光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成26年9月

7月関東支部報告

一行三昧の会

佐藤 蓮洋

◇日 時:7月6日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:18名

猛暑の中でしたが、多くの方に参加いただきました。

鍵和田師の維那、炭屋師の大木魚で始まり、午前中はお念仏、如来光明礼拝儀を称え、岩下さんの伴奏で聖歌を唱和しました。午後は河波上首からご法話いただきました。

河波上首から次のような法話がありました。

ご法話

法然上人五十八歳の時に「東大寺十問答」がおこなわれ、その冒頭で「八宗九宗、みないづれも我が宗の中におさめて、聖道浄土の二門とわかつ也」とおっしゃられている。浄土宗の中に八宗九宗全部が含まれているということであり、「法然上人に帰れ」ということの意味は、ちっぽけな一宗派としての浄土宗ではなく、開かれた浄土宗になるということなのです。

また六十六歳の時に『選択本願念仏集』を書かれ、浄土宗の独立を宣言しました。この第三章に名号について述べられ、南無阿弥陀仏の名号の中に如来様のおさとりがすべて入っている。名号の中に万徳が具わっており、だからお念仏をする者は救われていく。さらに、経済力、性別、職業などによらず、みんなが平等に往生するということが述べられ、「一切衆生平等往生」がこの選択集の旗印ともなっているわけです。

さらに二祖聖光上人が書かれた『末代念仏授手印』の袖書に「究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝 我閣万行選仏名 往生浄土見尊體」ということばがかかれています。これは、「いろいろな行があるけれど、仏の名を称える行が一番優れているから、念仏を選び、浄土に往生して尊體を拝見する」という意味です。つまり、浄土門の修行によって大乗仏教が完成されていく、ということですね。

弁栄聖者も法然上人から約七百年の時が立っていますが、「究竟大乗浄土門」を現代的に展開された。聖者はご自分の宗教体験の中から、キリスト様が拝まれた「父なる神」と仏教の「阿弥陀様」は同体異名だ、とはっきりおっしゃった。浄土宗、光明主義という閉ざされた集団ではなく、開かれた集団の中で、私たち一人ひとりが無限に開かれていく。それがお釈迦様のおさとりであり、如来様のはたらきをいただき私たちが救われていく、ということでもあります。これからもこのような念仏の精神を大切にして、精進していきたいと思います。と結ばれ、引き続きお念仏をお称えしました。

その後の茶話会では、時節柄「熱中症の話題」も聞かれました。

念仏と法話の会

山本 サチ子

◇日 時:7月13日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:河波定昌上首
◇参加者:27名

ご法話の概要

河波上首はお盆に因み「回向」からお話し下さいました。お話の中で田中木叉先生が生前よく口になさっていたことを話されました。

「人は亡くなったらそれきりだということはなくて、見えない死者の世界があります。それ故に私達は死者へのご回向をしなければなりません」……と。

仏教が我が国に入る以前から弔うということはありました。キリスト教でも死者に対する「回向」(コミュニケーション)があり、「死者に対するミサ」があります。ウィーン少年合唱団の歌もこれにあたります。モーツアルトの「死者のためのミサ曲」も死者に対する弔いとして手向けられたものです。

法然上人のご文の中にもご回向のことが書かれていて『拾遺和語燈録』に、

亡き人のために 念仏を回向しそうらえば 阿弥陀仏は光を放ちて地獄・餓鬼・畜生を照らし給えば この三悪道に沈みて 苦を受くるもの その苦しみ安らぎて 命終わりてのち 苦悩なく解脱を被らん。

と。これが回向の世界です。

法然上人は別時念仏の行中に式子内親王(御白河法皇の第三皇女)から臨終の床についた自分に臨終の導師になってくださいと、お使いを頂きました。法然上人は別時念仏の行中だから、アナタのお側に行くことはできないけれども、この別時念仏の功徳のすべてを、アナタへのご回向とします。とお手紙をお書きになりました。

式子内親王への法然上人のご回向は、生きた人から生きた人への回向です。回向のなかでは生死の境が無くなっています。回向は空想的なことではなく本当に現実にあることなのです。法然上人は亡くなられた人に対してだけでなく生きている人の為にも回向することは大切ですよと書かれています。式子内親王の念仏がまさにそうです。

「回向」については『華厳経』の中の一句にも、

若人欲了知 三世一切仏
応観法界性 一切唯心造

という聖句があります。

「私たちの心のなかに阿弥陀さまも法界も全部が入ってしまう。如来さまの中に包まれている私だけれども、その如来さまは私の中に包まれている」

このように三つが一つに包摂されているのです。

仏教でもキリスト教でも万物の根源は一つです。ドイツの哲学者マルテン・ハイデッガー(1889~1976)は二十世紀の最大の危機は、私たちが還っていく故郷(ハイマート)をなくしたことで、そのことは水素爆弾の恐怖よりも怖いと名言されました。昨今ではヨーロッパで第二バチカン公会議(1962~1965)が開かれ仏教の中にもキリスト教の真理があると認められたのです。またニコラウス・クザーヌス(1401~1464)はどこを向いても神様(阿弥陀様)が現前に在します。と言われました。

我が国では法然上人が「一枚起請文」の中で弁栄聖者はお慈悲の便りの中でそれぞれに名号を称える大切さを世に伝えておられます。個人個人を敵対するのではなく人の苦しみを一緒になって苦しみとし名号を称える。

河波上首は亡くなられた人への「ご馳走」はご回向しかありませんと話されました。亡くなられた人と別々と想ってはいけないのであり皆、「法のいと」の中にあります。蓮の花は阿弥陀仏の中で一体になっていくのです(倶会一処)。と結ばれました。

法話の終了後、亡くなられた方々と会員の親族の方の回向がなされました。

8月の例会はお休みといたします。

合 掌

茶話会

参加された方から丁度お盆に今日の法話を拝聴できてとてもよかったですとのコメントがありました。いつものように和やかな歓談をして終了といたしました。

第14回 関東支部主催 親子別時念仏会

植西 武子

◇日 時:7月26日(土)~27日(日)
◇会 場:相模原・光明学園高等学校(修養室)
◇講 師:山上光俊上人(島根県・向西寺住職)
◇参加者:56名
光明会関係の参加者:26名(大人24名、子供2名)
光明学園関係者の参加者:30名
(卒業生・社会人4名、卒業生・大学生4名、在校生14名、教諭6名、子供2名)

事前討議

本年度は親子別時の継続的実施について、かなりの時間をかけて役員全員で真剣に討議しました。課題①は経費の問題、課題②は子供の参加人数の問題が中心となりました。

課題①については毎年、決算上マイナスが生じること、課題②は夏休みと言えども子供はクラブ活動や習い事、塾通いで忙しく参加しにくい現状にあるとのことでした。

討議の結果、課題①については積極的に寄付活動をし、光明学園関係からも会費の一部を徴収するなどの努力をして是非とも別時を継続的に実施するべしと言うポジティブな意見で一致しました。

課題②については「親子別時」の名前は踏襲しつつも内容的に幅を広げて光明学園の生徒に呼びかけ、青年向けに移行していくことになりました。これによって、光明学園とのご縁を一層密にし、聖者の当校設立のご意向に沿いたいと言う願いがありました。そのため、光明学園の先生方には大変なご協力をお願いしました。

課題③として、青年向けにシフトした場合、当然内容的にも一部変える必要があります。そこで、お上人様にお願いして青年向けご法話に力点を置き、時間的にも長くしました。また、お話を聞くばかりで無く、参加型の会とすべく、質問や討議ができる時間を設定しました。

事前準備

話し会いの結果、役割分担を例年よりも一層明確にし、各自が責任をもって意欲的に工夫して取り組んで下さいました。その例としてスタンド式の『食前のことば』を各テーブルに配置したり、別時後の「無量光寺参拝ツアー」を新設するなど、それぞれの担当で創意工夫して下さり、一歩前進した結果を生みました。

各自の智慧を活かして、全員が協力することによって大変スムーズに事がはかどり、成果の大きさも感じさせられました。皆様に感謝するばかりです。

参加者

山上上人は今年も大変お元気で、一方的な多種多樣な要望を受け入れて下さり、ハードなスケデュールの中でご法話下さいました。お上人に対してこんなに注文の多いお別時は他にないだろうと、大変申し訳なく思いました。

今回、最も嬉しかったことは光明学園の生徒が多数参加してくれたことでした。特に理科研究部からは在校生と大学生が昨年に続いて多数参加してくれました。また、民族・文化研究部からも参加してくれました。熱心にお念仏し、ご法話にも集中して傾聴していました。今年は特に落ち着きが感じられ、多数の生徒が来年も参加すると意思表示してくれたことは何よりの喜びでした。

先生方は今年は6名も参加下さいました。担当の長谷川先生、毎年献身的にお力添え下さっている鴨志田先生、子供の活動を全面的に担って下さった下口先生、には大変お世話になりました。さらに今年は山本先生と唯一女性の須貝先生がこまごまとご配慮下さいました。伊藤先生は長年の経験から全面的に会を推進して下さいました。各先生方のご協力に頭が下がる思いです。親子別時は光明学園の先生方によって成り立っていると言って過言でないと思います。深謝するばかりです。これも「聖者のご加護」と合掌しました。

中部支部との共催が無くなった今も、名古屋から内藤さんご夫妻とご長男が参加下さったことは殊の外うれしい事でした。鉢伏山別時以来、ファミリーで親子別時を支えて下さっているご熱意に平伏するのみです。

更にうれしい事に、光明学園の卒業生で在学当時から参加していた平松さんが2才の赤ちゃんを連れて参加してくれました。最年少2才の息子さんと最高齢92才の舟橋さんとにはなんと90年の隔たりがあります。このような会は一般的にはめずらしいことです。毎年連続して参加下さっている舟橋さんにはお念仏のご加護を見るようで頭の下がる思いでした。

また中三の息子さんを伴って参加下さった鳴海さんは内藤さんのご長男と鉢伏山別時時代の子供世代です。尚、ピアノの伴奏をして下さった遠藤さん、指導者として活躍くださっている伊藤先生もその仲間です。

当時の子供であった人達が世代交代して現在中堅として逞しく活動して下さっている状況を見て、足利先生、中牧先生がご尽力された鉢伏山親子別時は現にこうして継承されている事実を確認し、『継続は力なり』の格言通り、未来を生み出す現在の責任をも強く感じさせられました。

新しい試み

その①山上上人との対話(生徒対象)

今年から参加型を目指して設定した「お上人との対話の会」はやはり、簡単にはいきませんでした。自分の考えを整理してまとめること、それを自発的に発言することは、日本人の最も不得手とするところと承知していましたから。

そんな中であまり好ましくない指名式に切り替えてスタートし、ようやく意見を聞き出しました。「ご法話が少し難しい。」とか「子供向けの法話がおもしろい。」と言う微笑ましい意見から始まり、「なぜ、お上人はお坊さんになったのか。」と本質に迫る意見が出ました。途中から大人の参加者からもご意見、感想を述べて頂きました。

その②山上上人との懇談会(大人対象)

これは参加者が打ち解けて交流する機会が少ないため、就寝前のひとときを大人対象で設定しました。花岡さん、田代さんと言う錚錚たる茶道のお師匠さんがおられるので茶菓をたのしみつつ懇談しました。遠藤さんがお運びに徹して頑張って下さいました。

いろんな質問もあり、お話が弾みました。お上人ご持参の「ユーモア眼鏡」が一座を巡り、全員が子供に返って爆笑する場面もありました。

献灯式

今年も昨年同様に参加者全員で献灯しました。開会宣言、三礼の後、お上人様が厳かに「表白」を読み上げられました。遠藤さんのピアノ伴奏「聖きみくに」が静かに流れる出すと献灯の列ができました。お上人の前で2才の竜大君から順々に仲良しコンビの華ちゃん、結衣ちゃん、そして中学生の裕大君、高校生、大学生、卒業生、大人へと献灯が行われました。50余本のローソクがあかあかと燃え、如来様のお姿が一層はっきりと写し出されました。毎年ながらこの瞬間が素晴らしく感じられました。

子どもの活動

今年も子供が3名と少なかったのですが、理科研究部顧問の下口先生が子供達の世話をして下さいました。理科研究部の生徒も共に活動してくれました。飼育されていた蛇に触れる実体験もしました。
2日目は暑い中、野外活動として「相模川ふれあい科学館」に連れて行くミッションを石澤先生が担って下さいました。先生は以前子供の活動を担当して下さっていました。この日たまたま登校され、急遽引き受けて下さいました。心底感謝。

ご法話

法話は26日の午後に大人対象(1時間)、青年対象(1時間)、子供対象(30分)と27日の午前に青年対象(1時間)がありました。内容は概略のみ

26日 大人向け法話

本席では法身、報身、応身の三身についてお話を導入され、霊応身を中心にお話を展開されました。「南無阿弥陀仏」と称えることによって心の中に仏様をお迎えして住んで頂く。念仏のねらいは「情」を育てることにある。「情」が育っていくと純化していく。「霊応身」を宿すと意志が霊化される。霊応身を宿すには念仏することが大切である。

26日 青年向け法話第一席

法話の前にCDで五木ひろしの「大河の一滴」を聴く。(歌詞の書かれたプリント配布)

人はみな 世界にただひとつの生命を 抱きしめて
流れゆく 遠い海の彼方に ……

「個人の命」、「大宇宙の命」……みんなつながっている一個の命、分別されずに区別がない。分かり合う心、慈悲、その究極は阿弥陀様である。弁栄上人はその心を育てるには念仏以外にはないと説かれた。その後、「心のしあわせ」についてご自身の入信までの道のりをお話しされました。

26日 子ども向けお話

新見南吉著の「でんでんむしのかなしみ」についてお話のプリントを配布し、読みながらお話を進められました。これは皇后陛下の愛読書でもありました。

次ぎに「いつもテストの点数が低く、悩んでいる少年が誰にも相談できず、愛犬を相手に毎日愚痴っていると、犬は悲しげな眼差しでじっと聞いてくれる。」と言う話で、心から話しかければ、動物や植物であっても反応すると言うお話しである。そして人の話を良く聞いて、理解することの大切さを説いています。

27日 青年向け法話第二席

導入として九州の或る学校の「いじめ」問題の取り組みから導入されました。その結論として、「相手を褒める」→「相手の価値を認める」→「自分の価値を認める」→「自分を褒める」→「自分を肯定できる」→「やる気が出る」

如来様はあなたをそのままで救いたいと思っておられる。阿弥陀様の光明を頂くと知に於いては「はればれ」、情においては「ほれぼれ」、意においては「いきいき」となる。念仏すれば阿弥陀様が実感できる。 弁栄聖者は「大宇宙の中に一大理性(unvisible rule)が『先見観念』として存在する。」と言っておられる。

人類についても不明な点が無数にある。自然界、心霊界をあらしめるもの、大宇宙と小宇宙、人間の誕生等々。大宇宙は生きている。人間も生きている。この間の法則性について驚くばかりである。

その後でお上人は「大宇宙と小宇宙、人間の誕生」についての映像をDVDで示されました。その中で特に我々の心を捉えたのは「人間誕生のプロセス」の場面でした。それは何億と言う精子が胎内のたった一つの卵子に向かって壮絶な戦いを繰り返し、長い関門だらけの旅路を終えてやっと到着する瞬間でした。「一つの命」が生まれるのにこれだけのプロセスを経なければならない事実に圧倒されました。「命の大切さ」を説くにこれほどの教材はないと思いました。

初参加の方に記念となったと思います。

無量光寺への参拝

今年初めて、お別時終了後、無量光寺への参拝を本別時の一環として試みました。

今迄は個人的に希望者が参拝していましたが、森井明攝尼が発案し、佐藤蓮洋副支部長と二人が中心となって下見をし、お寺との交渉もして下さいました。今年初参加の方が4名おられ、その内3名の方も参加下さいました。その案内に光明学園の参加生徒の中に将来神主を目指してお寺との繋がりがあると言う素晴らしい生徒がいました。彼は実にテキパキと事を進め案内役を引き受けてくれました。生憎、この日は好天気に恵まれ過ぎて、お寺に到着直後に急遽、雨が降り出しました。彼の気転で、弁栄聖者が教鞭をとられたと言う建物に避難し、往時を懐かしんだと喜んでいました。初参加の方に良い記念となったと思います。

おわりに

今年はいろんな問題をみんなで協力して一つ一つ解決しながら実施出来ました。その分、充実感をもって終えることができました。何よりも参加下さった皆様、お力添え下さった光明学園の先生方、共に問題解決にご協力下さった関東支部の皆さんに心から感謝しています。来年の更なる発展を祈りたいと思います。

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