光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成25年3月

念仏と法話の会

山本サチ子

◇日 時:平成25年1月20日(日)
◇会 場:光明園
◇導 師:河波定昌上首 
◇参加者:27名

天候に恵まれ、光明園の門を入ると元気なお念仏の声が聞えてきました。午前中は一行三昧、午後は河波上首のご法話を拝聴しました。

ご法話

ご法話は「聖者より大谷仙界上人に賜りしお慈悲のたより」の配布資料に基づきお話がなされました。

「すべてを大ミオヤに御任せ申し上げて常に大ミオヤはいつも離れずあなたの真正面に在まして慈悲の面をむけて母の子をおもうごとくまします。………唯のこる処は御慈悲の如来様ばかりと成り候。」

一文ずつ解説がすすめられました。どこを向いても真正面に如来様が在します。このことは「安心起行」にも触れながら話されました。また、次の句にも触れておられます。

仏身円満無背相
十方来者皆対面  (善導大師)

また専らにして専らなる時は、の件りは一辺に集中する専修念仏(浄土宗)である。この一点に集中することをドイツの哲学者、P・ナトルプ(1854~1924)は「存在の点化」(Punktualisierung)、英語ではpointからの変化形と呼んでいる。阿弥陀仏が声へと点化、すなわち私自身へと一点に集中していくことを意味します。仏道修行はまさにこの一点に点化することに尽きるのである。

阿弥陀仏に染むる心の色に出でば
秋のこずえのたぐいならまし

阿弥陀仏と心は西に空蝉の
もぬけ果てたる声ぞ涼しき

と歌われているように、そこで「空」の世界が展開されていきます。虫が鳴くときその虫の声に秋の全体が点化している。このように私達の心の奥に宇宙全体が入ってくる、「入我我入」である。

他方、ヨーロッパにおいて、最大の宗教思想家たるニコラウス・クザーヌス(1401~1464)が活躍し東西両宗教が一つであることが説かれていきました。そのことは第二バチカン公会議(1962~1965)でキリスト教内での対立を超えて、彼の理念に基づき仏教と対話するようになってきました。キリスト教の中に仏教の真理があり、仏教の中にキリスト教の真理がある、とそれに気付き、皆で仏教について論議しはじめました。いわゆるエキュメニズム運動がおこったのである。

日本においては、仏教とキリスト教を一本化したのが山崎弁栄上人である。このことは世界宗教文化の歴史の中で礼拝儀の持つ意義は大きいと言える。山崎弁栄上人は、キリスト教の神様と仏様は一つだと断言された。また念仏をしていれば般若心経の世界が開かれてくる。キリスト教そのものが本当は光明主義であった訳です。21世紀とは、仏教とキリスト教が全面的に出会ってゆく時代であり、光明主義はまさに、F・ハイラーの言葉を使えば光の現象学なのである。

茶話会

今日は、中学生の男子がお母様と知人の方と共に参加してくださいました。茶話会でもハキハキと自分の意見を述べのびのびとした中学2年生です。また時間を作り参加しますとのこと将来が楽しみです。他の参加者も会話が弾んでいました。何気ない会話から「絆」がすこしずつ芽生えていくところに茶話会の良さがあるのだと嬉しく思いました。

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