光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成20年11月

光明園9月例会報告

植西 武子

一行三昧の会

9月11日(木)10時~16時 導師は金田昭教上人、参加者7名。
午後のお念仏の時に途中で休憩があり、その後金田上人が「光明の生活」についてお話をされました。
「光明の生活」の中から一部抜粋したプリントを準備され、みんなで読みました。その内容に触れながら、金田上人は弁栄聖者が道徳心の発動する動機について
①法律によるしばり、②自己の良心によるもの、③教育によるもの、④みさかえによるものと説いておられると話されました。「みさかえ」こそ念仏によって得られるものである。念仏をしてそれが日常生活の中に活かされていないと無意味である。光明主義者(~イズムの中に浸っているだけ)で終わることなく、光明生活をすることが肝要だと話されました。
金田上人は、この点を特に強調されました。これはおそらく、あちこちを訪ね、いろんな人と接する中で見聞されてに実感だと思いました。若く、澄んだ瞳から見た大人たちへの強いメッセージと受け止めました。反省することしきりです。
お念仏の後、持ち寄ったお菓子を頂きながら楽しく歓談しました。

念仏と法話の会

今月の法話の会は千葉・大厳寺様のお別時の合流となっています。大厳寺別時(9月19~21日)については別稿(12月号)にて報告します。

東京光明会9月例会報告

植西 武子

9月27日(土)13時から16時、一行院で。導師は八木季生上人、参加者16名。

一行院の庭でススキの穂を撫でる涼風に秋の訪れを感じました。8月の例会がお休みでしたので、久しぶりに皆さんとお顔を合わす感じでした。

ほぼ定刻に入堂することが出来ましたが、すでに河村昌一氏をはじめ数人の方がお念仏を始めておられました。聖歌「智慧光」を歌って礼拝儀をあげ、お念仏、ご法話の順に会は進行しました。

西側から障子越しに午後の日差しが差し込んで、お浄土を想像するに充分な雰囲気の中でお念仏に専心することができました。

ご法話

八木上人は本論に入る前に、秋は全てのものが稔る時季、如来様のお導きで皆さんの霊性がますます実りますようにと精進を促されました。続いて、去る9月6日にご遷化された増上寺第87世・成田有恒台下のご回向がありました。寺内大吉のペンネームで、その著「はぐれ念仏」で直木賞を受賞されるなど、幅広くご活躍されたご生涯の紹介もありました。数年前の授戒の時にご指導下さったお姿を偲びつつご回向させて頂きました。

今月は「弁栄上人の片影」No.200~No.209までについてのお話でした。

「霊界の消息は」(No.200)
この項目の内容は、「上人曰く『霊界の消息は理性の鍵を以て開くことを許さず』と」の一文のみです。 (八木上人の解説) 霊界の消息とは・・・
心霊界=絶対界 無限の世界
理性界=相対界 有限の世界
理性界は五感で感知できる世界、即ち理性で全てが解決できる。しかし「ここまで」という限りがある有限の世界でもある。一方、宇宙は無限の世界である。従って心霊界のことは理性では理解できない。
心霊界の存在を知ったのは釈迦である。釈迦は29歳で出家(理性界)して、35歳で悟りを得た(心霊界)。その後、どうすれば心霊界のことを知ることができるかという課題を以て35歳からお亡くなりになる80歳まで衆生を教化された。そして心霊界の消息を理性界のみで通じる言葉で表現された例をもって説くという方法、即ち方便を使われた(善功方便)。その内容を文字で示されたのが経典である。
八木上人は経典を読む時は「霊界の消息は理性の鍵でもって開くことを許さず」の心構えを忘れずにいることが大切だと結ばれました。
「一枚起請文は御本尊から衆生の方へ」(No.203)
聖者曰く、一枚起請文は御本尊に対ってすべきものではない。御本尊はソンナ事はとうにご存じのことである。アレハ御本尊から吾々衆生の方に対しての御教誨である。故に真宗では御文章を読む時に、導師が御本尊に代って参詣人の方へ向かって読むが、その方が本意に叶って居る。」 (八木上人の解説) 起請文とは神仏に真心からお願いすることを誓ったもの、一枚の紙に書かれたものであることから、一枚起請文と言う。
「嫌いな念仏を人に勧めるとは」(No.204)
ある座談の時、聖者はある師に反省を促すように言われた。「世の中に随分妙なことがありますネ。自分は念仏が嫌いでありながら、人に対っては頻りに、御念仏せよ、御念仏せよと勧めるものがありますネ。孔子が言っています。『己が欲しないことを他人に施すなかれ』と」 (八木上人の解説) 八木上人は昔、千葉県の南端に住んでいたある人のこれに似たエピソードを話されました。この項は人間が本来持っている煩悩の方が強いことを述べている。
「奇跡について」(No.294)
ある日、諸々の奇跡について質問があった。聖者はそれに答えて「肉の幸福を目的とする奇跡は幼稚な宗教意識である。信仰によって悪心を善心に化したり、凡夫を聖者に霊化するのは高等な奇跡である。また、一生造悪の悪人が臨終において獄火に苦しんでいる時、善知識の教えに随い一念に懺悔すれば、獄火が清涼の風となって金色の日輪が生じて浄土に往生する。これらは高等の奇跡である」 (八木上人の解説) 「往生」とは・・・サンスクリット語でプラティ・アシャーティと言う。「往生」は、西方極楽に行くと捉えられがちであるが、場所的な変化を言うのではなく、状態の変化を言う。まさに人が忌み嫌う毛虫が脱皮して、人が愛でる美しい蝶になるように。

茶話会

いつも奥様と世話係の方が茶話会の準備をして下さいます。感謝して茶菓を頂きました。田代直秀支部長から教学研修会の案内がありました。会場は光明園ですが、10月の一行院の例会も兼ねています。多数の参加を期待して散会しました。

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