光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成20年12月

第32回 大厳寺別時念仏会

植西 武子

日時:平成20年9月19日(金)~21日(日)
会場:龍澤山大厳寺
導師:河波定昌上首上人
参加者:60数名

今年も全日程の参加が出来ず、初めの二日間だけでした。9月も後半となるとやや凌ぎやすい環境の中でお別時を受けさせて頂きました。

19日の朝、大厳寺様へと急ぎましたが、着いたのはお昼を少し過ぎていました。

暗幕が張りめぐらされた本堂、手探りで席を見つけて佳境にあるお念仏に合流しました。木魚の音が揃って熱心に称名念仏されている雰囲気に自ずと溶け込みお念仏させて頂きました。

参加者

今年は参加者が多いのに驚きました。数年前に比べると年々増えているように思いました。これは何より嬉しいことです。一日参加でもご縁を結ぶことが大事だと思いました。

その中に仏教塾の今期生の方々が唐沢山別時に引き続き10名近く参加していました。また、大厳寺様関係の幼稚園や保育園から22名の若い女性の先生方、その他大学関係の先生方もおられました。初参加の方も数名おられ、「ひかり」誌を見て来られたそうでした。最年少は4歳の未紗ちゃん、お母さんと一日参加、数珠を持って手を合わせました。

ご法話

(拝聴した部分のみを自己流にまとめました)

ご法話は期間中、毎日午前と午後に1回ずつ、計6回ありました。最初、念仏の心得についてお話があり、その後は大乗仏教成立の過程について詳しく講述されました。そして法然上人の浄土宗、さらに弁栄聖者の光明主義に至る過程を文化と宗教のかかわりという視点から、さらに広く、深く展開されました。

「念仏為先」即ち、念仏(お別時)する時にまず心掛けるべきことについてお話くださいました。
生身の仏 この本尊に入り給えば
よに めでたきことのて候
法然上人は京都・西福寺の丈六の阿弥陀様を念持仏とされていた。念仏する時は生きた如来様がおられると信じること、今現に此処に在すことを信じて念仏をする、即ち「敬礼の念」「恭敬の念」をもって念仏することが大切である。
念仏する時の四つの修行法(四修)として・・・
四修とは ①恭敬 ②無間(修) ③無余(修) ④長時(修) の四つである。「無間」とは間を置かずに集中することである。例として沢庵和尚の『不動智神妙録』にある「前後際断と申すことの候」がそれである。
大乗仏教(マハナヤ)がどのようにして成立していったか?
※原始大乗仏教はBC1世紀前半にその起源を見る。原始大乗仏教とほぼ同時にストゥーパ(stupa 塔を意味し、音写で卒塔婆と表記し、仏の舎利を納めるもの)ができて、仏塔崇拝が始まる。後にこれが仏像崇拝へと発展し、そこから般若波羅蜜の思想が開かれることによってより豊かなものへと発展を遂げるのである。

※当時の卒塔婆寄付者の名簿にギリシャ人の婦人の名前が見られることから、大乗仏教はインド仏教がギリシャ文化の影響を受けて成立していったとも考えられる。
※念仏は大乗仏教が始まる以前からあり、その念仏が大乗仏教を生み出したといっても過言ではない。
※不空三蔵の『舎利礼文』に「入我我入 仏我持故 我証菩提」とある。これは念仏をしていると「空」が開けてくることを意味している。「念仏三昧」と「空」は二つのものでなく一つである。これは大変重要な点である。「空」なる表現は『小品般若経』に初めて登場する。「空」が自覚されると「回向」の思想が生じてくる。「回向」とは人のしたことを自分が受け止めることである。「自作自愛」「他作自受」である。
※礼拝形式は初期、中期、後期の三段階を経て発展してきた。初期として、原始仏教の時代に既に礼拝の原型が出来ており、三品経の中に ①懺悔 ②随喜 ③勧請 の三つがあり、後続の『小品般若経』に ④回向 ⑤発願 等が記されている。中期として普賢菩薩の十大願を含む『普賢行願讃』が揚げられ、後期として善導大師の『往生礼讃』が揚げられる。

開かれた宗教と弁栄上人の礼拝儀
※ニコラウス・クザーヌスは、キリスト教、イズラム教各自がそれぞれの経をあげているが内容は同じであると言い、一なる神を説いている(普遍的和合)。弁栄聖者の教えはパウロの手紙の内容と完全に一体化している。即ちキリスト教と仏教が融合したとも言える。聖者が既に90年前にキリスト教をも包含した礼拝儀を編纂されていたことは非常に重要な意義を持つものである。
※礼拝儀礼は ①大乗仏教成立の柱となり、②キリスト教との対話に時代に大切な役割を果たし、③人間的実存の根源形式とも言われるほど重要なものであると言える。
※あらゆる文化の根底に宗教があった(日本文化と仏教)。
どの文化もその根底に宗教の影響を受けてきた。その例として、中国の「六芸」即ち ①礼 ②楽 ③射 ④御 ⑤書 ⑥数 がある。「礼」は宗教儀礼を「楽」は音楽を意味している。
特に日本文化はあるフランス駐日大使をして「その国が滅んでも日本だけは滅んでほしくない」と言わしめたほど特徴があるすばらしい文化であると言われている。その特徴とは重層立体性にある。平たく言えば古い文化が生きているということである。
例えばヨーロッパではゲルマン民族の歴史はキリスト教の流入によって壊されてしまった。日本では神道の国でありながら、仏教の伝来は受け入れられ神仏混淆があった。キリスト教が流入したときも征服されることはなかった。日本では一方が、涙した他方を征服しなかったのである。
近代は理性による神々の殺戮の時代と言われ、理性によって感性が否定された時代でもあった。しかし日本ではそのような環境でも古い文化が護られてきたと言える。月と水の文化と言われる縄文文化、太陽と水の文化と言われる弥生文化はかくて保護されてきたのである。そして自然と共にその感性を磨いてきたと言える。

草の根の 一つ一つに 春の神 (高浜虚子)
あら尊と 青葉若葉の 火の光 (松尾芭蕉)
妄念の 葦繁けれど 月宿るなり (法然上人)

等はそれを如実に物語っている。
※月を詠んだ仏教の歌

念仏の行 水月を感じて 昇降を得たり

これは「水が月を感じて昇り、月が水を感じて降る」ろ意味し、「水が月を感じて昇る」の部分を弁栄聖者は次のように表現されている。

月を見て 月に心がすむ時は
月こそ己が心なるらめ

この月に心がすむは「我入」を意味し、月が心にすむは「入我」を意味するものである。「仏住三昧」を詠んだ歌である。
法然上人の歌「月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」は内容的に三段階に捉えられる。
第一段階=into 「仏日の影 心水に 現ずるを 加と言う」 これは、念仏をしていると仏様が私の心にお宿り下さると言う意味。現ずるは現われる、すなわち流入を意味するものである。
第二段階=in 「すむ」は住む、澄む、済む(完成する)をも包含して、お働き下さることを言う。即ち「~化」を意味し「神化」「光化」「霊化」されることである。
第三段階=out of これは外に溢れ出ることで、内霊応が満ちてくれば自ずと業的ホルモンが表出される。「諸根悦予」「挙身微笑」(『大品般若経』)「姿色清浄」「光顔巍々」(『無量寿経』)等はこの心境を表現したものである。

別時寸描

休憩時間
ゆとりあるスケジュールのため、ほっと一息することができました。休憩室にはいつも茶菓が準備されており、アットホームな雰囲気で参加者同士がお話しすることができました。と言っても決して雑談が多いわけでもありません。参加者のマナーもさることながら、毎年いつも感心しています。落ち着いたお別時らしい雰囲気は大厳寺様独特の伝統が生み出すものと思われます。
朝食時間
最近のお別時では外注のお弁当が多い中で、こちらでは朝食はみそ汁・卵焼き・納豆・おしんこ等、典型的な朝食が準備されます。お菓子や果物までそえられています。お茶碗に盛られたご飯の温もりを手に感じ、準備下さった皆様のお心の温もりに感謝しつつ頂きました。
ガラス戸越しに見る広々とした裏庭にはピンク色の芙蓉の花が咲いていました。素晴らしい景色を眺めながら至福の一時を過ごしました。
山門付近にて

休憩時間に外に出ました。雨上がりの庭はしっとりとして落ち着いた雰囲気を醸し出していました。平素は閉ざされている山門が開かれていました。その前に立つと本堂まで一直線に延びた参道は人々を仏の世界に誘うように思われました。初夏に訪れた東漸寺の山門付近の様子とよく似た風景に、関東十八檀林共通の面影を見た思いでした。幾多の学僧が行き交う往時の光景が彷彿として、しばしそこに佇んでいました。開かれた門はどんな人をも受け入れる仏の慈悲の象徴に思われました。

別時感想

※河波上人は一週間の唐沢山別時の後、山本空外上人の記念講演会(島根県で二日間)、さらに山陰・九州でご活躍の後、この大厳寺様お別時ご指導でした。酷暑の中での過密な日程、さぞお疲れだったと思われました。ただ座ってお話を聞く立場の自分と違い、何倍ものご苦労が多いお上人様を思えば怠けることなく頑張らねばと、自分を叱咤激励しました。とは言え、非常に内容の深いご講話を聞きながら、お上人様のご健康も考えねばと思いました。
※今回のお別時は参加者が多く、盛大に行われたことは何よりでした。初参加の方がご縁を結ばれて今後も参加されることを願いました。
※長谷川匡俊上人はお寺関係と大学関係の両方で大変お忙しく、お別時前日にブラジルからお帰りになったそうです。ご家族でお別時に取り組んでおられる様子にいつも感心しております。家庭的で、しかも伝統的な雰囲気のあるこのお別時は参加者の心を捉えて放しません。来年もきっと多数参加されるであろうと思います。一日を残して、皆さんのお念仏の声に後ろ髪を引かれつつ大厳寺様を後にしました。山門の前で合掌して、本堂の阿弥陀様に来年の参加を誓いました。

平成20年度(第3回)関東支部教学布教研修会

植西 武子

日時:平成20年10月25日(土)~26日(日)
場所:光明園
講師:河波定昌上人・八木季生上人・伊藤旭栄先生・金田昭教上人
テーマ:「生活の中の光明主義」
参加者:54名(25日35名、26日28名 全日程参加者26名)

今年度の教学布教研修会は、昨年と同様に4名の講師をお迎えして、2日間にわたり研鑽を深めました。

参加者

田代直秀部長が54名に案内状を発送され、51名の参加申込みがありました。「ひかり」誌の案内によって遠方から和歌山県1名、愛知県2名、京都市1名の方々が参加下さいました。

ご講話

日程表にあるように伊藤先生と金田上人は一席ずつ、八木上人と河波上人は二席ずつご講話下さいました。(概要のみ)

伊藤先生のご講話
初めに光明学園でも生徒の状況や宗教の授業についての紹介がありました。
※生徒の指導に当たって心掛けていることは、まず「自分に矢印を向けること」である。どんなに素晴らしい話でも話者の人格的裏付けがないと説得力がない。善導大師も自ら「罪悪の凡夫」と言い、法然上人も「愚痴の法然坊」と自己に厳しい態度だった。人に道を説くには「三心」が具足していなければならない。
※「三心」とは・・・

  1. 至誠心=心口意の三業に嘘・偽りのなく、外と内が相応していることである。
  2. 深心=自分が罪悪の凡夫であることを自覚し、その上で阿弥陀様のお救いに気づくことである(信機信法)。
  3. 回向発願心。

この三心はばらばらに作用するものではない。
※「三心」は如何にして備わるか?
「妄念の葦 繁けれど 三心の月 宿るなり」と詠まれているように、至心に念仏することによって備わるものである。三心が菩提心へとつながっていく。
※「三心」が具足しているかどうか知る目安は・・・法然上人によると
①歓喜踊躍していて、②念仏が相続されていることである。行具(行をして具わるもの)と知具(書を読んだりして具わもの)の両方の修行が大切である。
※三縁(親縁・近縁・増上縁)についてもお話がありました。
※まとめとして「教育基本法」に教育の目的は「人格の完成」と唱われているが、学校での現状は誰もその意味を充分に理解できていないと思われる。真の「人格の完成」は念仏の結果得られるものと思う。光明学園も九十年の歴史の中で多くの問題を抱えてきたが、学園には「宗教の時間」が設定されており、引き続いて実施されてきた。今後もそれを継承しながら、念仏の心を育てていきたいと思っている。そのためには、今はその種まきをしている状況であるが、念仏を相続できる環境づくりをして、さらに自分を磨き、「私を見ろ!」と言えるまで自分を向上させて行きたいと熱く語られました。

金田上人のご講話
※「念仏精進を如何にしていけばよいか?」
念仏者にとって「念仏相続」が理想である。法然上人は六万遍の念仏をされたという。また竜樹菩薩は『大智度論』の中で「不離仏」について説いておられる。弁栄聖者も『七覚支』の「捨覚仏」で念仏相続の状況を詠んでおられる。しかし、凡夫にはなかなか超え難い関門がある。
※念仏修行には二つの関門がある。

  1. 心の葛藤=「信じたい」気持ちはあるが、なかなか「信じ難い」。浄土宗では「疑いながらも念仏すれば往生する」と説いている。まずは「信じること」である。弁栄聖者が『十二光仏』の「難思光仏」で「甚深難思の光明を 至心不断に念ずれば 信心喚起の時いたり~」と詠んでおられる通りである。
  2. 実践の方法=どうやっって実践するか?至心不断に念じることである。
    金田上人はご自分の体験について語られました。
    自分も最初の頃は阿弥陀様がこの世におられるのか、その存在について疑問を持っていた。疑いつつもお念仏を相続しているとだんだんと心に変化が起きてきた。まず、信じて疑わなくなってきた。次に自分の心の様子が変わってきた。その変化とはまさしく「清浄光」「歓喜光」「智慧光」「不断光」そのものであった。今までただ読んでいた『礼拝儀』が実感として認識できるようになった。まさに、「影に大悲の力添え」を体感したのである。

※念仏の実践
念仏には①平時の念仏 ②別時の念仏 ③臨終の念仏がある。
②の別時念仏は時々あちこちの会に参加して、刺激を得ることも大切である。一方、自分一人で1時間なり2時間なり時間を決めて朝に夕に礼拝儀をあげ、お念仏することが大事である。
①の平時念仏については今回の研修会のテーマである「生活の中の光明主義」そのものである。金田上人はこれを「体の念仏」と表現された。即ち、①口に称名 ②心に仏を想い ③体全体でお手伝いである。「体の念仏」は田中木叉上人の「ながら念仏」に通じるものがある。世のため人のために尽くそうとする実践活動こそ光明主義の基礎である。
※最後に「仲間を持とう、いつも念仏の輪(和)の中にいるよう努めましょう」と熱意を持って呼び掛けられました。

八木上人のご講話
【25日のご講話から】
最初、自己紹介からお話を進められました。
※一行院の三男として生まれ、幼少よりお別時に触れる機会が多かった。弁栄聖者も『徳本上人伝』を読むためによく逗留された。医学を目指して勉学に励んでいたが、二人の兄が病死・戦死し、僧籍に身を置くことになった。もともと理系であるので、最初経典を読んでも、書かれている内容が時代とかなりギャップがあり、悩むことがあったが、弁栄聖者の書を読んで理解しやすくなった。
※現在の社会は実生活と経典の内容に大きな開きがある。今回の研修テーマの「生活の中の光明主義」はそういう意味から非常に大切であると思う。弁栄聖者はこれを「光明生活」と表現された。
※今、世の中が非常に乱れている。生活の中から宗教性が失われている現状にある。かつての日本人の生活は宗教的であった。各家庭から仏壇が消えていることからもそれが伺われる。光明生活とは日常の生活の中で如来様の光明を頂くことである。
※昭和60年に如何に光明生活を実現するかについてのシンポジウムがあり、「現代と念仏について」のテーマで河波定昌上人、土屋光道上人がパネラーとして参加された。その時、多くの人から様々な意見が出された。その一つに「往生を如何に理解するか?」についての討議があった。
「捨此往彼 蓮華化生」(ここを捨てかしこにゆきて 蓮華に化生する)「化生」は「生まれ変わる」という意味である。
藤本浄本上人によると、「生」には四通りあり、①胎 ②卵 ③湿 ④化 である。「湿」はじめじめした所でそこに自然発生的に生まれることを指す。(カビなど)「化生」とは状態の変化を意味することである。荻原雲来も「プラティ・アジェーヤティ」は場所的変化ではなく、状態の変化であることを言っている。
この喩えとして「炭」「火」の関係が揚げられる。「炭」は人から嫌われる存在(煩悩の状態)であるが、点火によって「火」となり、人々から喜ばれる状態になる。これが日常的に「行われる」ことが「光明生活」となる。
※人は誰でも仏性を持っている。大宇宙は生命体であり、仏性は理法にかなった方法で育て、磨くことができる。ダイヤモンドの原石を理法にあった磨き方をすることによってあの輝きが生まれる。弁栄聖者は超在一神的汎神教と名づけられた。汎神教(親子関係)であっても神のお育てを頂かないと育たない。仏性を親である阿弥陀様のお力を頂いて理にかなった方法で育てていくことが大切である。
※その「仏性」を行かすには自然界(相対界)と心霊界(絶対界)を如何に結びつけるかにある。誰にでもできる方法として「念仏」がある。「念仏」は法然上人の長年のご苦労によって生み出されたものである。
【26日のご講話から】
最初、八木上人はご自身の宗教経験からお話しになりました。
※仏教を勉強していく中で、経典の中に書かれておりことが現実生活の中で理解できないことが多い。
※念仏と礼拝について
筑波山の弁栄聖者がご修行された場所に行くと厳粛な気分になる。聖者はそこで念仏と礼拝に専心された。念仏と礼拝は非常に重要な関係にある。
徳本上人も和歌山県の日高川の支流で礼拝と念仏に明け暮れる修行をされた。度重なる礼拝に膝が当たってすり減っている石が「礼拝石」として残っている。徳本上人はまた、「日課誓約」といって一日に何回念仏するか仏様に誓って励行することを人にすすめられた。ある時にある人から人が「一日に何回念仏されるのか」と尋ねると、「私は常に念仏をしているので数える必要がない。食事と念仏、念仏と法話なども両方同時にしている。不断念仏の行者だ」と言われた。

身は娑婆に 心はいつも極楽に
南無阿弥陀仏と 称えておる人  (徳本行者)

※弁栄聖者のみ教え
・その優れている点はご自身の体験に基づくものであり。近代文化を取り入れながら古来の文化を説かれておりことである。
・「西方十万億土極楽」と言うインド古来の考えをも、「自然界」「心霊界」で表現された。自然界の状態を表現するには「言語」と言う手段がある。いかし心霊界の状態は言葉や文字では表現出来ない。聖者は心霊界の事実を言語で表現しようと試みられた。その手段が方便等である。
・人間は絶対界から一切智、一切能(無限の大自然の智慧力)によって発現された相対的な存在である。人体の仕組み一つを考えても実に緻密極まりない。
・自然界を元として絶対界が存在する。自然界にさまざまな生物がいるが、人間のみが霊性を活性化させることが出来る。それゆえに如来の恩寵を感受することが出来るのである。
・自然界と絶対界をそのように結びつけるか、親と子を結びつけるにはその名を呼ぶことである。「名体不離」、八百年前に法然上人が説かれた内容を、弁栄聖者はそのお働きを十二通りに分類して説かれたのである。
・霊性の開発には如来様のお力を頂く以外にないのである。

河波上人のご講話
【25日のご講話から】
文化と宗教の関連から縄文稲作文化は「月」と「水」の文化であり、そこに仏教が伝来して「月」の歌が多く詠まれた。「月」を詠んだ歌の中で仏教の教えが説かれている。その数々の歌を中心にお話を展開されました。大厳寺様別時のご法話と重なるところがありますので省略します。
【26日のご講話から】
テーマは「光明大系について」でした。この内容は非常に深く、広範に及ぶため「ひかり」誌(2月号から)に掲載されることになっています。そのため省略し、ごく導入部分の一部のみとします。
※弁栄聖者の光明主義は大系をなしている。
・17世紀にヨーロッパでアンシクロペディストが出現し、これが後にフランス革命の原動力となる。エンチュクロペディアは英語でエン(in)・サイクロ(cicle)・ペディア(paideia)といい、paideiaは人間形成のことである。この思想はアジアにも興り、法然上人の東大寺十問答の「八宗九宗 ことごとく我が宗に収めて、聖道浄土の 二門なり」に至る。仏教全体が「南無阿弥陀仏」に集約されていくのである。各号の中に悟りが込められているという大系的思考である。これがやがて弁栄聖者へと伝わり、十二光仏となる。十二光仏は大系的でその中に全てが含まれる。

質疑応答

質問は田代支部長が事前に受付け、25日と26日にそれぞれ質疑の時間が設定されました。各お上人様にご法話の時に一問ずつお答えを頂き、後は自由に質疑応答となりました。質問の難易度にかなりの幅があり、共通するものを選ぶのに苦労がありました。内容については一部「ひかり」誌に掲載されます。

おわりに

  • 研修会も3回目となり、形が整ってきました。参加者数も年々増し、二日間ぎっしり詰まったスケジュールで内容的にも充実した会となりました。
  • 伊藤・金田両講師のお話は、非常に謙虚でありながら、強い熱意が伝わってくるものでした。若い力が頼もしく思われました。純粋に道を求められる姿に頭が下がる思いでした。我々はそれに応えて光明主義発展のため更に尽力しなければならないと決意しました。
  • 八木上人は大変お忙しい中を二日間とも終日出席で熱心にご指導下さいました。深い内容のお話を分かり易く説かれました。徳本上人、弁栄聖者が大変身近に感じられました。
  • 河波上人も東弄西走でお疲れの中を渾身の力を込めてご教授下さいました。「光明大系」は内容的に深く、非常に興味をもって拝聴しました。『ひかり』誌での連載が楽しみです。
  • 四名の素晴らしいご講話が聴けた幸せに感謝するばかりです。遠方より参加の皆様に、果たしてご満足頂けたかどうか心許ないですが、ぜひ来年のお越しをお待ちしています。ご意見をお聞きする機会を失したことをお詫び致します。

皆様の今後のご精進を祈念して報告と致します。

合掌

関東支部10月例会

植西 武子

光明園 一行三昧の会

10月9日(木) 10時~16時

導師は金田昭教上人 参加者は10名。
今月は参加者も少し増え、午後には念仏、聖歌、十二光礼拝等をしてから茶話会で楽しく歓談しました。
「念仏と法話の会」は10月25日、26日の教学布教研修会に合流しました。
「東京光明会10月例会」同じく教学研修会に合流しました。

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