光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成19年2月

光明園12月例会

植西 武子

12月17日(日)10時~16時、光明園で念仏と法話の会。

講師は河波定昌上人。参加者27名。雨と予報されていましたが、時々薄日のさすお天気でした。池袋の地下街はクリスマスセールで賑わっていました。途中で買い物をして、お昼前に光明園に着きますと、午前中の法話が終わったところでした。約加分ほどお念仏して、昼食となりました。持参のお弁当を頂きながら、お話するのも楽しいひとときです。年末なのでいつもより参加者が少ないと思っておりましたが、午後のご法話の頃にはいつもの人数となりました。

ご法話

(午前・午後のお話をお上人様がまとめて下さいました。)

今回は浄土宗の所依経典でもある「三経一論」の一論、すなわち「往生論」(真宗では『浄土論』と称するのが普通であるが、、正式の名称は「無量寿経優婆提舎願生偈」で、インド大乗仏教の最終完成者たる世親菩薩(紀元4~5世紀頃活躍)の恐らく最後の著作と考えられる)を中心とする講述がなされた。なお「優婆提舎(ウパダイシャ)」とはサンスクリットのウパデーシャupadesaの音写で、近づけてupa論議するdis-desaの意味、従って「無量寿経」、とくに浄土の世界についての解釈の意味である。

この論の冒頭は「・・・世尊、我れ一心に尽十万無礙如来に帰命したてまつる」の文で始まる。このことは世親菩薩自身の、そしてあえて言えばインド大乗仏教全体が阿弥陀仏(尽十万無礙光如来)への帰入を意味していることにもなる。そしてそこに開かれてゆく世界が浄土なのである。その浄土の世界は冒頭の文に続いて、「かの世界の相を観ずるに(迷いの)三界の道を勝過せり。究竟じて虚空の如く、広大にして辺際なし」と述べられている。

お浄土の世界は、いちおうは西方として指示されているが(阿弥陀経)、実は十方に遍在し充満していることが説かれているのである。それはそのまま弁栄聖者の光明主義の立場とどこまでも契合している。

浄土が「虚空の如く広大にして無辺際」である、といわゆる無限円の世界のことに他ならない。無限円とは円周ないし直径が無限であるところの円のことである。有限円では中心が一点に限られるが、無限円では至る処に中心が存在することになる。最晩年の西田幾多郎はこの無限円にその関心を集中した。かかる精神的背景にはキリスト教の偉大な思想家たち、すなわちボナベントゥーラ、マイスター、エッグハルト、ニコラウス・クザーヌス等にその源流を辿ることができる。この無限円の思想は大乗仏教でも紀元4世紀頃に成立した「仏地経」等に見られる。

それがいわゆる「大円鏡智」等の四大智慧に他ならない。(なお、四智は最初は唯識とは無関係にそれ自身として展開されていた)

大円鏡智の「大」とは仏教では無限大のことであるから「無限円」がインド大乗仏教において「大円(鏡智)」として展開されることになる。

なお世親研究の世界的権威である元大谷大学教授、山口益博士は浄土の世界を大円鏡智等の四智でその解明を試みられた。(『無量寿優婆提舎願生偈試解』参照)

田中木叉上人も旧来の「曼陀羅」による浄土の理解を批判され、これからの新しい浄土の理解を批判され、これからの新しい浄土の理解は四大智慧によるべきことをしきりに強調せられていたことが思い出される。

聖者のご遺稿「無辺光」は、これからの新しい浄土の理解にこよなき指針(優婆提舎)となるであろう。

なお、聖歌「聖きみくに」は世親の「往生論」の構想に立って詠われているものである。

茶話会

年末で気ぜわしい頃でもあったので、急いで帰られる方もありましたが、半数以上の方が残って歓談しました。若くて熱心な方が数名おられ最近連続して参加されており、とても嬉しいことと思います。河村さんを中心に話が展開されておりました。仏教塾の方達も現役は勿論、OBの方々も続けて参加されています。

お念仏しやすい環境に育って細々と続けている我が身に比べ、僧侶を目指して修行される姿を見るにつけ、とても立派と感じ入ります。河波上人のお導きで弁栄聖者の尊い教えを通して仏子として誕生されんことを願うばかりです。

東京光明会12月例会

植西 武子

12月23日(土)13時~16時、一行院で。
導師は八木季生上人、参加者18名。
12月とは思えない暖かい日差しを背に感じながら一行院へと急ぎました。玄関先にいつぞやの乳母車がありました。「埼玉県からあの方が来ておられる」と思いながら本堂に入りますと、やはりお母さんの側で木魚をポクポクとやっている可愛いお子さんの姿がありました。遠路大変な中を立派なことと感心しました。幼いうちにお念仏の環境に身を置き、仏子の種を蒔くことはとても素晴らしいことと思います。

礼拝儀の後「三相の聖歌」の「諸根悦豫讃」を歌ってご法話をお聴ききしました。

ご法話

お上人様は最初に前回のお話でNO.16の「御師静誉上人御遷化」のところで漢文で書かれた部分があり、それを今回は和訳したプリントを配布され語句の説明を入れながら詳しくお話し下さいました。

その後、今月は「弁栄聖者の片影」NO.43からNO.75までについてのお話がありました。その中から2、3をピックアップすると・・・・

※余宗大徳の随喜(NO.43)
一般的に「英雄は英雄を知る」といわれる。聖者は修行時代より、既に明眼の諸師より感歎され、浄土宗以外の大徳も随喜せられた。
ある日、真言宗管長の高須大亮師が浄土宗の茅根学順師と野沢俊冏師に「浄土宗は文明式であるといえども惜しいことに人物を野に放っている。弁栄は素晴らしくズバヌケた求道成年である」と言われた。それを聞いた両師は弁栄上人を宗外に逸するのをおそれ、試補に任命しようとして履歴書を提出するよう用紙を準備して上人を訪ねた。その返答は「我はこれ仏弟子なれば許せかし世渡る試補を厭ふ身になれば」であった。
後日、上人が頭痛で臥っておられる時に両師は、病床を訪ね印鑑を借用し、五香善光寺建立等の履歴により、試補をおくり、住職に任じた。その後、小石川本校で教鞭をとるようにと依頼されるとその返答として「それならば、試補、住職を返還することを許し給え」と言われたそうである。
(聖者が如何に世俗と無縁であったかを伺い知ることができる。)

※「私がそれであります」(NO.45)
上人はかつて知恩院の管長猊下の命により北方への巡教の時、多数の貴紳が上人を迎えるべく停車場で待っていたが、一向にそれらしき姿が見つからない。たまたま粗衣綿服の一僧侶が降りてきたので「本山代理の御方は未だご到着されないんですか」と聞くと「ハイ、それが私であります」
(八木上人は藤本浄本上人からも同様の経験談を聞いたことがあると話されました。山口県のある駅で聖者の出迎えに行った人が列車が出てしまってからもそれらしい方の姿がなく、一人目立たない方が降りてきたので声をかけると正しく弁栄聖者であったという。その方曰わく、「衣は粗末であったけれど、その姿に光輝くものを感じた。」)

※光は反射によりて(NO.73)
上人曰く、光と言うものはこちらに受けるものがあって初めて瞭然とするものである。もし受けるものがなければ有っても無いようなものである。例えば太陽の光も地球で受けて反射するから地上でこれを認めることができる。・・・心霊界の太陽たる弥陀の霊光も同様で念仏衆生の信水にのみ宿り給う。従って信心の水なき衆生はその光の中に居りながら、これを感知できないのである。この神髄は「月影の歌」に凝縮されている。

※十二光の一々に仏の字を附すは(NO.75)
上人曰く、「十二光の一々に仏の字を附しあるは注意すべきことであって、光明も只光明のみでは意味がない。仏は覚者、即ち光明を獲得した人のことである。光明の徳はこれを体現した人々によって発揚するものである。十二の一々の光明を摂取獲得してその徳を顕現することを得るものである。人々はその徳を顕現することにものであるが故に一々に仏の字を附すのである。」(仏にはふかい意味が込められていたことを感じ入りました。)

茶話会

小さいお子さんを連れて埼玉から参加された方は、お子さまが退屈されるので茶話会までは無理なようで途中でお帰りになり残念でした。いつの日か茶菓を頂きながらみなさんとゆっくりお話をし、一行院の例会の雰囲気にも慣れて頂きたいと願っております。

今年も無事一年が終わろうとしています。さてえこの一年どれだけ精進できたかと反省することしきりです。人生の日没を自覚する年齢となり、「急がねば日が暮れる」が実感されるようになりました。来年こその決意を持って、新年会の日時を確認して散会しました。

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