第12回中部・関東支部共催親子別時念仏会
植西武子
◇日 時:平成24年7月28日(土)~29日(日)
◇会 場:光明学園相模原高等学校(修養室)
◇導 師:山上光俊師
◇維 那:金田昭教師
◇参加者 一般参加者(大人27名・子供4名) 学園関係者(生徒30名・教諭8名・PTA6名)
献灯識(園児99名・保護者68名・園長・幼稚園教諭8名)
今年は好天に恵まれ、気温もさほど上昇することなく、大変凌ぎよい環境でお別時が実施できました。例年のように鴨志田敏彦先生は細やかな配慮で会場全般の準備をして下さいました。誠に申し訳なく、感謝の極みです。
会場は伊藤旭栄先生を中心に前日に設営して下さり、座布団、木魚、礼拝儀が整然と配置され主の着座を待っていました。
10時を過ぎた頃からあちこちで挨拶を交わす懐かしい声が聞かれ、いよいよ開始の時が来たと襟を正しました。
参加者
導師の山上光俊様は遠路、島根県より横浜で前泊してお越し下さいました。そして中部支部の名古屋から毎年参加の内藤ご夫妻が初参加のご長男を伴ってご参加下さいました。ご長男は子供時代にやはり鉢伏山の子供別時に参加されておりました。当時の遊び仲間の鳴海さんと何十年ぶりの再開は親子別時が持つ独特のご縁の尊さに感慨深いものがありました。連続参加の内藤さんのご長女の晴江さんは、上のお子さんが中学生になられ、クラブ活動のため参加できなかったことは残念でした。中学生になられるとそうしてもクラブ活動が優先されます。今後、幼児や小学生の子供の参加が増えるような工夫が求められます。
開会式
最初、田代関東支部長から「本別時はいろんな方々に支えられている。また、みんなの力で支えている。よき2日間であるようにがんばりましょう」と挨拶がありました。
次に導師の山上光俊様から「みなさんにお会いすることをとても楽しみにしていた、今、ロンドンではオリンピックが開催されている。ここ相模原では親子別時が開催される。この別時を仏思いの2日間とし、生きる意味をつかんで欲しい」と話されました。
その後、伊藤旭栄先生かた日程説明と会場使用についての諸注意がありました。
遠藤さんのピアノ伴奏でみんなで聖歌を歌い、心一つに「さあがんばるぞ」と決意を新たにしました。
ご法話
28日の午後に一席、29日の午前に一席、大人向けの法話がありました。子供向け法話は、28日の茶話会(懇親会)の後に一席ありました。(概要のみ)
- 28日の法話
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第一席は「名体不離」についてお話しされました。
弁栄聖者は我々に人生の真理を早く理解して欲しいと念じておられた。そのため、三昧佛様を生きた如来様と思って念じるようにと常々説いておられた。念仏を称えるといつも真正面に在して必ず救って下さる。親しみ、仰ぎ、救いを求めることが大切である。
法然上人は衆生と阿弥陀が親子の如きものだち説いておられる。善導大師も然りである。人間には仏を思う心がある。この「仏思い」が大切である。阿弥陀様思いの念仏を続けていくとだんだんと心が溶け合い一体となっていく自分に気づく。念の心が育ってくると、自然と心が集中していき、お体とお名前が一体となって、呼んで呼ばれての状況となる。
嘗て、柴武三先生が弁栄聖者に質問された。「南無阿弥陀仏」の名号で犬や猫も救われるか?と。答えはNOであったと言う。それは人間には仏をう心があるが動物にはない。即ち「往生の業は念である」。
阿弥陀様と衆生は親子の関係、名前を呼ぶことによって心が伝わる。仏思いの念仏を相続することが大切と結ばれました。
- 29日の法話
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第二席では別のお話を準備されていたようでしたが、20数名の高校生とPTAの関係者も参加されることになったため、急遽お話の内容を変更されたようでした。そして「命の大切さ」と「如何に生きるか」についてお話し下さいました。
同志社大学の創始者、新島襄のエピソードからお話を導入されました。
或る日、一人の学生が盗みをした。彼はその学生を呼んで、彼の目前で「こんな学生を育てた自分がわるかった」と言って、そこにあったステッキで自分の頭を強く叩いた。学生は驚いて、先生に謝り、自分の行動を恥じた。その後立派な実業家になったと言う。
この話から、生徒を大切に思う当時の風潮が伺われる。現代はそれが欠落している。滋賀県、大津市で発生した中学生の「いじめ」による自殺事件はその事を物語っている。
教育には崇高な理念と情操が必要である。戦前の教育では神仏の前では嘘がつけないとされていた。そして生徒と教師の間で信頼関係が成立していた。これが教育の根底にあった。
今、生徒は何を信じてよいのかわからない。非常につらい状況に置かれている。自分勝手の世界でむなしさが増す。
食べ物が豊富で物質が溢れ、「分かち合う」の発想が生まれない。日本人の心に大きな変化が生じている。「砂粒家族」とも言われている現状である。
その現状を踏まえて、「親からもらった命」について、更に「如何に生きるべきか」についてお話を展開されました。
結論を言えば、「自己責任で人生を全うしていく」。換言すれば「自分で選んで、自分で決めて生活していく」ことである。まず、自分自身の「命」について知ることが大切である。(お上人は生物学的側面から人体のしくみや成長の過程について細胞や血管等の数値をあげて説明されました)。そして、心臓一つをとって考えてみるとそこに計り知れない不思議な力が働いていることに気づくのである。そして自然界の現象がの全てが一つの法則に基づいていることがわかるのである。このことを『華厳経」では「一即一切」「一切一足」と説いている。即ち One in all,all in one. である。
物と心の関係で目を開いて見るのは「物」で目を閉じて見るのは「心」である。この「観念」こそ大切である。大宇宙全てが観念そのものとなる。弁栄聖者はこのことを「一大観念体」と表現されている。
「死ぬ自分」と「死なない自分」の自覚が大切である。不死をはじめて発見した人が釈迦である。中国では「無量寿」と表している。計量できない命、「自分は死なない」と自覚できた人が一番幸せである。「命」とは、「愛」とは、理解することである。理解(understand)のunder(下から)は、相手の立場を下から理解することである。人に理解してもらうと勇気が湧く。「常泣菩薩」の存在は大きい。
- 子供向け法話
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子供と言っても、小学校1年生から高校3年生と幅広い対象であるため、山上様は、第一部①小学生向け、第二部②高校生向けの二段構えでお話下さいました。
(1)小学生向けでは「ものぐさ太郎」のお話をされました。
ものぐさ太郎は何でも「しんどい」、「めんどうくさい」と言うなまけものでした。しかし、彼にはたった一つ好きなものがありました。それはうた(詩=三十一文字)を詠むことでした。或る日、彼は空を見ていました。誰かが「何を見ているの」と聞きました。彼は「雲を見ているんだ」と答え、つづいて・・・
秋風に たなびく雲の 景色より
口にほうり込み 食うにぎりめしと読みました。彼にとって食べ物と詩は最も大切なものでした。
そんな彼にもう一つよい点がありました。
彼は人の話をゆっくり聞いてやることができました。或る日、一人の男が彼に相談をもちかけました。誰も相手にしないその人物の話を聞いてあげました。彼はとても喜んで食べ物を太郎に与えました。彼は後に都に上り役人になりました。
このお話には二つのメッセージがあります。
一つはただ一つのことでも一生懸命やれば認められると言うこと、二つ目は人の話は良く聞いてあげることが大切だと言うことです。
(2)高校生に対しては、ご自身の高校時代のお話をされました。当時は成績が重視され、教室の座席も成績順に座らされたこと等々。
今、みんなに一番大切なことは自分自身を信じること、そして自分で決めて、自分で責任を取ることです。
次に自殺についてお話しされました。「いじめ」についても一人でも理解者がいればがんばることができると話されました。そしてご自身が相談役として訪れる刑務所では決して説教はしない。ただ相手の話を聞くのである。その一人の例をお話しされました。
彼は学校の成績は悪かった。友達も無く、一人ぼっちであった。しかし彼には犬がいた。「どうすればいいのだろう」と彼は犬に語りかけた。犬は彼の話をじっと聞いていた。そして悲しそうな目で彼の状況を理解しているように見えた。彼はそれで救われたと言う。人は悲しいこと、つらいことがあってもわかってくれる人が一人でもいれば救われると言う。
更にゲスト・スピーカーとして母校に招かれた人の話もされました。彼は生徒達に向かって「死にたい者は死ね。但しボタンを見よ」と言われた。そのボタンは誰が作ったのか?その人に「ありがとう」と言ってから死ね。自分を今日まで支えてくれた人に感謝してから死ね。
生きると言うことはどう言うことか?人は一人では生きられない。支え合って生かされていることに気づくことが大切であると結ばれました。
懇親会
昨年より支部交流もかねてこの時間を設定しました。年に1回の出会いを大切にしたいと思い中部支部の方から発言して頂きました。鉢伏山時代に蒔かれた種があちこちと発芽しているように感じるうれしいお話もありました。
婦人部の活動の一つとしてこの親子別時が最適と思われます。これによって支部交流が一層深まれば何よりです。
スケジュールがずれ込み、設定された時間が短くなってしまい、途中で子供達がどやどやと入ってきました。欲張りの過密ダイヤで中途半端になってしまったのは残念でした。
中部支部の皆さんのあらゆる面でのご協力に感謝するばかりでした。woman powerの底力を見た思いでした。
子供の活動
今年も石澤桂吾先生が中心となって子供の活動内容を考え、指導も担当して下さいました。室内での手芸作業と屋外での活動の両面で工夫して下さいました。特に暑い中を引率下さった石澤、下口先生には感謝するばかりです。スイカ割りに興じる子供の姿を後に写真で拝見し、ますます申し訳ない気持ちになりました。子供たちの心に夏休みの思い出として生涯残ることと思います。今年初めて参加した卒業生の中野さんの姪にあたる結衣ちゃんは最初なかなか馴染めず、中野さんにくっついてばかりでしたのに、屋外活動から帰って来てすっかりとけ込んでいました。子供たちは大喜びでした。
献灯式
親子別時のハイライトの一つは何と言っても献灯式です。今年も光明幼稚園から約100名の園児が参加してくれました。今年は地区の花火大会と重なり参加が心配されましたが、武井賢吉園長以下、先生方の取り組みによって例年に近い数の参加がありました。
また、山上様のことを口コミで聞いて参加した人も多いと聞きました。
そのため、二部制で実施しました。とても厳粛な雰囲気で園児達は真剣な面持ちで献灯しました。あかあかと揺らぐ灯火を背に山上様は子供たちに語りかけられました。一人一人の前途に光明あれと祈りました。山上様の子供に対するお話しぶりは余人をもって代え難く、実に見事で、ユーモア溢れるお話やジェスチャーに子供たちはすっかり魅せられてしまいました。
閉会式
全ての日程を無事に消化していよいよ閉会式となりました。今年は光明学園の生徒が多数参加してくれたことが何より嬉しいことでした。ご法話やお念仏以外に期間中食事の配膳や花火大会の準備、後片付け等に実によく奉仕してくれました。さすが大部分の生徒がインター・アクト部所属と感心しました。彼等の活動に対し心から感謝したいです。
山上様をして「天空の城ラピュタ」と言わしめるほど完璧な道場で修行させて頂いたことに参加者全員が心より感謝しました。弁栄聖者のご加護をひしひしと感じる2日間でした。光明学園関係の皆様に衷心お例礼申し上げます。
山上様が閉会の挨拶として「如来様大好き、みんな大好き、虫もお花もお日さまも大好き、自分自身が大好きになるように」と言うお言葉を全員が心に秘めて「法の糸」を歌いました。来年の再会を期待して・・・
エピローグ
閉会式のあと、みんなで片付けをして、ふとホワイトボードを見ると素敵な如来様が描かれていました。あっと言う間のことでした。参加した裕太君(中1)が描きました。「来年もお元気に、お会いしましょう」の言葉を添えて。
平成の「雪舟」の出現にみんな感歎の声をあげました。まさにハッピーエンドとなりました。
子供たちの感想・ひとこと
◆はなちゃんとみさちゃんとともだちになったり、いっしょに遊べてうれしかったです。はなちゃん、みさちゃん大、大、大すきになったよ。(結衣)
◆おわかれでかなしいけど、おとうさんおかあさんがいるからあんしんしてくらせるとおもいます。げんきでね(華)
◆1ぱく2日のおべつじに言って、いろんなことをしてたのしかったです。こうこうせいの人とあそんだりしてたのしかったです。おねんぶつができてよかったです。 (未紗)
◆今年も無事に親子別時を終えることが出来てとてもよかったです。はるちゃんややご兄が来なかったのは残念でしたが、この2日間を楽しむことが出来ました。来年の親子別時がとても待ち遠しいです。今回もとても良い親子別時でした。ありがとうございました。南無阿弥陀仏 (裕太)
(うっかりしていて、高校生には閉会後、会場にいた数人に書いてもらいました)
◆今回は27日の花火大会の手伝いから活動しました。インターアクトクラブは裏方で布団(の配布)やお風呂掃除をしましたが、とてもやりがいがある活動でもありました。
なぜかといいますと夜まで友達と話す機会をもらえたからです。初めて光明の友達と風呂に入ったり夜おそくまで話せたのでふだんと違う人間関係について考えさせられました。
インターアクトクラブらしく、かげでの活動ですが楽しかったです。ありがとうございました。(大谷)
◆今回の親子別時は法話がとてもためになりました。特に自分の進路は自分できめなければいけないと言うお話でしたので、しっかりと自分の進路を決めたいと思います。裏方の仕事をしていましたが。さまざまな方からの感謝の言葉がとてもうれしかったです。本当にありがとうございました。(鈴木)
◆3年生で初めての参加でしたけれど友人と泊まる楽しい機会を得ると同時に改めてこの光明学園が仏教の学校という自覚を持つことができました。勿論、手伝いは暑くて大変でしたがその分、一つ一つのイベントを楽しく過ごすことができたんだと思います。
これから受験なので夏休み最高の思い出をつくることができてよかったです。また学んだことを少しでも心の中に残したいです。