東京光明会1月例会
植西 武子
◇日時 1月8日(月)10時30分~15時
◇場所 一行院
◇導師 八木季生上人
◇参加者 18名
東京光明会では新年最初の例会は毎年「新年会」を兼ねて行われます。そのため一日別時となっており、10時半から始まりました。約1時間のお念仏をして礼拝儀と聖歌の後、12時から約1時間のご法話がありました。
ご法話の後、全員で本堂の片づけをすませやや遅い昼食を兼ねての新年会がありました。
ご法話
今回は、シリーズでお話下さっている「弁栄上人の片影」に関する内容ではなく、特別にお話がありました。
- 本論に入る前に「親が子を殺したり、子が親を殺すニュースが連日報じられ、学校給食での「いただきます」の挨拶にクレームをつける親が増えている昨今の日本社会の状況は嘆かわしい限りである。「毎日の生活を幸せと感じているか?」という満足度に関する世界的な調査で、デンマーク、スイスが上位を占め、アメリカは23位、日本は90位だったそうである。まさに貧・瞋・痴の煩悩の虜になっていると言わざるを得ない。国民全般に宗教心が欠落している」と話されました。
- 無量寿経に、法蔵菩薩が五劫の歳月をかけて四十八願を立てて修行され、阿弥陀仏となられたと書かれている。弁栄聖者はこれを迹仏と捉えられた。即ち法性法身(始めなき過去より人格的な阿弥陀様がおられた)に対する方便法身である。迹仏(方便法身)については曇鸞大師の「二種法身説」の中に述べられている。八木上人は蓮如上人の御遠忌に出品された展示品をご覧になった時、お像の前に「方便法身像」と明記されていたそうである。浄土真宗ではその点についてははっきりしていると言う。
- 弁栄聖者は「報身」を中心とする念仏を説かれた。聖者はある日、笹本戒浄上人に「どんな仏様を拝んでいますか」と尋ねられた。上人が「ハイ。法身如来を拝んでいます」と答えられると、「それはいけませんね。報身如来でないと」と言われた。
- 八木上人は「徳本行者の遺言」についてもお話下さいました。
徳本行者は「4歳から61歳まで念仏を続けてきたが、不思議なことは何も無かった。凡夫の徳本が報土に生まれることこそ不思議中の不思議である。このことを皆に伝えよ」と言われた。 - お上人様は多角的な方面からお話下さいましたが、お話の核心は仏身論についてでした。最後に仏身論こそ仏教の要であると結ばれました。
新年会
ご法話が終わって、いよいよ待望の新年会となりました。本堂より庫裡に下がってきますと、会場は準備万端整えられ、床の間に活けられた立派なお花が新年のすがすがしい気分を醸し出しておりました。また、卓上に並ぶお弁当、お酒のお猪口、みかん等もこれから始まる新年会の雰囲気を一層盛り上げておりました。奥様と世話係の方々が心を込めてご準備下さいました。ありがたいことと心の中で手を合わせました。
席に着きますと、昨年の新年会の様子がはっきりと思い浮かび、月日の流れの早さをひとしお感じました。今年もみんなそろって健康で新年を迎えられたことに感謝しつつ、お酒で乾杯をしました。京風料理のお弁当に舌鼓を打ちつつ、ゆっくりとした気分で歓談しました。宴もたけなわの頃から、例年のように一人ずつ新年の抱負について語りました。聞きながら、それぞれの立場でいろんな思いがひしひしと伝わってくるように感じました。例会で尊いお話を聴く一方で、参加者が自分の思いを話す機会を作り、参加型の会にしていくことも今後必要ではないかと思いました。1時間は瞬く間に過ぎ去り、みなさんとても満ち足りた気分で家路に着きました。なお、今月の例会に遠路山口県から医師の野間暁氏が来訪されました。毎年唐沢山別時に参加して下さっており、とても嬉しく思いました。東京での会合に参加されての帰路とのことで、新年会にもお誘いしましたが、列車の時間の関係でお帰りになりました。このように他支部の方が気軽に参加し合えるようになればすばらしいことと思いました。
横浜光明会報告
犬飼 春雄
◇日時 1月16日(火)
◇内容 修養会(例会)
◇場所 慶運寺
◇参加者 6名
年初の会にあたるので、河村昌一先生は「弁栄聖者 年頭法語」を拝誦された。この文は、聖者が田中道士に宛てた元旦の祝詞であるが、大ミオヤの懐に育まれた己れが心を保持保全することの大事さを悟されたもので、万人にも広く通ずるものである。
河村先生は笹本戒浄上人について法話をなさった。名著「光明のすゝめ」は、上人の校閲で昭和10年初版、しょうわ55年までに5版を数えている。奥付に編者東京学生光明会代表橋本徳冏とある。この日の例会には東京より橋本氏のご母堂通子様が出席、戒浄上人に係わるいくつもの話を伺うことができた。(上人の逸話は全集別巻に載っているが)このことは私たちにとって大きな実りを得たひと時となった。
我孫子市から来られた椛谷みよ子様は、「河村先生と闘病中の出会いは仏縁としか言えないものです」としみじみ語っておられた。
例会のお世話をして頂いた鎌倉市の林溥様及び相模原市の岡田伸子様、そしてお導きを下さった河村先生に深い感謝をする次第である。
光明園1月例会
植西 武子
◇日時 1月14日(日)10時~16時
◇場所 光明園
◇内容 念仏と法話の会
◇導師 河波定昌上人
◇参加者 26名
光明園に着いたのが11時過ぎでした。30分ほどお念仏の仲間入りをさせて頂いて、昼食となりました。昼食とお昼休みの時間帯はいろんな方との連絡であわただしく過ぎ去り、ご法話となりました。
ご法話
お正月は「おめでとう」の挨拶で始まる。習慣となっているので、何故おめでたいのかもはっきりせず、「おめでとう」を言う。しかしながら多くの人はそのことばの意味に気づかぬとはいえ、それには根本的に深い意味がこめられている。
唐の善導大師は「勧経疏」(玄義分)の中で「正覚の芽、念々に生ず」と示されており、私たちの中から念々に如来様の生命が出生することを述べらrているのである。如来様の生命は無量寿であるから、かかる根本的な生命が芽となって生じ、露われ出ること程めでたいことはない。お正月には種々のめでたい行事が行われるが、かかる点で念仏に勝るめでたいいとなみはない。
阿弥陀仏は私たちを無限に超越し、私たちを包含するものでありつつ、その阿弥陀仏はまた私自身の奥底から露われ出たまうのである。かかる意味で阿弥陀仏はどこまでも超越でありつつ、また内在的でもある(超在一神的汎神教)。
アウグスティヌスも「あなた(神)は私を無限に超えつつ、また私の内よりもっと内に在す」とも言っている。(『告白』第1章)
超在一神教的汎神教は宇宙の真理であるから、弁栄聖者に露れたその宇宙の真理がキリスト教の世界に出現して何の不思議もない。「私は父(神)の内にあり、父は私の内にある」(『ヨハネ伝』)の関心を集中し、それを「包含」と「展開」として論じたのがニコラウス・クザーヌスであった(『知ある無知』)
そのような次第で「おめでたい」の挨拶には甚深の意味があるのである。念仏を通してかかる私の内なる如来=如来歳(霊性)の展開を主張せられたのが弁栄聖者であった。
又、正月の行事として「若水を汲む」ことが挙げられる。若水とは元旦の夜明け頃、湧き出る水は神聖で不思議な力に充満しており、それを汲んで神仏に供え、また頂く行為である。そしてその神聖な水はそれを頂くことによって私たち自身が蘇り、また諸厄が除かれてゆくというのである。この若水(das
junge Wasser)について20世紀最大のドイツの宗教学者F・ハイラーも論じているが、ゲルマン民族にもそのような概念があったのであろうか。
しかしながら水に内在する神力は何よりも如来の光明そのものなのであり、大乗経典はその神力を説いてやまない。たとえば、「無量寿経」-この無量に勝るめでたい言葉はない-の中の、「神力演大光、普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」の文における「広済衆厄難」は何にもまして除厄の効能を説いており、念仏による救済における利益が示されているのである。
今回はキリスト者や禅宗僧たちの参加も見られたが、念仏が決して浄土宗だけに限定されたものではなく、万人の救済に連なっていることが説かれた。それこそがまさしく弁栄聖者が説かれた光明主義の真精神に他ならないのである。とくにキリスト教における祈りの問題や禅と念仏との関係について詳述された。
茶話会
お念仏の後、お上人様を囲んで皆さんと歓談するのも例会の楽しみの一つです。ご法話の内容を再確認したり、いろんな情報を得たりします。その中で今回は二つの印象的なことがありましたので伝えさせて頂きます。
その一つは、今年も河村昌一氏はお元気で参加しておられ、「本年は笹本戒浄上人の70回忌であるのでささやかながら年忌行事を計画している」と話されました。その上、ご命日まで昭和12年7月26日とはっきり覚えていらっしゃいました。更に、田中木叉上人も昭和49年12月12日で確か33回忌になるはずだと話されました。お話をお聞きして、私は過去にご指導いただいた多くの上人方々への感謝の気持ちを忘れずにお年忌等の法要はきちんとやるべきだと教えられた思いでした。費用をかけて大々的なことをするのでなく、そのご恩にみんなで感謝してお念仏をする機会があれば充分と思いました。さすが河村氏ならではと感心すると同時に各支部におられるご長老の方々にいろんなことをお聞きして、きちんと記録に残して置くことが必要だと思いました。
二つ目は今回のお念仏の後、お上人様がある女性のご回向をされました。そのお名前を聞いて、まさかの思い後でお上人様にお尋ねしますと、やはりご本人でした。先月の例会(12月17日)非常にお元気で参加しておられ、茶話会のとき、私の前に座っていろいろ賑やかにお話がはずみました。年末に脳溢血で急逝されたとお上人様から伺いました。正しく
「明日ありと思う心のあだざくら 夜半にあらしの吹かぬものかは」
と実感し、衷心よりご回向させて頂きました。
私が非常にショックを受けたのは、平素その方とはゆっくりお話する機会がありませんでしたが先月の例会で初めていろいろお話を伺ったばかりでした。その方は跡見学園の卒業生とお聞きしてましたので仏縁があったのも当然と思っていましたが、今一度、確かめようと思って「どうしたご縁で光明会に参加されるようになりましたか」と尋ねますと、おもむろに懐(この方はいつも和服を召しておられました)から2枚の懐紙を取り出され話されました。その1枚には筆ペンで円が描かれ法身、報身、応身と書かれていました。そして話されました。
数年前のある日、銀座の交差点で信号待ちをしている時、隣に立っている方と話をし、信仰の話になったとか。隣に立っていた紳士とは唐沢別時の世話人としてよく存知上げているH氏でした。おそらくこの間に信号は何回も変わっていたことだろうとその場の情景を想像しました。さすが平素から物腰がやわらかく、応対が非常に親切で丁寧という評判のパーソナリティの持ち主・H氏ならではと感じ入りました。これこそ対象が一人であれ正真正銘の「辻説法」。人を済度することに非力な我が身に比べ何と立派なことと改めて尊敬致しました。
さらに心を打たれたのはその方がその2枚の懐紙をご絵像と共にいつも懐に入れられて、大切にお守りとしておられたことでした。
期せずして、すばらしいお話を聞かせて頂いたのが、その方との最後とあって、より強いインパクトで心に響きました。
このことはいろんな意味で私の心に大きな波紋を描きました。