光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成19年12月

関東支部教学布教研修会

植西 武子

日時:10月27日(土)・28日(日)10時~16時
場所:一行院
講師:河波定昌上人・八木季生上人・伊藤旭栄先生・金田昭教上人。
テーマ:「現代における光明主義の意義」
参加人数:48名(27日=36名 28日=37名 全日程参加者=25名)
会費:4000円(1日参加者:2000円)

27日はあいにく天気予報が的中して台風が関東地方を直撃しました。朝からかなり強い雨足で、夕方がピークという予報、恐らく参加の取り消しが多いだろうと心配しました。参加下さった皆様の熱意にありがたく感謝した次第です。

今年は一行院をお借りしての実施となりました。一行院といえば弁栄聖者や徳本行者と非常にご縁が深いお寺、ここで2日間、充実した研修会が行われたことに大変意義があったと思います。

教学研修会の意義

本来、この会は布教師を養成するという目的で始められましたが、関東支部では地域の実情から、その本来の趣旨を活かしつつも、光明主義のみ教えを広く布教する機会ととらえ実施しています。若い方、初めて参加した方が入信して下さり、光明主義の尊さを体得して下さることにより、次代に伝えることにつながると考えます。

参加者

支部長の田代直秀氏が90通の案内状を発送され、50余名の方から参加申し込みがありました。中には「ひかり誌」を見て初参加という方も数名あり、電話での問い合わせもあったそうで、嬉しく思いました

とくに嬉しく思ったことは、青森県から石田孝信上人が参加下さったことでした。関東支部は北海道、東北地方を含む広範囲で、平素なかなかお出会いする機会がありません。今回の交流は何よりの喜びでした。青森県ただ1人の「ひかり」購読者だそうです。これを機会に「法の灯火」が増えますことを願っています。ご遠方誠に有難うございました。また、静岡から弥次金文子さんがお友達と埼玉の弟さんを誘って、新幹線の不通が危ぶまれる嵐の中を参加下さいました。大変ご苦労様でした。

さらに今回は初めての方が数名と40歳以下の方が4名参加されたことは喜ばしいことでした。次回もぜひ参加下さることを期待しています。花岡こうさんは娘さん、お孫さんの3代そろって参加下さいました。

ご講話

河波上人と八木上人がそれぞれ2席、金田上人と伊藤先生が1席ずつ担当下さいました。

おわりに

第2回目の教学布教研修会は会場を一行院に移して有意義に終えることができました。1日目は大変なお天気でしたが、2日目は台風一過、青空の下で弁栄聖者と徳本行者のお墓参りをしました。大勢の墓参者に両上人はさぞ喜ばれたと思います。八木上人がお墓の由来を詳しくお話し下さいました。由緒あるお寺を皆さんがお訪ね下さったことは何より意義があったと嬉しく思いました。

会場ご提供の八木上人様には大変お世話になりました。土・日は混む寺務関係のスケジュールを調整して下さいました。奥様にも仏花やお供え、湯茶の準備に至るまでお世話頂き、感謝の極みです。有難うございました。

四講師方の中身の濃いお話で、研修会がより充実したものになりました。常々、関東では河波、八木両上人のご法話に接する機会が多いことを幸せに思っています。これからも健康に留意され末永くお導き下さることを念じています。

また、会が成功裡に終えられたのは参加下さった皆様のおかげです。それぞれにいろんな面でお力をお貸し下さいました。石田上人には突然、維那と木魚をお願いし申し訳ありませんでした。とても助かりました。

関東支部の皆さんは会場設営や接待、後片づけと献身的にご協力下さいました。初めて参加下さった方々はどのような感想をお持ちかお聞きする機会がなく残念でしたが、今後も続けて念仏されますことを祈っております。例会にも是非お出掛けください。

田代支部長はこの研修会の計画から実施まで全面的に担って下さいました。綿密に計画を立て、多方面に連絡を取っての実施でしたので、予定通りの成果を上げることができました。支部長のリーダーシップの下に組織的な活動が定着してきたように思います。

来年は光明園での実施を予定しています。会を重ねる毎に内容的に充実し、より多くの方が参加下さることを祈念しています。皆々さま誠に有難うございました。

合掌

第31回 大巖寺別時念仏会

植西 武子

9月14日(金)~16日(日) 龍澤山大巖寺で。

導師は河波定昌上首上人、参加者58名。

14日、15日の2日間のみ参加させて頂きました。開会式に間に合うようにと朝7時に家を出ましたが、10時30分の開会時刻に遅れての到着となりました。今年こそと思っていた開会式も残念ながら逸してしまい、かろうじてご法話に間に合いました。

参加者

今年は例年通りの人数かなと思っておりましたが、15日になりますと休日とあってだんだん増え、過去に比べて多数の方が参加されました。大巖寺様附属の保育園から保母さん9名と幼稚園から11名の先生方が参加されていました。また檀家や親戚の方、大学関係の方も何人か参加されておりました。光明園の9月例会も兼ねられているため、光明園関係者や仏教塾関係の方も数名おられました。その中には仏教塾9期生で青森の女性、それに今年初めての方が多く参加されていました。東京方面からの電話の問い合わせが多くあったそうです。素晴らしい環境でのお別時ですので一人でも多くの方がご縁を結んで下さることはとても嬉しいことでした。

ご法話

午前、午後に各1回、計6回がありました。

別時雑感

毎年、唐沢山別時が終わってほっと一息して、大巖寺様のお別時に参加させて頂くのが恒例となっています。とても楽しみにしていましたが、今年は所用が重なり、14、15日の2日間のみの通いの参加とさせて頂きました。午前10時のご法話にぎりぎり間に合うというあわただしい日々でした。

今年は特に暑さの厳しい夏でしたが、この3日間は比較的涼しく、大変お念仏のしやすい気候に恵まれました。毎年のことですが、とても落ち着いた雰囲気で修行させて頂きました。保育園と幼稚園から若い先生方が参加されるお別時は他ではなかなか見ることができません。何人かの方は初めてでしょうし、宗教にあまり感心のない方もおられるかと思いますが、みなさんとても熱心にご法話を聴き、しっかりとお念仏されておりました。お念仏のご縁に着くということは非常に意義あることと思いました。ご法話にもありましたように、人心をあるべき方向にリードしていく宗教心こそ今、求められていると思います。教育に携わる先生方の心に法の種が育まれ、いつの日か開花することを願っています。長谷川匡俊上人様を中心のご家族ぐるみで31年間、お別時を実施してこられた偉業にただただ感服するばかりです。まだ福祉がさほど社会問題としてクローズアップされていない時代、既にその必要性に着眼して取り組んでこられた先代長谷川良信上人の慧眼とそれを受け継ぎ、ご家族総意でお念仏を柱として取り組んでおられるお姿から、正しい念仏のあり方を教えられた思いです。大変お世話になり有難うございました。

また、導師の河波定昌上首上人は21世紀に生きる我々に将来に展望した実に内容の深いお話をして下さいました。ご法話は私たちに生きていく上での指針と原動力を与えて下さった思いです。深くお礼申し上げます。

笹本戒浄上人70回忌法要

犬飼 春雄

笹本戒浄上人入定70回忌法要が、10月16日午後1時から慶運寺(横浜市神奈川区神奈川本町)で執り行われた。導師は第39世笹本心華上人。出席者15名

会次第は、記念写真(本堂前)、墓前焼香、法要、挨拶(笹本心華上人、河村昌一様)、奉納琵琶「敦盛」(解説:高橋洋水 演奏:樋渡蓬水師)、懇談(司会:林薄氏)、閉会は午後4時30分。

法要は仏間で行われた。正面に阿弥陀如来の弁栄聖者の御軸、そのそばに「信誉善阿戒浄上人」の位牌が置かれ、形影相添うが如くで生前のご交誼もかくあったろうと偲ばれた。あさの礼拝の順に従って読経し追善のご供養をさせて頂く。挨拶に立たれた心華上人様は次のように話された。

当時(私は)10歳でありました。7月26日に京都から帰ってきた父は風呂へ入り、家中のもの全部一緒に食事をすませベランダで一時過ごし、床に入って間もなく大きないびきをかいて急逝しました。
存命中、子供たちは朝は本堂で父の後ろで三礼(光明会の節で)し、夜は同じく寝床で三礼して寝るように云われました。昭和10年頃は人さらいにさらわれてサーカスに売られるとよく云われ、常に恐怖心を持っておりました。

父は人さらいにさらわれそうになったら、お念仏を称えれば人さらいなんか行ってしまうよと云っておりました。

冬は本堂に寒暖計を持って行き、今朝お堂の中は零度だったと云ったことがありました。最後京都へ行く時、血圧が210あり、当時の列車は冷房はなくて夏でもトンネルに入れば窓を閉めなければならず、いつも乗るのは座り心地の悪い3等車でさぞかし体にこたえたと思います。早朝からの別時念仏をすませ無事に帰ってこられたのは如来様の護念のおかげであったと思います。

河村様は慌しい寺内の空気の中で一人ご遺体の前にはべり念仏を称えられたという。同氏は日本郵船の社員として関西で勤められて後、昭和10年27歳で横浜に転勤し宿舎を慶運寺の近くに定められた。朝の念仏を戒浄上人に願い出て許され、師の後について勤行をした方である。

錦心流琵琶による「敦盛」は、高橋洋水・樋渡蓬水ご夫婦により演じられた。一の谷の戦いで敦盛が死ぬ段には満座粛として声なく心に浸み通った。後に熊谷真実は法然上人の浄土宗の門に入り、戦で没せられた人の菩提を弔った。昔も今も同じで生者が死者へのつとめである。

懇談会は座卓を数脚つないで中央に置き、周りを囲んで会が始まる。主な話題は次の通り。
★光明学園に転勤して得たこと。宗教教育にも専心できるよさ難しさ。校長の姿勢と活動とその教化。
★光明学園に子を就学させた親の思いと所感。
★笹本戒浄全集に出合ったことがこの道への動機。
★琵琶を通しての光明会のふれあい。故高橋源次氏とは本家分家の間柄である。
★教義よりも、念仏一筋に固め(ま)るのが是か非か。
★「むだやこごとを言う口いらぬ。ただその口で南無阿弥陀仏」。この道歌を言われたのは河村氏で、ふだんから実践されているお姿を見ているから説得力のある話であった。

(懇談会の中で)心華上人様は古い黒板を出して来られた。板面が傷つけられている。よく見ると文字であった。

昭和12年7月8日に鎌倉の犬塚助次郎氏(海軍少尉)宅で開かれたが、その時戒浄上人が白墨で書かれた文字をなぞって彫ったものである。同氏宅最後の光明会となった。

七十回忌法要は次の方々もお世話を下さいました。(敬称略)中牧千秋、関本唱子、岡田伸子、山本自貞、米山武男、貴島慶四郎。

なお河村昌一氏は前光明修養会関東支部長、現同会顧問、横浜光明会再興。あと数ヶ月で百歳となられる。
昨年亡くなられた高橋源次氏は元公立中学校校長、元光明学園教頭、横浜光明会再興に尽くされました。

光明園10月例会

植西 武子

16日(火) 10時~16時 「一行三昧の会」。

維那は金田昭教上人。参加者10名

しばらく休会となっていた「一行三昧の会」が今月より復活しました。河波上人は大変お忙しいので、今後は金田昭教上人が導師をして下さいます。

今月は連絡不十分で参加者は限定されましたが、午前も午後もひたすらお念仏、会の終わりに金田上人が熊野宗純上人著「更正の道」から「発熱の文」のプリントを準備され、みんなでそれを読みました。前日まで布教に出ておられた河波上人は大変お疲れの中を午後のお念仏から加わって頂き、お念仏の終わりに笹本戒浄上人のご回向がありました。少人数なので大変アットホームな雰囲気で団欒して散会しました。

21日(日)10時~16時 「念仏と法話の会」

維那は河波定昌上人、参加者20名。

関東地方は数日ぐずついた天候でしたが、この日は秋本番の快晴で電車は行楽地に向かう人達で混雑していました。光明園の玄関に入り、いつもの習性で下駄箱に目をやりますと、靴の数がいつもよりやや少ないのに驚きました。7月は台風、8月はお盆休み、9月は大巖寺様に合流したため、光明園での例会は3ヶ月ぶりです。久しぶりなので参加者多数と思っておりましたが、終末に教学研修会が2日間あるので調整する方もあったのかと思われます。

いつもながら女性の参加者が少なくわずか4名でした。初めての方が2名おられ、教学研修会に参加されるそうでとても嬉しく思いました。また、はるばる富山県から熱心な信者であられる坂井さん一家のご長男も初めて光明園に来られました。午前中は念仏三昧、午後は礼拝儀をあげ、河波上人のオルガン伴奏で聖歌「七覚支」を歌ってご法話を拝聴しました。

東京光明会10月例会

一行院の10月例会は教学研修会(10月27~28日、一行院)に合同する形となりました。

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