光明園 2月例会
植西 武子
2月12日 10時~15時 導師は河波定昌上人、維那は金田昭教上人。参加者18名。
生憎の空模様で、終日冷たい雨が降る日でした。いつも金田昭教上人と抜井美幸さんが、早くから会場の準備をして、お念仏を始めていて下さいます。今回は「一行三昧の会」と併せて「河村昌一氏・百歳を祝う会」が行われました。そのため日程はいつもと違い午前10時から午後1時までが一行三昧、午後1時過ぎから3時までがお祝いの会となりました。河波上人もご在宅で、ご指導下さいました。
一行三昧の会
いつもは途中で聖歌を歌ったり、休憩が入りますが、今回は10時から1時まで通しての正に一行三昧でした。襖もぴったりと閉ざされ、遅れてくる人のために隣室の机上に「各自で休憩をとって下さい」と書かれた紙が置かれていました。
休憩なしのお念仏の会は非常に密度の高いものでした。1時少し前にお念仏が終わり、『礼拝儀』をあげた後に、河波上人より「今日は河村昌一氏の満百歳のお誕生日です。ささやかではありますが、みんなでお祝いのひとときをもちたいと思います。とのお言葉がありました。
河村昌一氏・百歳を祝う会
隣室の卓上には、お菓子・ミカン・お酒等が皆さんの着席を待っていました。田代直秀支部長の司会で進行されました。
最初に河村氏からご挨拶があり、続いて金田上人の「河村さん、百歳おめでとうございます」の音頭で乾杯しました。
その後、お弁当を頂きながらお祝いの会となりましたが、皆さんから待ってましたとばかりに質問の砲火をあびせる(英語ではa barrage of questionという的確な表現がある)形となりました。お念仏とのご縁について、如何に修行してこられたか、日々の生活で気を付けておられることは等々、聞きたいことが沢山ありました。その応答にお弁当をゆっくり食べて頂けないほどでした。
食後にお茶が点てられて、河村氏、お上人様に続いてみんなが頂きました。この会に何と、花岡こうさん、伊藤よし子さん、田代悦子さんという3名のお茶のお師匠さんがおられましたので、特別おいしく頂きました。河波上人も茶道の大家であり、河村氏もその道で要職に就いておられる(十徳を得ておられる)と伺いました。河村氏はお抹茶が大好きで「毎朝これが私の朝食です」と大変喜んで下さいました。これで雰囲気が一層和やかになりました。
いよいよクライマックスは誕生ケーキの登場でした。1本を10本と見立てたロウソクに火が灯され、河村氏は一息で吹き消され拍手が湧き上がりました。氏は「これは初めての経験だ」と言って大変感激されておりました。
時間は瞬く間に過ぎ、タイムリミットの3時前になりました。夜にご自宅でご家族でもお祝いの会が予定されており、ご子息が迎えに来られました。
最後に花束が今か今かと出番を待っていました。うら若い抜井さんから花束の贈呈がありました。受け取った河村氏はややはにかみながら、うれしそうに握手をされておりました。微笑ましい光景は絶好のシャッターチャンスでした。
※河村氏をみんなでお送りしてから暫く歓談しました。残ったお酒を酌み交わし大いに話に熱中する場面もありました。今日の会は各自がそれぞれの思いをもって、それぞれの形で盛り上げました。何よりも不思議に思われたことは2月12日が「一行三昧の日」になったことでした。田代支部長と金田上人がみんなの都合を調整して偶然この日と決まりました。それだ丁度、河村氏百歳の誕生日でした。だれも気付かずにいましたが、河村氏が「次会は私の誕生日なので何があっても参加してしっかりお念仏します」と話しておられるのを聞いて、ご縁のある方に声をかけささやかなお祝いをしようということになりました。更に河波上人からも是非にというご要望がありました。
田代支部長がお膳立てされ、お弁当、お酒、和菓子、果物と準備下さいましたが、当日になって、それぞれにお酒、バースディケーキ、クッキー、緑茶などを持って参加下さり、自ずとセレモニーの形が整いました。この絶妙なるお計らいに感服するばかりでした。これは河村氏自身のご人徳によるものであり、さらにその奥で采配する大いなる力の働きであることを痛感し、ただただ合掌するばかりでした。
明治・大正・激動の昭和・平成と四つの時代を生きてこられた氏の足跡は実に立派で、他の追随を許しません。ご子息は「ギネスブックを狙っています」と冗談半分におっしゃっていましたが、ただ百歳まで生きられたということではなく、視覚、聴覚、判断力、意志力、身体全ての面で健全な氏のお姿は正しくお念仏を積み重ねてこられた生き様を私たちに示して下さいました。みなさんの善意に満ちた心配りで会は終始和やかな雰囲気で和気藹々としておりました。各自が心の中にほのぼのとした灯を抱いて帰路につきました。河村氏がこれからもご自愛下さって充実した日々を過ごされることを祈念いたしております。
念仏と法話の会
2月24日(日)10時~16時 講師は河波定昌上人。参加者34名。
この日は午前中にも1席「受用」についてのご講話があったそうですが、光明園に着いたのが正午前になり、拝聴できず残念でした。
午後のお念仏が始まると、さらに人数も増えて、木魚の音も一段と活気づいてきました。男性が多いので雰囲気に圧倒される感じでした。
ご法話
今月は善導大師の「発願文」についてのお話がありました。ご法話に先だって、全員で「発願文」を音読しました。その後、文に従って語句の解釈や説明を入れながらお話を進められました。
善導大師は中国浄土教、特に曇鸞、道綽の流れを大成した唐時代の僧である。
「発願文」 願わくは弟子等。命終の時に臨んでも心頂倒せず、心錯乱せず、心失念せず。
「弟子等」とは発願文の「各発無上道心」の各、即ち各人の意味で、善導大師をも含む全ての人々を言う。
「命終の時」とは未だ命の終わらない時にという意味で(田中木叉上人はよく “not~yet”と表現されたという)一般的には「臨終の時」という意味である。
「心頂倒せず、心錯乱せず・・・」は念仏をする者には阿弥陀様のご来迎があり、心が安定する。信仰心のない者は混乱をきたす。十返舎一九はこの心境を「今までは 他人のことじゃと 思うたに これはたまらん わしが死に行く」と詠んでいる。
浄土宗では臨終念仏を大切にする。最近、医療の世界で「ターミナル・ケア」の必要性が言われているが、念仏をしっかりすればそれは不要である。臨終念仏は「脱ターミナル・ケア」である。(これに因んで河波上人は式子内親王の話を紹介されました。)
式子内親王(後白河天皇の第三皇女で正如房のこと)は法然上人の教えを信奉しておられ、いよいよという時に臨終の導師にと依頼された。しかし法然上人は別時期間中であったため「あなたは充分お念仏をされているので臨終の導師を必要としません。自分でしっかりとお念仏されるように」と記した手紙を侍女に託されたそうである。
身心に諸の苦痛なく、心身快楽にして、禅定に入るがごとく、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて、阿弥陀仏国に上品 往生せしめたまえ。
「身心に諸の苦痛なく」とは念仏をしているとホルモンが生じてくる。ホルモンには性的、知的、霊的ホルモンがあり、βエンドルフィンなるホルモンは苦痛を和らげる働きがあるといわれている。
「身心快楽にして、禅定に入るがごとし」は心すがすがしく、禅定の中で生と死が限りなく超えられていく。
(「聖衆現前したまい」の所で河波上人は跡見花蹊先生についてお話されました。)花蹊先生は晩年になってお念仏のご縁を得られたにもかかわらず、87歳でお亡くなりになるまでの短い間に活きた如来様にお出会いになられた方である。先生の日記にその状況を詳しく記されている。
彼の国に到り巳って、六神通を得て、十方界に入って苦の衆生を救摂せん。
「六神道」とは六種の神通力で天眼(てんげん)、天耳(てんに)、神足(じんそく)、他心(たしん)、宿命(しゅくみょう)、漏尽(ろじん)である。ピタゴラスは宿命通が開け前世を見通すことができたという。他人の心をも見抜かれたという弁栄聖者は笹本戒浄上人に「宗旨変えはいけません」と言われた話は今も語り継がれている。これは他心通である。
虚空法界尽きんや、我が願も亦是の如くならん。発願し巳んぬ。至心に阿弥陀仏に帰命したてまつる。
「虚空法界尽きんや、我が願も亦是の如くならん」とは宇宙全体が尽きれば私の願いも尽きる。すなわち宇宙がある限り、私の願いも在り続けるの意。また、この「願」とは「究極の願い」であり、華厳経の「十地品」の中に説かれている。(河波上人はとにかく限りなく願を持つことが大切であると説かれました。)
発願し巳んぬ。至心に阿弥陀仏に帰命したてまつる。
「発願し巳んぬ」の「発願す」とは菩提心を持つことである。
願わくば 生けるしかばね 誓願を
いかでゆるめん この菩薩道
(田中木叉上人)
弁栄聖者の発願文
弁栄聖者の「発願文」(至心に発願す)は、表現は異なるが内容的には殆ど同じである。ただ聖者の「発願文」の素晴らしい天はキリスト教も視野に入れて説かれていることである。それは「発願文」中のいくつかの表現の中に垣間見ることができる。例えば「完徳」はラテン語のperfecctioから、「世尊に倣ひて」はimitatioChristiの影響がうかがえる。
※河波上人は最後に「このような文化を生んだ大乗は偉大で在り、世界最高の精神的遺産といえる。この遺産の相続こそ現代に生きる我々に課せられた大切な問題である」と結ばれました。
ご法話の後、橋爪勇哲上人のご回向がありました。数年前、「法のつどい」で温和なお姿に接し、お話したときのことを偲びつつ、衷心ご回向しました。またして「巨星消ゆ」の思いで淋しい限りです。
光明園役員会
役員会は3時半より、応接室でありました。議題の中心は会計報告と財務に関する内容でした。いつも当然のように例会に参加させて頂いていますが、建物の維持、管理に河波上人と奥様のご苦労があることを知り、何か出来ることをみんなでお手伝いしなければと思いました。ただ感謝の気持ちで一杯でした。
茶話会
一部の人は役員会に参加し、並行して茶話会がありました。役員会が5時すぎまでありましたが、その寸前までみなさん楽しそうに歓談されておりました。お互いにゆっくり語りあう機会が少ないので、時にはとてもいいことだと思いました。会の発展には人と人とのコミュニケーションが何より大切と思います。
東京光明会 2月例会
植西 武子
2月23日(土) 13時~16時 一行院で。導師は八木季生上人。参加者21名。
一行院の門を潜ると右に白梅、左に紅梅が快晴の空を背景に色鮮やかにほころび、春の訪れを実感させてくれました。
この長閑さも束の間で、ご法話の頃には春一番が吹き荒れました。暖房の効いた室内とは裏腹に戸外では時々強風が吹き荒れ、本堂の戸口がガタガタ音を立てていました。夜のニュースでは都内あちこちでの被害を伝えていました。
1時間のお念仏の後、聖歌「如来の光」を歌い、ご法話を拝聴しました。
ご法話
今月はシリーズ「弁栄上人の片影」の続きの予定でしたが、新しい方が数名参加されており、いきなり弁栄聖者のお話というわけにいかないので、その導入として仏教全般についてお話し下さいました。
茶話会
今月は河村昌一氏がご子息と甥に当たる方を伴って参加されました。先月より八木上人のお誘いでご婦人が2名参加されており、新しい方が参加されると一層活気が感じられました。
大正大学生の坂井さんが積極的に質問されていました。座席が縦長になっていますので、全員が一つの話題に聴き入っておられました。元気印の河村氏が「この機会こそ、どんどん質問をして、充実した時間にすべきだ」と激励されました。
会を終えて外に出ますと嵐はすっかりおさまり、紅白の梅は何事もなかったように凛として咲き誇っていました。みんなで改めてその美しさ愛で、帰路に着きました。