一行三昧の会
植西 武子
◇日時 2月12日(木)10時~16時
◇導師 金田昭教上人
◇参加者 12名
今月はいつもより参加者がやや多いでした。二階に上がってすぐ若くてきれいな女性の方が目にとまりました。誰かにお尋ねしようと思っていたら、金田上人が紹介して下さいました。『日本の光』を読んで感じるところあって、初めて参加下さったそうです。自分から求めて参加されたことはとても嬉しいことです。失礼とは思いながら、道を求められた動機をお尋ねしますと、人生の目的を求めてとのことでした。やはりこのような若い方がおられることを知り、その求めに応えるべくもっとご縁を結ぶ手がかりを考えねばと思いました。初めてなのに長いお念仏をしっかりとしてお帰りになりました。
この後、2時より関東支部の役員会が予定されていたので役員は途中で退座し、ゆっくりお話しできなかったのが残念でした。
関東支部役員会は臨時役員会で、議題は親子別時、総会関係、「如来様のおつかい」の配布方法、21年度の主な行事等について討議しました。
念仏と法話の会
◇日時 2月15日(日)10時~16時
◇導師 河波定昌上人
◇参加者 34名
春を思わせる温かい日でした。光明園の玄関に入ると下足箱がほぼ一杯で、二階からの活気が伝わってきました。午前中に一席、仏教塾の方を対象としたご法話があったそうですが、聞きそびれて残念でした。
午後は少しお念仏をしてから、聖歌「七覚支」を歌いました。歌の前に河波上人は、「あるドイツの学者(キリスト教信者)がこの歌を聞いて、その内容の素晴らしさに感動されたことがある」と話されました。仏教塾の谷慈義氏が聖歌の伴奏をして下さることになり、それによってとても歌いやすくなりました。感謝しながら、全員で大きな声で歌いました。その後法話となりました。
ご法話
法話の内容は主として浄土宗と法然上人についてのお話でした。それに先立って、仏教の大きな流れについて、図示しながら話されました。
地下に大きなエネルギーを持ったマグマが脈々と流れている。それが時として地表に大きく噴出した。第1回の噴出(eruption)が釈迦の出現であり(もちろん釈迦以前の過去七仏も念頭に入れて)、第2回目は善導大師、第3回目は法然上人、第4回目は弁栄上人である。
釈迦は「瞑想するバラモンにダンマ(dhamma)が現れる」と説かれた。バラモンとは釈迦が自分自身のことをそう表現されたものである。このダンマが現れることを華厳経では『如来出現品』として説いている。
善導大師は「本願」として説かれた。
法然上人はその600年後に「選択本願」と言葉を変えて説かれた。
弁栄上人はさらに「選択本願」をも含んで「光明」と表現された。そして「選択本願」と「光明」は同じであると説いておられる。さらに「細胞の中に選択本願がはたらいている」とも述べておられる。これは生命科学と宗教が結びついていることを示唆するものである。光明主義出現の意義はここにあるのである。
この様に地表に噴出した部分だけを見ることを外相承という。しかし、地下の内面即ち内相承を見ることがより大切である。
浄土宗と法然上人
浄土宗の教えは「専修念仏」に尽きる。西洋の思想は主観主義(「私が信じる」いわゆるcredoの思想)であるのに対して、仏教は主観主義的な捉え方をしない。「瞑想するダンマ…」は観念論ではない。浄土宗では法然上人の「念仏為先」が何より重要である。
法然上人の生涯とその教え
法然上人は岡山県美作に生を受け、「決して仇討ちしてはならない」という父の遺言に従って仏門に入る。叔父の勧覚の下で修行するがやがて比叡山に行く。源光、皇円、叡空の指導を受ける。
- 19歳の時、源空と名のる。法然房源空の誕生である。
- 43歳の時、善導大師の「勧経疏」によって開眼される。「立教開宗」の偈と言われている、
一心専念 弥陀名号 行住座臥
不問時節久為 念々不捨者
是名正定之業 順彼仏願故
これをまず機としてますます念仏一筋の生活に入っていかれた。念仏だけではなく読書にも専念された。木曽義仲が京都に攻め入った日以外は読書三昧の日々であったという逸話が残っているほどである。また、大原勝林院での「大原問答」は今も語り継がれている。多くの高名な学者や、また別に百四十五条に及ぶ一般人の質疑応答文も残されている。
- 62歳で「逆修説法」
- 66歳で「選択本願念仏集」を完結される。また「法然上人伝」にある「悪人なおもて・いわんや善人をや」の「悪人主義」や「善人主義」はよく論じられる点である。
- その後しばらくして、一人の歌人が法然上人に入門する。新古今和歌集に多くの歌を残している式子内親王である。式子内親王は上人を慕い、臨終の導師を依頼された。その時、上人が正如房(式子内親王)に与えられた手紙は今も語り継がれている。式子内親王は69歳で亡くなられた。
- 上人が活躍された中世の時代は武士の時代でもあった。選択念仏は武士階級のみならずあらゆる階級の人々の間にも広がっていった。
一人ひとりのお念仏が何よりも大切であると説かれた法然上人の教えは今の時代こそ、さらにこれからの未来の時代にも人々の精神世界の法灯として輝き続けることであろう。
今回また新しい尼僧さんが参加されていました。東京在住の方ですので今後も続けて参加して下さることを願っています。
お念仏の後、全員で急いで後片づけをして二つのテーブルに分かれて歓談しました。皆さんとても朗らかに談笑されていました。仏教塾の方々は明朗さと活力で会の雰囲気を盛り上げて下さいます。もうしばらくそこに止まりたい気分でしたが、3時半からの光明園役員会のため、茶話会は30分ほどで退座しました。
光明園役員会
今回より仏教塾から谷慈義氏と炭屋昌彦氏が新役員として参加されました。また病気療養中の渡辺雅之前支部長も久しぶりに元気な姿を見せて下さいました。
議事内容は、平成20年度の収支決算(見込み)
- 平成21年度予算
- その他 について責任役員の岸田年生氏から説明があり、それについて討議しました。
今回から参加された新しい両氏から特に、光明園の維持管理に関して積極的な提案がありました。新しい風が光明園の発展に繋がっていくことを期待しています。