光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成22年10月

第89回 唐沢山別時念仏会

植西 武子

◇日時 平成22年8月19日(木)~25日(水)
◇場所 唐沢山 阿弥陀寺
◇導師 河波定昌上首
◇維那 古田幸隆上人
◇大木魚 大和伸嘉氏 金田昭教上人
◇参加者 53名

今年の別時は本来、第90回となるべきでしたが、昨年8月に長野県を襲った集中豪雨のため、登山道の一部が崩落し、通行不能となりました。
大和啓二世話人代表によって準備もほぼ完了し、皆様のご参加をお待ちしていた時だけに大変残念なことでした。直前の予期せぬ中止で既に参加申し込みをされていた方々に大変申し訳ない思いでした。
懸念していた復旧作業も順調に進み、本年は予定通り実施可能となり、無事に終えることが出来ましたことは何よりの喜びでした。

今年は異常気象と言われ、酷暑の日々の連続でしたので、涼しさを期待して降り立った上諏訪駅でしたが、正午過ぎの温度計は32度を示していました。準備のため、一日早くお山に登りましたが、2年ぶりの訪問で一層懐かしく感じられました。崩落した箇所はすっかり整備され、その付近には管理人さんがお育てになっている色鮮やかな花々が来訪者の心を和ませてくれました。

大和ご夫婦とご子息は更に一日前から来て、準備を始めて下さいました。酷暑の中を遠方九州から、一家あげてのご尽力に頭が下がる思いでした。
金田昭教上人と抜井美幸さんも既に到着されており、本堂や庫裏の清掃、布団干しなど着々と進めていて下さいました。てきぱきと働く若い力のご協力に感謝するばかりでした。

古田幸隆上人は前日にお父上が緊急入院され、ICUにて治療中と言う大変な状況でお山に登って来られました。お父上のご快癒を心より祈り、お上人のご心労に心を馳せました。

19日は早朝、世話人そろって本堂でお別時の満願達成を祈ってのお念仏をしました。
夕方にはなつかしい皆様との再会があります。心が弾むひとときです。それまでに急いで残務を処理し、ご参加の皆さんに快適な環境をと願いつつ、今年も完璧と言えない内に皆様をお迎えすることになりました。

参加者

今年の参加者状況は全般的に若い方が多い印象を受けました。実際に名簿で確認しますと、総数53名の内、最年少が17歳の高校生で、20、30、40代の方が12名でした。初参加者は13名でした。

また、本年の特徴は僧職の方の参加が多いことでした。3名の尼僧さん方(島根の三上妙光尼様、福岡の菅野真慧尼様、大分の今井光順尼様)を含めて8名ほどおられました。殆どの方が熱心な光明主義のご両親に育まれた方々でした。特に25才で初参加の大田珠光上人は名古屋の西蓮寺大田弘光上人のご三男で、熱心に修行に励み、積極的に活躍して下さいました。金田昭教上人と共に将来の光明主義の担い手として一層成長されんことを願うばかりでした。

親・子・孫三代そろっての別時参加をひたすら夢見ておられた方がやっと念願叶い、その夢を実現されました。富山県より参加下さいました上田とみさんです。お別時は初参加、作法も何もわからないと気にされながら、唐沢山の風景や雰囲気にすっかり感激され、来てよかったと何度も何度も喜んでおられました。世話人としてこのような方にお会いすることが何よりの喜びでした。

開会式

ほぼ全員がそろい、古田上人の司会で7時より開会式がありました。最初に世話人代表の大和啓二氏から挨拶がありました。
①初参加の方のために唐沢山道場の歴史について紹介されました。
450年前に弾誓上人によって開山され、多くの聖人が修行された全国屈指の念仏の聖地である。
大正8年8月に弁栄上人がこの地を選んで初めて別時念仏会を開かれた。
②別時中の心構えについて懇切丁寧に説明されました。
別時中、最も大切な事はひたすら念仏に専念すること。弁栄聖者は別時について「念仏申すことを保つためにする」といっておられる。
口には称名、心には如来様の姿を想うこと、特に初心者は聖者が描かれた三昧仏様を生きて在す如来様が真正面に在すと信じてお念仏を相続するように。
次に導師の河波上首からお話がありました。
[1]大正8年に第1回目の別時念仏会が開催され、その後、継続されて来たゆかりの地でお念仏ができることは何にも代え難い幸せである。
[2]お別時中に必ず弁栄聖者の護念(真言宗では加持と言う)がある。それを信じて念仏に励むように。
[3]この1週間、如来様が現前に在すことを信じ、阿弥陀様に恭敬の思いで念仏すること。念仏の心構えとしてすべてを大ミオヤにおまかせすること、大ミオヤはあなたの真正面に在すこと(遡ること善導大師の「十方より来る者、皆対面す」に至る)この二点が大切である。
[4]田中木叉上人は本堂、休憩所、寝所すべてが道場であるといわれた。積極的念仏をすれば自ずと雑談はできなくなる。
参加者はこれらのお念仏の心得をしっかりと心に刻んで、明日からの修行に勤める決意をしました。

ご法話

1週間に亘る河波上首のご法話は広い視野からのお話でした。内容的にも非常に深く、量的にも多いので、印象に残った部分のみを自己流に4つの視点からまとめました。

①哲学的な視野から
宗教学の立場から、仏教思想に限らず、西洋哲学の思想や、弁栄聖者と同じ提言をしている西洋の哲学者の例が紹介されます。
よく引用される人物はニコラウス・クザーヌスです。その一例として、禅と念仏の関係のお話で、禅と念仏が分かれていたのを弁栄聖者は念仏の中に禅は含まれるとして両者を結びつけられた。同様にクザーヌスはそれを「コントラクティオ(縮限)」と表現した。また、プラトンも聖者自身がその考えを取り入れておられます。聖者の教えが「プラトン的浄土教」と言われるほどである。他にクラウゼ、ハイデッカーもよく引用された。
更に、弁栄聖者とキリスト教との深い関係から、特に『礼拝儀』のお話の中で具体的な表現を例示してお話しされました。
②歴史的な視野から
何事も今ある事象を理解するには、そのルーツや課程を知ることが必要です。その視点から仏教の成立や『礼拝儀』の成立に至る過程を詳しくお話し下さいました。
「法界」についてのお話では過去七仏からダンマの出現、さらに善導大師を経て法然上人(選択本願)、そして弁栄聖者(十二光)に至る過程を地下のマグマが地上に噴出する形を図示しながら、長い時の流れの中で脈々と受け継がれてきたことをお話しされた。
また、礼拝儀については、6つの形式から成っており、BC1世紀前半に「懺悔」「随喜」等が整い、後半に「発願」「回向」等が完成しました。『普賢行願讃』でBC1世紀から続いた礼拝形式は集大成され、中夜礼賛へと繋がっていった。2千年の歴史が弁栄聖者の『礼拝儀』に凝縮されているのである。それは『無量寿経』に基づいている。
③文化論的視野から

河波上首は文化への造詣が深く、文学、音楽、茶道、華道等、幅広く通じておられます。従ってご法話の中でお話はどんどん発展していきます。文化を論ずるには経済的視野以外に宗教的視野も必要であると話されました。
まずは「唐沢山念仏道場の因縁」について大変興味深いお話を展開されました。それは縄文文化との関連でした。日本文化は重層立体的である。一万数千年の時を経て日本的霊性(雪・月・花がそれを生み出した)が培われてきた。日本文化の豊かさはこれによるものである。日本文化の一つの捉え方として次のような段階を考えることができる。即ち・・・
第一段階・・・縄文的霊性の萌芽と展開
第二段階・・・鎌倉仏教霊性の開花
第三段階・・・日本的霊性の実践(弁栄聖者)
長野県は縄文文化と深い関係にあり、唐沢山にはその根底に縄文的霊性がある。
土地(1)には名前(2)があり、その土地には霊(3)がある。これらは三位一体である。

あらとうと 青葉若葉に 日の光

この日の光は日光に来て詠んだと捉える。即ち土地霊との感応道交である。
この縄文文化がやがて念仏結びついて行ったのである。河波上首は唐沢山に来ると日本的霊性がひしひしと感じられると話されました。

④未来志向提言的視野から

河波上首のお話は非常に理論的ではありますが決して観念的でなく、日常を如何に生きるべきかを説いて下さいます。そして更に、現在に主軸を置きながら将来を展望した示唆をも与えて下さいます。弁栄聖者の教えを三つの面でお話し下さいました。

その一つは永遠の阿弥陀様の出現である。阿弥陀様には二つの側面、「存在(パルメニデス)」と「生成(歴史)(ヘライクレイトス)」がある。ハーヤーは「永遠の存在」と「永遠の生成」が一つになった語である。

その二つは超在一神的汎神教の出現である。キリスト教では他の神々を排除し、キリスト教の神のみを神としているが、弁栄聖者が説く光明主義は他の神々をも認めている。汎神教であるが多神教と置き換えてもいいほどである。一見多神教であるが、根底に阿弥陀様(一神)が在すのである。日本人は縄文時代(狩猟時代)には月を神と崇め、弥生時代(稲作時代)には太陽を神と崇めた。無数の神々(菩薩)が阿弥陀様を賛嘆すると捉えた。

クラウゼの言う「全ては神の中に在り、神は全ての中にある。」は「超越」と「内在」を表している。弁栄聖者は諸仏を否定するのではなく、包み込んで超在一神的汎神教を生み出されたのである。
その三つは現象学の出現である。
『古今和歌集』等の歌を引用してお話し下さいました。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかされぬる

目には見えないが風の中に秋が現象しているのである。

雪の下 春の声あり コトコトと
見えぬ小川の 流れ音聞く

念仏をしているとだんだんとそれが明らかになってくるのである。現象が変化し、やがて結実していくのである。現世に於いて如何に変わっていくかが大切である。

河波上首はご法話の最後に二つの提言をされました。
まず、弁栄聖者の光明主義がポスト・モダニズムである。科学・理性を重んじる近代から脱却し、「人間の尊厳性」を確立することが求められている。マイスター・エックハルトはその著『高貴なる人間』で高貴性は祈りの中から生まれると述べている。念仏は個人を高めるものであるが、同時に時代を担うものである。光明主義者こそ、その先導者としての役割を果たして欲しい。
更に「聖者没語90年、新しい光明主義の展開が求められている。光明主義を現象学の立場から再構築していくとさらにすばらしいものとなると思う。我々の念仏の中に生ける信仰として働き、発展することを願っています。」と熱っぽく語りかけて下さいました。

聖者墓参

23日に聖者のお墓にお詣りしました。若い人たちによってお墓はきれいに清掃され、いつものように「聖きみくに」を歌いながらお山を登って行きました。全員がそろうと三礼の後、しばしお念仏をしました。やがて河波上首が聖者のご略伝を奉読されました。それを拝聴しながら聖者の偉大さに敬服し、我が身の至らなさを恥じるばかりでした。その後ひとりひとりが墓前に進み、お焼香をしました。その間、個々に聖者への思慕の念を募らせながらお念仏をしました。丁度、自分が立っていた位置が聖者のお墓の裏側が見える所であったせいか、半世紀前の若き日の出来事が懐かしく蘇りました。

初めて参加の時。休憩時間に一人でお墓にお詣りし、一心に大願成就をお願いしていました。すると突然「南無阿弥陀仏」と太い男の声がしました。飛び上がらんばかりに驚いてあたりを見回しましたが人影はなく、しーんとした静寂の中で蝉の鳴き声だけが木々の梢を揺らせていました。念のため、何度もお墓の裏をのぞいてみました。あの声をもう一度聞きたい。青春の日の懐かしい思い出でした。

別時雑感

お別時中に護念のありがたさを感じることが多々ありました。それは全て参加下さった方々のお力添えのお陰でした。

期間中に目立たないところでご奉仕くださる方々に心の中で感謝しました。特に浴室とトイレの清掃を担当してくださった方々、いつも最後まで残って台所をきれいに片づけて下さった方々、目立たないところでこっそり手助け下さった方々、皆さんのご援助がとても嬉しく思われました。

毎年、墓参の前日にお花を買っておきますが、今年はついうっかりして買い忘れました。当日の朝、それに気づいて困っておりましたら、前日に来られた柴さんが高野山の槇ときれいなお花を準備して下さっていることがわかりました。この助け船に思わず手を合わせました。

一昨年、とても不思議なご縁で参加された長野県の青木さんが今年も参加下さいました。しかも売店の仕事を手伝って下さるとのことで大変助かりました。さすが編集関係のお仕事をされているとかで、てきぱきと手早く事を処理されるのに甘えて殆どお任せの状態となりました。地元、長野の方が唐沢山とご縁を深めて下さることは何にも増して嬉しいことです。

今年は若い人に参加が多く木魚の乱れも心配しましたが、維那の古田上人様からの苦言も殆ど無く、皆さん一心に修行に励んでおられました。特に初参加の方は、日常と全く異なった環境に身を置くだけでかなり抵抗があったと思います。

もうすぐ大学を卒業すると言う関西から来た青年は、一日早く是下山しました。翌日から4ケ月間の世界一周一人旅にでかけるためでした。早朝5時過ぎに下山するとのことで、あり合わせの朝食を準備しました。平素、無表情に見えた彼は食卓を見てにっこりと微笑んでくれました。食事をしている間少しお話ができました。旅費の半分以上はアルバイトで貯め、残りは親から借りて後に返済していくとのことでした。日焼けした顔がとても逞しく見えました。朝霧の中をタクシーで下って行く彼に「良き旅を!」と願って手を振って見送りました。車中から彼は合掌して応えてくれました。この合掌がとても嬉しく思われました。いつの日か光明主義の国際化の担い手として活躍してくれることもあろうかと期待しています。

閉会式

いよいよ最後のセレモニーとなりました。長かった1週間も過ぎてしまえば短くも感じられました。厳粛な雰囲気の中で会は進行しました。

参加者を代表して名古屋の塩谷宣彦氏が温かい、心のこもった謝辞を述べて下さいました。大和氏が世話人の立場から謝辞を述べられた後、導師上人からお言葉を頂きました。内容は1週間のご法話をサマライズしたものでした。そして最後に哲学のみ解決できないこれからの時代こそ光明主義の果たす役割は大きい。共同体の中で互いに切磋琢磨し合って光明主義の生活を実践していって欲しいと結ばれました。

各自が得た大きな宝を心に秘めて、みんなで歌った「のりの糸」は余韻となってみなさんの心に後々までも響いてくれることでしょう。

おわりに

今年は何の障りもなく無事終えることができましたのは皆さんのご努力とご協力のお陰であり、何よりの喜びでした。

導師の河波上首は酷暑の中をあちこちとご伝導の後でお疲れのところ、1週間の日程はさぞ大変だろうと毎日薄水を踏む思いで心配致しました。しかし強靱な意志力で日々熱心にご指導頂き、元気に東京にお帰り下さいました。

維那の古田上人はお父上の突然の入院でご心配の中を日夜に亘り、ややもすれば安易に流れ易い50数名の集団を時には厳しく、時には優しくご指導頂きました。

大木魚を担当下さった大和伸嘉氏、金田昭教上人、優しい音色で聖歌のご指導をして下さった橋詰淳子様にも感謝の念を禁じ得ません。

その他多くの方々のご援助によって2年ぶりにお別時が終えられましたことに世話人一同、衷心お礼申し上げます。来年の再会を楽しみにしております。

最後になりましたが、柴武三先生の33回忌記念としてご息女の柴晴美さん、真弓美智子さんから参加者全員に『弁栄聖者の御垂示と三昧の念仏』のご本をご供養下さいました。この御垂示は唐沢山阿弥陀寺の本堂の側の岩壁に刻まれております。先達の深い思いに応えるべくお互いに頑張りたいと思います。

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