一行三昧会
2月2日(日)に7名参加。午前中はお念仏、晨朝の礼拝、聖歌「如来讃」、午後は聖歌「清浄光」、昏暮の礼拝をお称えしました。
念仏と講話の会
2月16日(日)に10名参加。午前中はお念仏、晨朝の礼拝、聖歌「不断光」。午後は、聖歌「念仏七覚支」をお称えし、花輪講師のご講話を拝聴しました。光明園の庭には、色鮮やかな紅梅が春の訪れを告げ始めました。
2月の講話のまとめ 花輪智之
今回の講話では、弁栄聖者が描かれた十二光仏のご絵像に込められた大ミオヤの核心や起行の用心にかかわるメッセージについて思いを馳せて見る。
十二光仏のご絵像と宝冠の円光 弁栄聖者の遺墨のうち最高傑作と評されるものに、最晩年に描かれた十二光仏のご絵像(光明大系の遺文集の口絵でも使用されている)がある。そのご絵像で描かれる十二光仏のうち、無対光仏と三大(体大:無量光、相大:無辺光、用大:無礙光)の仏は大日如来に見立てたビルシャナ仏(根本仏)の姿で描かれ、その他の炎王光仏は不動明王、その他の心相の光化(清浄光、歓喜光、智慧光、不断光)の仏、行儀門(難思光、無礙光、超日月光)の仏は往相と還相の菩薩の姿で描かれている。
特に、無対光仏と三大の仏に着目するならば、無対光仏の面前にのみ、釈尊が対面する後ろ姿が描かれており、ビルシャナ仏の宝冠に描かれた円光の数が、無対光仏が六、無量光仏が五、無辺光仏を四、無礙光仏が三となっているところから、無対光仏が十二光全体をあげた核心という意味で描かれたのであろう。
ビルシャナ仏の宝冠に描かれた円光の意味を拝察すると、無礙光仏の三円光は、解脱の霊徳である神聖、正義、恩寵となり、無辺光の四円光は、四大智慧である大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智となろう。無量光仏の五円光は、体大を体大法身(大日如来)の宇宙に見立て、真言密教がその象徴として表現する両部曼陀羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼陀羅)の中核である五智五仏を配したものであろう。十二光の全体をあげた核心である無対光仏の宝冠の六円光については、二つの面が拝察される。
完全なる三角柱 一つ目は、六円光を線で結んだ時に浮かび上がる三角柱ではなかろうか。弁栄聖者が無対光と十二光の基本骨格である三大の関係について、「無対光、三大統一」と申されたように、三大各各の三(三徳の三角)、四(四智の四角)、五(五智:四智の四角と中心)の円光の平面世界を立体的に統合した姿であろう。特に無量光仏の五円光の中心(法界体性智)に相当するものが、十二光の統一態かつ完全円満なる万徳である如来蔵性、すなわち絶対無規定円成実性である大ミオヤの核心が大宇宙全一最奥の中心(独尊統摂帰趣である絶対中心、十界一切を生じ、一切を帰趣せしめる根源にして一切を統一する中心)として三角柱の中心に鎮座されているのであろう。
また、三角柱の中心(絶対中心)から立体を分割すれば、水平方向(横の三面)を囲む四角錐と垂直方向(上下の二面)を囲む三角錐となり、四角錐は(平面に写像すると)体大の五円光の曼陀羅である生仏不二平等の汎神の世界、三角錐の頂点の一が底面の三でもある三位一体にして超然なる一神教の世界に見立てられる。それらが絶対中心(大ミオヤ)に統合され、超在一神的汎神の完全なる姿(三角柱)を形成しているのであろう。
永遠の親子関係 二つ目は次のように拝察されるであろう。弁栄聖者は大ミオヤが三身即一本有無作の報身(本有法身)、超在一神的汎神の根本仏であること、本有無作の報身の本体の面が体大法身であり、本有無作の報身は体大法身の中心(本体は中心である本質の一面)であることを明らかにされた。無対光仏の六円光の中心を囲む五角形の頂点の円光は、真言密教において法身説法(ビルシャナ仏の果分自内証智の開説)で十界の心身土を照らす五智五仏円融無碍の体大法身の世界を表わし、五角形に囲まれた中心は真言密教で表現される生仏不二平等、形式的合一の世界を包み、一切衆生を万徳との内容的合一の面で円満となる諸仏(仏の子)として摂取せしめる絶対中心(体大法身の中心である大ミオヤの核心)を表したものであろう。また、中軸の二点(下向きに配された五角形の頂点と絶対中心)の関係は、お絵像で表現された釈尊(五仏の一員でもある)と大ミオヤとの対面関係(念弥陀三昧)を象徴したものであろう。
弁栄聖者は、釈尊の初発菩提の心情を「舎那円満の月の顔、見まく欲しさに恋すなれ」と詠われたように、無対光における釈尊と大ミオヤの対面のご絵像を通して、常住不変の聖容(智悲の日月、常住不変である超在一神の完全円満の万徳の日光を円かに映し、その月影(霊応)で一切処を照らし、一切衆生を汎神(諸仏)へと摂取する舎那円満の月の顔、自性清浄なる絶対的報身の妙色相好身)を憶念(愛慕恋念)し、絶対中心に直結して大ミオヤと永遠の親子関係となる念弥陀三昧を起行の用心として示されたのであろう。
「仰ぐ宇宙最終の真理を極め、宇宙一大本源を明らかにし、秘密の荘厳殿を開き舎那円満の月の顔を見まく欲しくば蓋し餘所にな求めそ。…自己心源に達し一切迷妄の断尽する所、自ずから自性天真の妙なる姿は現はるべし。舎那円満の月の容に接すべし。」(『光明の生活』)