東京光明会3月例会
植西 武子
3月11日(土)13時~16時30分 一行院で。講師は八木季生上人、参加者17名。
一行院の門をくぐると一対の紅梅と白梅が今を盛りと咲き誇っていました。
お念仏の後、昨年12月に亡くなった花岡こうさんのご主人のご回向がありました。花岡氏は毎年の親子別時花火大会などにご協力下さいました。心よりご冥福をお祈りしました。
その後、聖歌「光を獲る因」を歌い、ご法話を拝聴しました。
ご法話
十二光仏シリーズも残すところ三光仏となりました。この三光仏、即ち難思光仏、無称光仏、超日月光仏は宗教行儀門とされている。行儀とは行動に対する一つのきまりのことであり、宗教起行の過程である。この過程には三段階あり、第一段階は信仰の喚起(無思光仏)、第二段階は信仰の開展(無称光仏)、第三段階は信仰の実行(超日月光仏)である。今月はこの行儀分全般についての説明と難思光仏の途中までお話し下さいました。
※行儀分は宗教心の喚起から仏作仏行に至るまでの宗教意識の過程を示したものである。第一段階の宗教心の喚起については宗教心はもともとあるものではなく何かを縁として宗教と結びつけていく。「縁」は「因」と「果」を結びつけるものであり、「因」は直接「果」に結びつかない。「因」に「縁」が働いて「果」となる。誰しも種を持っているが、「縁」がないと開花しないまま終わってしまう。「縁」あってこそ宗教心が喚起される。したがって「縁」は非常に重要なものである。
お上人様はこの「縁」についてエピソードをお話し下さいました。
かつて横浜の光明会に有名な絵描きさんがおられた。その方の入信の動機は弁栄聖者の一枚のご絵像であった。ご絵像の目を見た絵描きさんはこのような目を描ける方は唯のお方ではないと瞬時に感知された。一枚のご絵像が「縁」となったのである。
(聖者のお力はいうまでもなく、その方の慧眼に感服し、並々ならぬご縁の深さを感じました)
※難思光仏(信心喚起位)
甚深難思の光明を
至心不断に念ずれば
信心喚起の時いたり
心の曄瞳とはなるぬべし
この光明は非常に奥深いものであるので、初発意(しんぼっち=初めて仏縁を得た人)にとっては理解し難いので難思光仏と名づけられている。難思とは不可思議(合理的でない)の意であり、実に甚深の境界は測り難く、自然界に超絶して自然認識できるものではない。これを「唯仏与仏」の境という。聖や賢者でさえその実底を測れないといわれている。ただ仰いで信じるのみである。恩寵を喚起し、修業することに尽きるのである。
茶話会
花岡さんがご供養くださってたお菓子を頂きながら和やかに歓談しました。お上人様の席近くでは質問の花が咲いていました。会を終え外に出ますとあたりはすっかり春の陽気、庭には可憐な小花たちが「春が来た」を合唱していました。
光明園3月例会
植西 武子
3月19日(日)10時~15時、光明園で「念仏と法話の会」。
講師は河波定昌上人、参加者30余名。
午前に藤本浄孝師(大正大学博士課程3回生で、4月からは同大学浄土学研究室副手)によるお話がありました。
「『無量寿経』『観無量寿経』所説の本願について」というテーマでA4紙にびっしりの資料を準備されてのお話でした。遅れて参加し後半のみの拝聴となりましたので、この資料をじっくりと読ませて頂き、時間をかけて研鑽したいと思っています。このように光明園では時々若いお上人によるご法話があります。大変有難いことで、河波上人のご配慮に感服するばかりです。
ご法話
今月のテーマは「彼岸と回向について」でした。
※彼岸は古来、日本では仏教渡来以前から先祖崇拝の風習として営まれてきたが(他界信仰)、やがて仏教の受容と共にその風習は限りなく深められてゆくこととなった。彼岸とはサンスクリット語ではパーラムと言い、覚りの世界の意味であり、それに到達することを「ミタ」言い、正確には「パーラミタ」即ち「すでに彼岸に到達した状態」を意味している。単なる死後の世界から覚りの世界へと深められていったのである。
※また「回向」の思想が仏教の歴史の上から言って紀元前1世紀後半頃に成立したと考えられる。「小品般若経」において「大乗・マハヤーナ」や「空」の思想と共に回向が成立したものであり、空を前提として初めて回向(パリナーマ)の実践が成り立ちうる。それまでの小乗仏教-マビダルマ仏教と称せられる-ではただ自作自愛が説かれるのみであったが空の思想において単なる自他の対立は超えられ、自が他となり、他が自となり合う世界が成立しうる。(すなわち「他作自愛」の世界)この「他作自愛」の思想は法然上人54歳の折の大原問答においても第一のテーマとなったものであり、その論拠は大乗仏教の成立の出発点から明瞭に自覚されていたのである。空の故に回向が可能となり、また回向を通じて空の実践が遂行されてゆく。カントの言葉を借りれば、空は回向の存在根拠であり、回向は空の認識根拠ともいえる。回向は大乗の菩薩の、そしてまた私たち自身にとっての限りなき実践の課題となるものである。
茶話会
今月も初めてお目にかかる方が数名ありました。いずれも河波上人にご指導を受けられた方や、各地のご法話でご縁を結ばれた方々です。仏教塾の若い方を中心とするテーブルと一般参加者のテーブルに自然と分かれてしまいます。お彼岸に因んで三色の串団子を頂きながらそれぞれに歓談しました。
お上人様は全国各地へのご法話や、執筆活動で大変お忙しくお疲れの中を、いつも茶話会に加わって下さり、時には個々の質問にも懇切丁寧にお答え下さいます。だれしも引き込まれて熱心に聴き入ります。ふと気が付くと時計の針は既に4時、急いで後片づけして散会しました。
横浜光明会
犬飼 春雄
2月23日、横浜の慶運寺にて修養会、出席者は5名。
河村昌一先生のご指導で晨朝の礼拝。帰命三礼・至心に帰命す・如来光明歎徳章・至心に勧請す・至心に讃礼す・光明摂取の文・念仏三昧・総回向の文・至心に発願す・帰命三礼・聖歌。
本会では、「弁栄上人御法語(み教え)」を逐条朗読して後、河村先生より関連する法話をいただく。今回は、第八感謝から第十一三身即一まで。主な項目は、釈迦の涅槃と仏道の探究のこと。笹本戒浄上人の遷化のこと(河村先生は慶運寺の近くに居住して、常時通われていた。昭和10年7月26日、急報を受け遷化に立ち会われた唯一の生存者であります。)・念仏で心の安定を得た経験。聖歌は、高橋源次氏逝去を追悼し「のりのいと」と歌う。
3月6日、慶運寺で、出席者8名。晨朝の礼拝の順序に従い、河村先生のお導きをいただく。
「弁栄上人のみ教え」(略記)より、第十二法身・第十三報身・第十四応身を拝読した。法話は次の通り。
- 法身は生みの親。報身は育ての親。応身は教えの親の意を以て読んで目標に近接するよう。
- 笹本上人は、弁栄聖者と接見を得て、感銘し帰依された。これは両上人の持っている御高徳によるもので、余人には伺い知れない境地ではなかったか。
- 応身には霊応身と応化身とがある。
今回は河村先生のご案内で我孫子市より糀谷氏が参加された。同市に弁栄上人関係の事跡等があることを聞き、この有意義な会にさらに厚みが一層加えられたことを喜びたい。