光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成23年3月

念仏と法話の会

植西武子

◇日時:平成23年1月16日(日)
◇会場:光明園
◇導師:河波定昌上首
◇参加者:28名

冬晴れの好天気に恵まれ、11時すぎに光明園に着きました。皆さん非常に熱心にお念仏の最中でした。
お念仏の後、聖歌「如来讃」を歌ってご法話を拝聴しました。

ご法話

今月は「祈りの原型」というテーマでご講話下さいました。
「祈り」と言えばキリスト教と思われがちですが、キリスト教、神道、仏教いずれも同じ神を祈っているのである。

現在使っている礼拝儀は弁栄聖者によって9回の改訂を経て産み出されたものであるが、6回までの礼拝儀には、「祈祷」なる言葉が用いられていた。7回からは「祈祷」という表現は消えている。聖者は更に「ハレルヤ」なる表現をも用いられたりもしている。

キリスト今日の新約聖書の「マタイ伝」「ルカ伝」は祈りの方法について説いている。その中に「主の祈り」が説かれている。弁栄聖者の『礼拝儀』の「晨朝の礼拝」はまさに、「主の祈り」と重なるものである。「天に在す我らが父よ」と礼拝儀の「いと尊き唯一の如来よ」の「父」と「如来」は全く同じものであり、「・・・よ」なる呼びかけの形式は今までの仏教にはない表現である。まさにルカ、マタイ伝の言葉と一体化していると言える。また、マタイ伝の「キリストの変容」(TheTransfigulation)は弁栄聖者の「光化の心相」と相応する。如来の光明に触れることによって、五感が研ぎ澄まされ、清々しい心となり、喜びに溢れ、無明が晴れて、心が霊化される。そして理想的な人間像へと変化し、「空」が表現されていくのである。十二光で言うならば、「清浄光」「歓喜光」「智慧光」「不断光」の境地である。『無量寿経』の「諸根悦豫 姿色清浄 光顔巍巍」はまさにこのことであり、『礼拝儀』では「威神光明最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能はざる所なり」であり、「釈迦の祈りの原型」である。その祈りの内容は「去来現仏 仏々相念(私と仏が相い念じる)」である。

また、『宝積経』(菩提流支訳)には「世尊は今、大寂定に入り、如来の行を行じ思惟し給える」とある。この「思惟」とは何か、その答えを求めることが大切である。仏教では「思惟:とは「考えるもの」と「考えたもの」、即ち、主観と客観との分裂を超えて行くことである。「考えるもの」と「考えたもの」、西洋ではこれを別々に考えていたが、それを超えて行ったところに固定したものは無いが、思うことによって思うようになって行くのである。「是心是仏」はまさにこのことを意味している。

『観無量寿経』の重要な点は「思惟とは何か」、その答えを説いていることである。「心想仏時 是心作仏 是心是仏」である。
西洋の近代は感性を殺し、カントの言う悟性や感覚も殺されていったのである。
仏教ではこの感覚を「触」と言う。「触光柔軟」は五感全体が働くことを意味し、それによってあらゆる対立が消えていくのである。
念仏により阿弥陀様と言う無限の宇宙に包まれて個が消えて行くのである。そして又その中から絶対の個が成立していくのである。

西田幾多郎は「無限円」なる思想を述べている。「無限円」とは至る所が中心である。すると対立のない世界が展開される。「無限円」とは何か?即ち「浄土」である。

河波上首は「弁栄聖者の礼拝儀はキリスト教でも仏教でもあり、更にはそれらを統合し、一体化したものである。これからの光明主義は浄土宗の「三経一論」の枠のとらわれず、広い視野から説いていくことが必要である」と結ばれました。

茶話会

お話の後、分担して後片付けを済まし、茶菓を頂きながら歓談しました。

今回は小学生の男の子を二人伴ってファミリーで参加されている方がありました。以前から時々お見えになり、奥様はオルガンを弾いて下さったこともありました。子供さんも大きくなられたので昨年末より続けて参加されるようになり、子供さん達もしっかりお念仏されました。「ひかり」誌の中の写仏のページを参考に描いたという仏画を見せてもらいました。子供が仏様の絵を描くことはとても素晴らしい事であり、「ひかり」誌のあのページはとても良いアイデアだと思いました。

このご夫婦は所沢に念仏道場を開かれました。田代支部長にお誘いがありましたので、2月に数名でお訪ねする予定です。念仏道場の誕生はとても嬉しいことです。

雑感

このご主人はある神社の神宮をなさっております。河波上人のお話で入信されたそうです。今月のご法話の内容を実証するかのようなご縁です。弁栄聖者のご伝記に参加者の中に邪蘇教の牧師の姿もあった旨、記されていることと重なってご法話の内容の深さを再認識しました。

今や、あらゆる分野でグローバル化が進んでいます。宗教も早晩、その道を辿ることになると思います。約1世紀前にそれを踏まえた礼拝儀を編纂された弁栄聖者の慧眼にただひれ伏す思いでした。

河波諦様(常念院諦誉明遍大姉)を偲ぶ会

◇日時:平成23年1月23日(日)
◇会場:光明園
◇導師:河波定昌上首
◇参加者:40名

偲ぶ会

受付を済ませた方から着座してお念仏が始まりました。(約30分)
会は下記の次第に基づいて進行されました。
11:00~11:25 開会挨拶・聖歌合唱(聖きみくに)
11:25~11:35 礼拝儀(晨朝の礼拝)
11:35~12:00 念仏三昧(この間に焼香)
12:00~12:05 聖歌合唱(心田田植歌)・・・光のくらし
12:05~12:15 導師の挨拶・お話
12:15~12:25 ご回向(至心に回向す 常念院諦誉明遍大姉回向)
12:25~12:30 聖歌合唱(のりのいと)

お話

河波上首は最初に参加者にお礼の言葉を述べられた後、生前の奥様についてお話されました。

まず、今を遡る800年前の丁度この日、1月23日は法然上人が「一枚起請文」をお書きになった日だそうです。その日が奥様のご命日であることにご縁の深さを有り難く感じると述べられました。奥様はとてもよくお念仏されました。お念仏を重ねると無意識に口から称名があふれ出ます。奥様は以前、入院中の真夜中に大きな声で「南無阿弥陀仏」と言われて同室の方が驚かれたというエピソードを紹介されました。夢の中で何度も如来様にお会いになっていたそうです。
無意識にお念仏が相続できるようになるまで修行に励むようにとお話し下さいました。
また、お念仏と意識との関係を深層心理学や精神科学の面からアプローチすることも今後の課題の一つだと付言されました。

会食・歓談

ご法事の後、隣室で皆そろってお食事を頂きながら歓談しました。卓上にはお弁当、果物、お菓子等が準備されていました。佐藤蓮洋様が全てをご準備下さいました。そのご労苦に感謝するばかりでした。

和やかな雰囲気の中であちこちで会話の花が咲いていました。お弁当の匂いに誘われてか亡き奥様の愛猫「きたの」が皆の周りを歩きまわっていました。大変驚いたことに、ご回向が始まると大きな声で鳴きながら階下から駆け上がって来て、ご回向中おとなしくじっと座っていました。そのタイミングと言い、様子から奥様のお気持ちが伝わってきました。確かにここにおられるように感じました。

穏やかな天候に恵まれ、温かい雰囲気の中で、奥様を偲びつつ時は流れていきました。奥様のお人柄にふさわしい集いでした。

合掌

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