光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成18年9月

光明園7月例会

植西 武子

◇日時 7月16日(日) 10時~16時
◇場所 光明園
◇内容 念仏と法話の会
◇導師 河波定昌上人
◇参加者28名

正午少し前に光明園に着きました。下駄箱の靴がいつもよりやや少ないように思いましたが、ご法話の時間になりますといつの間にかほぼ満席となりました。

今月も初めて参加された方、何年ぶりかで参加された方など、数名のお顔がありました。毎月いろんなご縁で新しい方が参加されます。これからも引き続き参加され深いご縁が結ばれますようにと祈っております。

お盆の月でしたので午後はお念仏、ご法話の後にご回向がありました。弁栄聖者、 田中木叉上人、さらにこの道場の再建に全財産を寄付された松井信哉・いとの御夫婦様に衷心より感謝の念をこめてご回向させて頂きました。新しくて、お念仏しやすい立派な道場で修行させて頂けることはとてもありがたいことです。お盆はまさに先達やご先祖様に心を馳せ、感謝の気持ちを呼び起こす機会を与えてくれると思いました。

ご法話

今月はお盆でもあり、ご法話の内容はお盆に関連してのお話がさなれました。

お盆は禅宗でも浄土宗でも回向に際して「唯心偈」-ふつう「破地獄の偈」-が称えられる。その偈を称えることによって人間が地獄から解放されてゆくとされる偈文のことである。即ちそれは「若し人、三世一切の仏を了知せんと欲せば応に法界の性、一切唯心造と観ずべし」であり、浄土宗では呉音で、禅宗では漢音で読んでいるので、聞いていて一見別の経文のようでもある。「一切唯心造」であるから地獄さえもたち衆生の心の所産なのである。たとえば夢の中で悪魔に襲われて恐怖の只中にあったとしても、それは夢見る人の心の内容であり、それが夢であることに気付くことによってその恐怖から解放されてゆくのにも似ている。

ところでこの経文は「華厳経」という大乗経典にあるものであるが、この文で大切なことは「仏」「法界」「心」の三者が一なるものとして展開されていることである。この三者は西洋哲学における用語としての「神」「世界」「人間」の三者に対応する。そして西洋ではこれら三者が相互に対立しあう。20世紀においては神はカール・バルトの神学として、世界はカール・マルクスの世界中心主義として、そして人間はカール・ヤスパースの実存主義として三人のカールに代表される三つの哲学が対決し合い、そして分解していったといえる。

しかるにこの経文にも見られるように、実にこれら三者は一つに連なりあっている。そのところを「華厳経」ではまた「心・仏・衆生の三は無差別なり」とも説いてもいる。そして私たち一人ひとりの念仏の中にこれら三者が完成され実現されてゆくのである。

茶話会

今月はお菓子のお供えがたくさんありました。とくに大福餅に人気があり、皆さん大喜びで頂きました。お上人様を囲んで話に花が咲きました。途中で何人かの方はお帰りになりますが、最後まで残って熱心に質問する方もあります。日頃の質問を準備して来る方もあります。皆さん去りがたい雰囲気ですがお上人様や奥様がお疲れですので折を見て閉会となります。近ごろ、奥様の健康状態があまり良くないようで、会の準備が大変だろうと思われます。ご姉妹の方が手伝って下さっていますが今後参加者の方で何とかしなければならないと話し合っています。

東京光明会 7月例会

植西 武子

◇日時 7月22日(土)10時~16時
◇場所 一行院
◇導師 八木季生上人
◇参加者 27名

今月の例会は年間に1回計画されている一日別時でした。先月の茶話会の時にお上人様から「次回は初心者を対象としたお話をするので、できるだけ初めての方をお連れ下さい」とのお話がありました。何人かの方が娘さんやそのお友達を誘われて参加されました。そのため人数は増え、活気が感じられました。

午前は1時間のお念仏の後、聖歌「七覚支」を歌って約1時間のご法話がありました。午後は約30分のお念仏をして、聖歌「歓喜光」を歌い、ご法話となりました。ご法話は約2時間でしたので途中、15分の休憩があり聖歌「清浄光」を歌いました。

ご法話

テーマは午前、午後を通して「弁栄上人と光明主義について」でした。

弁栄上人について
  • 山崎弁栄上人(1859~1920)は下総(現在の千葉県)の鷲野谷に農家の長男として生まれる。(安政6年2月20日)
  • 幼名は啓之輔。祖父、父が非常に熱心な念仏者であったのでその影響を受けて幼少の頃より念仏と深い縁があった。出家を願うが農家の長男のため断念せざるをえなかった。
  • 19歳で念願の出家をする。
  • 21歳、菩提寺の医王寺(東漸寺の末寺)で、大谷大康師から得度の作法を受け「弁栄」と改名された。当時、東漸寺は関東十八壇林の一つで、一切経(お釈迦様の教えを説いた経典全部を指す)が収められた経蔵がある学問所でもあった。聖者はここであらゆる経文を解読された。
  • 22歳で東京に出て時宗の寺で修行を深めた。真言宗の寺でも密教等について勉強される。この時、既に宗教的体験を得ておられたという。
  • 24歳で筑波山に籠り三昧発得される。その後、男体山に行の場を移され、「自分が念ずれば、天地いっさいの仏様も念じて下さる」と詠まれている。1日に10万遍のお念仏をされたと言う。
  • その3年後、「お釈迦様に会って直接教えを聞きたい」と飯島(埼玉県古川市)の宗円寺にて一切経を読破された。(普通その読破には2年半を要すると言われている)
    その時のお歌に、「草庵に籠りて一切経を閲みしける頃」というタイトルで

    我庵の庭の夏草茂れかし
    訪いこん人の道わかぬまで

    と詠まれている。

  • 33歳、五香の善光寺が落成する。
  • 38歳でインドの仏跡参拝をされる。
  • 42歳の時に数ある修業の方法の中で念仏が一番易しい方法として念仏を独立された法然上人の教えをさらに深めて「光明主義」とされた。
  • 54歳の時に光明主義運動をさらにひろめられた。
弁栄聖者の説く光明主義とは-弁栄上人の教えの特徴は-
  • 人間には天性、理性、霊性の三段階の性能が備わっていること、特に霊性の働きの重要さを盛れていることである。
    ①天性の中には食欲(個体保持)と性欲(種族保存)がある。人間の才能は生まれたままの状態の時から備わっているものがある。例えば生まれ落ちるとすぐ誰からの教わることなく呼吸をし、乳を吸う。これを天性という。
    ②理性は性能があっても育てないと機能しない。即ち教育によって発達する。
    ③霊性は絶対界の問題で霊性自身が育たないとその存在の有無はわからない。霊性が開かれると三身四智の智が開かれる。よく例えられる稲を育てるのはお米を収穫するためで、藁を得るためではない様に、霊性を育てることが大切である。そのために正しい宗教教育が必要である。
  • 「安心」と「起行」
    ダイヤモンドの原石は磨けば光る性質を持っているように、人間にはダイヤモンドのような尊い性能が備わっていることを理解し、それを信じるまでを「安心」という。ダイヤモンドを磨く方法を「起行」という。炭は火になる性質を持っている。それに火をつけると炭は炭でなくなり火になり、人のために役立つ。人も同様で本来の機能を発揮(霊性の開発)すればどれだけ人の為になるか。
    「起行」には六つの方法(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)があるが、誰にでも、何処でもできる一番確実な方法は「念仏」である。天性も理性も霊性も全て親から与えられたものである。「南無阿弥陀仏」とその親の名を呼んで念仏することが大切である。(念仏是一)「南無阿弥陀仏」を生活の中に活かしていくことを「起行」と言うが、その心構えまでを含めたものを「起行の用心」という。
  • 絶対者と衆生が一つになる(神人合一)と霊性が開かれ、「煩悩即菩薩」となり「光明」が表れてくる。
  • ここまでは法然上人の説かれた方法とほぼ同じであるが、弁栄聖者の説かれた「光明主義」は口称のみならず、生きて在す如来様のお姿を憶念して念じることである。如来様はもとより無相であるので、初めて覚りを開かれたお釈迦様の姿を通してお念仏するのである。
    ※弁栄聖者はそのために昼夜を分かたず多くのご絵像をお描きになり、ご縁のある方々に与えられた。
    ※自然界が進化と退化を繰り返している。昨今の世相は心の退化を示している。宗教教育のみがこの退化を止める唯一の力である。霊性を磨くのは進化の進行を速め、念仏によって進化の先取りをすることができる。

茶話会

今回は人数も多く、新しい方々も加わって活気のある会でした。初めての方は自己紹介と感想を述べられました。お上人様は初心者を念頭においてとても分かり易くお話下さいましたので、よく理解されたようでした。古参組に属する私は改めて再認識させられることが多く、刺激と意欲が喚起されました。

横浜光明会報告

犬飼 春雄

◇日時 7月26日(水)
◇場所 久保山光明寺
◇出席者 4名

維那・中牧千明氏により礼拝儀奉読誦、念仏三昧、聖歌。

談話会

身内・知人に腹膜炎を病まれた方が2人いて、その処置について懇ろな意見交換をされたのは、仏の御手によると言える。

「詩歌にみる死生観-漢詩」から、夏目漱石の仏教に対する迫り方に各氏の談話は発展した。仏教はキリスト教等のような帰属を鮮明にする宗教ではないことから日本人は宗教に無関心であると見なされているが、果たしてどうだろうか。
席上で故人の遺志に基づいて礼拝儀・聖歌を朗唱した葬儀があったとの話を聞く。
会後一同は、新盆を迎える故高橋源次氏の墓を訪れ、香華をたむけた。

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