弁栄聖者ゆかりの地を訪ねて
植西 武子
4月2日、田代直秀支部長と役員数名で聖者ゆかりの地(千葉県北西部)を訪れました。訪問の目的は布鎌教会堂(印旛郡栄町南)の赤荻孝明氏からかねて伺っていた件に応えるためでした。
赤荻氏は平成19年の関東支部総会に出席され、布鎌教会堂がかなり老朽化し、雨漏りや敷居の腐食が進んでいる現状を話され、その維持・保持が大変であることを報告されました。布鎌教会堂については「弁栄上人の片影」の中にも記述されており、以前にも少し聞き及んでいましたが、現在も毎月1階の例会を存続されていることを知り、驚きました。総会では出来れば協力しようということになっていました。そのためには是非現状を拝見したいということで昨年(20年6月5日)支部長、副支部長、金田昭教上人、役員数名で訪問しました。
教会は当時の面影をそのままとどめ、建物は内外ともかなり古びていましたが、在りし日の様子が偲ばれました。熱心に道を説く弁栄聖者と聴き入る若者衆の光景が彷彿として何ともいえない懐かしい気持ちになりました。お念仏をしていても聖者がすぐそばにおられるように感じました。
玄関の「光明会」と書かれた看板はもとより、素晴らしい数点の聖者のご遺墨を拝見し、ますます聖者の存在が身近に感じられたものでした。とくにふくよかな観音像にすっかり魅せられてしまいました。身に纏われた白い布の襞が織りなす柔らかい曲線の美しさ、手に持つ柳の緑が映え、頭部、胸元、足先に僅かにあしらわれた同色の緑が見事に調和し、見る人をとりこにしてしまいます。あの素晴らしい唐沢山の二軸の観音像に勝るとも劣らないものと思いました。
今年は聖者の九十回忌、この機を記念して、教会の保持に僅かながらもお役に立てたらということで、お伺いしました。赤荻氏の義妹に当たる方がここを管理して下さっています。気持ちよく我々を迎えて下さいました。毎月4日が例会だそうです。いつかその例会に関東支部からも参加して、一緒にお念仏する日が実現することを楽しみにしています。この教会堂は上野駅より常磐線の快速で約1時間の小林駅が最寄りです。
ここまで来たのだから、医王寺(柏市鷲野谷)まで足を延ばそうという計画で、田代支部長が事前に副住職にアポイントを取っておいて下さいました。昨年は突然お伺いしたため、お会いすることが出来ませんでした。田代支部長は弁栄聖者が断食修行されたという薬師堂でのお念仏にかなり期待されているようでした。
約束の時間(先方の都合で午後4時)に着きますと副住職様がにこやかに迎えて下さいました。本堂で暫くお念仏をしてから茶菓を頂き、薬師堂に向かいました。ここは平素は閉められていますが、今日は特別に開けてご準備下さいました。
お堂に入りますと築200年以上という伝統の重みがしっかりと伝わってきました。祭壇の中央には若き日の聖者のお写真がありました。ここでしばらくお念仏をしました。夕方の訪問でしたので日は既にかなり西に傾いていました。目を閉じてお念仏をしているとちらちらと明暗が交錯するように思われ、ふと左側に目をやると、なんとお上人の閉められた戸板の隙間から西日が射しているのでした。戸板はかなり老朽化しているようでした。これでは冬場はさぞ寒かろうと思われました。伝統あるお堂ですので何とかしたいという思いが心の中に広がりました。お念仏を終えてふと聖者のお写真を見ると「頼むぞ」と言わんばかりにお写真の目がきらりと輝いたように感じびくっとしました。
外に出ると薬師堂の近くに六十回忌の時に光明会が建立した立派な碑が立っています。それを仰ぎながら「六十回忌の頃は光明会はすごかったんだなー」と感嘆する田代支部長の独り言が聞こえてきました。
お墓参りを終えて帰路に着こうとした時、本堂前で可愛い3人の女の子と奥様がにこにこと「さようなら」の挨拶をして下さいました。副住職様はお若い方で、週何回か増上寺に通いながらお寺を守っておられます。とても誠実に私たちを迎えて下さいました。また、毎月4日には薬師堂でご法話をされているそうです。「是非ご参加下さい」とお誘いを頂きました。近いうちに必ずお参りしたいと参加したみんなは同じ思いでした。
非常に温かい歓迎を受け、素晴らしいご家族に見送られて医王寺を後にしました。同行下さった赤荻氏も大変喜んでおられました。
ほのぼのとした something warm の余韻を楽しみながら帰路に着きました。この素晴らしい一日に感謝!感謝!
一行三昧の会
高橋 妙智
◇日時 4月11日(土) 10時~16時
◇導師 金田昭教上人
◇参加者 18名
念仏に先立って、念仏をする時の心構えと姿勢について一言、『目を閉じたり下を向かないで、真正面に如来様を見据えるがごとく、しっかりと対面することである』と助言をいただく。
それから昼食まで約2時間のお念仏。上人の張りのある声、大木魚のリズムにのせて、堂内は念仏の境地に包まれました。
午後のお念仏は休息をはさみ、その後上人の「信仰の目的」について法話がありました。弁栄聖者の「光明の生活」第4版の中から、信仰、念仏の目的について、自らの学生時代の体験や、念仏に心を捧げる師僧である父の影響が、今の自分の素地になっているとお話をされました。
人は何をするのにも目的がある。念仏に求めるところの目的、それは安心である。盲目的に念仏をしていても、光明を得ることは難しい、一人ひとりの所願にしたがい、安心を希求していくために、日々、光明の生活をしていくことが最も大切である。
心を一点に集中し念仏三昧に入ることで、そこに如来様の「目にみえず耳にきこえず手にふれず 心にふるる弥陀のおもかげ」の感得があると信じていくことが信仰である。
西行法師「なにものの在しますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
人知を超えた大いなるものの存在について、念仏を通して、念仏の中から得て下さいと篤くお話をして下さいました。
お念仏の後、お茶を飲みながら歓談し散会となりました。
第6回仏教勉強会
植西 武子
【4月の念仏と法話の会は勉強会として実施】
◇日時 4月26日(日) 10時30分~16時
◇講師 河波定昌上人
◇参加者 47名
テーマは「如来さまのおつかい」について
光明園に着くと、会が始まったところでした。二階の会場は平素の例会より多人数で、活気に満ちた雰囲気でした。今回は河波上人の新しい著書『如来さまのおつかい」に基づいての質疑応答が中心でした。午前、午後各60分間の質疑時間が設定されておりました。
午前中の質問は事前に参加者から寄せられたもので、印刷して全員に配布されました、内容的にも一般的事項が中心でした。午後は同書の内容に限定され、質問事項はその場で提出されたものを河波上人が読みあげ、回答されていきました。ご法話がない代わりに、各質問に対して時間をかけて詳しくお話下さいました。質疑応答の内容については膨大な量となりますので、河波上人はピックアップして後日『ひかり』誌上に掲載されますので省略し、午前、午後の各一問のみを紹介します。
午前の部(全般的な内容に関するもの)
- 【質問】かの有名な「大原問答」では、どのような質問が出てそのように法然上人は論駁されたのか、その代表的なものを一つ、二つご紹介頂ければと思います。
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【答え】大原談義(問答)は文治2年(1186)、上人54歳の折りに京都・大原の勝林院において催されました。天台の学僧顕真を中心とした多くの往時の学者たちとの興深い論議がなされました。その記録書である『大原談義聞書抄』によると十二の項目が挙げられてその内容の展開が見られます。その中でも二つについて述べてみます。
第一に「他作自受」、すなわち「他力」についての論議であります。いわゆる他(阿弥陀仏)が化用して、それを私たち凡夫が頂いてゆく、といった趣旨です。普通、阿毘達磨仏教や聖道門等ではその修行等においてもいわゆる「自作自受」ですが、大乗仏教、とりわけ浄土門においては私たち凡夫の念仏がまさにそれにおいて阿弥陀仏が他力として全面的にはたらくのであります。それは「全分他受用」とも言えます。阿弥陀仏の全てが私の内へと入り来たり、私自身の内容としてはたらき給うのであります。「受用=サムボーガ」とは「食べる」の意味があり、阿弥陀様を頂くのであります。それは仏教の真理たる縁起の構造において成立しているのですが、その構造の根底に縁起・空の思想が予想され、その自覚のもとに大乗仏教は成立し、発展していったのです。(紀元前1世紀後半頃成立した『道行般若経』等参照)
また『大原問答』には有名な文として、「人をして欣慕せしむるのは法門は、暫くは浅近に似たれども、自然悟道の蜜意は極めて深奥なり」の文がみられます。
「人をして欣慕せしむるのは法門」とは『無量寿経』における「信楽」、あるいは「観無量寿経』の中の「深心=深く信ずるの心、(それは必然的に愛楽心へと展開する)」のことですが、念仏はこの一点に集中してゆくことが考えられます。法然上人もこの深心一点に集中して説かれました。その内容は上人の「我はただ 仏にいつか あふい草 心のつまに かけぬ日ぞなき」の歌にも表れています。なお、弁栄聖者はこの「人をして欣慕せしむるのは法門」をプラトンの哲学の中核たるエロスとして理解され、神的憧憬等として展開されました。そのような点から弁栄聖者の光明主義は浄土宗+プラトン主義と称することができます。その深い私たちの信楽の心から限りなく深い悟りの世界が開かれてゆくのであります。聖者のプラトンへの言及は『宗祖の皮髄』における『パイドロス』の引用、『光明の生活』、そして『道詠集』等、各所に見られます。
午後の部(「如来さまのおつかい」に関するもの)
午後の会に先だって読後感想を求められた参加者の佐々木有一氏は、本のタイトルが実にうまく内容と一致している・読み終えて「如来さまがいつもここに在ます」という確証を自分なりに得ることができた・印象に残った各ページを示して、読む以前の自分と読んでからの自分を比べると何か大きなものを獲得したという実感がある、と話されました。
- 【質問】139頁の「念仏三昧は真空に偏せず、妙有に執せず、中道にある」という内容をもう少し詳しくご教示下さい。
- 【答え】まず「真空に偏せず」ということから説明しますと、初期の禅宗の祖師たちは法が確立する以前は、修行の内容は一行三昧によるほか無かったわけで禅の始祖道信もこの三昧を行じて悟りを開いたことが記録に残っています。
ところが禅宗において念仏三昧が行じられながら、やがて空の一面に偏り念仏三昧は単なる座禅と並置された行法の一つになってしまった。しかし本来は念仏三昧の一面化が禅と考えるべきで、その中で空を論ずることにのみ偏ってはならないというのが「真空に偏せず」の意味です。
次に「妙有に執せず」というのは現在の浄土宗のように専ら死後極楽世界ぶ行くことのみを願って、お念仏をするというのも一面に偏りすぎで、本当の念仏三昧はそのいずれをも包含しつつ、一方に偏せず中道にあるというのが弁栄聖者の説かれるお念仏です。
雑感
回を重ねる毎に参加者が増え、質疑応答を熱心に傾聴し、せっせとメモを取っておられる姿に感ずるところ大なるものがありました。同じテキストを使用しての勉強会は初めてでした。
今回は事前に『如来さまのおつかい』を各自が買い求め、大部分の方は読んで、質問点を準備して参加されていました。そのため、共通の枠組がある中での質疑は問題点もフォーカス化され、意識も高まるという点でよかったと思いました。今後の問題としてはお上人様の回答に対して、他の参加者も更に質問をするといった重層的な質疑応答ができれば一層深まることだろうと思いました。
最後になりましたが、午前と午後、長時間に亘り、御指導くださった河波上人様はさぞお疲れであったと思います。いつも「お上人様、お体を大切にしてください」と言いながら、他方で多大のご負担をかけている矛盾した我々の態度は反省しなければなりません。貴重なお上人様から末永くご指導頂けるように、みんなで真剣に考えねばならないと思いました。誠に申し訳ないことと思っております。