光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成23年2月

光明園別時念仏会

◇日時 平成22年12月3日(金)~5日(日)
◇会場 光明園
◇導師 河波定昌上首
◇参加者 3日:15名 4日:26名 5日:24名
◇日程
3日 14時45分開会式、念仏一会(2回)、ご法話(1席)、21時30分就寝
4日 5時起床、5時30分十二光礼拝、念仏一会(4回)、ご法話(3席)、18時夕食・懇親会、21時30分就寝
5日 5時起床、5時30分十二光礼拝、念仏一会(2回)、ご法話(1席)、11時30分閉会式、12時昼食、記念撮影 13時解散

今回で2回目の宿泊別時です。初日はウィークデイであったため、参加者が少なかったのですが、夕刻から参加する人もあり、だんだんと賑やかになってきました。遠方、京都から浅野様ご夫妻が全日程でご参加下さったことはとても嬉しいことでした。また、初参加の方もあり、これからも続けてほしいと思いました。
宿泊者が昨年より少なくなりましたが、宿泊施設が完備したことで、光明園で宿泊別時ができることは何より喜ばしいことでした。

ご法話(概要のみ)

3日のご法話・・・1席目

弁栄聖者の大谷仙界上人への「御慈悲のたより」からお話を導入されました。それは三日間のお念仏にも「祈りの形式」が必要であると言う視点からでした。

「祈りの形式」が必要なことはキリスト教にも同様なことが言えるのである(山上のキリストの「主の祈り」、ニコラススザーヌスの「神を見ることについて」を参照)。

聖者のこのお手紙の中に大乗仏教の確信の全てが含まれているとも言える。

「全てを大ミオヤにおまかせ申し上げて、常に大ミオヤを念じ・・・」は従来からあった「本覚法門」(道元禅師、親鸞上人等)と「始覚法門」(臨済宗、浄土宗鎮西派等)の対立を乗り越えて展開されている。いわゆるヘーゲルの言う止揚とも言える。このことは日本の仏教史上大きな意味をもつものである。

「祈りの形式―その1」

「大ミオヤはいつも離れず、真正面に在すことを信じて祈りなさい」即ち真正面(Frontality)を説いておられる。

我はただ 仏にいつか あふい草
心のつまに かけぬ日ぞなき

まさに不離仏、値遇仏である。「空」を説く教典と言われる『大品般若経』の空はどこからでてくるのか?それは不離仏、値遇仏に帰するのである。
鎮西上人も『徹選択集』の中で不離仏、値遇仏を説いておられる。
弁栄聖者は真正面(どこから見ても背中で無い)を説いておられるのである。
即ち、「仏身円満 無背相十方来者 皆対面」である。

「祈りの形式―その2」

次にお念仏で大切なことは「一点集中」である。即ち点化(Punktualisierung)である。3日間のお念仏の課題は如何に集中するかである(点化については4日に詳述された)この点化の最大の課題は雑念との戦いである。忍徹上人はこれを「故起の妄念」として延べておられる。

「あなたの心は弥陀のお慈悲の麺にうつり(移・写・映)、お慈悲の面はあなたの心にうつり・・・」やがて入我我入の境地になる。そして感応道交する内に「あなたの心は無くなりて・・・」念仏の中に空が開かれて行くのである。

4日のご法話・・・2席目

「お念仏の心構え」として「三心四修」を中心にお話しされました。

◎「三心」とは
①至誠心 ②深心 ③回向発願心である。『観無量寿経』(4世紀)に説かれている。
その二百年前に記された『無量寿経』(2世紀)では ①至心 ②信楽 ③欲生我国 とある。
法然上人は「三心まちまちに分かれたりと言えども、栓をとり、要をとりてこれをいわば深心の一点におさめたり」と延べておられる。
◎「四修」とは、
①恭敬修 ②無余修 ③無間修 ④長時修 である。お別時では「四修」が特に大切である。善導大師においても恭敬修を中心として教えの体系がつくられていった。恭敬修ができれば後は続いて起こってくるものである。恭敬の気持ちはお別時中の眼目である。十二光仏の立ち礼拝もその一つと言える。恭敬は日本文化の根底にあるものとも言える。(例『不動智神妙録』)例えば、唐沢山の一週間の別時を考える時、最初の四日間ほどは雑念に支配される。最後の三日間はいよいよ集中の時である。恭敬修ができると故起の妄念、串習の妄念を克服することができる。そして②無余修(余分なところがなくなり)、③無間修(間が無くなり)、④長時修(長く持続する)ようになるのである。
精神集中のために恭敬修をやる。するとその実践の中で空が実現してくるのである。禅宗の場合、空が実現すると恭敬修が消えていった。空が得られると自分が完成したかに思いがちである。念仏がないからである。
◎「七科三十七道品」について、
弁栄聖者は大正8年に広島での一週間の別時にて「三十七道品」の講義を『小乗涅槃経』で説かれた。三十七道品とは ①四念処 ②四正勤 ③四神足 ④五根 ⑤五力 ⑥七菩薩 ⑦八正道で、この七つの科の各項目の数の合計が三十七となる。
弁栄聖者は「念仏と三十七道品」として念仏で体系化された。中でも五根(①信根 ②精進根 ③念根 ④定根 ⑤慧根)五力は重要である。

※浄土宗とは浄土による救済の完成を説く宗門である。
※善導大師の『往生礼讃』に「到彼華開聞妙法十地願行自然彰」とある。
※「信じる」は「力」となる。子供の頃よりこれを育てる家庭の営みが大切である。
※念根念力が心に根付くと三昧力が増す。念仏をしていると不思議な力が加わってくる。「三昧定力」(真言宗では「法界定力」と言う)である。
※『般舟三昧経』に念仏する中に ①三昧定力 ②威神力 ③本功徳力 の三つの力が加わってくると記されている。

4日のご法話・・・3席目
前日に触れられた「点化」の続きからお話を導入されました。

「点化」の「点」とは、
我々の住む宇宙は今から137±2億年前に直径10のマイナス34乗㎝の点として生まれた。宇宙はこの一点からスタートしたのである。「点化」とは「点」のダイナニズムと言える。
20世紀のドイツの哲学者P・ナトルプは実践哲学に「点化」なる表現をしている。
「点化」は英語で言えば onepointedness of mind 中国語で言えば「心一境性」と言う。
「一点集中」とは宇宙に偏在する阿弥陀様が一点に集中することであり、これが念仏である。これを大乗仏教では「般舟三昧」、玄奘は、『大般若経』では「一相荘厳三昧」と表している。この心境の例として戦時下におけるソロモン群島での荻野圓戒上人の壮絶なる実体験を紹介されました。
大宇宙は小宇宙である。『華厳経』の中にも記されている。芥子粒(一粒の中に無限がある)は瞬間である。これを時間軸でいえば「一瞬は永遠である」(キルケゴール)。まさに念劫融即である。
4日のご法話・・・4席目

今回は「縁起の理法」についてお話下さいました。
お念仏をすると仏様になっていく。『観無量寿経』に「心想仏時 是心作仏 是心是仏」とある。
思惟(念)とは何か?の答えとして「心に仏を想うとき、この心仏となる」が挙げられる。縁起の理法を説明するため、藤井実応上人のエピソードwp紹介された。

藤井上人が洛北の寒さの中での念仏中に、あまりの寒さに耐えがたく、「暖」を想い続けた。すると全身が暖かく感じるようになったと言う話である。「陀仏を念じて自仏をつくる」である。

西田幾太郎は『場所的論理と宗教的世界観』でこれに言及し、その内容は難物している時の「縁起の理法」そのものである。田辺元がこれに反論しているのは西洋哲学の視点のみで捉え、「縁起の理法」を理解していなかったからである。

シェリングは「紙と人間は同一だ」と述べている。しかし、阿弥陀様の前では所詮、凡夫であることの自覚は必要であり、一方具わった仏性の大切さの認識も必要である。要は中道でなければならない。弁栄聖者は仏性を霊性で捉えられている。仏性は感光板のようなものである。念仏していて暖かく感じるのは感光板が働いているからである。即ち仏性が育っているのである。

ヘーゲルは超越をその現象学で説明した。しかし神が内在化してしまったのである。弁栄聖者は現象学のみにとらわれることなく、それも取り入れながら光明主義を説かれたのである。そこに光明主義の深さがあり、聖者自身の偉大さが伺えるのである。

5日のご法話・・・5席目

最後のご法話は浄土宗のよりどころについてお話し下さいました。
よりどころは「三経一論」である。その一論である『往生論』を中心にお話を展開されました。
世親菩薩(BC3~4)は小乗仏教徒であったが、兄、無著の影響を受けて大乗仏教に転じ、やがて『往生論』を書く。
「世尊よ、我一心に尽十方無礙光如来に帰依し奉る」……
「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無礙光」の後半部分は浄土は「大円鏡智」の世界であることを意味している。

世親菩薩の研究の第一人者である大谷大学の山口益氏はその試偈(試しに解釈する)で、これからは浄土の世界は曼陀羅で説明するのでなく、四大智慧で説く必要があると述べている。

大円鏡智とは無限円のことである。無限円とは何か?無限円においてはいたるところが中心である。ニコラウス・クザーヌスも、そして西田幾多郎も既にこれ言及している。無限円の思想は如何にして生まれてきたのか?それは「円」の思想を持つギリシャ文化と「空」の思想を持つインド文化がアレキサンドリヤで合体して生まれたのである。インド洋と言う大洋の存在が大きく影響したのである。インドとアフリカ大陸の間に吹く貿易風はやがて人々に航海を可能にした。この航海中の広大な空と海のみの海洋経験が「海印三昧」を生み出し、これが後に大円鏡智の思想を生み出すに至ったのである。

四大智慧が初めて出てくるのは『仏地経』である。四大智慧は法相唯識の学問の中に含まれる。唯識教学の立場は転識得智である(『成唯識論』)。

弁栄聖者は四大智慧を中心として哲学を考えられたのである。お浄土には中心がない。即ち、いたるところが中心である。

「浄土の荘厳」については『無量寿経』の中で詳しく述べられている。その内容を聖歌「聖きみくに」の中に展開している(依法荘厳、正報荘厳、菩薩荘厳)。

「威曜朗十方」は空の世界の展開であり、「世間帝王有百千音楽」は天上の音楽のすばらしさを表している。

最後にこれからの日々、霊養に勤めることの大切さと共に教養、栄養の三つのバランスよく精進して欲しいと結ばれました。

別時雑感

河波上首は5回に亘ってご法話下さいました。特に中日には3回と大変お疲れになったことと思います。非常に高次な内容のお話はどこでも聞けるものではありません。全神経を集中して拝聴したつもりでも、自分の勉強不足とお念仏不足を痛感させられました。良い刺激を頂きましたので、来年こそはと決意を新たにしました。

みなさんは非常に熱心にお念仏されておりました。近隣への配慮からなるべく木魚は小さめに打つようにとのことでしたが、いつしかボリュームもアップし、まさに念仏三昧を極めておられました。年に一度はやはり落ち着いた環境で、仲間と共にお念仏をすることの意義を感じました。初めて参加された方もそのような感想を述べておられました。

休憩時間に茶菓を頂きながらする歓談も、人の輪を広げ、意思疎通する上で大切と思いました。勿論、無言別時が理想ですが……
お別時期間中に一昨年亡くなられた和歌山の北野智銘氏の奥様がみかんをお送り下さいました。また四国から河波上首に送られてきたと言う大州町の名菓もみんなでおいしく頂きました。この方のお父さんが戦地のトラック島で詠まれたという歌を、ご法話の時に紹介されました。いろんな方々の思いや、思いやりに感謝するばかりでした。

◇日 時:平成22年12月12日(日)
◇会 場:光明園
◇参加者:28名

今月は既に3日に及ぶ別時があり、年末でもあるので参加者は少ないだろうと思っていましたが、午後になるといつものような参加人数となりました。

この日、12月12日はちょうど田中木叉上人の祥月命日でした。少しお念仏をしてから、聖歌「如来讃」を歌いました。それからご法話となりました。

ご法話

今回のご法話は木叉上人のご命日ということで「木叉上人を語る」と言うテーマでお話し下さいました。
木叉上人は1884年(明治17年)誕生され、1974年(昭和49年)に90才でお浄土に還られました。出身地は五島列島で、そのせいかこよなく海を愛されました。
福岡の教校から一高、東大へと進学され、東京大学を首席で卒業されました。専攻は英文学と哲学でした。その後、慶応大学で教鞭をとられた。

本名は田中徹(とおる)、この徹は「とまる」とも読めると言うことから、やがて自ら木叉と改名された。サンスクリットのmoksa(突破する)から「生死を突破する」と言う願を込めて木叉とされたと言う。

昭和29年か30年の奈良のお別時で「念仏の功徳」についてお話をされた。
その時、「月かげの歌」に触れ、「ながむる人の心にぞすむ」の「すむ」は「働くと解釈しなさい」と言われた。それを仏教では威神力と言う。
念仏していると不思議な三つの力が加わってくる。「三力加被」である。その一つが「威神力」、二つが「三昧定力」(法界定力とも言う)。観音様の絵を描いていると知らぬ間に自分以外の力で描かれていくことがある。三つが「本功徳力」である。まさに、「念仏にいさみのある人は無量の宝を得る人なり」である。(一部省略)
「念々弥陀の恩寵に育まれ、声々大悲の霊養を被る」。弁栄上人の影響を受けて田中木叉上人も大きく変化していかれたのである。最後に海を愛した上人の歌を紹介されました。

身は水のあわ きゆるとも キララ夜あけの
海キララ くらければこそ 気がつかぬ
とわにかがやく 大海原

聖歌斉唱

ご法話の後に木叉上人を偲びつつ「心田田植歌」を歌いました。

茶話会

ご法話が早く終わりましたので、その分ゆっくりと歓談しました。横浜の笹本上人から河波上首へ送られてきたと言う京都の名菓をみんなで賞味させて頂きました。紅白の可愛い松露はお正月を言祝ぐようで、その舌触りは絶妙でした。
障子が茜色に染まる頃、それぞれに越年の挨拶をかわし、夕闇せまる師走の街へと急ぎました。

淑徳大学公開講座

◇日 時:平成22年12月18日(土)
◇会 場:淑徳大学池袋キャンパス
◇講 師:河波定昌上首
◇講 題:「日本的霊性―雪月花の奥底にはたらくもの」
◇参加者:30数名

会場はJR池袋駅から近いビルにあり、交通の便に恵まれたところでした。前回も一度来たことがあり、こじんまりとして、とても落ち着いた雰囲気の会場でした。

当日河波上首はA3一枚のレジュメを配布して、それに基づきながらお話を展開されました。その一部として、
『日本的霊性』(鈴木大拙)の登場(1944年)、それは近代理性中心主義に対する根本的な転換を意味する。
しかしながらそれに先行する山崎弁栄聖者の豊かな展開があった。そのことにより霊性の立場から新しい日本精神史の展望が開ける。従来は唯物史観や理性主義からの視点が中心であった。しかし、ここにいわゆる日本的霊性史の展望が開けていく。ただ、鈴木は日本的霊性の成立を鎌倉仏教にみていた。しかしながらそれは、一万年も続いた縄文時代から始まっていた。そしてそれは弥生文化、そして大乗仏教の受容を通して限りなく深められていった。そして鎌倉仏教もその顕著なり一契機となるのである。ところで一万年以上も続いた縄文文化はまさに日本の霊性文化の基調をなす。それへのアプローチには、①風土的思考、②祭祀(遺跡)への思索、③霊性的言語からの考究……

河波上首は特に言葉に関していくつか例示しながら詳しくお話しされました。また、縄文文化は月が中心であり、月が人間形成に深くかかわったと述べられました。

そして、出発点はよかったが近代に入り理性による人間形成が崩壊した。ここに新しい人間形成が求められるのである。その一つとして「品格」について栗田朝臣真人や豊臣秀長のエピソードを入れながらお話しされました。

最後に、縄文文化は我々の魂のふるさとであり、霊性の薄れた今、再びふるさとにたち帰って考えてみる必要がある。霊性は我々にとって大地であり、これがなければ何も育たない。霊性は雪月花となって我々に働きかけている。雪月花を通して感応道交するのである。さらに、「念仏は人間形成の核をなす」と結ばれました。

今回の参加者の中に遠来の方が数名おられ大変驚きました。遠方九州・長崎から辻本光信上人が、山陰・島根から江角弘道教授が、近畿・神戸から佐橋快雄上人が、いずれもわざわざこの講演を聴くためにこられたようでした。辻本上人はその日の内に飛行機でとんぼ返り、その熱意にすっかり感心し、怠け心を刺激されました。非常に感激し、心より感謝致しました。遠路まことにありがとうございました。

その後、懇親会がありました。参加された田代直秀支部長によりますと、とても和やかな雰囲気でいろんなお話をされたそうでした。

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