちに映す存在であり、神と神の御働き、すなわち「聖霊」の御働きの世界へと導いて下さる存在である。 - 「同体異名」の神仏 信心・信仰とは、私たちのいのちの内に働かれる神仏とその尊い御働きに気づかせていただくことではないだろうか。そして、わたしたちのいのちの内に働かれる「念仏」の御働き、「聖霊」の御働きに、わたしたちを委ねさせていただくことではないだろうか。
私たちのいのちの内に働かれる仏と仏の御働きを、弁栄聖者は「念仏」として明らかにされ、授けて下さった。カトリックの伝統では、私たちの内に働かれる神とその御働きを「聖霊」と呼ばさせていただいたが、神仏を「同体異名」と喝破された弁栄聖者においては、「念仏」と「聖霊」は、一つの神仏の御働きであり、その御働きによって、私たち一人ひとりのいのちの真実が現成してくる真相を見ておられたのであろう。
聖者において、神仏の「同体異名」は、決して教理的なものではなく、体験的なものであったろう。聖者の三昧発得の体験は、まさにカトリックの霊性体験であるテオリア(見神=神が見る、神のまなざしの下に置かれてある事の実感)と言えるからだ。 - 弁栄聖者の懐かしさ 宗教とは、懐かしさに出会う事であり、その懐かしさとは見えていない真実を見させて下さる事、すなわち神仏を思い出させて下さる事である。
私たちが弁栄聖者を懐かしいと思わせていただくのは、聖者の御人柄に増して、聖者が「還相の菩薩」・「苦難のしもべ」であられ、聖者を通して神仏の一つの御働きの真実に気づかせていただいてきたからではなかろうか。仏教の伝統では「還相の菩薩」であり、カトリックの伝統では「苦難のしもべ」であられる弁栄聖者を通して、わたしたちが、「還相の菩薩」として働かれる阿弥陀仏、また「苦難のしもべ」その方自体であるキリストに出会わせていただいていたからではないだろうか。
私たちにとって、弁栄聖者はまことに「還相の菩薩」、「苦難のしもべ」である。