光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成20年3月

東京光明会 1月例会(新年会)

植西 武子

1月14日(月) 一行院で。導師は八木季生上人 参加者21名。

この日は好天に恵まれましたが、身を刺すような寒風に思わず襟を立て、小走りに一行院へと向かいました。暖房の効いた本堂に遠慮がちに座を占め、新年早々の遅刻を仏様にお詫びしました。10時半から12時までお念仏、12時から1時までご法話。1時から2時半まで新年会というスケジュールでした。

ご法話

今月は新年会でもあり、新しい方もご参加されておりましたので、いつもの『弁栄上人の片影』シリーズのお話ではなく、別のお話がありました。八木上人は梶村昇亜細亜大学名誉教授の『念仏信仰の諸相』の序文をコピーしてご準備下さり、それに沿ってお話を展開されました。その内容の概略は以下の通りです。

昔から「神や仏はいるかいないか、天国や極楽はあるのかないのか?」ということが絶えることなく問われてきた。即ち「永遠の課題」といっても過言ではない。さりとて、そのまま触れずに置いておけるものでもない。即答が出るわけでもないが、なぜ「永遠の課題」であり、解決がつかないのかを考える必要はある。

《なぜ解決がつかないか?》
梶村氏はその理由として、神の存在を問う立場とそれに答える立場が同じ土俵で相撲を取っていないと指摘されている。一方は世俗世界に足を置き、他方は宗教世界のことを語っている。両者の間に越え難き大きな山がある。

山のこちら側は科学万能の世界で、さまざまな物質の存在こそこの世で「一番確実なこと」と考える。山の向こう側では、西方十万億土の彼方に極楽がありそこに阿弥陀仏が存在して「南無阿弥陀仏」と称えれば極楽に摂取すると言う。およそ世俗の思惟を遙かに超えている。ならば後者を無視して物質オンリーの世界のみで生きていけばいいのだが、われわれの魂はこの世界の現実に堪えるられない。
この両者を交わらせるには大きな山を越えなければならない。越えない限り山の向こうは見えないのである。どうすればその山を越えることができるのか?
その越え方を説いてきたのが宗教である。祈り、座禅、念仏いずれもその越え方に関わる教えである。

※八木上人はいつもお話しされている天性、理性、霊性で補足説明されました。山のこちら側とは理性の世界(自然界、相対界)であり、山の向こう側とは霊性の世界(心霊界、絶対界)のことで、心霊界を理解するには理性のみでは難しく霊性の開発が必要である。それには念仏が一番易しい方法であると法然上人は説かれた。

梶村氏は『法然上人門下の念仏』でその越え方に取組まれようとした。氏の個人的見解として、機根も生活も異なる個々の人間の信仰は千差万別であることを認め、教えの受け取り方も異なるのは当然としている。この宗派はこれでなければならないとするのは信仰の押しつけであるとも述べられている。
法然上人の教えを聞いて、聖光、証空、親鸞、一遍、各上人がそれぞれに受け取られた。氏はそのことをそれで良いと認めた上で、各々がそれらの教えに基づきながら、それぞれの立場で一つの問題を考えてみることを試みられた。
※八木上人は法然上人の門下について説明下さいました。

  1. 聖光上人=浄土宗鎮西派で現代の浄土宗(知恩院、増上寺など)
  2. 証空上人=西山浄土宗(京都の永観堂、粟生の光明寺など)
  3. 親鸞聖人=浄土真宗(京都の東本願寺、西本願寺など)
  4. 一遍上人=時宗(藤沢の遊行寺、当麻の無量光寺など)

浄土宗鎮西派の教えを現代的に解釈したのが弁栄上人の光明主義である。

梶村氏はそれに際して、共通テーマとして所求(しょぐ・その求めるところ・・・浄土)、所帰(しょき・その帰するところ・・・阿弥陀仏)、去行(こぎょう・その念ずるところ・・・念仏)に基づいて展開された。

※八木上人が準備された資料はその序文であって、その内容の具体的展開は別の機会にお話し頂けるとして、今回は「信仰へのアプローチ」というか、大きな動機付けを提示下さいました。資料に触れながら、具体的にお話し下さいました。

現代の世相の状況は天性のみに逆戻りしており、煩悩に左右される理性にもの判断ではどうにもならなくなっている。今こそ霊性の開発が求められている。

芸術性、言語性、宗教性は早ければ早いほど良い。小さい頃より仏様に手を合わせる環境をつくることが大切である。また、仏教では胎教を重視している。生まれる前の子供に対して母が子に代わってする「三帰依」に深い意義がある。

そして最後に「大きな山を越えるには霊性の開発以外に方法はない。それにはお念仏が一番である。法然上人の『ただ一向に念仏すべし』に尽きる」と結ばれました。

新年会

本堂でのご法話が終わって庫裡に降りてきますと、既に新年会の準備が整っておりました。奥様と世話人の方々のお骨折りで卓上はお正月気分で一杯でした。休日でもありましたので、全員の顔が揃い、お檀家から初めてのご婦人が二人ご参加下さり、賑やかな宴となりました。まず、お酒で新年を寿ぎ、今年一年のお互いの健康と精進を誓いました。そして八木上人より「新年のご挨拶」を頂きました。

やがて会食となり、おいしいお弁当に舌鼓を打ちながら楽しく歓談しました。暫くして例年の習わしである「新年の抱負」を座席順に語りました。ユーモアたっぷりにお話しする人、信仰への決意を述べる人、皆さんから触発されることしきりでした。就中、この2月で満百歳になられる河村昌一氏は大変お元気で威勢良く滔々と語られました。あの無尽蔵なエネルギーはどこから湧いてくるのか。信仰の力、念仏の功徳の見本を見せられた思いでした。「南無阿弥陀仏」と合掌するばかりでした。会の後、全員で記念写真を撮って散会となりました。

床の間に飾られた掛軸と奥様の労作である松・菊・千両の生け花が新年会の雰囲気を一層盛り上げてくれました。帰り際、本堂前で今年も充実した日々でありますことをお祈りして帰路に着きました。

光明園 1月例会

植西 武子

念仏と法話の会

1月20日(日) 導師は河波定昌上人、参加者40余名。

かすかに聞こえてくる木魚の音に吸い入られるように光明園の玄関に入りました。ほぼ満杯の下駄箱を一目して驚きました。昨秋より、やや少なくなっているように感じていた参加者数でしたが、正常に戻ったことに安堵しました。

二階の道場の座席はすっかり埋まり、はみだす形で数名の方が後ろの部屋でお念仏されていました。昨年末より仏教塾の新しいメンバーの方が参加されるようになり、人数的にも増えましたが、活気も一段と増したかに感じられました。

ご法話

新年の会であるので、「年頭法語」についてお話し下さいました。これは弁栄聖者より田中木叉上人に賜りしお慈悲のたよりであります。

最初に河波上人は弁栄聖者と田中木叉上人の間柄についてお話しされました。当時、慶応大学の教授であった田中木叉上人に大谷仙界上人が弁栄聖者に会うようにと説得された。大正7年春に田中木叉上人は初めて弁栄聖者に会われた。聖者は大正9年12月にお亡くなりになっているので、わずか2年余りの交流期間であった。(それにも拘わらずこのような手紙を頂かれる深い間柄になっておられたご両人の深い結びつきに感じ入るばかりです)

さらに、河波上人は手紙の内容に触れる前に「信行具足の念仏」の視点からこの手紙の意義をお話し下さいました。

「信行具足の念仏」とは「信」を離れて「行」はなく、「行」を離れて「信」はない。法然上人の「一枚起請文」はこの「行」の面について説かれており、「一紙小消息」は「信」の面について説かれている。弁栄聖者のこの手紙は「信」の面から非常に重要な手紙であると話されました。(改めてその手紙の深さを教えられたように思いました)

その後、河波上人は内容について順々に語句の解釈をしながら、お話を展開されました。

  • 「大なるミオヤは十劫正覚の暁より、可愛き子を待ち詫び玉ふとは、仮に近きを示せしものの、実には久遠の往昔より・・・」
    「十劫正覚」とは『無量寿経」で48願を立てて云々と書かれているが、それは一つの喩えであって、実際には久遠の昔から・・・
  • 「番々出世の仏たち」とは同経の中の過去53仏からの引用である。「何度も何度も如来様が仏様を使われて」の意。
  • 「道士よ、御名を呼べば現に聞玉ひ、敬礼すればあなたは観(み)そなはし玉ひ、意(こころ)に念ずればあなたを知り玉ひ、こなたより憶念し奉れば、あなたは幾倍か深く憶念してくださる」の文の内容を宗教的に表現すれば「人格的呼応の関係」と言う。
  • 「道士よ・・・」で始まるこの部分は特に重要である。『観無量寿経』の仏身観、真身観の註釈の中に「三縁」が説かれている。「三縁」とは①親縁、②近縁、③増上縁である。念仏することの三縁が働き出す。
  • 「年頭法語」では三縁の中の「親縁」がそのまま説かれている。
  • 「此の肉体に於いても、分娩せられてまだ幾日の間は、母の懐に抱かれて居ながら、懐かしき母の容(かお)を見ることが、できぬことにて候。しからばいかにせば吾が母の容(かお)を見ることが得らるるに至らんとなれば、啼く声に哺(ふく)ませらるる乳を呑む外に、はぐくまるるみちは之なきことにて候」の部分は「摂取不捨」そのものである。
  • 「念々弥陀の恩寵に育まれ、声々大悲の霊養を被る。」の部分も非常に重要である。「摂取」も勿論であるが、更にその上での「お育て」が大切である。すなわち「霊養」である。
  • 「十万憶土遥かなりと愁ふること勿れ、法眼開く処に弥陀現前す」は「近縁」を説いている。

※河波上人は非常に幅広く、深くお話し下さいました。今まで何度も「年頭法語」に触れながら、如何に表層的にしかとらえていなかったかを思い知らされました。充実したお話の内容を的確にまとめきれない自分の浅学、微力さを感じました。

配布された資料の最後に聖者の御道詠の二首を示されていました。

① 親は子を かくばかりまでおもへるに 子はなど親を慕わざるらん
② 月を見て 月に心のすむときは 月こそおのが姿なるらん

河波上人は、法然上人のご道詠

月影のいたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ

と対比して前者が「月に心がすみ」、後者は「月が心にすむ」の違いをお話し下さいました。
とは云え、それは一つの事実の両面である。

茶話会

今月も奥様が甘酒をご準備下さいました。前夜、夜更けまで時間をかけて作られたそうで、とても美味しく頂きました。

仏教塾の方達は別室でお茶を飲みながら、熱心に研修されているようでした。こちらの部屋で河波上人を中心に歓談しました。お上人様はあれもこれもと質問する人に懇切丁寧に答えられておられました。金田上人は精力的に過去の資料をパソコンに収録されており、それ等を見せて頂きました。先輩方のご活躍の様子に感じ入り、その足下にも及ばないこと反省するばかりでした。また、それらを見ながら、過去の資料の収集はいろんな意味で大切だと思いました。先端技術の活用が光明主義の発展に大きく寄与することを願っています。

一行三昧の会

1月29日(火) 導師は金田昭教上人、参加者12名。

この日の前日に、京都で本部の役員会があり、宿泊したため光明園の会に出席できませんでした。出席してお世話下さった田代悦子さんに会の様子をお聞きしました。メンバーはほぼ固定化してきたようですが、2名の新しい方も参加下さったようでした。念仏一行なので、とても落ち着いた雰囲気であったそうです。お念仏の途中で聖歌を歌ったり、お念仏の後で新年の決意を一人一人が仏前に誓うなど、金田上人はいろいろ工夫して会を進行して下さったようです。

家では大きな声での称名や、木魚をしっかり叩いてのお念仏は近所への配慮もあって出来にくいものです。「一行三昧の会」は思い切りお念仏ができる場であり、機会です。今後もみんなで出来るだけ参加して精進したいと思います。

金田上人の若い力にリードされて、この機会が一層充実したものになることを願っています。田代直秀支部長は京都より早朝の新幹線で帰京し、午後から会に参加されました。熱意に頭が下がる思いでした。

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