光明園 12月例会
植西 武子
一行三昧の会
12月12日(水) 導師:河波定昌上人 維那:金田昭教上人 参加者14名。
12月の「一行三昧の会」は田中木叉上人の祥月命日である12日に設定されました。1時から午後のお念仏、やがて鉦がなり木叉上人の法要となりました。
最初に河波上人は木叉上人の戒名を紹介されました。「仏子木叉」、非常に簡潔で尊い戒名です。その後、河波上人は弁栄聖者が木叉上人に贈られたという年頭法語を唱和するようにと指示されました。金田上人はそのプリントを準備し、さらに数十年前の木叉上人のお声が録音されたテープをかけて下さいました。お声に耳を傾けながら、唱和というよりはむしろ拝聴する形で、心は40年前にタイムスリップして懐かしい思いで一杯でした。
金田上人はお若いのによく機転がきき、何事にも準備万端であるのに感心しました。前支部長の渡辺雅之さんが少しずつ健康を回復して参加されておりました。またご一緒にお念仏できることをとても嬉しく思いました。
※茶話会は少人数のため、ゆったりとした気分で楽しく語り合いました。金田上人が木叉上人のお手紙や古い写真をたくさん収集し、その一部を見せて下さいました。セピア色の写真は遠い昔の懐かしい思い出と共に、光明主義の歩みと先人達のご努力を物語っておりました。一枚一枚に目を凝らしながら、当時の方々の布教に対する熱意に比べて、まだまだ努力が足りないと反省させられました。また、しっかり頑張れと励まされた思いでもありました。
念仏と法話の会
12月16日(日) 繊那:河波定昌上人 参加者34名
仏教塾の新しいメンバーの方が参加されるようになり、熱心にお念仏されておりました。暫くして河波上人の伴奏で聖歌「七覚支」を歌い、2時頃からご法話を拝聴しました。
ご法話
(概略のみ)
「七覚支」の説明から導入され、善導大師の「往生礼讃」へと展開されました。
- 「七覚支」の内容はお釈迦様が説かれた教えそのもので、外道(それまで他の教えに従っていた人びと)を対象に説かれている。
- 「七覚支」はさとりの内容を詠んだもので、修行すれば誰でも同じさとりに至ることができる。釈迦のさとりがわれわれ一人一人に現象してくるのである(覚の現象学)。
- 弁栄聖者は「七覚支」を非常に分かり易く、なお的確にその内容を表現されている。仏教学者の前田聰瑞が『阿弥陀経講話』の中で「五根五力」「七菩提分」「八正道」等の解説をしている時、「七菩提分」について理解ができかねていた。聖者の「七覚支」に出合って初めて理解できたといわれている。
- 「七覚支」の「支」は木の枝を意味し「七つの枝」と捉える解釈と「七つの覚りの段階」と捉えるという二種類の説き方があるが、いずれも認められている。
- 明治になってヨーロッパ文化が流入すると、「七覚支」も欧風音楽を用いて歌われるようになった。宗教と音楽は密接な関係にある。ヨーロッパでも同様なことがいえる。マルチン・ルターは音楽の才能があり、彼の宗教活動に音楽が取り入られている。また、バッハの宗教音楽もその一例である。
- 善導大師(613~681)も芸術的才能があり、宗教詩を書いている。「往生礼讃」(六時礼讃)がそれである。仏教では一部の宗派(浄土真宗)では信のみを強調し、宗教儀式を排除する傾向にある。頭のみの理解ではなく、体を通して心身両面で受け入れることが大切である。
- 「六時礼讃」の中でも「人間忽々 営衆務」で始まり、「自策自励 求常住」で終わる「日没無常偈」には人の心を揺さぶるものがある。
- 善導大師の「人 生ける時 精進ならざれば たとえば 樹の根なきが如し」ということばがある。念仏することは大地に根を下ろすことである。「仏地経」は大地に根づかせる修行を説いている。また、「心地観経」では如来様を大樹にたとえている。ヨーロッパでも同様の思想があり、ハイデッカーは「大地に根ざす」(Boden standig keit)という表現をしている。彼の“Gelassenheit”というテーマでの講演内容は七覚支の「捨覚支」に等しい。
- 弁栄聖者はキリスト教をも視野に入れて説かれた。キリスト教の神化(神になる)に対し、聖者は霊化なる表現を用いてお念仏の中にその思想を生かされた。
- 聖者は死んでからの極楽往生でなく、生きている人間の人格完成(霊化け)の重要性を強調された。
茶話会
奥様がおいしい甘酒をご準備下さいました。身も心も温められ非常に美味で大好評でした。甘酒を啜りながら賑やかに歓談しました。久しぶりにお会いする方もあり、あちこちで会話が弾みました。仏教塾の方々は別室で熱心に経典の暗誦チェックをしておられ、甘酒が冷めない内にと気をもむ一こまでもありました。
東京光明会 12月例会
植西 武子
12月22日(土) 一行院で 導師 八木季生上人 参加者15名。
この日は冬至、一番昼間の短い日、予報は雨と報じられましたが、午前中は曇天で底冷えのする寒い日でした。
一行院の庭は冬枯れの草木がひっそりと息をこらしているようでした。この静けさに何とも言えない情感を感じます。
かすかに木魚の音が響いてきます。暖房のきいた本堂ではお念仏が始まっていました。最前列にいつものように百歳の河村さんが背筋をぴんと伸ばしてお念仏、遅刻した自分を恥じることしきりでした。しばらくお念仏をして、聖歌「仏々相念の讃」を歌いました。その後、ご法話となりました。
ご法話
- 「往生英語を習わせ給う」 No.145
- 明治32~33年ごろ上人が五香に帰寺されているとき、心如より時々英語を学ばれた。聖者は記憶力が抜群で忘れることがなかったといわれている。学んでから後、地方各地にご巡教して帰院された時に、心如が以前にお教えしたことを尋ねると一々きちんと答えられた。その記憶力の良さに心如は驚き、感心して人々に語られたという。
(八木上人の解説)
求聞持=真言宗の記憶力増進法。聖者はこれを修められたという。 - 「不死は心霊の方に向かって求むべし」 No.146
- 上人曰く、「藁の方について何時までも長生きしたいと言っても、それは謝りであって、これを実(米)の方に求むべきである。この肉体をいつまでも死なないようにと願うのは藁の方に望むようなもので、真実なる不死永生はこれを心霊の方に求むべきである。」
(八木上人の解説)
藁を育てようとすると藁のみ育つ。実を育てようとすると実は育ち、それを支える藁も育つ。体と心の関係も同じである。目的を誤ってはならない。 - 「稲の施肥の目的」 No.147
- また曰く、「稲に肥料を与えるのはやがてその藁の中に良き米を収穫せんがためであるように、体にいろいろ栄養物を摂取させるのは心霊の実を稔らせることに意義を認めねばならない。」
(八木上人の解説)
徳本上人晩年の頃、徳川将軍が健康回復にと薬を用意した。上人はこれを辞して、「南無阿弥陀仏 生死輪廻の根を絶たば、身をも命も惜しむべきかな」と詠まれた。 - 「理性の必要」 No.151
- 上人曰く「高等な宗教に至っては日常人事の細かい事に至るまで一々如来のお心を煩わす必要はない。霊樞性でなくても理性の批判がないものは駄目である。」
(八木上人の解説)
我々は日常、ややもすると理性が煩悩に引きずられている現状である。高等な宗教になるほど、日常茶飯事までいちいち如来さまにお尋ねしなくてもよい。理性で判断できるものはそれで良い(霊性がしっかりできていれば理性の判断も間違いない)。霊性は大宇宙の生命あるものに与えられるものである。理性はその根本に煩悩があり、損得で判断する。五感覚だけでは不十分である。霊性は直接に我々に働かない。理性を通して働くのである。霊性をもととして働く理性は本来の霊性が働くのである。 - 「敬遠主義と上人」 No.157
- 弁栄聖者は一部の宗教家のように人から敬遠されるようなことは好まれず、いつも「これからの宗教家は秘密主義でなく、公開的になるべく多くの人に接し、結縁摂化すべきである。と言っておられた。従ってその教化法は儀式ばって本堂の高座から話すことよりも、雑談的に膝を交えて教え説かれることが多かった。
とくにお話が最高潮に達すると、ある時は恰も戦場で敵に一撃を与える勇者の如く、またある時は慈愛に満ちた涙尽きない悲母の如く、遂には思わず座布団から滑り落ちて前方に乗り出される事しばしばであった。また、会衆と共に食事することを好まれ、その晩餐は実に和気藹々としたものだった。 - 「帰依」 No.158
- 上人曰く「本源の慈父の許に還る心の起ることを帰依仏という。それに付いて還るべき理を法という。親が子を思い子が親を恋うるところが法なり。南無阿弥陀仏の一念なり。この一念の中に万法備われり(十二光の徳)。そのことを人々に紹介するのが僧なり。」
(八木上人の解説)
三帰依=仏・法・僧の三宝に帰依する。帰依法=法とは仏と一つになってみ国に還ることができる理法である。「南無阿弥陀仏」に集約される。南無阿弥陀仏は如来から我々に与えられるみ心である。法とは仏と我々を如何に結べつけるか、親子関係で子に与える法である。南無阿弥陀仏を称える一言の中に万法が備わっている。徳本上人は「六字丸」と言われた。全てを治す名医が調合した薬に等しい。この関係を紹介するのが僧である。法を伝えて行く人の集団を僧と言う。無始無限の存在を当時の人々に伝えるのは非常に難しかったので法蔵菩薩の四十八願で表現された。いわゆる方便説である。仏教の基本は「仏・法・僧の三宝に帰依する」にある。
茶話会
本堂から降りてくると暖かいお部屋に茶菓の準備がされておりました。奥様や世話人の方に感謝しながら席に着きました。奥さんが庭でとれた柚をたくさん準備下さいました。みんなで分けて頂きました。ほのかな香りを楽しんでバッグに納めました。個々に楽しく歓談し、新年会の日程を確認して散会しました。