光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成24年8月

一行三昧の会

佐藤蓮洋

◇日 時:平成24年6月3日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:藤本清孝氏
◇参加者:10名

光明園の庭で咲いた紫陽花の花が飾られた本堂で、午前10時前よりお念仏が始まり、礼拝儀・聖歌を称えました。午後からご法話とお念仏があり、藤本さんから「真実の自己」についてお話がありました。

ご法話

「かごめかごめ」という子供の遊びうたがあります。このうたの起源は江戸時代に遡るといわれ、地方で歌詞も少しずつ違っていたようです。今ではほぼ同じになって、「かごめかごめ 籠の中の鳥はいついつ出やる 夜明けの晩に鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ」となっています。とても覚えやすい歌詞ですが、その意味になると俗説が沢山あるようです。

この歌をどう解釈するのは各人それぞれとは思いますが、今日はこの歌を取り上げて、一つの解釈として参考にしていただければ幸いです。

私自身は、籠の中の鳥は、私達の心、真実の自己と深いつながりのあるものとは考えられないでしょうか。籠は我々の身体で、心はその籠の中にあって、この世で暮らしています。処世というのもなかなか大変で、楽しいこともありますが、一方では、病をはじめとして様々な苦労があり、いってみれば不自由な生活を強いられてはいないでしょうか?夜明けの晩というのは、夜が明ける前で最も暗い時間ですね。朝の光明が射すのはもう間近です。鶴と亀は、長寿を願うこの世の価値観を指しており、その価値観がまさにひっくり返るようなそういう状態を指しています。この世の価値観には、変わるものと変わらないものがありますが、大切なのは永久不変の真理ではないでしょうか。

明治時代に浄土宗の僧侶で原青民という方がおられました、結核で余命5年もないという時期に弁栄聖者に出会われました。一生懸命にお念仏に励まれ、一心にお念仏をしていて、自分と自分を取り巻いている世界一切がなくなってしまう状態になったのだそうです。翌朝起きても、庭先へ出て、今まで自分の外に見えていた一切合財、森羅万象がすべて自分の中にあることに気がつかれたようなのです。一切が自分の心の中にあると感じられ、青民師はこの自己が永遠に滅びるものでないことが分かり大宇宙が自己となったというのです。

また、インドの詩人でノーベル文学賞を受賞したタゴールは、信仰とは、夜明け前の闇の中で光を感じている鳥のようなものといい、信仰を鳥にたとえています。このかごめの歌の解釈に光明主義の方にとても参考になるように思うのです。

最後に、人格(霊格)的に優れた聖者や法然上人もお念仏で三昧発得されて、同様の深い神秘経験をされています。私達のお念仏の道は、この真実の自己を探求するのに、誰でもが行える最適な方法と思われます。光明主義は、真実の自己探求に向けて、誰もが登りやすく、しかも最短の道ではないかと思います。このような得難い教えに巡り会えた悦びを味わい、唯ひたすらに名号を称え、ともに念仏三昧の道を実践してまいりましょう。

万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚めるとき、それは見つつある聖者の夜である。(バガヴァッド・ギータ2―69)

念仏と法話の会

植西武子

◇日 時:平成24年6月17日(日)
◇会 場:光明園
◇導 師:河波定昌上首・谷慈義氏
◇参加者:32名

午前中はどうしても参加人数が少ない状態が続いています。せめて日の出の早い夏場こそ定刻参加すべきと自分を叱咤激励しました。お昼頃から人数が増えてきました。昼食時は情報交換のチャンスです。新しい方が一人、二人と参加されます。この間にお話しすることが大事です。午後はお話が二席あるのでお念仏の時間はすぐに終わった印象でした。

ご法話

(1)谷慈義氏のお話の内容

谷氏は『「原青民」という人について』と言うテーマでお話しされました。

谷氏がこの人物を選ばれた主たる理由は、原青民は浄土宗でかなりの経歴を持つ人物であるが、31歳の時に弁栄聖者との出会いがあり、それによって初めて生きた如来様を信じることができるようになったと言う人物であるからである。

  1. その経歴
    明治元年(1863年)愛知県海東郡に生まれる。13歳で村瀬宏戒師に師事し、剃髪す。21歳で浄土宗学東京支校に入学(笹本戒浄上人と同級)。22歳で浄土宗学本校に入学。23歳で東京・浅草の正定寺原勇善師の徒弟となる。24歳で増上寺野上運海大僧正について宗戒両脈を相承す。25歳で師の正定寺を継ぐ。27歳で宗学本校高等科を卒業する。29歳で同専門科を卒業。東京支校教授となり、倶舎を講ず。31歳で肺結核のため、教授を辞し、鎌倉材木座千住院にて静養す。この間に弁栄聖者に会う。36歳で大僧都に叙任。翌年正定寺を中沢善久に譲り、静養。39歳、鎌倉千手院にて逝く、学階擬講に叙任。
  2. その人物評
    笹本戒浄上人による評も含む(『真実の自己』にて記述されている)。徳風を慕う者が多く、信仰に生きた念仏者であった。
    学校を卒業する頃に既に結核の第三期に達していた。当時は死を恐れていた。
    鎌倉・千手院にての念仏中に自己の全てが消え、そして自己の中に全てが包含されていると言う体験をした。阿弥陀の存在を理屈でなく、直感による事実として認識した。
    5年の命と宣告されて、ちょうど5年目に念仏中に三昧発得する。
  3. 『青民遺書』から見る原青民の思想
    (1)当時の浄土僧侶の思想信仰における欠点を指摘。
    口称念仏を勧めるあまり、阿弥陀如来の実在についてほとんど忘れられている。如来の実在を信仰しない者が救済を得られることはない。この様に至った原因は如来の実在を現実に証明する方法をとらないで、経典の上で如来を求めたからである。
    また、念仏者にもかかわらず、道徳的でない人が多くいる。道徳的でない人は念仏を称える口で他人を罵倒し、理屈で言い争いをし、十善に反し、数珠を持つ手で人を打つ。信仰と行為が背馳している。その原因は「厭離穢土」を誤解しているからである。
    「厭世悲観」の原因は信心の対象を「経文の推論」に求め、「如来の実在」を直感に求めないからである。
    (2)阿弥陀如来の現世の功徳について
    宗教の起源は現世の苦痛からの解脱である。一方で阿弥陀如来の本願力は死後の世界のみに働くと言う誤解がある。
    阿弥陀如来の摂取の恩寵を蒙るには主我の妄情を捨て、如来に帰依し、自分を変えることである。
    (3)心に悩みのあるものを頼みとなすべきか
    心の悩みは「頼むべきものを頼みとせず」、「頼みにならないものを頼みとする」から生ずるものである。頼むべからずものとは「有為転変」で、頼むべきものは常恒不変の阿弥陀如来に他ならない。
(2)河波上首のお話の概要

今月は「弁栄聖者による念仏三昧の民主主義」について、禅宗と関連づけてお話を展開されました。

最近、外国人に京都を案内した時、浄土宗のお寺も多いが禅宗のお寺も多いことに気がついたと言うことから、お話を導入されました。

一般に仏教と言えば、「禅と念仏」と考えられがちであるがこれは大きな間違いである。「専修念仏」(念仏の中に禅の悟りが開かれる)に尽きるのである。

嘗ては、禅宗の僧侶も念仏をしてその中で悟っていったのである。その始祖、達磨大師も終日合掌して念仏をしていたと伝えられている(『洛陽伽藍記』)。

敦煌にて発見された『楞伽師資記』にどのようにして禅宗が生まれたか記されている。

笹本戒浄上人も弁栄聖者に会うまでは禅宗を信じ、座禅を組んでおられたのである。
両宗派の立場の違いは、仏を念ずるに心を離れて別に仏あることなし(禅宗の立場)、仏を離れて別に心あることなし(浄土宗の立場)である。
浄土宗ではこの「心」についての捉え方が曖昧であったが、これを弁栄聖者がクリアにされたのである。心が定まらない時は「恭敬修」が必要である。

念仏する一声一声の中に「無限の悟り」が開かれていくのである。「陀佛を念じて自佛を作る」である。
念仏ではこの「心」が大切である。このことを弁栄聖者は次ぎのように詠んでいる。

十万の 奧と説きしも まことには
限りも知れぬ 心なりけり

往生の極意を説かれたのが弁栄聖者であった。それは大谷仙界上人に宛てられた手紙にあるように、「すべてを大ミオヤにおまかせし」の「おまかせ」が大前提である。しかし「おまかせ」のみ(浄土真宗の立場)ではなく、「念仏をする」ことが大切である。

念仏三昧は法然上人や一部の高僧のみで、大衆はただ称えていれば良いと言うものではない。先輩(法然上人等)に倣って、誰もがやるべきことである。即ち、弁栄聖者は「念仏三昧の民主主義」を説かれたのである。

「無上法」(縁起)、「甚深法」(空の悟り)、「微妙法」(浄土の荘厳)、『大品般若経』(不離佛・値遇佛)等、各経典にはそれぞれの内容が説かれているが「究竟大乗浄土門」で、念仏は各宗派の一つではなく、念仏しかないのである。

「此世及後生 願仏常摂受」で生きている内も死んでからも如来様のお救いがあるのである。

河波上首はいろいろな角度から「弁栄聖者の光明主義」についてお話し下さいます。今回はまた、新しい視点(民主主義)でお話し下さいました。

お話を聞きながら、何故か、かの有名なアメリカの大統領のことばが急に脳裏をかすめました。そして思わずつぶやきました。

「衆生の 衆生による 衆生のための 念仏三昧」と……

茶話会

お念仏の後の歓談は楽しいひとときです。どうしても個々でのお話となりますが、時には時間を取ってみんなが一つの話題で話す機会があっても良いと思いました。

最近は難しい世情を反映してか信仰を求める若い方が増えています。インターネットで検索して訪ねて来られる人もあります。その人達を如何に温かく、適切に受け入れるかを真剣に考えていく必要があると思いました。

光明会・関東支部総会

茶話会の後、24年度関東支部の総会がありました。

遠方の方は委任状で、近隣の都合のついた20名が出席しました。昨年度の事業報告と会計報告があり、本年度の事業計画と予算を審議しまた。

昨年度の活動内容は計画通りに実施されました。新しい会員の増員が大きな課題でした。

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