弁栄聖者祥当別時念仏会
植西武子
◇日 時:11月18日(金)~20日(日)
◇会 場:光明園
◇導 師:川本 剛空 師
◇参加者:13名(18日)・22名(19日)・23名(20日)
今年で第3回目となる弁栄聖者祥当別時念仏会は12月4日を中日として実施されて来ましたが、今年は仏教塾の方の研修の都合で繰り上げ行われました。
参加者
初日はウィーク・デイでもあり、参加者が少なかったですが、後半になって参加者も増え活気ある雰囲気で会は進行しました。また、初めて参加された方が数名あり、嬉しいことでした。河波上首が毎日会場にお姿を見せてくださり、座談会ではいろいろご発言下さいました。河波上首の存在が大きく感じられました。
導師
河波上首が退院されておりましたが、健康が充分に回復されておりませんでしたので、関西より、川本剛空師を初めてお招きしてご指導を受けました。期間中の5回にわたるご法話で、導師はご専門の哲学的視野から非常に含蓄あるお話しをして下さいました。ただ、一心に拝聴しましたが、浅学非才の身には表層的な理解しか出来ず悔やまれました。もっと勉強しなければと刺激を頂きました。
ご法話
ご法話は期間中に5回あり、深い内容のお話でした。(ごく概略のみ)
『宗祖の皮髄』に基づいて「ご道詠」の7首を示しながらお話を展開されました。それは『宗祖の皮髄』の34頁に示されている10首の中から5首と他2首を選んでお話し下さいました。
まず、お話の冒頭に、「光明主義についての捉え方が時代によって、また人によって異なる現実がある。この弊害をなくするために教科書が必要である。『宗祖の皮髄』こそその教科書としてふさわしい」と話されました。そして信仰の深まり行く過程を詠んだ順にご道詠を紹介し、その内容を解説されました。
池の水 人の心に 似たりけり
にごりすむこと さだめなければり
この歌は信仰への入門と言うか、宗教の必要性を詠んだものであり、「法然上人がなぜ浄土宗を興したか?」が説明できる歌である。
あみた仏と いふよりほかは 津のくにの
難にはのことも あしかりぬへし
この歌の主旨は「まず、念仏をしなさい。念仏こそが最勝最易の方法だ。」である。『選択集』の中に「余業は且(しばらく)はさしおく。」とある。この「さしおく」は現象学的な捉え方で言えば「捨てて、生かす」である。浄土宗では「捨てて」のみに終止したが、法然上人は現象学的方法の「捨てて、生かす」を取り入れられたのである。
念仏三昧は相手と一つになることである。「その相手をどう見るかが問題である」ととして「三身論」についても言及されました。哲学的思惟に基づく三角形の図を示しながらお話しされました。
往生は よにやすけれと みなひとの
まことの心 なくてこそせね
「まことの心」とは「三心」(至誠心、深心、回向発願心)を意味するが、この歌は特にその中でも「至誠心」(真実心)を詠んだものである。全ての人間は至誠と虚仮(こけ)の二性を備えもっている。至誠は真実心で衆生が本来もっている仏性であり、虚仮は煩悩である。弁栄聖者はこれを天性、理性、霊性の三階で説かれている。理性は人間のみが具有するものである。特に近代的理性では計量的思考(全てを数字化して考える)であり、表象的思考(対象を人間の都合のよいように考える)でもある。霊性は真実心である。
われはたた ほとけにいつか あふいくさ
こころのつまに かけぬ日ぞなき
信仰が進むと「愛」が芽生えてくる。この歌は「愛」を詠んだものである。「愛」には(1)アガペ(恩寵)(2)エロス(憧憬)(3)フィリア(友愛)の三つがある。
信仰には忍許(認めること)、澄浄(心を清らかにする)、躍入(そのようになりたいと願うこと)の三つの要素が必要である。
「信」から「愛」が生じるのである。弁栄聖者は慕わしいと言う感情が無くして合一はあり得ないと言われている。
かりそめの 色のゆかりの こひにたに
あふには身をも をしみやはする
この歌も「愛」を詠んだものである。この「をしみやはする」の「をしむ」とは「欲しい」と言う意味で「仏様のお德を自分のものにしたい」と願う欲求が出てくるが、まだ頂けていない段階を詠んでいる。
弁栄上人は愛の三階として天性的愛、理性的愛、霊性的愛として説かれている。その愛の目的は「永遠の生命」である。見るもの、聞くもの全ての中に阿弥陀様のお心が伝わってくる段階の歌である。この段階になると、必ず阿弥陀様からの呼びかけがある。五根の後に五力が現れるのである。
雪のうちに 仏のみ名を 称ふれば
積もりし罪も やがて消えぬる
この歌は「罪」について詠まれている。「やがて消えぬる」の「やがて」とは「自然に」と言う意味である。「罪」とは弁栄聖者によれば「障り」であり、「慢」、「弊」(六弊)、懈怠を言う。
阿みた仏と 心はにしに うつせみの
もぬけはてたる こえそすすしき
この歌は「念仏三昧」を詠んだものである。その中でも入神(霊の蕾)の段階を詠んだ歌である。三昧成就には「入神」が大切である。「入神」とは自分の心を弥陀の霊中に投げ入れることである。
「心は西に」とは「念仏三昧」のことであり、うつせみ(空蝉)とは「移す」、即ち「神秘合一」を意味している。この歌の段階では念仏の功徳がまだ外に現れていない。
自己愛(自分の極楽往生のみを願っての念仏)は「皮」の部分に過ぎない。「皮」に止まらず「髄」に向かって精進すべきである。弁栄聖者は三昧の深層として七覚支(子)の話をされている。七覚支(子)を三昧正受の入り口と言われた。
川本悟空上人は哲学的な視点をも含めて幅広い視野からお話し下さいました。参加者の皆さんは非常に興味を持って拝聴されておりました。残念ながら、多くの情報を超スピードでお話しされましたので、老化した脳細胞と劣化した手首の運動神経が思い通りに機能せず、その内容を充分まとめきれませんことお詫びします。
別時雑感
宿泊別時では落ち着いた気分で夜と早朝の念仏が出来ることが、何よりの魅力です。特に早朝念仏と十二光礼拝は、気分を爽快にしてくれました。ただ、都市部では交通の便が良いため宿泊者の数が少なかったのが残念でした。殆どの方が毎日通っての参加でした。光明園に宿泊施設ができたのに充分活用されないのは惜しいことです。遠方からもご参加下さることを願っています。期間中に質疑の時間や懇談の機会が設定されており、導師への質問も多々ありました。また宿泊者(男性のみ)は入浴後、夜更けまで教義について質問されていました。
食事は外注のお弁当でしたが、毎回温かいお味噌汁や、サラダ、漬け物、果物等が添えられて暖かい雰囲気で頂きました。佐藤蓮洋尼が全てを準備して下さり、宿泊した女性が手伝いました。どこの会所でもこの家庭的な雰囲気が大切と思いました。ただ弁栄聖者のご祥当別時と言う認識が参加の皆さんに充分伝わっていたかの疑問が残りました。時期が早められたこともその要因の一つですが、やはり余人をもって代われない河波上首のお力をひしひしと感じました。
一行三昧の会
佐藤 蓮洋
◇日時:12月4日(日)
◇会場:光明園
◇講師:藤本 清隆 氏
◇参加者:20名
師走の慌ただしい中でしたが、ゆったりとお念仏をすることができました。午前中はお念仏、『如来光明礼拝儀』を称え、午後はお念仏と藤本氏のお話がありました。
藤本氏からは、「今年は、法然上人八百年御忌という記念すべき年でした。国立博物館では弟子源智が法然上人の一周忌の供養にあわせ立造した阿弥陀如来立像が展示されました。立像は頼朝、後鳥羽院他四万六千人もの人々が寄進したもので、その美しさ、神々しさには圧倒され、また、像の前では暫し我を忘れ、心洗われる思いがしました。
今回は、今年最後の一行三昧であり、このようなこともあり、弁榮聖者が「宗祖の皮髄」において取り上げられた宗祖法然上人の御道詠とその内容、歌の心を味わってみることにしました。
法然上人の和歌は、「法然上人絵伝」(勅修御伝)の第30巻の中でまとめられており、そのうちのいくつかは勅撰和歌集にも入り、また、法然上人二十五の御霊跡・霊場である本山等の歌にもなっています。
聖者は、この中の10首を選ばれ、7首について、その著で言及されています。詩歌は自己の実感、自己の内容が自ずから詞に表われるものであり、聖者が詠まれた歌、法然上人のお歌は、私たち光明主義の念仏者にとっても大変大切なものであり、これからも機会ある毎に味わってまいりましょう。
(参考)
さへられぬ光もあるをおしなべて
隔て顔なる朝霞かな
我は唯仏に何時かあふひ草
心のつまにかけぬ日ぞなき
阿弥陀仏に染むる心の色に出でば
秋の梢の類ならまし
雪の中に仏の御名を唱うれば
積れる罪ぞやがて消えぬる
仮染めの色のゆかりの恋にだに
逢うには身をも惜しみやわする
柴の戸に明け暮れ懸かる白雲を
何時紫の色に見做さん
(此歌入玉葉集)
阿弥陀仏というより外は津の国の
なにわの事もあしかりぬべし
極楽へつとめて早く出で立たば
身の終りには参り着きなん
阿弥陀仏と心は西にうつせみの
もぬけ果てたる声ぞ涼しき
月影の至らぬ里はなけれども
眺むる人の心にぞすむ
往生は世に易けれど皆人の
誠の心なくてこそせね
阿弥陀仏と十声唱へて微睡まん
永き眠りになりもこそすれ
千歳経る小松のもとを住処にて
無量寿仏の迎へをぞ待つ
おぼつかな誰か言いけん小松とは
雲を支うる高松の枝
池の水人の心に似たりけり
独り澄むこと定めなければ
生まれてはまず思い出ん古里に
契りし友の深き誠を
阿弥陀仏と申ばかりを勤めにて
浄土の荘厳見るぞ嬉しき
終了後は茶話会となり、光明園の柿をご賞味いただきました。皆さんから「甘いですね」というおほめの言葉をいただき、天の恵みに感謝いたしました。