光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成23年1月

関東支部11月例会報告

念仏と法話の会

植西 武子

◇日時 11月21日(日)
◇会場 光明園
◇参加者 28名

この日は長野での「りんご狩りと聖者祥当念仏会と重なったため、光明園には参加できませんでしたので、ご法話は河波上首がおまとめ下さいました。また、会の様子は参加された田代悦子さんから伺いました。

ご法話

今回は「信」が法話の中心テーマでした。

竜樹菩薩(紀元2世紀~3世紀頃活躍)は八宗の祖と言われるほど、それまでのあらゆる仏教を集大成した方ですが、彼の著作である『大智度論』(全百巻)の中で、「仏教の大海は信をもって能入となす」(第一巻)と述べています。

インドはインド洋と言う大海に接し、その海の風土との関わりから多くの大乗仏教が成立してゆくのであり、たとえば竜樹も読んでいた『華厳経』はまさに海洋経典であります。そして仏教の真理そのものを大海に喩えてその上でその真理の大海原へ入ってゆくのに何よりも信が大切だと言うのであります。

中国の善導大師(七世紀頃活躍)も『華厳経』をよく読んでおられたのですが、その上で阿弥陀仏の世界も「弥陀智願海 深広無涯底」(往生礼讃)と詠んでおられます。このように仏法の真理は大海のように私たちを包んでいるのですが信なくばその真理の世界が見えて来ないのです。それはたとえ大海のただ中に居たとしても、無明の暗黒の中にいてその海に気づかないのにも似ています。

しかしながら念仏をしているとそこに幽かであっても光が輝き始めるとその真理の大海原に気づいてゆくのにも喩えられます。海の宗教詩人田中木叉上人(出身は五島列島)はその状況を、

身は水の泡 消ゆるとも
キララ夜明けの 海キララ
暗ければこそ 気がつかぬ
永遠に輝く 大海原
(心田田植歌)

と詠じておられます。

そのような真理の大海とはお浄土の世界に他なりませんからお浄土に生まれるとは言わば私たち自身が「極楽界(海)会 清浄大海衆」に目覚めてゆくことに他なりません。

弥陀智願海(阿弥陀仏の世界=浄土)に生まれてゆくことは、その浄土が「深広無涯底」であると共にまたその世界にうまれてゆく私たち一人ひとりが又「深広無涯底」になってゆくことを意味しています。そこには浄土を単なる他界思想として見ていた立場から限りなく深い宗教的実存の目覚めがあります。

なお、キリスト教でも「信」は重視されますが、たとえば「我れ不合理なるが故に信ず」と言われたりもしているように、不条理の面が強調されます。しかし仏教では決してそうではありません。

よく引用される仏教における「信」の定義として忍に んこ許、澄浄が挙げられます(倶舎論)。即ち煩悩具足の凡夫には見えなくとも厳然として真理(阿弥陀仏及びその光明)が存在すると全面的にそれを許容し認める(忍許)ことであり、そのことによって心が清浄化(澄浄)せられてゆくことを意味しています。信はサンスクリットではシュラッドハーSraddha と言いますが、これはsrat(真理)とdha (おく)の意味でまさに忍許を意味しています。

徳川時代の最高の学者として、盲目の塙保己一の名が挙げられますが、かって満月の夜に彼の妻が「名月や座頭の妻の泣く夜かな」と詠んだことがあります。満月は天地に満ち満ちて輝き渡っているのに夫にはそれが見えない。しかし事実はそうでないのですから、それを信じる処にやがて事実の世界、すなわち智の世界が開かれていくというのです。なお米国の女性、ヘレン・ケラーも塙保己一を心から尊敬していました。そのようなわけで仏教においては信はおのずと智に連なっているのであります。

弁栄聖者の大谷仙界上人に賜ったお慈悲の便りの中に、「……あなたはそれ(如来が真正面に在すこと)のみをおもうて専らにして、専らなるとき……」 の文において「おもう」は全面的に信の内容そのものの展開であり、そこから「専らにして専らなる」念仏三昧の実践がおのずとなされていくことになるのであります。

信はまさにかかる信として最も重要であり、それ故に法然上人もたとえば「一紙小消息」等において限りなき信の高揚があります。しかしながらかかる信の高揚は又、おのずと三昧の実践となってゆく処に法然上人の深意もあるのですがその三昧をまたどこまでも展開されたのが、弁栄聖者でした。聖者の「念仏七覚支」の世界がまさにそれであります。それに対して、信は信でまた限りなくその内容を展開されたのが聖者の「難思光」の世界においてでありました。聖者は「難思光」に於いて五根五力について説かれていますが、その五の第一に信根信力がおかれているところが大切であります。この五根五力は釈尊ご自身の修行の内容であった(玉城康四郎の説)のですが、それは又、私たち自身の歩むべき道でもあります。信じることによって私たちの心の中に信の根が生じ、それが信力となって私たち人間存在の核を作ってゆくのであります。念仏に於いても信じることは何よりもの第一歩となるものであります。

茶話会

光明園での平常の「念仏と法話の会」としては、7月以来でしたので、参加できなかったことは大変残念でした。茶話会も久しぶりと言うことでみなさんとても和やかに、ゆったりと歓談されたそうです。今月から仏教塾の23期生の方が4名、初めて参加されたそうでした。これからも続けて参加下さることを願っています。

この日の朝、長野の法学寺様(古田幸隆上人のお寺)で光明園に心を馳せながら、「弁栄聖者祥当念仏会」で心ゆくまでお念仏ができました。この幸せに感謝し、もっともっとこの輪を広めなければとの思いを新たにしました。

金田昭教さんと抜井美幸さんの結婚式・披露宴に参加して

田代 直秀

11月28日、11月末としては、珍しく暖かく快晴に恵まれた日曜日に、金田理事長の次男金田昭教さんと抜井美幸さんの結婚式が上野の五台山文殊院源空寺で挙行されました。

午後零時45分に入堂の合図の太鼓が鳴りスタッフに誘導されて本堂に入りました。予め指定された椅子席に座り、正面の須弥壇に拝礼すると、其処には法然上人像が安置されていました。そして阿弥陀如来像は其の後ろに祀られていました。

この事はこのお寺の名前が法然上人の諱である源空である事と関係があり、徳川家康が関東に入国して始めて開基したお寺であり、家康が開祖霊門上人のために法然上人の直弟子、津戸三郎が護持していた像を探し出したという事に由来しています。

司式の月影寺藤井正史上人が式に就いての注意をされ、午後一時壮麗な雅楽が演奏される中新郎新婦媒酌人(源空寺住職角岡隆壽上人御夫妻)が入堂されました。

ついで、道場泗水散華が行われる中、参列者全員で聖歌「聖きみくに」を合唱しました。お寺での結婚式に当にぴったりの雰囲気が醸し出されました。

戒師の増上寺御法主八木季生台下が新郎新婦に相対してお座りになり、仏式による結婚式が厳かに始まりました。

告諭・行華・灌頂・懺悔・指輪交換・誓漿交歓・親族固めの儀と順次とり行われ、次いで新郎新婦が起立して仏前に誓詞の朗読をされました。

式の結びに「正婚の頌」を聖歌「のりのいと」の節で合唱し、午後二時過ぎ式場を後にしました。

仏式の結婚式は始めてという参列者が大方のようでしたが「とても良い結婚式で、こう云う式に参列させてもらい幸せだった」という声があちこちで聞かれました。

披露宴 (浅草ビューホテル)

源空寺から浅草ビューホテルまではゆっくり歩いて15分。途中で今日500メートルに達した東京スカイツリーの全景を見ることが出来ました。

新郎新婦もあのように、立派な新家庭を建設し光明の光を関東に灯してもらいたいと心に願いました。

ホテルの4階「飛翔の間」の入り口で新郎新婦・ご両親にお祝いの挨拶をして、広い会場に入りました。

午後4時15分やや緊張した面持ちの新郎新婦が入場し、司会の進行により媒酌人角岡隆壽上人のあいさつが始まりました。

其の中からお2人の略歴の紹介を致します。

新郎昭教さんは福岡県芦屋町出身で昭和55年3月25日、金田隆栄上人の次男として生まれました。若松高校・大正大学を経て、仏教の道に精進する傍ら、介護士の資格も取られました。

最近は光明主義の伝道者として日本全国を廻り、熱心に布教をされています。今や関東における光明会の若手第一人者であります。

新婦美幸さんは埼玉県三芳町出身で昭和56年10月6日抜井巳次氏の次女として生まれました。淑徳高校・大正大学を経て、埼玉セントラル病院・こぐま保育園に勤務され、趣味は茶道・華道・弓道・仏道と多岐に亘っています。

お二人の出会いは大学時代。学年は違ったのですが、一緒に英語の勉強中に昭教さんの一目ぼれから始まったとうかがっております。

昭教さんとしてはこれから一緒に厳しい仏教修行をするにあたって、相談した方から、「最初に一週間専念する厳しい修行をする事」と忠告され二人で実行したとの事です。大変厳しい修行でしたが美幸さんは見事乗り越えたというお話でした。

最近は常にご一緒にお別時に出席され、熱心に八木季生台下と新郎新婦お念仏をされている姿を拝見しております。

次いで主賓の八木台下が立たれ、昭教さんを若い時代から指導されている立場から、一層の修行と関東での活躍を期待して激励されました。

次いで新婦側主賓のこぐま保育園園長大森賢司様より、「今は神妙な新婦でも、結婚して数年経つと自我が出てきます。其の時、新郎は寛容な心でこたえて下さい」(満場笑い声)。

そして、光明修養会河波定昌上首のご発声で乾杯を致しました。

各人に配られたメニューにそって、美味しそうなご馳走が次々に運ばれました。会場一同談笑しながら、暫し舌づつみを打っていました。

やがて、司会に紹介されて、大巌寺の長谷川匡俊上人がマイクの前に進み、「昔から新郎は良く知っており、お念仏にも熱心で、頑張り屋さんです」。

続いて新郎の恩師である大正大学前教授の金子寛哉上人が立たれ、「新郎の学生時代の卒業論文の内容に就いて話され、成績は大変良かったと褒められました」。

此処でお色直しのため新婦が退場されましたが、一緒に手をつないでいかれたのは仲のよい弟の清貴君でした。

暫くして今度は新郎のお兄さんである恭俊さんと弟さんの隆敬さんが新郎を迎えに来られ金田三兄弟のそろい踏みで、お色直しに行かれました。この間新郎の大学時代の友人宮原良之氏製作による、二人のプロフィルを紹介する大変手の込んだ面白いDVDが上映されました。

やがて、白いドレスをまとった新婦が新郎と腕を組んで全席を巡って卓上のローソクに点灯しお礼のあいさつをされました。皆さんから祝福され、最高に嬉しそうな二人の姿が印象的でした。

そして壇上に上がりジュエルタワーへの点灯が行われました。最初オレンジカラーのタワーがやがてライトグリーンに変わり、幻想的な雰囲気が感じられました。

友人代表として、新郎の大学院時代の友人である松野瑞光上人が立たれ、「昔、ブラジル行きを躊躇していた頃、新郎に相談して、其の時強く後押ししてくれた事が大変良かった」。と感謝されていました。

新婦の大学時代の友人四人が「天道虫のサンバ」を替え歌にした「あっきーと美幸のサンバ」を合唱されました。少し紹介しますと、

あっきーと美幸が、愛し合い
上野の大きな源空寺 結婚式を挙げました
照れてる美幸にあっきーが
西郷像で告白し 二人は付合いだしました

サプライズがおこり、こぐま幼稚園から可愛いDVDの映写がありました。

そして、新郎の妹弟子ジャズシンガー花房尚美さんによる「アメージンググレース」「星に願いを」等三曲の素晴らしい独唱がありました。

やがて、宴会もラストに近づいて参りました。

ご両家のご両親に対して、新婦より感謝の言葉が真心を持って吐露されました。その心情の清らかさに全員深く感動を憶えました。

次いでご両家ご両親に対して新郎新婦より花束の贈呈が行われました。

そしてご両家を代表して、新郎の父親金田隆栄上人より参加者全員に挨拶がありました。

子を思う親心が切々と偲ばれて、感動的でした。
そして最後に新郎・昭教さんが元気良く謝辞を述べられ今日一日の素晴しい慶事の幕が下ろされました。

私の隣席に座っておられた高野山で新郎の念仏の友人である池田和夫様が即席に次の和歌を作っていただいたので紹介します。

称名に 今日もみ親を 慕いつつ
行方は聖き 霊国格れよ

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