光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成22年8月

一行三昧の会

佐藤 蓮洋

◇日時 平成22年6月6日(日)
◇会場 光明園  ◇参加者13名

午前中はお念仏、「如来光明礼拝儀」を称え、聖歌を唱いました。午後はお念仏と炭屋昌彦氏のお話がありました。テーマは「戒名について」でした。いずれ訪れる「死」に対して、本来は普段から準備し、基本方針を家族で話し合い決めておくべきことを避けたりしてはいないだろうか。という問いかけがあり、「戒名」「墓」「葬儀」についてお話を頂きました。細菌、話題となっている「直葬」についてもお話があり、時代の背景と宗教行事等についても考えさせられました。

お念仏後、1時間ほど茶話会を行い、みなさんおだやかな時を過ごしました。

念仏と法話の会

植西 武子

◇日時 6月27日(日)
◇会場 光明園
◇導師 河波定昌上首
◇参加者 28数名

午前中に佐々木有一氏によるお話がありました。午後は河波上人のご法話がありました。この日は遅れて参加したため、河波上人にお願いしてご法話をまとめて頂きました。

ご法話

概して宗教や文化は異質の宗教等との出会いを通じて高度に発展する場合も多い。アーリア民族が非アーリア民族と出会う処で仏教が成立した。(アーリアンフロンティア説、東大教授宮本正尊博士説)。その仏教はヘレニズムの頃、ギリシャ文化との出会いを通じてそこに大乗仏教の豊かな展開をみることになった。

西洋でも同様で、原始キリスト教は新プラトン主義(プロティノス等の哲学)と出会うことによって中世の高度なキリスト教哲学が展開せられていった。

同様なことは大乗仏教の歴史においても考えられるのであり、法然浄土教は近代に至って西洋の哲学、自然科学、キリスト教等と出会うことによって広大な弁栄聖者の光明主義の展開がなされてゆくことになった。

私たちもそのような偉大な流れの中にあるのであるが、その聖者没後90年を経るうちに西洋哲学の最先端の哲学とも言える現象学と出会うことになったのであり、伝統的浄土教はこの現象学を介して更なる飛躍的展開が考えられる。

カントは現象学の他に叡智界を考え、この二つを対立的に考えたがそれに続くヘーゲルはイエス・キリスト(神が人間であり、人間が神である)において二つの対立世界をダイナミックに一つび展開と考えた。即ち目に見えない叡智界が現象的に現象し、現象の中に神の世界の展開を見ようとしたのがヘーゲルの現象学であった。

カントの哲学は捨此往彼をモットーとする旧浄土宗的であるのに対し、ヘーゲルの哲学は光明主義的である。単に対立するのでなく、超越的なものが現象してくるのである。

かかる現象学的立場が成立するために、私たちにとって法然上人が、そして弁栄聖者が何よりの指針となるのである。

例えば、法然上人においてはその念仏三昧の宗教体験を通して超越的なもの(阿弥陀仏とその浄土の世界観)が現象していたのである。そのことは上人の道詠の中にもみることができる。たとえば上人の

阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば
秋のこずえの たぐいならまし

は阿弥陀仏が上人の心の上に現象している(染んでいる)様を歌ったものであり、色とは姿、形であり、又、何よりも顔(容姿)である。あるいは又、

阿弥陀仏と 心は西に 空蝉の
もぬけ果てたる 声ぞ涼しき

も、念仏三昧における般若波羅蜜(空)の境地がそのまま表出されている。しかもこれら仏教の甚深なる宗教体験の世界が難しい漢字でなく和語で表出されているところにまた、日本文化の偉大さが感じられる。
ところで弁栄聖者の光明主義におけるその現象学的展開は仏、浄土、心の三様において展開される。

仏に関しては『華厳教』等において「如来出現(性起)等として語られていたものであるが、聖者においては「念仏七覚支」の喜覚支における、「遍に仏を見まほしく 愛慕の情いと深く 身命惜しまず念ずれば 即ち弥陀は現れん」の偈頌に、また浄土の現象に関しては「聖きみくに」の冒頭における「聖き啓示を被りて 三摩耶の窓し開くれば 清きみ空は朗らかに 常世のみ国現われぬ」に見ることができる。そしてその時、私の根深底(仏性、霊性)が顕れるのである。それはまさに根源的主体性ともいうべきものであり、『法華経(比喩品)』ではそれは「露地」(地とは心の本性、それが露われ出るのである)として、また禅では「露堂々」と言った言葉で表現されたりもしている。
ところでこれら仏、浄土、心は「心、仏、衆生、是三無差別」(『華厳経』)とも言われているように一つの事柄であるのである。そのことは浄土の世界が私たちの心一つであり、そのことはたとえば弁栄聖者の

十方の 億と説きしも 誠には
限りも知れぬ 心なりけり

等の道詠にもみられ、また阿弥陀仏の現象が私たちの心の目覚めと一つに連なっているのである。
そもそも弁栄聖者の十二光の体系そのものが旧浄土宗で考えられるように単に彼岸的にとどまるだけのものでなく、それらの全体が私たち自身の救済の現象学の体系そのものなのである。

茶話会

今月は参加者がやや少なかったので一ケ所に集まって歓談しました。若いご夫婦がここ数ヶ月、続けて参加されており、唐沢山別時にも参加されるとお上人様から聞きました。とても嬉しいことです。卓上には大皿に盛られて真っ赤なスイカがみんなの目を引きました。これは今年の1月にお浄土にお還りになった和歌山の北野智銘氏の奥様から送られてきたものでした。その初物をみんなで感謝しながら頂きました。また、光明園の庭で採れた枇杷の実も頂きました。昨年、奥様が「庭で採れた枇杷ですよ」とみんなにすすめておられた姿を思い出しました。今は亡きお二人の笑顔を思い浮かべながら心の中で合掌しました。とても温かい雰囲気の中で散会しました。

公開講座

◇日時 6月20日(日)
◇会場 淑徳大学サテライトキャンパス
◇講師 高瀬 正仁先生(九州大学大学院数理学研究院准教授)
◇参加者 五十数名

今回の催しはある意味で大変画期的なものでした。定員50名を上回る参加者があり、光明主義とは直接ご縁のない方々も10数名参加されておりました。

の会の詳しい内容は別途、企画担当者から別の形で報告されることになっています。従って、参加者の一人としての感想のみとします。

高瀬先生は22頁に及ぶレジュメを準備されて、年代を追う形で岡先生の生涯、光明主義との出会い、光明主義と数学上の大発見との関係、更に数学に関する専門的なお話や、岡先生とガウスとの共通点にも言及されました。「数学は情緒の根源である」の名言にも至る過程を詳しくお話し下さいました。大変興味深く拝聴しました。

レジュメに記された懐かしい地名、京都梅ヶ畑の修道院、大阪の地蔵寺、唐沢山の阿弥陀寺等、また懐かしい方々のお名前に、少女時代に伯母から何度も聞かされた岡潔先生の思い出話が重なり、半世紀前にタイムスリップした気分にもなりました。

お話の後で多くの質疑がありました。数学と哲学、宗教との関係や、宇宙の真理云々と言った難しい質問もありましたが、私が一番知りたかったことは、あの難攻不落の牙城とも言える岡先生がどのような課程を経てお念仏の世界に入っていかれたかという点でした。先に入信されていた奥様の影響、田中木叉上人の偉大なる指導力は言うまでもありませんが、まず、水を飲むために水辺に岡先生を導いたのは何か、誰か。これをもう少し知りたいと思いました。

高瀬先生はとても熱心にお話し下さいました。おおらかで温かいお人柄と拝察しました。今後。このような機会がまたあり、いろいろお教え頂きたいいと思いました。

最後に淑徳大学の長谷川匡俊学長、河波定昌上首からご挨拶がありました。

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