光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成26年7月

4月関東支部報告

一行三昧の会

佐藤 蓮洋

◇日 時:5月4日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:13名

連休の合間のお念仏会でしたが、大変落ち着いた雰囲気の中で谷上人の維那、藤本上人の大木魚で始められました。

午前中はお念仏、如来光明礼拝儀を称え、谷上人の伴奏で聖歌を唱え、河波上首からは「一行三昧ですから、お念仏の邪魔にならない程度のお話をしましょう」と前置きされ、ご法話がありました。

午後はお念仏と聖歌を唱え、最後に茶話会で終わりになりました。

ご法話

真正面に如来様がましますことを信じて、一心に集中してお念仏をすると如来様と私の間に感応道交がおきて、とてもありがたい気持ちになります。これは、大宇宙の真理と私がお互いに感応道交しているともいえます。傷ついた樹木に近くの樹木が反応するということや、ひばりの鳴き声が麦の成長によい影響を及ぼすという研究がありましたが、それと同じですね。

人間の中の自律神経は植物神経ともいわれます。森林浴は森の植物と私たちの植物神経が、気がつかないけどお互いに感応しあっている。それは如来様の智慧が私たちにはたらいているということになります。

中国の天台智顗は冥機冥応(如来様がいらっしゃるかどうかわからないし、ここにいらっしゃることもわからない)、顕機冥応(如来様がいらっしゃることは信じているけれど、気がつかない)、冥機顕応(いらっしゃるかどうかわからないけれど、如来様は明らかにはたらいていらっしゃる)、顕機顕応(私の意識も如来様に気がついているし、実際に如来様がはたらいていらっしゃることもわかる)と云いましたが、これはまさしく「念仏のプロセス」ですね。

弁栄聖者は、お念仏に集中してくるとホルモンがはたらき、霊性がだんだんと活性化して、「信心歓喜の華ひらく」とおっしゃっています。

大乗仏教は「念仏三昧が幹」ですし、これが修行の中心なのです。

念仏と法話の会

山本 サチ子

◇日 時:5月11日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:河波定昌上首
◇参加者:23名

ご法話

今日は縁起についてお話をされました。縁起とは最初に何かある存在があって、それから何かが出てくるという「先住論」の否定があります。即ち是れあるが故に彼ありであり、又そこで彼あるが故に是ありの関係が成立するところであります。近代では主観が最初にあってそれから客観が成立するといった考えと(主観主義)であります。釈尊がサトられた縁起を私たちは主観と客観との対立関係においてみるから縁起そのものの真理が消えてしまいました。私たちが念仏する時、まさにそこで縁起が成立します。そしてまさにその縁起の故に私がなくなり(空)、「是心是仏」と仏になってゆくのであります。弁栄聖者はそのところを「侘(陀)仏を念(縁)じて自仏を作る」と仰せられました。

縁起と念仏が一つにならないと見えてこない世界があります。これら大乗仏教を原点にして新しい仏教の地平を開いたのは「法然上人」であり「山崎弁栄」聖者でありました。聖者はこれらのことを光化「光の現象」といわれました。

法話は他にも増上寺の三縁についてあるいは近代においてハイデッカーの活躍等についても話されましたが紙面の都合上省略させていただきます。

河波上首は私たちは念仏を通して自我からの解放を求めていく。大切なことは今、生きているうちから生活の中に念仏を取り入れてその功徳を頂いていくことなのですと締められました。

合 掌

茶話会

遠方から参加して下さった方が数名ありました。また茶話会で一人の女性が率直な感想を語られました。女性は小さいころから父親とそりが合わなかった。それが何なのかわかりませんでした。哲学を専攻した父と最終的に話が合わなかった。その何故かが胸につかえてたのです。それが今日の河波先生の法話から見えてきた気がします。この念仏会に参加できて本当によかったですと心境を語られました。私たちは念仏会に参加するだけでなく参加者同士のコミュニケーションをもっと大切にしていこうと思いました。

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