光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成21年2月

八木上人 増上寺ご法主就任祝賀会

植西 武子

◇日時 平成20年12月12日(木) 11時30分~14時30分
◇場所 一行院
◇参加者 17名

去る11月22日の例会で朗報に接し、会員の殆どが喜びと驚きが交錯する複雑な気分でした。

一方で大喜びしながらも、もう一方で八木上人(ご法主)とはもう簡単にお出会いできなくなり、一行院での例会もなくなることへの淋しさに皆さん衝撃を受けておられるようでした。しかし、あれから約3週間の時が流れて心の整理もできて、この日を迎えました。

このような希少の慶事にめぐり合う機会はそうあるものではありません。光明会としても喜びを禁じ得ません。世話方の方のお計らいで祝賀の会が催されたことに感謝し、ほぼ全員が集いました。

11時30分からお昼すぎまで約1時間、本堂でお念仏をしました。その後、これが最後という思いで会場の後片づけをしました。そして本堂の如来様に、長きに亘ってお守り下さったことにお礼申し上げ、いつの日か再びお念仏ができる機会のあることを祈り、本堂を後にしました。

庫裡に下がって来ますと、会場は既に準備されていました。卓上には立派なお弁当、お酒、菓子や果物類がきれいに並べられていました。例年の新年会と錯覚するほどの雰囲気でした。皆そろって席に着きました。やがて八木上人(ご法主)がにこやかな表情でお姿をお見せになりました。増上寺からこの時間だけ調整して急いでお帰りになりました。

長老の河村昌一氏の音頭で乾杯をして、会は始まりました。しばらくしてお上人様からご挨拶がありました。その中で、若き日に田中木叉より光明会の後を頼むと懇願された日の印象的なお話がありました。心に深く残るお話でした。さらに続けて、増上寺での日々のお勤めのお話をされました。お忙しく、責任あるお立場での毎日は充実してお過ごしのようですが、大変だろうと推察致しました。健康に留意され、ご活躍下さることを祈りました。

その後、花束と記念品の贈呈がありました。長い年月、東京光明会をご指導下さり、会場を提供下さったことへの感謝の気持ち表明でした。皆で深々と頭を下げる思いでした。同時にいよいよ遠くに行ってしまわれるという喪失感を味わった瞬間でもありました。

お食事をいただきながら歓談しました。この間にそれぞれがお上人様に、ご挨拶に行かれました。そのため、お上人様は殆どお箸に触れる機会がなかったようです。はらはらしながら見ていましたが、お別れを惜しむ皆さんの気持ちも推し量ることができました。

最後に一人ひとりがお礼を申し上げる機会がありました。一言ずつ申し述げる約束でしたが、それぞれ思いを込めてのスピーチとなりました。

最初に金田昭教上人が奇しくも今日12月12日は田中木叉上人の祥月命日、しかも35回忌という記念すべき日であると話されました。八木上人(ご法主)のご予定で決まったこの日、偶然とはいえ何か深い縁を感ぜざるを得ませんでした。

八木上人とのご縁は各人によって違います。お礼を述べながら中には感極まって涙を流しながら話される方もありました。私は唐沢山別時や親子別時で一番お上人様にご無理を申し上げ、お世話になった張本人として、感謝とお詫びの気持ちで一杯でした。うまく言葉に表現できなかったことが心残りとなりました。

3時間の会も瞬く間に過ぎ去りました。お上人様が増上寺へお帰りになる時刻が迫ってきました。名残りは尽きませんがお別れしなければなりません。最後に全員が記念写真に納まり、閉会となりました。

八木上人(ご法主)様、全会員が万感込めてお礼申し上げます。実に長い間、お導き下さり有難うございました。今後も光明会の発展に何かとお力添え下さいますようお願い申し上げます。

一行三昧の会

植西 武子

◇日時 平成20年12月4日(木) 10時~16時
◇講師 金田昭教上人
◇参加者 5名

この日は好天に恵まれ、12月とは思えない暖かい陽光が降り注いでいました。師走で忙しいせいか、参加者は金田上人と佐々木氏(午前)、秋山さん、岸田氏、植西(午後)の5名でした。

少人数のため、非常に落ち着いた雰囲気でお念仏に集中できました。

念仏と法話の会 ~矢野司空上人を迎えて~

◇日時 平成20年12月14日(日) 10時~16時
◇導師 河波定昌上人、矢野司空上人
◇参加者 40数名

この日は遠来の矢野司空上人をお迎えして、ご法話と尺八を演奏下さることになっていましたので、参加者はいつもより多く道場は活気に満ちていました。午前はお念仏と河波上人のご法話があり、午後はお念仏と矢野上人のご法話、尺八演奏がありました。

ご法話 河波上人

午前のご法話を聞きそびれましたので、その概要を仏教塾の炭屋昌彦氏にまとめて頂きました。

《勧行式と礼拝儀》
礼拝形式(礼拝儀)は人間存在の文化の根源的形式であり、この礼拝式には二つの形式がある。一つは開かれた礼拝形式であり、二つは閉ざされた礼拝形式である。私たちの光明会、浄土宗はまさに開かれた礼拝形式である。

仏教における礼拝式の発生は、釈尊が涅槃に入られた後、舎利を祀った仏塔を崇拝することから始まったのであり(仏塔崇拝)、そこに化身遍在を見出すようになったのである。

礼拝儀は「祈り」の手本であり、そこには、①懺悔 ②勧請 ③随喜 ④回向 ⑤発願 ⑥帰命 があるのである。原始大乗仏教の『三品経」に懺悔・勧請・随喜が説かれている。そして大乗経典の『原始般若経』(八千頌般若経)に回向・発願・帰命が説かれており、「空」の思想こそ回向に繋がるのである。浄土宗の「開経偈」「無上甚深微妙法」(この上なく深い意味を持ち不思議なほど素晴らしい仏様の教え、(如法)の句より始まるが「甚深」(ガムビーラ)に「空」があり、更に『無量寿経』に「微妙」の「法」(ダルマ)の展開があることを理解しなければならない。

弁栄聖者はキリスト教と大乗仏教を一つのものとして捉えては『光明礼拝儀』を何回も改正された。それは決してキリスト教をまねたものではなく、パウロの書簡に見られる「霊応」を感得され、『バイブル』の「主の祈り」はそのままが『礼拝儀』の帰命文」そのものであるからである。「よ」(呼格)という呼びかけはキリスト教と『光明礼拝儀』にみられるものであり、仏様が真正面に私たちに向いて下さることになるのである。「天に在すわれらが父よ」(マタイ伝)には「お父ちゃん」と言った限りなき親しみが込められている。そしてそこには子供が親を呼ぶごとく、仏の子である私たちの心からの「祈り」が『礼拝儀」の世界においても展開されているのである。

ご法話と尺八演奏 矢野上人

矢野上人は最初、自己紹介からお話しを始められました。現在、愛知県・知多半島の谷性寺のご住職をされています。若き日に教師を目指して広島大学に入学されましたが、種田山頭火の影響を受けて尺八に興味を持ち、一本の尺八で三ヶ月の旅に出られた。四国、和歌山、高野山別時と巡る中で徹夜念仏の行を通して念仏と真剣に取り組まれるようになった。山本空外上人の弟子として更に修行を積まれ、尺八演奏と念仏で各地に布教活動をされている。

矢野上人は「尺八と念仏」と題して、四曲の尺八演奏を入れながらお話を展開されました。

第一曲「本調べ」
尺八を吹き、一音成仏をトク禅宗の虚無僧に心を惹かれた。禅宗と浄土宗は異なるようであるが、共通点もある。難行と言われる「聖道門」、易行と言われる「浄土門」ではあるが、念仏は全てを含むと説く点から「一音成仏」に繋がっていく。自ら「尺八説法」と名づけている。
プラティ・アジャヤティとは「前に向かって、生きる」という非常に能動的な姿勢である。その基本は呼吸である。呼吸と精神は深い関係にある。「本調べ」の本とは根本、基本を意味している。
第二曲「山越」
人は生きる限り苦から逃れることはできない。しかし仏道では「煩悩即菩提」と説いている。音楽は不思議な力を持っている。
華厳経によって悟りの可能性が開かれた。また大無量寿経に「波揚無量自然妙声」「但有自然快楽之声」とあり、これ即ち「安楽国と称す」である。

草の庵 寝ても醒めても申すこと
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  (良寛)

とにかく念仏が大切である。念仏には一人ひとりの称え方がある。それを大切にしながら、みんなでする意義は「助業」である。

第三曲「心月調」
信とは心をして清浄になることである。

月影の いたらぬ里はなけれども
眺むる人の 心にぞすむ

「心月調」はこれを表現したものである。

ものには全て陰と陽、プラスとマイナスがある。プラスのみ良しとされるが、マイナスがあってこそプラスが実感される。マイナスが大きければ乗り越えるとプラスが大きく感じられる。何事も心によってつくり出されたものに過ぎない。念仏することによって如来の心を頂き、こだわりから解放されていく。

第四曲「たむけ」
「たむけ」は回向の曲である。回向とは迷いの世界に向いている心を南無阿弥陀仏の世界にふりむけることである。回向には往相回向と還相回向がある。
念仏の喜びを日々の生活に生かして欲しい。生かしていけるのはお蔭である。即ち、往相回向、還相回向である。

矢野上人は実にすばらしい音色で感情をこめて尺八を演奏下さいました。ご法話と直結しても演奏ですので、その曲の内容を理解しながら拝聴できました。美しい調べは参加者の心を捉え、皆さん一心に傾聴されていました。かねがね思っていたことですが、宗教と音楽の深い結びつきを今後もっと大切にしていかねばと思いました。音楽に関して何の知識もない私の心にもずっしりと響くものがありました。今後もこの貴重な尺八説法で布教活動にますますご活躍下さることを念じております。有難うございました。

茶話会

通常の例会として実施しましたので昼食の準備はなく、各自が持参のお弁当を頂きながら、それぞれに歓談しました。

最後の茶話会では矢野上人と河波上人を囲んで、仏教塾の方々がにぎやかに質問やお話をされていました。中には尺八を吹かせて欲しいと所望する人もいました。一音を出すまでにも遥けき道のりがあることが分かりました。お上人を囲んであちこちで写真撮影する場面も見られ、とても温かい雰囲気でした。

また最年少参加者である4歳の未紗ちゃんは私の左隣に座をしめて熱心にご法話を聞いていました。やがておもむろに手帳とペンを取り出してメモと取り始めました。お上人が板書きされるたびに、板書を見ながら何やら一生懸命に筆記していました。そっと覗くと可愛いみみずが行列していました。実に微笑ましい光景でした。やる気満々の若き後継者の成長がとても楽しみです。

今月の例会は年の瀬も押し迫り、忙しい時期でしたが、矢野上人の尺八演奏を聞きたいと多くの方が参加下さいました。会は終始活気に満ちていました。

終了の時刻が迫っていましたが、話が弾み、皆さん座を立つ気配もなく歓談されていました。すばらしい尺八の音に心もほぐされ、心温まる一日でした。今年の締めくくりの会として実に充実した一日でした。

新年の会(一部有志者による)

◇日時 平成21年1月4日(日)
◇導師 河波定昌上人
◇参加者 7名

有志の方たち7名による新年の会がありました。河波上人様自らがその報告を寄せて下さいました。
新年の挨拶の後、念仏一行三昧、その後、園主の法話があった。以下はその法話の内容である。

ご法話

新年の挨拶「お芽出とう」は何にもまして念仏について言われる。
「正覚の、念々、ここによって生(増長)す」(善導大師『観経疏(玄義分)』)
の文は、念仏する私たちの念々が正覚の芽すなわち霊性仏性の発現ともなっているのである。これ以上に芽出たいことはない。

法然上人にも「念仏に勇みある人は無量の宝(大福)を得たる人なり。念仏にものうき人は無量の宝を失える人なり。」の文が見られる。宝くじは滅多に当たるものではないが、念仏は100パーセントその利益を頂く。田中木叉上人の「慈悲の花摘み唄」に、

初日の出 溶かせ白雪 雪の下
今を盛りの かんらんの花

元旦の旦とは水(地)平線に太陽が昇っている様を示しているが、そこで煩悩の雪が溶かされてゆくとき、今まで気づかれずにいたかんらん(霊性仏性)の輝き出してくることが歌われているのである。それが『華厳経(如来出現品)』の精神が見事に詠出されている。本年もまた、

早瀬をも 登る小岩魚 勇みあれ
さあ不退転 さあ不退転

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