光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成25年10月

第13回 中部・関東支部共催 親子別時念仏会

植西 武子

◇日 時:平成25年7月27日(土)~28日(日)
◇会 場:相模原・光明学園高等学校(修養室)
◇講 師:山上光俊上人(島根県・向西寺住職)
◇維 那:長谷川明彦先生(光明学園教諭)・志村稔氏・森井摂子尼
◇参加者:一般参加者:大人22名、子供4名、学園関係者:生徒18名(OB・大学生を含む)、教諭4名、PTA8名

今年の日本列島は連日、太平洋高気圧に覆われ、猛暑の夏となりましたが、この日は幸いにもやや凌ぎよい朝を迎えました。遠方より参加下さる方々のことが何より気がかりでした。9時過ぎに学園に着き、急いでエレベーターで6階の修養室に入りますと、既に会場が整備されていました。伊藤旭栄先生が中心となって前日から準備して下さいました。

予期せぬ事態が……

7月の当初に、「27・28日には地域の催し物があり、幼稚園児の献灯式参加ができない。」と言う予期せぬ一報が入りました。更に共催の中部支部より毎年参加下さっている静岡からも「花火大会と重なって参加できない。」との連絡があり、まさに、ダブル・パンチ。一瞬、どうしたものかと悩みました。されど、ここでめげてはならない。長年やっているといろんな障害があって当然、出来る範囲で実行するのみと決断しました。

参加人数よりも……

行事を計画して一番気になることは参加人数。「待ち人来たるや」と毎日ポストを覗くことしきり。なんとその第一報は91才の舟橋富恵さんでした。毎年参加くださるその熱意、暑さにめげず、参加下さるその誠意、すっかり元気づけられました。

数よりも参加下さるその心を大切にしようと決意し、お念仏しやすい環境づくりこそ大切と肝に銘じました。

維那が居なくなり……

維那をお願いしていた金田昭教上人に急用が入り、参加できなくなり、「はて、どうしようか?」と考えていると、光明学園から長谷川先生が引き受けて下さるとの報に一安心。更に、最近僧籍を取得された関東支部の志村稔氏と森井摂子尼が「練習を兼ねてやります。」と立候補、思わぬ展開にほっとしました。三人はローテイションを組んでその任を立派に果たして下さいました。困った時、そっと差し延べられる救いの手、陰のみ力に合掌するばかりです。

参加者のプロフィール

導師の山上上人は遠方、島根県より前日からお越し下さいました。子ども向け、青年向け、大人向けと対象に応じたご法話を溢れる知識とエネルギーでわかりやすく展開して下さいました。大変ぶしつけなスケジュールの変更にも臨機応変に対応して頂き、深謝と感謝の極みでした。

本年も名古屋から親子三代「光明ファミリー」の内藤忠雄、規利子夫妻とご長男の内藤弘章氏、そして、ご長女の小川晴江さんが彼女の次女である奈巳ちゃんと参加下さいました。また、鉢伏山時代の「別時友達」である鳴海理容子さんは、今年も長男の裕大君と参加下さいました。

更に、曲想豊かにピアノ伴奏をして下さった遠藤由起さんも、その母親である花岡こうさんと鉢伏山親子別時の常連メンバー、伊藤旭栄先生も然り、まさに、「鉢伏山親子別時同窓会」が期せずして展開されました。お互いに話が尽きることなく、談笑されている姿に、当時の藤本淨本上人、八木季生上人のご功績が半世紀の時を経て確実に結実している光景を目にして深い感銘を受けました。朝霧の立ちこめる草原でご来光を拝したあの時の情景が懐かしく思われました。「親子別時の神髄はここにあり。」と再確認しました。

光明学園の先生方には多大なお力添えを頂きました。今年も伊藤旭栄先生を中心に長谷川明彦先生、下口直久先生、鴨志田敏彦が献身的にご援助下さいました。

本年から校務担当に移動があり、伊藤先生は生徒募集のセクションに、その後任に長谷川先生が就任されました。長谷川先生は光明主義に基づく本学園の教育基盤を築くのにその敏腕を振るわれた岡本薫校長時代の最後の年代だそうです。岡本校長への思いを熱く語り、本事業にも熱心に取り組んで下さいました。ここにも大先駆者の業績が厳然と生きている証に触れ、歴史をつくる一里塚の大切さを深く深く教えられました。

また、第1回目から連続して参加している卒業生がいることも嬉しいことです。いずれも2泊3日の山中湖時代の生徒で、やはり日数をかけたお別時の方が印象的なのかもしれません。勤務をやりくりして毎年、元気な顔を見せてくれるのが嬉しいです。

関東支部の皆様はそれぞれの分担に従って、てきぱきと協力下さいました。特に次代を担う方達が自主的、意欲的に活動して下さる姿に「ありがとう。」と合掌しました。みんなが、気持ちよく一つの目標に向かって行動することで連帯感を味わいました。本事業が若い世代の方によって一層、充実し、発展していくことを願いました。

献灯式

今年は幼稚園児の参加がなく、子どもの参加人数も少ないので大人も含め、全員が献灯することにしました。そのため、大変静かで落ち着いた雰囲気の中で式は執り行われました。ピアノから静かに流れる「聖きみくに」のメロディーに誘われて小学生、高校生、大学生、OB生、大人の順に仏前に献灯しました。遠藤由起さんが奏でるピアノの音色は状況に即して、静かに、ゆっくりと会場に厳粛な雰囲気を醸し出してくれました。

「大人も一度は献灯したかった。」と言う声も聞かれました。この日の夜はゆっくりと歓談し、静かに更けていきました。

子どもの活動

今年は下口先生が子どもの活動の世話をして下さいました。理科研究部の生徒から実験を兼ねた遊びを教えてもらいました。「とてもおもしろかった。」と興じていました。

以前は野外活動も取り入れていましたが、連日の酷暑と子どもの参加人数が少ないため、屋内での活動が中心でした。親子別時と言いながら、子どもの参加が得にくいことが課題です。中学生のクラブ活動と塾通い、小学生の習い事と現代の子どもは忙し過ぎます。特に都市部ではこの傾向が顕著です。

おやつタイム・懇親会

みんなの顔が見えるように車座になって、歓談しました。今年は一般の子ども参加が少ないのに対して、学園から多くの生徒が参加してくれました。理科学研究部のOB生、在校生10数名と民芸部の数名でした。この生徒達とのご縁を繋ぐことが大切です。おやつタイムはその絶好の機会です。反省として、別々に座ってしまう座席にも一工夫する必要があると思いました。生徒達にとっても異年齢の人と話すことは意義あることです。来年はくじ引きでパートナーを決めてお話しするのも一つの方法と思いました。

ご法話

法話は27日の午後と28日の午前にそれぞれ大人向けが一席(1時間)と青年向けが一席(30分)ありました。そして28日の最終に子ども向けに15分のお話をして下さいました。(内容は概略のみ)

大人向け第一席

弁栄聖者の光明主義とは相対世界、絶対世界を超えた世界、即ち無差別知の世界を説く。

如来様の光明を獲得すれば心晴れ晴れとして見通しが良くなる(無礙光=遮ることの出来ない光・神通光=救済のひかり)。如来様は常に「我を念ぜよ。」と衆生に呼びかけておられる。念ずることによって、如来様をお慕いする回路ができる。心の中に阿弥陀様を安置することが大切である。そしてその情が深まれば深まるほどにますます求めるようになる。

念仏の心構えとして「四修」の中でも「恭敬修」(うやまいの心)が大切である。その方法として「五種正行」についても触れられました。

大人向け第二席

この日はPTAの方が数名参加されたので、その方達を対象に話を展開されました。

人類の歴史に於いて大切なことは自然に憬れ、ひれ伏す態度である。その例として、弁栄聖者のエピソードを紹介された。

聖者は知恩院で大僧正にお会いになった時、深くひれ伏し拝まれたと言う。その姿にそこにいた人々は聖者を賛嘆されたと言う。「敬うものは敬われる」。

前回のお話の最後の「五種正行」に触れて、真、善、美の仏様を敬い、褒め称え、供養することが大切と話されました。親のその姿に子供も敬う。親子が向き合うその間に仏様が入り、互いに我慢し、譲り合う気持ちが生まれる。家の中に神聖な場所(仏壇)があることが必要である。そして愛し合い、一緒に一つの方向を見て、互いに敬う気持ちが大切である。これを日常生活の中に如何に展開して行くか?。

まず、(笑顔で)褒めることである。そして好きなものを与える(供養)。よく観察して良い点を褒める。子供は「よく見てくれている。わかってくれている。」と受け取る。そしていつも肯定的なことばを使う。すると生活も肯定的になり、相手を受け入れる。

お上人様は「二席に亘って『賛嘆供養』を中心に話した。」と結ばれ、最後に次の句を示されました。

ほほえみが
ほほえみを呼ぶ
春の風

青年向け第一席

ご法話はご自身の学生時代の話から導入されました。生物に興味があり、その方面を目指していたが、仏教の話を聞く機会があり、「永遠なる命」の存在を知った。最初は仏の存在を疑ったが、確かめるには念仏しかない。大学生になって一層その傾向が強くなった。「私とは何か?」その答えを求めてヤスパースやハイデッガーの著にも触れ、梅原猛先生宅も訪問した。……と若き日を述懐されました。

そして阿弥陀様の三身論の「法身」から「きまり」「法則」に言及されました。即ち、天地宇宙は法則性の中に成立しており、肉体と宇宙には一貫性がある。「命」にも法則性がある。137億年前に生まれたと言われる水素原子が現在の我々の体の中に存在する。

‘one in all, all in one’ この思想は既に『華厳経』の中に既に説かれている。・宇宙は生きていると言う「宇宙論」、弁栄聖者も同様に説いておられる。我々が立つ動作一つを考えても立とうする意志は誰が命じているのか?、地球は何故回転しているのか? 誰も答えることは出来ない。「しかし宇宙は生きている。」仏教ではこれを「不可思議」と表している。

釈迦は「そのきまりに従って如何に生きるべきか?」について考えた。そして「永遠に死なない法則性」を発見された。すなわち四苦の苦しみを超えた「さとり」である。この天地宇宙をあらしめる法則性を弁栄聖者は「一切知・一切能」と表現された。

青年向け第二席

自然界には目に見えない法則がある。宇宙の中にいる私、私の中にある宇宙、命は宇宙と係わり合って保たれている。

その法則とは「御名を称えれば無条件に救って下さる。」のである。しかも人間と同じ姿(人格的相似形)で。

大ミオヤの「大」は「絶対」をし、智慧と慈悲の光明は遮ることができない光り(無礙光)で宇宙を隈無く照らす光である。

a=無、mita=量、即ち無量寿(時間)、無量光(空間)である。これを称えることによって無限の時間と空間が実感できるのである。これを釈迦が証明されたのである。釈迦のみならず、善導大師、法然上人、弁栄聖者、然りである。

子ども向けお話

山上上人は子供向け法話を重視して、かなり時間をかけて準備して下さったにも拘わらず、時間の短縮となり、大変ご迷惑をかけました。本来は「絵本は人生の旅のオアシス」と言う視点から、『大丈夫です。象さん』のお話をして下さる予定でしたが、『でんでん虫の悲しみ』に急遽変更してお話し下さいました。大変失礼極まりないことでした。

これは皇后様がご結婚された時に何回も読まれたそうです。それは幼少の頃、お父様から何度も何度も聞かれたお話だそうです。

あるでんでん虫は「わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい。」と多くの友達を訪ねるごとに同じことを言っていたがついに他のでんでん虫も同じく悲しみをもっていることに気づくと言うお話でした。

おわりに

今年は予期せぬ事がありましたが、皆さんのお力を借りて、無事終えることができました。関東支部で早々の反省会をしました。予算や内容についても様々な意見を頂きました。大部分の方から親子別時をサポートするご意見を頂き、今後も聖者のご意志を継いで、発展させて行きたいと思います。「女性の集い」の一つの柱になればと祈念しています。山上上人様、名古屋の内藤さん、ご参加下さった皆々様に心より感謝いたしております。

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