一行三昧の会
炭谷昌彦
◇日時:平成23年3月6日(日)
◇会場:光明園
◇講師:谷 慈義師
◇参加者:10名
午前中はお念仏、如来光明礼拝儀を称え、聖歌を唱いました。午後はお念仏と、谷師から「『跡見花蹊日記』にみる念仏三昧について」というテーマでお話がありました。
ご法話の内容
跡見花蹊は、天保11年(1840)に生まれ、大正15年(1926)、八十七歳で亡くなりました。花蹊は、十余歳にして画を石垣東山に学び、のち槇野楚山に学びました。十六歳の秋、京都に出て頼山陽の門下生、宮原節庵について、漢学、詩文、書法を学びました。円山応立、中島来章に円山派の画を学んだほか、日根対山に南画を学びました。
明治8年(1875)、神田中猿楽町に「跡見学校」を開学しました。東京における最初の私立女子学校でした。花蹊の教育理念は、今日の跡見中学校、高等学校、女子大学短期大学部、女子大学、大学院へと具現化され、拡充発展してきました。
花蹊は、浄土宗の五重相伝を受けた後、大正11年(1922)、光明会の竹内夫妻のご紹介により、笹本戒浄和尚の御対顔を得られました。
同年、田中木叉上人をお招きし、仏教の講演を願いました。お二人の上人のご指導により、大正11年は、連日お念仏に徹底していきました。朝1時半からの日もあれば、2時からの日、3時からの日、4時からの日、など早朝に集中し、お念仏の回数も毎日三千回の日、五千回の日、1時間の日、1時間半の日などの記述があります。日記によれば、大正11年8月6日に1回目の見仏をしたとあります。同7日に2回目の見仏、同11日に3回目の見仏、同15日に4回目の見仏、12月1日に6回目の見仏など見仏の宗教体験の記述が大正11年に集中しています。6回目の見仏の朝方の夢に「御霊感あり」と記されております。
大正13年からは、「朝の勤行」の記述がなく、写経の記述があります。7月写経4回、8月写経23回、9月写経24回、10月26回、11月30回、12月26回と続きます。
大正14年は1月に写経が14回ありますが、2月以降翌年亡くなるまで、念仏、写経に関する記述はありませんでした。
跡見花蹊の念仏は、智具の念仏(学問により「念のこころ」を悟る念仏)ではなく、行具の念仏(ひたすらする念仏)であり、教育者としての、人格形成の念仏、心の浄化の念仏のようでした。当に知るべし。
なお跡見花蹊直筆の『如来光明礼拝儀』が発見されました。写経に必要な方は谷慈義氏にご相談ください。
念仏と法話の会
植西武子
◇日時:平成23年3月27日(日)
◇会場:光明園
◇導師:河波定昌上首
◇参加者:28名
今月は「東日本大震災」から日が浅く、その影響か参加者数はいつもより少なかったです。
午前中は念仏と聖歌、団欒しながら昼食をとって、午後1時間のお念仏の後、ご法話を拝聴しました。
ご法話
今月は「世界宗教について」のテーマでお話し下さいました。
まず最初に「法然上人の教えと現在の『浄土宗』との間にずれがある」とお話を導入されました。
二祖(善導・法然)の説かれた教えは「世界宗教」であったが、三代(聖光、良忠)の頃になって、各宗派の特徴が求められたせいか矮小化され、現在に至っている。しかし、本来の浄土宗は「世界宗教」であるべきである。『十四行偈』にある「今乗二尊教 広開浄土門」(今、二尊の教えに乗じて、広く浄土の門をひらく)の「広く」は普遍宗教、世界宗教の重要な点である。
次に「世界宗教(world religion)とは何か」の定義づけをされました。
「世界宗教」とはまず、世界に遍通するもので、真の普遍主義に徹したものでなければならない。宗教は①世界宗教 ②民族宗教 ③個の宗教の三つが如何に関係するかが重要な点となる。宗教の根底は個から始まる。「道属時衆等 各発無上心」の「各」は「個」そのものを意味している。
その個が属する地域や文化圏によって民族宗教が生まれる。しかし単なる民族宗教で終始してはならない。
河波上人はこの関係を別の表現でA.B.E.の関係として説明されました。即ち、AとはAllgemeine(一般的な、普遍的なを意味する)、BとはBesondere(民族的)、EとはEinzelne(Einはoneを意味し、個のことである)。このA.B.E.が如何に関係するか、最終的にはフランスの哲学者、Henri Bergsonの言う「開かれた宗教」であることが「世界宗教」たる所以である。
また、河波上人は善導大師の説かれた仏教が「世界宗教」である理由として、時代的、地理的な背景をお話しくださいました。善導大師が生きた唐の時代の長安は東西の交流が盛んで、中央アジア・インド・ペルシャ・ローマへと通じていた。また、当時の長安では景教(ネストリウスの起こしたキリスト教の一派)が盛んであった。このような広がりの中で善導大師は仏教を説かれたのである。『観光無量寿経』を訳した橿良耶舎、『阿弥陀経』を訳した鳩摩羅什、それに『無量寿経』を訳した康僧鎧、即ち、『浄土三部経』の訳者たちは全て中央アジアの出身者である。この点からも中央アジアの仏教を研究することの必要性も考えられる。
九州大学印度哲学科では「中央アジア仏教史」が開講されたこともあった。 善導大師の教えを受け継いだ法然上人の説かれた仏教も「開かれた宗教」であった。法然上人は「八宗、九宗すべて我が宗に収めたり「(東大寺十問答)と説かれたように、宗派宗教に止まってはいなかったのである。更に、法然上人は66才の時に『選択集』を記し、「一切衆生 平等往生」を説かれた。「南無阿弥陀仏は一切を乗り越えて平等である」と平等について言及されている。現代では更に新しい平等が生じている。例えば男女の平等、国家間の平等、宗教の平等、などである。念仏の前では仏教もキリスト教も無く、それらも平等なのである(弁栄聖者の立場)。
その平等は如何にして成り立つか?それは「あなたの心は無くなりて」の時に成立するのである。
『華厳経』の中に「平等」なる語が無数に出てくる。その一例として「平等」は「無性なるが故に」とある。『無量寿経』の中の「開心悦体」、『華厳経』の「虚空法界」とは開かれた世界のことである。
河波上人は最後に開かれた宗教では個が輝き出してくる。普遍宗教では宗教集団が開かれたものでなければならない。「世界宗教」とは別の表現をすれば「開かれた宗教」である。光明主義も浄土宗の中の一派でなく、広く開かれた世界宗教でなければならない。と結ばれました。
お念仏
今月のお念仏会には特別な思いをもって参加しました。それは言うまでもなく「東日本大震災」からまだ日も浅く、日々に報じられる凄まじい状況を新聞、テレビ等で見聞するにつけ、何とも言えない気持ちになりました。義捐金や物資の援助は言うまでもなく、せめてこの日は亡くなられた方々に心からのお祈りをしようと思いました。特に行方不明になっている方々は充分なお念仏を聞くこともなく、さぞ悲しい無念な思いでおられることと思います。一心にお念仏をしていると、耳を劈くような叫びがあちこちから聞こえてきたように感じました。いつもより参加人数が少なかったにも拘わらず、木魚の音とお念仏の声が大きく響いていたのも、皆さん同じ思いでお念仏されていたものと思いました。
ここに改めて、亡くなられた方々のご冥福を皆様と共にお祈りしたいと思います。
合掌
茶話会
今月も新しく2名の男性の方が参加しておられました。河波上人のお知り合いで親子でも参加と聞きました。横浜の笹本心華上人から河波上人に贈られてきた京都の名菓をみんなにお裾分け下さいました。紅白の可愛い松露は小皿に懐紙を敷いて一つづつに準備されていました。佐藤蓮洋さんのお心遣いに感謝して、みんなで頂きました。
ゆっくりと歓談して散会しました。外の暖かい日差しに春の気配が感じられました。