光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成20年6月

光明園 4月例会

植西 武子

念仏と法話の会

4月20日(日)10時~16時、導師は河波定昌上人、参加者40余名。

午前のお念仏が佳境に入る頃、光明園に着きました。玄関に入り、下足箱に目をやりますと殆ど満たされていました。今日は参加者が多いようで、心を弾ませて二階へと駆け上がりました。僅かな時間でしたが、皆さんの後ろ姿を拝みつつお念仏しました。午後はお念仏の後、聖歌『念仏七覚支』の一番(択法覚支)から五番(定覚支)までを歌ってご法話となりました。

ご法話

今月のテーマは「念仏三昧の諸相」でした。河波上人はさらに具体的なサブ・テーマ「念仏三昧と四料簡のダイナミズム」を示して、詳しくご講話下さいました。まず、本論に入る前にその導入として『七覚支』の内容について説明され、さらに音楽と宗教の関係についてお話し下さいました。

※七覚支の歌詞の内容は「色即是空」である。「色即是空」はギリシャ語のeidos即ち「形相」を意味し「空即是色」の空は般若波羅蜜の空であり、空が全体として現れる。

七覚支の内容は大月氏(支)の国シルカセン訳の経典『般舟三昧経』に通ずるものがある。シルカセン、釈迦、善導大師、法然上人、弁栄聖者と受け継がれた『七覚支』の歌詞の内容は世界遺産に相当すると言っても過言ではない。

※宗教と音楽は密接な関係にある。特にキリスト教は音楽をよく取り入れ、教化に活用した。(河波上人が訪問されたオランダやスペインのカトリック教会でも荘厳な音楽に触れる機会が多かったそうである)。歴史的にはクレゴリオ聖歌(BC1世紀頃から形成)はローマ法王グレゴリオ一世によってまとめられたものであり、それがやがてプロテスタントに受け継がれていった。なかでもマルチン・ルターによる『神は我がやぐら』は有名である。それはさらにバッハへと受け継がれ、バッハの音楽は第五の福音書といわれるものを生み出すまでに至った。

宗教と音楽は深く関わっている。大自然と神が一体化するとき音楽が生まれる。このようにキリスト教と音楽は密接に関わっていたが、歴史的には仏教はこれに先んじていた。紀元前後頃の馬鳴菩薩は音楽で人々を信仰に導いた。音楽は信仰心を深めるのに重要な役割を果たした。お経(無量寿経)も音楽である。音楽の鳴り響く空間、それがお浄土である。無量寿経の中に音響忍について説かれている。音楽を通して悟りを得るのである。「世間帝王有 百千万音楽・・・」(無量寿経)。お念仏の最中に音楽が鳴り響いてくることがある。このように音楽を通して働きかけて下さることも真実なのである。

※本論「念仏三昧と四料簡のダイナミズム」
四料簡とは座禅(念仏)をしていると四つの側面が現れてくるということで、臨済禅師(?~816or817)が『臨済録』の中で説いている。『七覚支』もその中の一つである。

①奪人不奪境
奪人の「人」は「心」を意味し、不奪境の「境」は「対象」を意味する。即ち私が無くなって対象のみの世界になる。月を見ていると自分がなくなり月のみとなる。これを弁栄聖者は「あなたの心はなくなりてただ阿弥陀仏のみとなり候」と説いておられる。
※平素は主体と客体は対立の関係にある。このことをK・ヤスバースは「理性と実存」(1935)で
“das Subiekt-Obiekt-Spaltung uberschreitende Denken”と述べている。奪人不奪境に至る過程を述べているのが『七覚支』である。特に奪人不奪境は「択方覚支」に相当する。
(河波上人はこれに関して二つの例をあげてお話下さいました)

  • 徳川家光はある日、剣の師である柳生但馬守に質問をした。家光はかなり技術的には上達したが、どうしても師を打ち込むことが出来なかった。その訳を尋ねたのであった。柳生但馬守は沢庵和尚から剣道の極意を学んだと答えた。その著『不動智神妙録』に「前後裁断と申すことの候」と記されている。
  • 茶道でも同様なことがいえる。千宗旦(利休の孫弟子)の『禅茶録』に「茶杓を棗に置く時、その一点に集中する」とある。
②掌境不掌人
「直指人心 見性成仏」の禅宗の考え方に通じる。禅宗は「心」のみを説いて「境」を完全に否定する。対象をあまり重視しない。実際、「心」と「境」は対立するものではないのである。
③人境倶奪
(具体的な例として荻野圓戒上人の戦闘下で貴重な体験談をお話下さいました)
時は昭和18年7月28日、ソロモン群島の一つの島で日本軍は苦戦していた。じりじりと後退を余儀なくされ、容赦ない米軍の砲火に部下の体は次々と宙を舞い、ついに生き残った荻野上人一人となった。それは飛んできた一人の部下の体が荻野上人の上に落ちて来て覆い被さる状態となり、一命を救ったのであった。これはもちろん瞬時の出来事、その間、荻野上人は「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と一心に念じられたという。すると不思議にも一切の恐怖感や憎悪感から解放され、一切は皆空となり、なんとも名状しがたい境地になったそうである。
この境地を荻野上人は「朗々、了々」と表現されたという。まさに人境倶奪である。
④人境不倶奪
それでいて人(心)も境(阿弥陀仏)もどこまでも明瞭である。

※まとめ
お念仏をする時は一点に集中していくことが大切である。これを心一境性(one pointedness of the mind)という。禅の悟りは念仏の中にあり、禅と念仏は別々のものではない。弁栄聖者の教えを頂いているとそのことがだんだんと分かってくる。(念仏はまさに21世紀の精神的支柱であると結ばれました)

茶話会

今月も二つの部屋で茶菓を頂きながら、会話が弾みました。熱心にご講話の内容について語る人、いろんな体験を語る人、それぞれに情報を交換する良い機会です。会の途中で隣室から一人の方が加わって話す中、次回からは仏教塾の方と共に話すことができるよう、できるだけ合流してお話しするようにしようということになりました。毎月一度、同じ道を求めて念仏に励みながら、なかなかお話しする機会がありません。人と人が接する中で新しい発見があり、予期せぬ展開に発展することがあります。今期の仏教塾の方々とみんなで打ち解けてお話ができる会にしたいと思っています。河波上人もいろいろとお心配りをして下さっています。

一行三昧の会

4月30日(水)10時~16時 講師は金田昭教上人、参加者7名。
水曜日は所用があり、参加できませんでしたので、当日の様子を秋山佳香さんにお聞きしました。少人数であるため、ゆったりとした雰囲気でお念仏に専念されたようでした。金田上人は毎回熱心にいろいろ工夫をしてご指導下さり、とても有難いことだと思います。河波上人もお忙しい中を午後からお念仏に加わって下さったそうです。参加できなかったことをとても残念に思いました。自分一人ではなかなか出来ないお念仏、自宅では電話や来客で中断されます。この貴重な機会をみんなで大切にしたいと思います。

東京光明会4月例会

植西 武子

4月26日(土)13時~16時 一行寺で。
導師は八木季生上人、参加者18名。

本堂前の枝垂れ桜もすっかり葉桜となり、新緑に覆われた一行院の庭に溶け込んでいました。本堂ではすでにお念仏が始まっていました。礼拝儀をあげ、聖歌『仏々想念の讃』を歌ってご法話を拝聴しました。

ご法話

今月からは『弁栄上人の片影』のNO.170からNO.179まででした。
しかしNO.170「消極と積極」からNO.173「正念相続と不断光」までは「不断光」について述べられていますが、内容的に非常に難しいため別の機会にお話を回され、八木上人は、「不断光」について別紙プリントを準備してお話下さいました。

※「不断光」について
日常、我々が触れる自然界の太陽光線は白色の光と感知しているが、実は七つの光から構成されている。同様に如来からの光明も十二通りの光線からなり、それぞれの働きがある。「不断光」もその一つである。

不断光は「意志」を霊化し、聖なる道徳心をおこす働きがある。「意志」とは人の善悪の判断や性格にかかわる行為を指導する精神作用である。天然的意志は自己中心の世俗的情操で名誉、権威、営利等を欲望する卑劣なものである。しかし如来の聖霊に化する時は、消極的には世俗心、利己的劣態の状態から脱却し、積極的には聖霊同化の至善心、即ち「菩提心」となるのである。

「菩提心」とは如来のみ心と連絡する霊的聖性のことで、上は心霊ますます進化して如来の聖性の霊化することを望み、下は一切人類を愛護して自己と同化せんことを望むものである。

如来の霊に化する時は「一切衆生本同一理性」(もともと如来の子として同一の理性を持っている)であることに気付くのである。

如来の霊性に霊化するためには完徳の鑑である釈尊にならって、慈悲、温和、智慧、正義、堪忍、剛毅、謙遜、貞操、熱心を得て、自徳を荘厳することである。しかし、如来の霊である常恒不断の霊光が内にあって意志を指揮し、良心に照らして、初めて客観的な言語動作として顕現するのである。
(八木上人は日本人の宗教心について付言されました)

仏教は歴史的には聖徳太子の庇護の元に人々の信仰を集め、日本で中心的な宗教となった。以来徳川幕府に至り、キリスト教の伝播、さらに「島原の乱」に至って、それを恐れた家康は一層仏教の擁護に努めた。政策的には全てを仏教徒化しようとして最寄りの寺に登録させた。それが今日ある檀家制度の始まりであった。それにも拘わらず、今日の日本人には宗教心が欠如している。マスコミが報ずる世相の状況はそれを如実に物語っている。宗教心を失うと人は動物化、野生化する。これを防ぐには宗教あ重要な役割を果たす。とくに意識の霊化には「不断光」は不可欠である。

※「盗賊の腐心」(NO.174)
昔、あるところに盗賊の首領がいた。だんだんと年を取ってきたので、ある日、息子を呼んで、『最近、某所に資産家が越してきた。転居したばかりなので、恐らく防備も十分でないと思う。今夜お前と忍び入ろう。準備万端整えておくように」と伝えた。

その夜、二人して侵入し、あちこち捜す内に大きな長持を発見した。父は喜んで「多分中には財宝がたくさん入っている。わしは外で見張りをしているからお前が中に入ってそれを奪って来い。人が来たらすぐに知らせる」と言った。息子が安心して長持の中に入るや、父は外から鍵を掛けて大声で「泥棒、泥棒」と叫び息子を残して逃げ去った。

時ならぬ声に家人が起き出て泥棒は何処かと捜すと、長持の中から音がするので大騒ぎになった。驚いたのは盗賊の息子、とにかくこの難関を突破しなければならないと焦る。家人が鍵を打ち開けて捉えんとすると、息子は飛鳥のごとく飛びだして庭中を逃げ回った。そして古井戸を見つけ、とっさに石をドブンと投げ込んだ。盗賊は井戸に飛び込んだと思わせて、息子は家に逃げ帰った。

先に帰った父の盗賊は霊山万里に響く雷鳴の如きいびきをかいて眠っていた。やがて深き眠りより覚めて、不実をたださんとした息子におもむろに言う。「わしは盗賊の首領として長年腕をふるってきた。齢を重ねたのでお前に跡を譲ろうと思うが、お前の実力が分からなかった。だが今日はお前の妙述を見届けて至極満悦だ。くれぐれも自重自愛せよ」。

弁栄聖者これに関して曰く「道こそ違うが、我ら鬼の住み家のような暮らしから脱却して、大我の中に生きんとする。その宗教上の秘儀もこのようであろうかと、この話から彷彿させられるものがある」。

※「不徳にしてさる経験がない」(NO.176)
上人曰く「このごろ宗教家には元気がない。戦争にでも行くような気概がなければ、伝道なんかできるものではない」と。また曰く「古来の宗教家は主義のためにたびたび流罪、入獄等の憂き目を見てきたが、弁栄は未だ不徳にしてそんなことを経験しない」
※「或る禅師の話」(NO.178)
上人曰く『昔、中国に一人の禅師がいた。いつも杖で布袋を担い、道で何かを見つけては拾ってその袋に収めていた。人が袋の中に何が入っているのかとと問えど、秘密と言って答えない。しかも寝ている間も孔雀が尾を守るが如く、しっかりと抱えている。道で遊んでいる子供達が袋の中を見たくて後をつけると、一本の大樹の下に来た時、禅師は疲れて袋を傍らに置いて眠ってしまった。チャンス到来、子供達が袋の中を開けて見ると、何とそれは金銀財宝ではなく瓦石塵芥の類ばかりであった。子供達は禅師の愚かさをみんなで笑った。すると禅師は「何と嘆かわしい人の子よ。お前たちは私が塵芥を大事に持っていることを笑ったが、残念ながら未だ世間の人達は自身が日夜大事に死守している腐った袋のあることに気付いていない。私が持っている袋は洗えば元の清浄な物になるが、気の毒なことに汝達が持っている腐った袋は臭気が鼻をつく。それでも捨てきれずに、己が死んでも未来永劫に担って行こうとする。これは智者のすることだろうか」と言った。子供達が「その腐った袋とは一体何なのか」と尋ねると、「一生涯通して貯めてきた悪意、醜情の堆積である。決して自身の心襄にこのような塵芥を貯めることがないように』と。

茶話会

久しぶりにほぼ全員の顔が揃いましたが、河村さんの姿が見えないのが少し気掛かりでした。次回の日程を確認して4時過ぎに散会しました。

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