平成23年度(第35回)大巌寺別時報告
植西 武子
◇日 時:平成23年9月16日(金)~18日(日)
◇会 場:檀林 龍澤山 大巌寺 (千葉市中央区大巌寺町180)
◇導 師:河波 定昌 上首
◇参加者:63名(寺関係者5名、幼稚園教諭11名、保育園16名、一般参加者31名)
(光明園9月例会は本別時に合流参加となっています)
今年の猛暑は9月に入っても衰えることなく、お別時として過去最高の暑さと言っても過言ではない厳しいものでした。法衣を纏っておられるお上人方はさぞや暑かろうと思いました。「汗だく」も修養の一つとして参加の皆様方は頑張っておられました。
ご法話
16日の夕刻より参加しましたので、この日の午前、午後のご法話は残念ながら拝聴の機会を失しました。参加者の方に伺いますと、午前のご法話では「法然上人の生涯」について、そして又「禅と空」についてお話しされたようでした。
午後は「光明主義の特徴」として①土着性、②現象学、③禅宗と浄土宗との統合、という視点からお話しされたようでした。
17日以降の4回分のご法話については概要のみ記します。(文責 植西)
(1)河波上首は過日、千葉県柏市で行われた『山崎弁栄シンポジウム』とそれに併設されていた『展示会』での感想からお話を導入し、展開されました。
その一は、柏市に来て、弁栄聖者の「土着性」と言うか、「大地性」を強く実感した。
聖者は農地を耕作する中で念仏の修行を深めらて行かれた。そして念仏によって信仰が深まっていく過程を植物の成長に喩えられた。例えば五根五力の修行によって七覚支の花が咲く。
田中木叉上人も然り。
青い稲葉はその中に
白いお米のみのるため
死ぬるからだはその中に
死なぬいいのちのそだつため
ハイデッガーも一九五〇年頃、南ドイツの故郷で講演をし、その中で「大地に根ざし、大空に花開く」植物に喩えている。
その二は、聖像(イコン=ギリシャ教会でまつるキリスト等の像)についてでした。河波上首は弁栄聖者の展示のすぐ側にキリストのイコンが展示されているのに気づかれて、弁栄聖者の三昧佛とイコンの関係に深く感じられたと言う。
弁栄聖者は多くの三昧佛を描かれ、それによって布教の一つとされた。しかしこの「像」については各宗教、宗派によって考えが異なっている。
例えば仏教でも浄土宗はこれを是としているが、禅宗、特に臨済宗ではこれを否としている。(殺仏殺祖)
キリスト教も宗派間でその考えにくいちがいがあり、それに関する論争もあった。ニコラウス・クザーヌスは祈りの方法を説く中で、その著『神を見ることについて』で「どこを見ても神の顔がある」と述べている。
イスラム教ではこれを強く否定している。
河波上首はその当時から鷲野谷にキリスト教(特に東方教会)の影響が及んでいたと考えられると話されました。
その三は、弁栄聖者の教えの核心にギリシャ正教の影響が大きいことについてお話がありました。東方教会では「神化」(Transfiguration)と言う言葉がよく用いられている。「神化」(Transfiguration)のTransは「超越」、又は「変容」を意味し、figurationは「形づけ」又は「形成」を意味する。 この「神化」こそ、弁栄聖者のアイデアの一つの核となっている。「霊化」「摂化」「光化」等はそれを物語っている。
更にギリシャ正教の特色として「エネルゲイヤ」(力)も聖者に大きな影響を与えている。例え「三力加被」(①三昧力②本功徳力③仏威神力)がそれである。
このエネルゲイヤ(力)は法然上人の「万徳」に相当し、弁栄聖者では「光」と表現されている。
要約すればギリシャ正教の影響は①姿を通して働き、②力となって働いているのである。『無量寿経』には「神力」とある。
(2)次に如何にして念仏に集中できるかについてもお話しされました。その導入として「点化」と言う言葉を紹介されました。河波上首は「皆さんは昨日より点化の実践をやっているとも言えるとおっしゃいました。
その「点化」とは?……
「点化」と言う表現は山本空外上人がその著『念仏の哲学』の中でドイツ語から訳して用いられた表現である。要は如来様一点に集中していくことである。その結果、「あなたの心は無くなりて、ただお慈悲の如来様ばかりとなり候」となる。
ドイツの哲学者ナトルプはその著『実践哲学』の中で The Vanishing Point と表現し、一点集中していると自分が無くなり、「空」となっていくと述べている。まさに法然上人の御道詠、
阿弥陀仏と 心は西に うつせみの
もぬけ果てたる 声ぞ涼しき
に通じるものである。
これらは「空の現象」と言える。「空」が開らけてくるとと「虚空」が現象する。念仏とはターミナル(終着点)が無くなっていくことである。死ぬ前に浄土が現前してくることが必要である。(臨終来迎)
これは又、『勝鬘経』にある「哀愍覆護我 令法種増長 此世及後生 願仏常摂受」の中の「法種」を中心として展開されているのである。この「法種」は善導大師の『六時礼讃』に六回も出てくことからもその重要さが推測される。
この「法種」は阿弥陀様の命の出現であり、永遠の命に繋がって行くものである。弁栄聖者の仏性論はこの「法種」を核としているのである。
これは「点化」につながるものである。「点化」とは自分の中に阿弥陀様の光が入り、それのよって「法種」が開花し、真実の自己が形成されて行くのである。
河波上首は「死後の世のみならず、生きている間も、引き続き阿弥陀様の光の中に包まれてくることが大切である」と結ばれました。
(3)念仏する時、一点集中に加えて、仏様のお姿を思うことも大切である。
念仏する時の心構えとして、「七覚支」の内容が非常に重要である。
『般舟三昧経』(Prati ut panna)の Prati は「相対して」、「現前する~」を意味する。仏様が現前に在すことを信じて念仏することが大切である。
善導大師も「仏身円満にして無背の相あり、十方より来たる者皆悉く対面す」と説いておられる。これを要約すると「不離仏」「値遇仏」となる。
ニコラウス・クザーヌスも『神を見ることについて』で同様なことを述べている。更に、バイエルン修道院の修道女が祈りの方法についてクザーヌスに質問したところ手紙で返答があった。その手紙を訳すると殆ど『般舟三昧経』の内容と同じであったと言われている。
弁栄聖者は更に現象学的に説かれた。聖者は最初、『阿弥陀経』で説いておられたが、「如来光明歎徳章」で説くべきと考え『無量寿経』で説かれるようになった。
「爾時世尊 諸根悦予 姿色清浄 光顔巍巍……」。これはお釈迦様の上に阿弥陀様が現象しているのである。「去来現仏 仏仏相念」のことである。『無量寿経』の特徴は釈迦の上に阿弥陀様が現象していることである。換言すれば「如来様のみ栄えをあらわすこと」がその核心となっているのである。
(4)浄土を描いた曼荼羅からお話を導入し、「四大智慧」と「日本的霊性」についてお話しされました。
或る浄土真宗の僧が「死んでから浄土に行きたくない」と言った。理由は阿弥陀仏を中心に描かれた曼荼羅は阿弥陀仏と衆生が主奴関係にあるとうで好ましくないと言う意見である。
我と言うは 絶対無限の 大我なり
無量光寿の 如来なりけり
(弁栄聖者)
山口益氏は浄土を四大智慧で説明した。「無辺光」で四大智慧を深めるべきである。
浄土に行くと虚空が開ける。空が開けると、「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」の境地となる。即ち、「無限円」、「大円鏡智」である。次の歌も大円鏡智を詠んでいる。
阿弥陀仏と 思う心の 増鏡
限り無きまで 照りわたりけり
(弁栄栄者)
平等性智では主客の対立がなくなる。妙観察智は感応道交する智慧のことである。
最後に日本的霊性について話されました。鈴木大拙師が初めて日本的霊性について説いたことは評価するが、それが鎌倉時代に終止している。日本的霊性はそのずっと以前の縄文時代から既に人々の心に根づいていた。特に信州には縄文時代の霊性が宿っていることが感じられる。
考古学は土器等の発掘やその研究のみに没頭し、知性、理性的な探求に終わっている。日本文化史的視点が欠けているのは残念である。
山、森、水等の大自然の中で育まれた日本文化に仏教、そして念仏が重なり発展していくことが望まれる。
大巌寺 寸描
- その① 大巌寺本堂・書院が国の登録有形文化財に登録される。……
- 関東十八檀林の一つである大巌寺様はその立派な山門を潜り、境内に入るやその雰囲気に圧倒されます。それは良く整備された庭園や伝統ある建造物によるところも大きいですが、何と言ってもその土地が持つ目に見えない受け継がれてきた伝統の力です。今回指定されたのは「関東十八檀林の中で、現在まで江戸時代の檀林遺構を残す数少ない寺院の一つ」と言う理由からだそうです。今日までしっかりと保持してこられたご尽力に頭を垂れたい思いです。おめでとうございます。このようなすばらしい環境で修行させていただける幸せに感謝の気持ちで一杯でした。
- その②「学問の碑」に弁栄聖者のお言葉が。
- 確か平成18年の頃にお庭を整備され、最初の学問の碑が一基設置されておりました。その碑には著名な方のお言葉が記されています。その碑は毎年一基ずつ追加されていくことになっているそうです。今回は聖者の碑が加わりました。その碑には次のような文が刻まれておりました。
如来光明主義は、客体の如来を必ずしも遠き 彼岸に置かず、十方法界ことごとく活ける如 来の大心光明中である。・・・
人の天然、すなわち生まれたままの意識はも とより劣等なり、無明なり、罪悪なり。心光 獲得して始めて霊格となる。光明中の人と更 正す。更正即ち往生なり。精神の更正である。
山崎 弁栄 - その③ 毎年変わらぬ自然のいとなみに癒やされて。
- 今年も裏庭の奧にピンクの芙蓉の花が咲き、手前には赤いサルビアが初秋の訪れを告げていました。彼岸花は猛暑のためか例年より少し遅れているようでした。
休憩時間に廊下に座して眺めていると、心は安らぎ、清められます。大自然の中に生かされていることを実感し、大自然のいとなみを司る Something Great に思わず手を合わせました。
別時感想
唐沢山の疲れが癒える間もない時期で河波上首はさぞお疲れと案じましたが、お元気で、充実したご法話でご指導下さいました。お別時前後のハード・スケジュールは超人的なものでした。お疲れが出ないようにと祈るばかりでした。心より感謝し、お礼申しあげます。ありがとうございました。
夜に床に入り有形文化財に登録された書院の天井を見上げて、江戸時代の空気に触れていたであろう立派な梁に合掌し、この梁の下で仏道修行に励んでおられた学僧諸氏に心を馳せながら夢路につきました。とても贅沢な経験でした。
あらゆる面でご配慮の行き届いた環境でお念仏の機会を与えて下さいました大巌寺様に衷心感謝申し上げます。長谷川匡俊上人を筆頭にご家族挙げて暖かいく、ご接待頂きました。この伝統あるお別時に全国から参加されますことを祈念しております。
一行三昧の会
佐藤蓮洋
◇日時:平成23年10月2日(日)
◇会場:光明園
◇講師:内野廣行氏
◇参加者:17名
午前中はお念仏、如来光明礼拝儀を称え、聖歌を唱い、午後は、お念仏と内野氏は、法然上人の時代背景を知ることで、「お念仏」の発生と進化を理解して、現在・将来に備えたいというお気持ちがあるとのことでした。
内野さんのご法話は、「法然上人の時代を京都周辺の地形・風土から眺めることも重要です。次に、歴史です。当時は、保元・平治の乱、大火・大風・大地震・大飢饉と続き、精神的には末法時代であった。法然上人と同時代の『方丈記』の作者、鴨長明(僧名は蓮胤)は方丈(四畳半)という組立式住居に阿弥陀仏と普賢菩薩の絵像を掛け、その前に法華経を置き、『往生要集』の抄本も持参し、日々念仏していた。蓮胤の念仏は現世での成仏を願う方便の念仏であったと思われる。同時代の華厳宗の明恵は『摧邪輪』で揚げしい法然批判を展開していたが、蓮胤は法然上人・法然浄土教について記すことはなかったので、この謎も知りたいと思う。800年以上も前の時の流れの中で、法然上人はそのような面積・体積を占めていたのか、そのような密度の精神の核心である念仏を残されたのか・・・知りたいことは山ほどある。」と、歴史の面白さを感じさせる熱弁でした。最後に、「民免而無恥(民免れて恥なし)(『論語』)のお話をされ、「法律に触れさえしなければ何をしても良いと考える。ついには、どんな悪事を犯そうと恥じることを知らない人ができあがる。現代の風潮にそのまま当て嵌まるように感じるのは残念だ。2500年も経ているのに人は少しも進歩していないのではないか。逆説的には、仏教は、法然上人はいまだに身近で、新しく、新鮮であるといえるのではないか。」と結ばれました。