横浜光明会報告
犬飼春雄・吉川好夫
横浜会場 4月27日(木) 久保山光明寺で、出席者6名
愛甲郡愛川町開場 5月17日(水) 吉川宅で、出席者9名
例年5月には藤沢市小塚の関本さん宅で開催されるのであるが、本年は吉川が歩行困難の理由で、吉川宅へ藤沢の会員がお出でになって開催された。すべての準備を関本さんが引き受けて下さった。横浜からは犬飼春雄氏もご参加をいただいた。
会場は仏壇のある部屋で、正面には唐沢山の如来様掛け軸、右端には弁栄聖者のお描きになった観音様が掛けられ、左端には吉川の弟(故人)が、藤沢市の学校勤務の時代に彫刻した十一面観世音様と不動菩薩像を配置した。
全体の雰囲気は、藤沢で開催される時と変わりなく、はじめからなごやかな喜びに満ちた中で行われた。一同が中央のお膳の周りに座って、自由な話し合いが礼拝の始まる前にも行われた。
その中では現代の世相についてテレビ、新聞で報道される政治、経済等の他に、殺人その他の刑事事件の話も出た。これらの原因が人間のモラル、四季に関係する不健全性、暗黒面の話から、参加者の幼少時の世相、人心との比較が出て、昔の懐かしい清浄時代のことが話題になった。これが当時の教育の問題にも発展し、特に指導を受けた先生方のなつかしさにも及び、心のあり方へ進んだ。私はここで本日の集まりの喜びのことをお話し、最近横浜の豊福久代さんからいただいた弁栄聖者のお慈悲のたよりの一部をお話した。弁栄聖者が若い時代から一生涯を通して、寸刻の時間を惜しんで大ミオヤの光明を各地の縁ある方々にお話になり、光明生活への御教えに心身をけずってご精進になったお姿を紹介した。又、現代のような時代に本日の光明会に参加すること、歓喜光の中の幸福をお話した。
本日のように各自がすぐ目前に如来様(大ミオヤ)のおいでになることを思い浮かべ、聖名を称えて、心をこめて仰ぎ、お念仏をし、如来様と感応道交することが正しいお念仏である。この結果、日常の生活でも常に聖名を称え、心の更正がこの世からお浄土へ歩みを進めること、これが以前にお配りした色紙にある永遠の生命であることをお伝えした。一同喜びの中にお帰りになった。
横浜会場 5月25日(木) 久保山光明寺で、出席者6名
光明寺は去る1月に逝去された高橋源次氏の菩提寺です。念仏の会後、縁家の高橋善男氏が錦心流琵琶会の役員でありますので御配意を頂き、樋渡蓬水師の「敦盛」の演奏を拝聴しました。故人は敦盛の曲を最も好んだと聞き、時・所・内容を備えた会であったと銘記しか会でありました。
光明園5月例会
植西 武
5月21日(日)10時30分~15時30分、光明園で「念仏と法話の会」
講師は河波定昌上人、参加者30名。
五月晴れの空に光明園の庭の緑が美しく輝き、赤や白の小さい花があちこちに可憐な模様を描いていました。さわやかな風が流れ、お念仏に快適なお天気でした。所用のため出遅れて光明園に着いた時は午後のお念仏がまさに始まろうとしていました。会場の雰囲気はすっかり出来上がり、お上人様を中心に皆さん熱心にお念仏をされておりました。1時間ほどお念仏をしてご法話となりました。
ご法話
テーマ「開かれた宗教と閉ざされた宗教」 宗教は全体的に見て開かれた宗教と閉ざされた宗教との二つの区分も考えられる。この考え方は20世紀最大の哲学者の一人であるH・ベルグソンによって提示されたものである。(「道徳と宗教の二源泉」1903年)そして浄土教も光明主義も開かれた宗教である。たとえば般舟(念仏)三昧が証得される時、十方一切の諸仏が見られる。「般舟三昧経」と言われる場合、それは念仏三昧の実践が本来、十方法界に開かれており、それはどこまでも開かれた行法なのである。また、礼拝において、「浄土宗日常勤行式」の中の「一心敬礼十方法界常住仏」等と唱和される時、かかる礼拝はどこまでも開かれた儀礼と言われるべきであろう。
善導大師はその「観無量寿経疏」の冒頭におかれている「十四行偈」の中でも、「今乗二尊教 広開浄土門」(今、二尊(阿弥陀仏と釈尊)の教えに乗じて広く浄土門を開く)の文における「広開浄土門」は決して浄土宗の枠内のみで通用するものでなく、キリスト教世界にまで開かれた上でのことが考えられねばならない。
弁栄聖者の光明主義も限りなくかかる地平において考えられるべきである。それは「弥陀智願海 深広無涯底」(六時礼拝)と言われる場合の深底性こそがまた光明主義の展開の限りなき源泉となっているからである。
それに対して閉ざされた宗教、あるいは集団はいかに世界全体に拡張しても開かれた宗教ないし集団とはなり得ない。20世紀に旺盛を極めたインターナショナリズムは一見、国際的な地平への開けを装いつつも単なるロシア帝国主義の陰謀でしかなかったのである。(たとえばロシア最大の思想家ニコライ・ベルシャエフの説)真に開かれた宗教においてこそ、真に自己は解放されてゆくのである。光明主義の集まりも、実にどこまでも開かれたサンガ(集団)なのである。(なお法話中、平重盛についての論及もありました)
重盛は東山小松谷に持仏堂を建て、十二光仏を掲げ、夕方には四十八の灯籠に灯を点し念仏礼拝した由である(平家物語、源平盛衰記等参照)。そこには重盛と十二光の因縁、そして法然上人との深い縁も予想される。(以上のご法話の最後に「念仏とは開放への営みである」と結ばれたい上人様の言葉が非常に印象的でした)
茶話会
急いでお帰りになった方が多く、こじんまりとした茶話会となりました。得に仏教塾の方が大半早くお帰りになり、やや淋しく感じました。
お上人様、奥様を中心に座を占めて茶菓を頂きました。奥様は体調が優れない中をお花を活けたり、お菓子を出したりと気を配って下さり、恐縮しました。
話題は自然とご法話にあった平重盛に傾いていきました。よく念仏をされたとは聞いていましたが、改めて熱心な仏教の信者であったことを知り、ゆかりの京都・小松谷を機会をつくって訪ねたいと思いました。
皆さん非常に熱心で去り難くお話が弾んでいましたが、お上人様も奥様もお疲れにならないようにと切り上げて散会しました。
東京光明会5月例会
花岡 こう
◇日時 5月26日(金)13時から16時
◇場所 一行院
◇講師 八木季生上人
◇出席者 10名
聖歌七覚支を歌い、ご法話を拝聴致しました。十二光仏シリーズのうち今日は無称光についてお話いただきました。
先日の難思光でのお話の様に「五種正行」を行うことにより、「五根五力」の力をつけると心霊が開発されて七覚支の世界に入ることができる。
信仰内容が深くなり深秘の内容を体験するようになると、理性の世界では伝えようもないのでこの光明を「無称光」と称し、七覚支の覚位としている。
七覚支については
- 択法=雑念を捨て霊性を得ることに専注
- 精進=如来様が引き上げて下さるので精進
- 喜(歓喜)=三昧に入る予兆として身心悦予
- 軽安=心が軽く明るくなる
- 定(禅定)=心霊の内容を知見
- 捨=光明の中に安住
- 念=霊応に感化して仏心と相応す
信仰の段階は三十七科道品というたくさんの段階を経て円満な悟りを得ることができるのですが、ただ漫然と念仏するのではなく、「如来様にぜひお目にかかりたい」とか「霊性をどうかお育ていただきたい」とか、一つの願いを持って御念仏することが大切。というお話もいただきました。