光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成26年1月

関東支部教学布教研究会

10月19日(土)、20日(日)の両日、平成25年度関東支部教学布教研究会が開催されました。今年は延べ51名の方が参加され、アコーディオン演奏も楽しむなど多彩な研究会になりました。

法題

10月19日(土)
佐藤蓮洋上人「人格改造の光・不断光と意志」
志村 稔氏「弁栄聖者とキリスト教」
西 徹空上人「慈悲のふところ」
10月20日(日)
金田昭教上人「聖者ご遺稿のデジタル化」…光明主義踊躍の時代にそなえて
村上智雅子先生「湖沼で育った弁栄聖者」
岩城里江子氏「アコーディオンで聖歌演奏」
河波定昌上首「総評・御垂示」

紙面の都合上、詳細な内容は掲載できませんが、九州からおいでになられた西上人(種善寺ご住職)は、東北大震災の罹災者のお話をはじめとして浅原佐市さん・空外上人達のお話を取り入れ、光明生活の実践を分りやすく話されました。日頃九州で巡回伝道をされている様子が判り、大変参考になりました。

村上智雅子先生のお話は聖者の故郷での生活を偲ぶに相応しく、岩城里江子氏のアコーディオン演奏では聖者が野道を子どもと一緒に歌いながら歩く姿が想像されました。

最後に河波定昌上首は椎尾弁匡上人から講義された、浄土宗の「開経偈」について、「これを聞いた者として、記録し、伝えておきたい。」とおっしゃり、「無上法=阿含経・縁起の法、甚深法=般若経・真空、微妙法=無量寿経・妙有。これには一切法が含まれており、全仏教が包含されている。」また「弁栄聖者の大谷仙界上人へのお慈悲のたよりは弁栄聖者の「一枚起請文」である。」と強調し、説かれました。

一行三昧の会

◇日 時:11月3日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:佐々木有一 氏
◇参加者:13名

午前10時、木魚でお念仏をおこないました。佐々木氏のお話は前回に引き続き『礼拝儀要解』(5頁の「序」の初めから6頁の5行目まで)を読み上げ、説明をしていただきながら内容の理解を深めました。

お話の大意

この「序」は全体として弁栄教学の根幹ともいうべき「如来とは何か」について述べている。最初の2行は無量寿仏と無量光仏の功徳を示した光明主義のスローガン。地水火風空識の六大はビルシャナ仏の身心を表しており、無限の宇宙は如来の法身にほかならない、と本文は始まる。宇宙は広大な天地として物の存在のように見えるけれども実は全体として心霊が充満している。天地万物は如来の分現にほかならない。独尊たる如来の属性として一切知、一切能があり、今は両者合して光明という。この光明が天則秩序の理法となり(一切知)、また、原動力となって(一切能)、一切万物を産出し秩序ある活動をさせているのである(これを統摂という)。しかも一切の生命を向上し聖き霊(きよきこころ)と成し、涅槃界に摂取する働きもある(帰趣)。このことを衆生に教えるために迹仏として示現されたのが、無量寿経に説く法蔵菩薩が阿弥陀仏として成仏してすでに十劫になるということの真相である。背景には聖者独得の大ミオヤ、すなわち如来三身即一の説がある。

第5回 光明園別時念仏会

山本 サチ子

◇日 時:11月16日(土)・17日(日)
◇会 場:光明園
◇導 師:河波定昌上首
◇参加者:33名

ご法話

法話は念仏三昧発得記の「三種の行儀」から話を進められました。念仏する時、弁栄聖者が大谷仙界上人に書き示されたご文が大切ですなわち、

すべてを大ミオヤ(阿弥陀仏)におまかせ申し上げて常に大ミオヤを念ず…
…あなたはそれのみを念うて専らにしてまた専らなる時は段々と心が統一できて…
…あなたの心はなくなりて、残るところはただお慈悲の如来様ばかりとなり候

これは弁栄上人の一枚起請文と申し上げてもよいのです。この中にはすべて大乗仏教の精神が入っています。私達が別時について念仏を申す時は心得が大切であります。たった一言でも自力の念仏は自力の念仏であり他力の念仏とはならない。別時念仏を尋常念仏に(日常の念仏)繋げていくことです。できるだけ日常生活の中に念仏を注入していくことが大事なのであります。田中木叉先生は「点線念仏」をご指導くださいました。念仏を忘れがちであってもくらしの一点一点に集中していくことによりそれを習慣とすると念仏に繋っていく様になりますと申されました。

すべてを大ミオヤにおまかせ申し上げて大ミオヤを念ず。百パーセントおまかせしてしかもその上で百パーセント念仏する。ニコラウス・クザーヌスも弁栄聖者と同じことを言いました。どこを向いても向いたところに如来様がまします。

翌日は主に「開経偈」について話されました。

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

今の浄土宗は「開経偈」について深く考えていない。つまり念仏する時深くよくよく開経偈を重んじるならば念仏が違ってきます。開経偈はどこまでも浄土宗本来のものです。臨終念仏も大事ではあるが尋常念仏ができてこそ念仏の尊さ大切さがでてきます。

「すべてを大ミオヤにお任せ申し上げてそして念仏をする」ここがポイントなのです。
西方浄土と言うが実はどこを向いてもそこが西でありそこに阿弥陀様がおられます。もし念仏している時に心が乱れたらもう一度如来様を念じて心を戻しまた続けます。

「念仏三昧とは不離仏の義・値遇仏の義なり」とあります

この世、後の世、共に阿弥陀様に守られています。究竟の思いを以て念仏することです。と結ばれました。

感想

昨年より若干ではあるが参加者の多い別時開催となりました。

河波上首は予定よりも多い法話をなされました。力強いことばで光明主義の教えを語られました。このように強い情熱と実践を注いでくださる河波上首に感謝し、そして何とか光明主義をより発展させなければと改めて思いました。

これからも会員の皆様と共に手を繋ぎ精進するよう励みたく思います。

合掌

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