第34回 大厳寺別時念仏会
植西 武子
◇日時 平成22年9月17日(金)~19日(日)
◇会場 檀林 龍澤山 大厳寺
導師:河波定昌上首 参加者68名
(光明園の例会は本別時に合流参加となっています)
お彼岸の直前ともなりますと、やや凌ぎやすくなり、ほっとした思いで大厳寺様の門をくぐりました。しかし夕刻で、深緑に囲まれた別天地でさえ、なお残暑は健在でした。
ご本尊様に感謝の気持ちでご挨拶をしてから、既にお別時モードに入っておられる参加者の皆さんに合流しました。
日程
開会式 17日 10時30分
閉会式 19日 16時
起床=5時 就寝=21時
法話 午前・午後各1回(総計6回)
参観者
金曜日の夕刻に着き、受付で名簿に目を通しながら今年も参加者が多いと思いました。参加延べ人数68名の内、大厳寺様関係が8名、幼稚園の先生方が10名、保育園の先生方が12名、一般参加者が38名でした。北は青森から、西は山口県から参加されていました。年々人の和が法の輪を広げているように思われました。
ご法話
3日間の期間中に午前と午後に各1回(総計6回)のご法話がありました。
17日の夕方から参加しましたので、この日のご法話は拝聴できませんでした。拝聴された方のメモによりますと、17日午前では①禅と念仏の関係について、念仏の中から禅が生まれてきたこと、②念仏を通して如来様から栄養を頂くこと(弁栄聖者は霊養と表現されている)等について、17日の午後は大乗仏教の起源についてお話があったようでした。
- 18日午前の部
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昨日のご法話の復習からお話を導入されました。その後、弁栄聖者の『礼拝儀』編纂の過程についてお話がありました。
※「大乗仏教」はどこから生まれてきたのか? その起源は仏塔(ストゥーパ)の礼拝にある。どのように礼拝するかと言うことが重要であり、礼拝の原型(「懺悔」、「勧請」、「随喜」)が、B.C1世紀前半に既に出来ていた。
B.C1世紀後半に『八千頌般若経』に「マハナヤ」(大乗)なる語が出現している。大乗仏教はインド仏教とギリシャ文化の融合によって生まれたものである。それは、インドは数百年に亘ってギリシャ王の支配下にあったからである。その一例として、ギリシャ王、メナンドロスとインドの僧侶、那先比丘の対談が『那先比丘経』として残されていることから伺い知ることができる。
B.C1世紀後半になって「回向」「発願」が生まれる。それまでは「自作自受」を説いていたが、「空」によって初めて「回向」が成り立つようになったのである。
これがやがて集大成されて『普賢行願讃』としてまとめられていく。※弁栄聖者の礼拝儀に至るまでの三つの段階 第一段階は各宗派がそれぞれに各自の礼拝儀をあげていた。
第二段階はニコラウス・クザーヌスの『普遍的和合』が挙げられる。その中に「それぞれが異なった宗派に属していても、同じ神を拝んでいる」と記されている。第三段階は弁栄上人の立場の転換が挙げられる。それは明治35年、上人44才の時、それまでの『阿弥陀経』から『無量寿経』へと転換されたのである。そして「如来光明嘆徳文」で説かれるようになった。これが聖者の教えの前期、後期を分ける分水嶺ともなったのである。 - 18日午後の部
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※弁栄聖者の『礼拝儀』のもつ意義 (これが『阿弥陀経』から『無量寿経』へと転換された理由でもある)①「本迹不二」を説いている。四十八願は迹門(歴史的弥陀)を説き、「歎徳章」は本門(永遠の弥陀)を説いていえう。しかしこれらは不二であると説かれた。②超在一神的汎神教」なる表現は全く仏教学的用語でなく、宗教学的用語で表わされている。また、「日本的霊性」が超在一神的汎神教の根底に働いている。鈴木大拙博士が1944年に『日本的霊性』を発表したが、その遙か以前に弁栄聖者が展開された『礼拝儀』の中にその霊性思想が脈々と流れている。
勿論、グレゴリオ賛歌に見られるようにフランスにはフランスの的霊性が、ドイツにはドイツ的霊性があったがやがてその神々は死んでいった。幸いにも日本では残った。
それは全てのものを尊く思う心と、その根源に阿弥陀様の存在があったからである。なお、鈴木大拙の『日本的霊性』は鎌倉仏教にのみ視点を置いているきらいがあるが、更に以前の縄文まで遡って考慮すべきである。遙か縄文の時代から今日に至るまで霊性の思想は絶えることなく受け継がれてきたのである。
昭和初期の頃、駐日大使を勤めたポール・クローテルをして「世界中で滅んではならない国がある。それは日本だ。あれほど興味ある太古からの文化を大切にしている民族はいない。彼等は貧しいが高貴である。神に対する畏敬の念を持っている。」と言わしめた所以である。多分、彼は日本的霊性に触れていたのであろう。
仏教は決して他の宗教を否定しない。そのため、重層立体的文化を育んできたといえる。
縄文的霊性は日本的霊性の萌芽期であり、鎌倉仏教はその開花期で、光明主義はその完成期であると言える。
弁栄聖者は最初は超在一神的汎神教を説かれたが、それは今や世界的文化や歴史の視点から考えていくべき時にきている。
『礼拝儀』の意義は自己の根元的形成に拘わる重要な要素を持っていると言うことである。
③体系的に十二光を説いている。
十二光については既に法然上人が『逆修説法』の中で展開されており、親鸞上人も七五調で説いておられる。弁栄聖者はこれを体系的に整理されたのである。
④現象学的に説かれている。
導入として数種の歌を紹介されました。阿弥陀仏と 心は西に 空蝉の
もぬけ果てたる 声ぞ涼しきは「空」の現象を詠んでいる。
阿弥陀仏と 染むる心の 色にいでば
秋の梢のたぐいならましは「色」として秋が現象している様子を喩えている。色には姿形の他に顔の意味もある。
阿弥陀仏と 尊き方を おもほへば
おもふ心ぞ いや尊とけれは人間の尊厳性を詠んでいる。
- 19日午前の部
- 昨日の現象学の続きをお話されました。
京都の下鴨神社に糺の森がある。あたり一面に木が生いしげり神聖な雰囲気である。この「糺」の原語には「現れる」とか「明らかになる」と言う意味がある。神聖な場所に神が現れるのである。
※現象学の立場から三つの面に分けて考えることができる。
①至高の現象学では「人間の高貴性」を言う。人は祈りの中でこれに目覚めていくのである。マイスター・エッグハルトは『高貴なる人間』で深い祈りの中で人間の高貴性が現象してくると延べている。②光の現象学では『歎徳章』の中に「この光に遇うものは三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜむ」とある。この三垢の貪、瞋、痴になり、最後に道徳心が湧いてくるのである。
③空の現象学では念仏をしていると空が現象して来るのである。このことは『般舟三昧経』に記されてもいる。
これらは、また「三相の聖歌」の諸根悦予、姿色清浄、光顔巍々等で詠まれている。
これなども神聖なるもの(阿弥陀仏)現象学である。 - 19日午後の部
- 空の現象学の続きをお話し下さいました。善導大師の「六時礼讃」に6回に亘り、繰り返し引用されている偈文がある。それは『勝鬘経』の如来蔵思想である。「比世及後生 願佛常摂受」はこの世も死んでから後も如来様どうかお護り下さい。その前半は「哀愍履護我令法種増長」とある。これは死の恐怖から解放された心のバリア・フリーである。
ああ尊と ああああ尊と ああ尊と
輝きいでし 功徳荘厳これはまさに如来出現品、お浄土の出現品である。
十万の 億と説きしも 誠には
限りも知れぬ 心なりけり中国の僧、道信は一行三昧によって悟りを深めていった(一相荘厳三昧)
心を離れて別に仏あることなし
仏を離れて別に心あることなし禅宗の悟りでは「明歴々露堂々」である。お念仏をしていると空が現象して来て、その空の現象によって①清浄化、②甚深性、③虚空性、④自由(自在)、⑤平等、⑥博愛(仏教では慈悲と言う)等が開けていくのである。
別時寸描
※朝の散策から
- (その1)*1本の木
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本堂の前に大きな楠が1本、どっしりと根をはって立派に天を目指して立っていました。毎年「立派な木だな」と思いつつ、格別に注意をはらうこともなく、側を通りぬけていました。ところが今年、その木の根元に「大きな木」と1枚に1文字ずつ書かれた板で囲まれていました。「おや」と思って近づくとそばに立て札が立っていました。それには次の詩が書かれていました。
1本の木を見つめていると 坂村真民
1本の木を見つめていると
神とか仏とかいうものが
よくわかってくる
見えないところで
その幹を
その葉を
その花を
その実を
作っていってくれる
根の働きは
見えないところで
私たちを養って下さっている
神とひとしく
仏と同じである
見えないものを見る目を持とう
見えないものを知る心を持とう
『詩集詩国』第一集これを読んではっとしました。「坂村真民」、この人を知ったのは昨年12月の光明園でも宿泊別時でした。講師の岩崎念唯上人がとても感動的な人の出会いについてお話されました。一人は『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者井村和清氏についての熱演でした。その時、井村氏の詩「あたりまえ」を紹介されました。同時に坂村氏の「めぐりあい」と「二度とない人生だから」をコピーして配布下さいました。とても含蓄のある内容にすっかり感銘したのを思い出しました。「日本的霊性」についてご法話を聞いた直後だけに一層感じ入りました。更に、それにも増してこう言う素晴らしい寺院の環境づくりをされている大厳寺様の深いご配慮にさすがと感嘆するばかりでした。
- (その2)*落ち葉かき
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朝の散策をしていますと幼稚園の先生や、保育園の先生方が竹箒でお庭を掃いておられました。落ち葉はしずごころなく落ちてきます。この広大なお庭の管理は大変だろうと思いました。前日の朝に、休憩時間が終わろうとする頃、山口県から讃歌されていた野間堯先生が箒を持って玄関におられたのはお庭掃除をされていたようでした。毎年幼稚園や保育園の先生方に頼りきって何もしなかったことを深く恥じ入りました。ここのお別時も唐沢山方式でもっとお手伝いをしなければと反省しました。
- (その3)*美を愛でる心
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今年初めて参加された藤沢さんと前庭を散策しました。お庭はまだ緑が鬱そうと繁り、その間に可憐な小花が彩りを添えていました。山門から本堂に通じる道は将に衆生を極楽浄土へ誘っているようでした。藤沢さんは何度も何度も「素晴らしい環境ですね」「本堂の彫刻に伝統を感じました」「来てみてこんなに近いと思いませんでした。来られてよかったです」と大変よろこんでおられました。同じものを見てもその感性によって感じ方が異なると思います。喜ばれる方が一人でも多いことは何よりもうれしいことです。ここにも日本的霊性に目覚めた人がいることを大変嬉しく思いました。
別時感想
今年も素晴らしい環境の中で三日間のお別時が無事終わりました。
河波定昌上首は唐沢山別時の後、京都、九州方面へと強行スケジュールをこなした後、連続して今回のお別時をご指導下さいました。今年の夏は異常に暑く、一層お疲れであった事と思います。6回に亘るご法話を通して、縄文時代から流れる日本的霊性を土台として継承されてきた尊い弁栄聖者の教えを、21世紀を展望して更なる発展をなすべく、その方向性をもお示し下さいました。それに応えるべく参加者一人一人が一層修行に励んで行きたいと思います。
大厳寺様はあらゆる面で参加者が修行に打ち込めるようご配慮下さいました。ご家族挙げての細やかなお心遣いに感謝の念を禁じ得ません。
小学校2年生のお孫さんも可愛い作務衣姿で夜のお念仏に参加されておりました。理想的な光明家庭、いや理想的な寺院のあり方をお示し下さっているようで、大厳寺様の更なるご発展を心から祈念しました。ありがとうございました。