光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成19年8月

光明園6月例会

植西 武子

◇日時 6月17日 10時~15時30分
◇場所 光明園
◇内容 念仏と法話の会
◇導師 河波定昌上人
◇参加者 20数名

梅雨入り宣言があったと思えない快晴に恵まれました。野山は新緑から深緑へとその色を深め、爽やかな風が心地よく流れていました。急いで光明園に着きましたが、下駄箱の靴数がいつもより少ないようでした。最近、午後からの参加者が増えたように思われます。午後は少しお念仏をして、礼拝儀、聖歌を歌ってご法話がありました。ご法話はその要約のみとします。

ご法話

「お念仏の実践と教義について」というテーマでした。その中心「本迹不二」についてA、B二つの視点からお話を展開されました。

法門に「本覚法門」と「始覚法門」がある。

  • 「本覚法門」は、衆生にはもともと仏性が具わっていて既に救われているので、わざわざ修行をする必要はない。信心があれば良しとする考えに基づいている。浄土真宗はこの立場を取っている。真宗は「感謝の念仏」である。「始覚法門」は、修行をして悟るという考えに基づいている。臨済宗や浄土宗鎮西派はこの立場を取っている。浄土宗は「どうかお救い下さい(救我=くが)」と願う「請求(しょうぐ)の念仏」である。
    このように法門に対立があるが、弁栄聖者は両方を含んだ立場で説かれている。即ち、すべてをおおみおやにおまかせ申し上げて(本覚法門の立場)、常におおみおやを念ず(始覚法門の立場)。
  • 「本迹不二」とは「空」であり、「縁起」でありと捉える考え方である。しかし、この視点からも「本迹」についての解釈が二つに分かれている。法華経二十八品の前十四章は迹、後十四章は本と捉える。これが浄土宗と浄土真宗の対立ともなっていく。
    法蔵菩薩の十劫正覚は始覚法門といえる。十劫は無限を有限数で表現している。「本覚」は歴史を超えたものであり。「迹」は歴史の中で働くものである。「存在」と「生成」の関係を如何に捉えるかによる。
    ギリシャ人が存在と生成を対立的に考えたのに対し、ヘブライ人は存在の中に生成を認めた(Hayatologie)。存在と生成存在と生成があることによって存在のダイナミズムがあると言えるのである。浄土真宗の学者である曽我量深は「法蔵菩薩とは阿頼耶識なり」と言われた。これを更に掘り下げて妄識として説かれたのが弁栄聖者である。
    弁栄聖者は法蔵菩薩とは「己々の法蔵」と表現され、「我々個々の心の中で働いて在す」と説かれた。法蔵菩薩は「因」であり、阿弥陀様は「果」と捉えるが、両者において「縁起の思想」が成り立つのである。

茶話会

お念仏の後の歓談は楽しいひとときです。今回は人数がやや少なかったせいもあってお上人様、奥様を囲んでくつろいだ雰囲気で話は弾みました。

ご法話についての感想や、個人的な体験など、個々にお話ができることは素晴らしいことです。お互いに心を開いて話し合い、法友の輪を広げていくことは何より大切なことだと思いました。時間が許せばもっとお話を続けていたかったのですが、4時になりましたので会の余韻をそれぞれが心に止めて散会しました。

余談になりますが、今回とても不思議に思うことがありました。それは午後のお念仏が終わろうとする頃、ふと雑念が心を過りました。その雑念とは、こんな素晴らしい環境の道場でお念仏させて頂けるのはなんと幸せなことだろうと感謝の気持ちで一杯になったことです。そしてこれは松井信成ご夫妻が生涯かけて蓄積された貴い資産をご寄付下さったお蔭だと再認識し、それに対して感謝の気持ちが足りないのではないかとしきりに反省しておりました。その直後にお念仏の終わりを知らせる鐘がなり、お上人様が「今日は本道場の再建にご尽力くださった松井信成氏の祥月命日ですので、ご回向したいと思います」とおっしゃいました。あまりにものタイミングに、松井氏からインパクトのあるメッセージを頂いたように思いました。衷心より感謝し、ご回向させて頂きました。そのご恩に報いるには一心にお念仏をし、光明主義の灯を次世代にしっかりと伝えていくことだと自分自身に強く言い聞かせました。

東京光明6月例会

植西 武子

◇日時 6月22日(金)13時~16時
◇場所 一行院
◇導師 八木季生上人
◇参加者 14名

かなりの雨量という予報でしたが、往路・帰路ともあまり傘のお世話にならなくすみました。緑一色の庭は小雨に濡れて一層鮮やかさを増していました。

今月もウィークデーでしたので若い方は参加されず、体が不調な方もあって人数的には少し淋しい感じでしたが、会の内容は充実していました。いつものようにお念仏、礼拝儀の後、聖歌「感謝の歌」を歌い、ご法話を拝聴しました。ご法話は先月に引き続き「弁栄上人の片影」のNo.88からNo.100まででした。

ご法話

三隣亡(No.88)
五香の付近の寺院に名僧がおられた。その寺院の屋根(萱ぶき)修繕の時に、その日がたまたま俗にいう三隣亡であったので皆はその日は休息しようとした。すると、その禅師は「三隣亡といっても一日中悪いのではなく、三隣亡が通過する時だけ仕事を休めばよいのであって、その時刻を私が知らせよう」と言われた。みんなはそれに同意して作業に取り掛かりました。午後3時頃に上人が出てこられて、まもなく三隣亡が通行する旨を告げられた。一同は下に降りて休息をとった。暫く休んで再び屋上での作業が続行されたという。それから暫くしたある日、一人が弁栄上人に「果たしてそのようなものが空を飛んで行くということがあるのだろうか」と尋ねた。上人は「毎日が如来日であって、そのようなことがある筈がない。それはきっと禅師が迷信深い人々の心を休めるための方便として為されたことであろう」と答えられ、「そうは言ってもこれを自分勝手に否定するのもよくないことだ」と付け加えられた。
※「三隣亡」は、この日に建築すると火災を起こし両隣りを焼き尽くすという言い伝えがあると八木上人は説明されました。

大宇宙逍遙(No.92)

弁栄上人が或処に逗留されていた時に六畳の一室をあちこち歩き回られるので、お世話をしていた人が「そんなことでも運動になりますか?」と尋ねれば、「もちろん、これでも大宇宙を逍遙しているので運動になりますよ」と答えられた。さらに、「身は六畳の室に在れども、心は宇宙を呑了しつるなり」。

空間の必要(No.95)

家を建築するとき、実際に必要なのは空間であり、この空間とは大工、左官が作るものではなく、宇宙本来の空であって水火に流焼くすることはない。
大工、左官の作るものは同一空間において内外の隔壁を作るに過ぎない。この隔壁による家屋は造られたものであるから消滅する。しかし真実の家屋は木竹の集合体でなく、空間である。この空間は人の造作を離れた本来の空間である。心霊の戸を開けると一体感が生じ、自分は即ち、宇宙全体の我であることを自覚する。ここに初めて真実の自己に目覚めるのである。

我は帰ることなし(No.96)

九州でのご巡教を終えられてお帰りになる時が来て、見送りにきた人々がお別れを惜しんで「いよいよお帰りになるようになりまして・・・」と挨拶されると、「私に帰ると言うことはありません」と微笑んで言われた。
「所求、所帰、去行が定まると安心が確立する」と言われるように、所帰の「婦」は「帰命」「帰依」の「帰」で「所帰」とは最後に帰っていく処を意味し、人は「帰る」場所があることで安心する(安心決定)。しかし弁栄上人は五香に寺を持っておられたが、そこに留まることなく、生涯各地を転々として安住の地を持たれなかった。
弁栄聖者は自分は出家の身であるから家がないと理解しておられた。・・・と八木上人は説明下さいました。

茶話会

先月お姿が見えなかったので心配していた川村氏が元気なお顔で参加されており、うれしく思いました。以前はご二男が、ここ数回はご長男が付き添って来られるようになりましたが、かれこれ百歳というのにしっかりした足取りでとても元気なのに感心します。その上、ご法話に使用される黒板やお上人様用の椅子出し入れを率先してなされます。次回からは私たちが気を利かせてやるべきだと反省しました。深い信仰に生きた方の晩年はさすがと感じ入ります。老いてもかくありたいと願うばかりです。

奥様と世話係の方がテーブルに茶菓を準備下さいました。いつも心の中で合掌しています。茶菓を頂きながら歓談しました。話題は自ずとご法話に及び、誰かが、聖者の家屋と空間についての話が印象的だと話されました。私自身も同感で、家を新築した時まさに木竹に執着していた愚かさとそこまで思いが至らない発想の貧困さを恥じました。これからは光明に照らされた空間の創出に、さらには隔壁のない宇宙空間に遊べるようになりたいものと思いました。
※例会がウィークデーだとどうしても若い方が参加できないと言うことで、元の土曜日(第四)になりました。

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