光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成21年12月

光明園10月例会報告

佐藤 蓮洋

一行三昧の会

10月3日(土)10時~15時30分。
導師は金田昭教上人。参加者18名。

秋雨が降る少し肌寒い日でした。午前中は、お念仏、如来光明礼拝儀を唱え、汗ばむほどになりました。昼食後、念仏をお称えし、金田上人のご法話が続きました。

お話は、6月の例会から続いて「信」についてであり、「教えに出会って信じられていく」、ということです。弁栄聖者の『ミオヤの光』『人生の帰趣』『宗祖の皮髄』および『観無量寿経』等から引用され、「仏様の身姿は幻想ではなく、真実なるもの」であることを述べられました。昔の教えに従わない「信」は、狭めた解釈になったり、あれもこれもというように膨張したり、自分勝手・独善的になったりして誤ることにもなりかねない。聖者であっても、古の尊い教えを「信」の源とされていると、教えの大切さを強調されました。

この日は、ちょうど十五夜でもあり、「団子などをお供えして月をまつる」風習に触れるとともに、法然上人の「月影の歌」の月は如来様の喩えではなく、如来様そのものであることを力強く述べられました。
お念仏の後茶話会となり、それぞれが月の光を心に宿しながら散会となりました。

平成21年度(第4回)関東支部教学布教研修会

植西 武子

平成21年10月24日(土)、25日(日) 10時~16時30分、光明園で。
講題=「光明主義の世界観とその実践」
導師=河波定昌上人「念仏三昧について-Visio Dei(見神)と見仏-」
   大南龍昇教授「善き師との出会い-見仏序説-」
研究発表者=菅野真慧師・炭屋昌彦氏・谷慈義市
参加人数=24日・33名、25日・41名

今年度の教学布教研修会は昨年同様2日間の日程で実施されました。新しい試みとして目下研修中の3名の方の研究発表がありました。

研究発表(1) (菅野真慧師)
菅野師は幼少の頃から仏縁深き環境で育ち、子供の目線で見た当時のお別時の様子や山本空外上人、橋爪勇哲上人等の思い出話をされました。さらに偉大なる祖父・菅野真定上人について語られました。真定上人はきびしいシベリヤ抑留生活を経験され、絶望の生活の中で収容所の窓から射した一筋の光に希望を見出し、歌を詠まれています。

生も死も 任せ果てたる吾なれば
使命しあらば 帰還らせ給え

またスウェーデンに住む妹さんを訪問の途中、上空から見下ろしたシベリヤの原野に祖父を想い、合掌した心境を話されました。更に依頼されてスウェーデンの森の墓地でお経をあげる機会があって非常に喜ばれたことなどから、あらゆる場面でお念仏の力が働いていることを実感された。お念仏をしていると人のために役立つことが多々あることを経験し、それが今も心の指針となっていると話されました。日常的にお念仏を広める手立てとして、各家庭にお念仏する空間を持つことが大事と「MY仏壇運動」を展開していることを紹介されました。
(若い方達が新しい発想で積極的に活動されることはとても頼もしいと思いました。また、体験を通してのお話には観念論より心に響くものがありました。)

研究発表(2) (炭屋昌彦氏)
テーマ「念仏と生活」について、「念仏の功徳」「念仏生活(光明生活)」「修行の方法」等を中心に話を展開されました。
・「念仏の功徳」については「功徳とは何か」、「功徳」と「利益」との関係、「現世利益と後世利益」等についての説明があり、更に法然上人の「現当二世の利益」にも言及されました。「現在利益」は弥陀の一仏を見るの益、「当来利益」は最大最終の功徳で、これによって一切衆生がことごとく究極的な救いを得ることができる。現代人はややもすると現実生活にのみ執着しがちであるが、現世から死後未来を通して人間性を向上させることこそ仏教本来の目的である等述べられました。
・「念仏生活(光明生活)」については日常生活においては浄土往生の願いを持って不断に念仏を修することが大切である。その根底には「信」がある。即ち阿弥陀仏を「信」じ、極楽往生を「願」って、念仏を「行」じることが大切であると話されました。
・「修行の方法」として「姿勢」・「呼吸」・「声」が大切であり、瞑想に入るための呼吸法等についても話されました。
(炭屋氏は仏教塾出身の方で、僧籍を取得するため大正大学・大学院に在学中で熱心に勉強されています。当日は資料(A4判4枚)を準備しての発表でしたので理解し易く拝聴しました。汗をかきながらの熱演でした。)
研究発表(3) (谷慈義氏)
テーマ「善導大師の念仏三昧 -光明主義の源流を経営哲学の視点から考える-」
・善導大師の念仏三昧は従来の通念に反して「観仏三昧」から「念仏三昧(口称三昧)」へと移行していった。称名念仏を最重要視した理由として (1)『往生礼讃』に「衆生は障重く観想が成就しがたい。仏がそれを憐れんで称名させた。称名は易しいからである」とある。また (2)『観経』に「称名によって諸罪消滅する」とも説かれている。
・大乗仏教の大成者龍樹菩薩は『大智度論』の中で「仏は般若波羅蜜を以って母とし、般舟三昧を父と為したもう」と説いている。「般若波羅蜜」とは「空」=「縁起」=「無二」であり、「般舟三昧」は「十万現在仏悉在前立定」である。
・山本空外上人は「般若」とは「二」という対立を超えること、即ち相手と対立せず、相手を生かして自己を全うすることである。更に大自然の命を自分なりに全うして行くことである。この生き方を「無二的人間」と表現されている。「波羅」とは「彼岸」、「蜜」とは「至った」という意味、即ち「彼岸に至れば対立もなく自然に生きられる」ことを意味すると説いておられる。
・今日の経営哲学の事例として、稲盛和夫「宇宙の摂理」、松下幸之助「自然の摂理」、伊藤忠彦「宇宙の波動」、石田梅岩「自然の摂理」等の言葉が上げられ、いずれも大経営者はその心底に深遠な哲学を持っている。換言すれば山本空外上人の無二的人間であり、究極の経営は「無二的経営」にあると結ばれた。
(谷氏は膨大な資料(A4判32頁)を準備しての発表でした。その内容も多岐にわたり、参考文献は26冊に及ぶものでした。特にテーマとサブ・テーマの関係をどのように展開されるのか興味を持って拝聴しました。谷氏は現在は経営コンサルタントとして活躍中であり、かつて企業の社長職経験者であることからこのサブ・テーマを設定されたものと思われます。配布された資料から非常に幅広く、深く研究されていることに関心しました。ただあまりにも内容的に多く、総花的であったため限られた時間内で消化しきれず、言及されなかった部分があったのは残念でした。シリーズにして発表して頂く方法もあったかと思いました。)
講義(2) (大南龍昇教授)
テーマ「善き師との出会い -見仏序説-」
最初に自己紹介されました。神奈川県藤沢市のお生まれで、お父さんが新潟県出身であったため、少年時代に柏崎の極楽寺を度々訪問される機会があったそうです。藤本浄本上人や佐々木隆将上人のお話を聞く機会もあり、鉢伏山別時(導師・山本空外上人)や横浜の慶運寺別時にも参加されたそうです。
<講義概要>
・浄土教の人間観……山本空外上人が浄土教の歴史の中に山崎弁栄上人を位置づけたことは非常に重要なことである。さらにもう1人椎尾弁匡上人が上げられる。この2人によって浄土宗の近代化がなされたと言える。
・善き師との出会い……その原点は釈迦に会うことである。般舟三昧経の中に般舟三昧を得るには善き師に会うことだと説かれている。善財童子は53人の善知識を訪ね、その後法界に入ったとされている(華厳経=入法界品)。よき師とはあくまで釈尊を意味する。光明主義の見仏は阿弥陀如来に会うこと、即ち光明摂化につきる。
・見仏の別の側面として……聞法がある(見仏聞法)。サンガ(原始教団)には在家と出家がいた。出家には3つの原因 (1)他人のすすめによるもの (2)聞法によるもの (3)見仏(釈尊の姿に触れて)があった。
・見仏のあり方について……ある日、バッカリがかなり重大な病状になった釈迦に面会を求めた。釈迦曰く「バッカリよ、この爛壊の身に会いたがってどうするか」、バッカリ答えて曰く「法を見るものは仏を見る」「仏を見ることが法を見る」。法を見ることは見仏の一つの大切な点である。般若経はあくまで法を追及する教えである。一方、法は世尊を根本とする。「法」とはまさに阿弥陀如来である。
・光明によって摂化されていくのが弁栄上人の見仏論である。
(大南先生は現在大正大学・大学院で教鞭をとっておられます。河波上人が先生の「三昧の研究」に関するレポートを読んで非常な感銘を受け、今回お話をお願いされた旨紹介がありました。
 浅学無知のため、不消化のまま部分的にまとめましたので先生の意を充分に尽くせないこと申し訳なく思います。)
講義(3) (河波定昌上人)
テーマ「念仏三昧について-Visio Dei(見神)と見仏-」
講義(1)については別稿で「ひかり」に掲載(サブ・テーマの分)、今回は五重相伝から話を導入されました。
・最近神戸での五重相伝で勧戒師を務め、五重相伝の研究をする中で浄土宗が一層はっきりと見えてきた。
・五重相伝は一種の浄土宗独立宣言といえる。第七祖聖冏上人の頃(15世紀)浄土宗は衰退し始めていた。虎関禅師は「浄土宗は寓宗である」と言い、夢窓国師は「浄土宗は小乗仏教である。」と評した。
・聖冏上人は浄土宗の独立に尽力した。法の血脈から言って決して寓宗ではない。第二祖上人の『末代念仏授手印』によって五重相伝が成立し、その五重相伝によって浄土宗は禅宗より独立した。しかしそれで充分かどうかの疑問が残った。それは法然上人の『撰択本願』に帰らないで、『末代念仏授手印』の方に帰ったことである。
・禅と念仏との関係……念仏をしていると一切皆空の世界が開かれていく。禅宗そのものは念仏から出てきたのである。禅宗は『楞伽経』によって伝えられて行った。必ずしも不立文字とは言い切れないのである。
・『文殊般若経(一行三昧)』に「仏を離れて別に心あることなし(浄土宗の立場)、心を離れて別に仏あることなし(禅宗の立場)」とある。藤吉慈海師は「禅浄双修」を説いている。従来の五重相伝は小浄土宗に偏っていた。大浄土宗の立場でやらねばならない。それは全ての悟りが「南無阿弥陀仏」の中に含まれていることを意味している。
・仏教の歴史の概略……BC1世紀前半に原始大乗仏教がおこり、BC1世紀後半に最初の大乗経典たる般若経ができる。仏塔崇拝がやがて仏像崇拝となり、ギリシャ人も加わって大乗仏教が完成していく。加持で念仏が始まり、それからあらゆる宗派が生まれる。八宗の碩学と言われた福田行誡師の思想は弁栄上人の光明主義へと引き継がれた。弁栄上人はキリスト教や自然科学も包含した教えを説かれた。
・念仏の中で無量の徳を得たる人は、日々お生活の中にそれを生かして、いっそうの精進に努めてほしい。
(河波上人は講義を2席と質疑応答にお忙しい2日間でした。本年は布教師の育成を主眼として、研究発表と言う新しい形を取り入れて実姉されました。3人の発表者はよく研究し努力されました。一方、参加者はほぼ固定化してきたようで、新しく若い人が参加してもらえるような雰囲気や内容が課題と思いました。なぜなら布教師の育成は急務ですがその対象となる受講者(参加者)の減少や老齢化はより深刻な問題だと思います。)

弁栄上人90回忌追恩増上寺法要

佐々木 有一

紅葉には少し早いが秋天爽やかな10月18日、ここ都内芝の大本山増上寺三階道場において、弁栄上人90回忌追恩法要が厳かに執り行われた。参会者百数十名の和する念仏の声の合間に、晨朝礼拝の読誦が高らかにリズムよく響きわたった。

今年は全国各地で聖者追恩の法要が行われたが、この日この場の法要は少しく特記すべき特徴を持つようである。

第一に会場が宗門第二の大本山増上寺であること、加えて開式に先立っては法主八木李生台下が十念をされ、内陣に立てられた唯一の名標が台下そのものであること。八木台下は久しく一行院にあって光明主義の布教・興隆に尽くされた。今は宗門の高いお立場もこれありながら、やはり深いお心の内が拝察されるというものである。

第二は修養会と真生同盟との事実上の共催という点。主催者名義は「弁栄上人讃仰会」とあるが、古田幸隆、土屋正道、金田昭教の三上人が世話人である。維那を務められた土屋上人は増上寺塔頭観智院の住職で、祖父観道上人が大正10年に提唱され、尊父光道上人に受け継がれて、今は真生同盟とよばれる信仰団体の後継者である。法要の導師土屋光道上人のご法話は、真生同盟・観智院が弁栄上人といかに深い縁で結ばれてきたかを縷々お説きになったという印象である。観道上人が聖者の晩年の在京宿坊として芝学寮多聞室にお迎えして居を共にしたこと、朝鮮、満州の伝道旅行に隨行したこと、などを強調されていた。

筆者は光明園に通うようになってほぼ6年であるが、この間、信仰の源流を共にする2つの信仰活動が、同じ東京の至近にありながら互いの距離は去此遠離、交差交流の記憶はない。会場には聖堂系の方々もあちこちお見受けした。今回の法要が大同を旨とした催しに結実したについては、若くて元気一杯の金田昭教上人のお働きを見失ってはなるまいと思う。

第三の特徴は書と画を併せて百点以上の弁栄上人ご遺墨が展示されたことである。増上寺内別殿の光摂殿大広間が主会場であったが、一部は法要会場にも展示され、荘厳に花を添えた。信仰と美術を兼ねた貴重な文化財であるから、その手配と図録編集には多大の精力が傾注されたにちがいない。讃仰会各位に在京信者の緊密な協力あってのことである。図録はかけがえのないもので手許に具える価値がある。

金田隆栄上人がわざわざ九州からお見えになり開式のご挨拶をされた。「この東京のど真ん中、また弁栄聖者も非常にご縁の深い増上寺の道場で追恩の法要がつとまることは非常に意義深く、また感慨深い。私も九州の地から精一杯この光明主義を発信していく。どうか皆様もこの東京から、関東の地から世界を救うこの光明主義を信奉し実践し、発信していただきたい」と大意このようにお話しされた。また会場の設えにもお褒めの言葉があった。ご本尊阿弥陀仏を背に弁栄上人のご遺影が中央に大きく飾られ、その左右に聖者面授の高足方各七名の遺影が並び、恰も薬師を守る十二神将の如く聖者をお守りしておられた。場内壁面には遺墨が飾られていたことは前述した。参会者はこれら遺墨に画かれた諸仏諸菩薩宗祖上人の護念に守られ、加えて聖者や高弟方のご遺影にも対面しながら、式の進行と共にいやがうえにも感激感銘を深めていったことである。全員のお焼香のあと、古田幸隆上人の手になる米粒名号が一人ひとりに配られたこともありがたいことであった。

予定の二時間を越えて閉式に至ったが、光明学園中島保理事長が同学園と光明主義の縁をあらためて強調された。次いで関東支部長田代直秀氏が「本日の法要には本当に感激した、次の百回忌にもこの足で立てるように是非とも念仏に精進してまいりたい」と力強く結ばれ、参集者の共感に包まれていた。

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