光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成25年2月

平成24年度教学布教研修会

植西武子

◇日 時:平成24年10月20日(土)・21日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:鍵和田充生師 佐藤蓮洋師 若松英輔先生 辻本光信師 河波定昌上首
◇参加者:20日・21日両日共 25名

今年の研修会の講師は布教師育成の視点で仏教塾生の後、僧籍を取得された鍵和田、佐藤両人が、九州支部との交換講師として辻本師が、弁栄教学を広い視野から学ぶと言う視点で若松先生、総括、指導的な河波上首が、それぞれの立場でお話し下さいました。

開講式

田代支部長の司会により、定時に開講式が始まりました。参加人数が例年より少ないのが気になりましたが、午後と明日に増えることを期待しつつ研修会はスタートしました。

講話

鍵和田充生師

テーマ「浄土宗からみた弁栄聖者」
浄土宗について、その歴史から話を導入し、浄土三部経の成立の過程にも触れながら、祖師たち、

  1. 龍樹(150~250年)南印度・バラモン出身
  2. 世観(4c~5c頃)北西インド・パキスタン周辺出身
  3. 曇鸞 北魏の僧
  4. 道綽 唐代の僧
  5. 善導 唐代の僧

等について言及された。

更に法然上人と弁栄聖者の関係について触れながら、弁栄聖者は浄土宗の教えに従いつつ、新しい視点で光明主義を説かれるに至ったその背景にも言及された。

即ち、アーノルド・トインビーが言う「大乗仏教とキリスト教の出会い」が弁栄聖者をして「キリストと阿弥陀如来は同体異名」と言わしめたのである。

更に弁栄聖者の説く光明主義の重要な点は、『如来光明歎徳章』にあり、弁栄聖者が十二光佛を初めて体系的に論じられたのである。

佐藤蓮洋師

テーマ「心豊かな人間形成をめざして」 『無量寿経』如来光明歎徳章の一考察
テーマを更に具体化して「凡夫である愚かな私が、なぜ、お念仏をし、光明に遇うと豊かな人間形成ができるのか」について話を展開されました。
『如来光明歎徳章』の「其れ衆生有りて斯の光に遇うものは

  1. 三垢消滅し
  2. 身意柔軟に
  3. 歓喜踊躍して
  4. 善心生ぜんは不断光・・・等。

浄土教の諸師、曇鸞、善導、源信、法然、親鸞等はいずれも十二光佛を重視されている。なお、諸師(曇鸞、親鸞、法然、弁栄)における清浄光、智慧光、歓喜光、不断光の比較として、別表を配布して説明された。

最後に「十二光佛」に言及されている田中木叉上人のご法話(清水先生3回忌別時念仏会)をCD聞でき、その感想を述べてまとめとされた。

若松英輔先生

テーマ「隠れた宝物-山崎弁栄と井筒俊彦」(このテーマ報告者がその内容から設定したものです。)

辻本師の講話に関しては、事前に関東支部長より次の二点について話して欲しいと依頼していました。一点は「理論よりも布教活動の実践」について、二点目は九州支部で実践されている「病院法話の実例」についてでした。既に準備されていた内容を急遽変更してのご法話で、辻本師にご迷惑をおかけしました。

まず、『「ごめんなさい」の祈り』(佐藤雅彦・浄土宗浄心寺住職・大正大学非常勤講師)の資料を示されました。これは一医師と懺悔を求める末期患者の大変感動的なお話でした。

次に「ひかり」誌でおなじみの『能生生活』の幾つかを抜粋した資料を準備され、それを示しながら僧侶としての日常活動のお話をされました。いずれも誠実で温和な人柄が窺えるお話に心温まるひとときでした。

最後に「病院法話の実例」について、これも資料を準備して分かり易く、お話し下さいました。心を癒すことを主眼とした活動であるので、懐かしい、温かみのある内容でソフトに話しかける等、その心構えについて話されました。

河波定昌上首

テーマ「光明主義は日本的霊性の完成」

まず、「霊性とは何か」・・・いわゆる鈴木大拙が説く「霊性」はあくまで鎌倉仏教に端を発しているが、その原始は遙か縄文の昔に遡るものである。

古来、日本人の美意識は雪、月、花にある。雪の「ゆ」は嘗ては、「斉」の文字で表現され、それは「清浄な神々」を意味した。

「月を見て 月に心がすむときは 月こそおのが 姿なるらめ」の「すむ」には「澄む」「住む」「済む」の全てが包含されているのである。

このように日本語は深い文化を背景として、後に漢語が流入するも、それをうまく受け入れ吸収して行った。

一方、ヨーロッパでは言語戦争があり、ゲルマン語が滅びラテン語が勝利した。文化の根底を支える言語の役割は大きいのである。

また、その文化を基底として宗教が成立してきた。文化と宗教が渾然一体となって発展してきた。それを歴史的に見ると・・・

  1. 縄文時代は「月」を中心とした文化が開花した。
  2. やがて稲作文化の導入によって弥生霊性が芽生える。
  3. インド哲学とギリシャ文化の融合によって大乗仏教の時代となる。
  4. 浄土教の時代となる。
  5. ラテン文化と大乗仏教の出会いが光明主義を生み出した。

縄文的文化と弥生文化に大乗仏教が流入し、重層立体的に構成された日本的霊性文化が構築されたのである。

質疑応答・茶話会

20日は日程の関係上茶菓を頂きながら質疑応答となりました。

教義について非常に関心の強い方が多く、若松先生に質問が集中し、質問内容も多岐にわたりました。非常に難しく一部の人の理解に終わる場面もありました。

21日の茶話会は全てが終了していましたので、開放感からにぎやかに歓談しました。

今後の課題

今回は参加人数が少ないのが残念でした。特に若い人、女性の参加を促す方策が必要と思われます。

毎年同じ方法で実施してきましたが、この辺りで教学研修会の目的を明確に整理して会の内容を工夫し直す時期に来ていると思われます。

おわりに

教学布教研修会は各支部にとっても一大イベントだと思います。相互訪問参加も視野に入れて、一層の発展を願いたいと思います。

毎年、非常に綿密に計画立案し、多方面への連絡調整を一手にまとめて尽力下さった田代直秀支部長に会員全員より感謝します。

第4回 光明園別時念仏会【弁栄聖者九十三回忌報恩として】

山本サチ子

◇日時 11月16日~18日
◇会場 光明園
◇導師 河波定昌上首・大南龍昇師
◇参加者 20名

河波定昌上首法話の概要

初日のご法話は主に「禅と念仏」に関してお話し下さいました。お念仏をしているとお念仏の中から100%禅がでてくるのであり禅の悟りが開けてきます。このことは仏教界に正確に伝わっていないところがある。禅は禅、念仏は念仏とそれぞれのことを言っている。こうしたことはまだまだ大乗仏教が徹底していないのである。日本文化の「茶道」でおてまえ(御点前)は(無の有)である。あるいは「華道・花道」は求道であり花道と花が一体化していく。花が私となり私が花となる。西洋でいうフラワーアレンジメントではない。花と私が感応道交していく。それが人間形成に繋がっていくのであります。

翌日の法話では主に弁栄聖者の大地に根ざした説法がなされました。

  1. 難思光→萌芽(大地に目覚めている)
  2. 無称光(開花)
  3. 超日月光(結実)

これらの三点から大地性(心の故郷)についてお話がなされました。また、ドイツの哲学者ハイデガーも人間は植物である、今の思想は大地に根差していないと説いていますとのお話がなされました。三相の聖歌を歌い、聖者を偲びました。
河波上首は3日間の法話で最後に「教育の根本は礼拝儀にある」と結ばれました。

大南龍昇師法話の概要

資料に基づき、「七覚支について」ご法話がなされました。

  1. 釈尊の修道説
  2. 原始経典における七覚支説
  3. 七覚支の順序次第
  4. 弁栄聖者の七覚支説

お釈迦様の七覚支と弁栄聖者の七覚支を対比されながらご法話がなされました。出家者向きの修行と在家者向きの修行について資料で説明されました。また、弁栄聖者は念仏三昧をすることで「念仏七覚支」が現実の生活の中でどう変わっていくかを念仏と結びつけてお説きになられました。

別時雑感

今年は参加者が少なく全体が静かな別時となりました。しかしながら内容は充実していました。河波上首の健康状態が良かったことは最大の喜びでした。さぞお疲れと案じましたが、そんなそぶりは微塵も見せず充実したご指導をくださいました。また、大南師の法話も解かりやすくお人柄の暖かさを感じました。お陰様で充実した別時を開催することができました。心よりお礼申しあげます。そして別時開催にあたり佐藤蓮洋尼を主とした参加者のお手伝い、まことにありがとうございました。

弁栄聖者報恩念仏会

山本サチ子

◇日時 12月4日(火) 午前10時~午後3時
◇会場 光明園
◇導師 河波定昌上首
◇参加者 約21名

小雨空の天気の中、光明園の門を入ると本堂から元気の良いお念仏の声が聞こえてきました。

12月4日は弁栄聖者の御命日にあたり、毎月の「一行三昧」・「念仏と法話」を兼ねて開催されました。平日の開催ではありましたが、参加者は皆さん元気よく念仏し、河波定昌上首の力の籠もった法話を熱心に拝聴されました。

法話

本日は「光明主義は日本的霊性の完成」について話します。鈴木大拙博士(1859~1920)が『日本的霊性』を出版し、霊性という言葉を打ち出した。しかし霊性の視点は鎌倉宗教興隆時代からを主に分析しているが実際は、それより古い縄文時代に縄文的霊性文化が豊かに育っていた。かつて柳田國男氏は日本は仏教国になったが実はそれ以前と少しも変わらないのではないかと語られている。歴史的な見解からみてもそのような解釈が成立する。それは次の法然上人そして弁栄上人のお歌からも理解できる。縄文的霊性の核に月がありますがその月が

月影の 至らぬ里は なけれども
ながむる人の こころにぞすむ

月を見て 月に心の すむ時は
月こそ己が 姿なるらめ

と詠われ、その月はこのように法然上人から弁栄聖者へと繋がっていきます。また、弁栄聖者は宇宙の心霊的事実としてキリスト教の中にも霊性が流れていることに気づかれました。

「天にまします我等が神よ(如来)」これは如来と置きかえることができます。(同体の異名)。このように光明主義はキリスト教と大乗仏教が綜合を通じてできたものであり、このことは20世紀最大の出来事でした。光明主義は念仏三昧行により霊性が育てられ真実の自己が確立されていくのです。光明主義は日本的霊性の完成である。

茶話会

今回は平日の開催となりました。これまで日曜日の開催でしたが、逆に平日だから参加できましたと言って二名の方が参加されました。誠に嬉しいことです。色々な勤務形態があるので開催日についてもたまには平日の開催があってもいいのかなと思いました。仕事の都合で参加したくてもできない方もあります。これからの課題であると思いました。ともあれ、皆さんといつものように楽しい茶話会で次回も皆できるだけ都合をつけて参加しましょうといって解散しました。

合掌

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