光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成26年11月

9月関東支部報告

山本 サチ子

◇日 時:9月21日(日)
◇会 場:光明園
◇講 師:河波定昌上首
◇参加者:28名

ご法話の概要

本日は「聖者より大谷仙界上人に賜わりしお慈悲のたより」から導入されました。河波上首と共に全員で御文を読み上げ声を出して朗読すると気持ちが引き締まりました。

すべてを大ミオヤに御任せ申し上げて常に大ミオヤを念じ大ミオヤはいつも離れずあなたの真正面にましまして………。

河波上首はこの御文のなかにすべてのエキスが含まれていますと切り出されました。そして法話は昨日の淑徳大学主催の公開講座で「凡夫の自覚と人間の高貴性」のタイトルで話された法話と繋がりを持たせながら展開されました。

「善人なおもて往生す、いかにいわんや悪人をや」
(法然上人伝記、醍醐本)

を引用され話されました。法然上人は善人が先に救われ悪人があとに救われるといった次元の問題ではなくただ一心不乱に念仏することが一番肝心なことであると説かれ弁栄聖者も同じくそのように説かれています。

○念仏の祈りの原型
弁栄聖者はひたすら念仏することを説かれまたその「祈りの原型」についてそれは一点に集中して念仏し雑念が出たらまたもとに戻り念仏する。その繰り返しを行っていくうちにだんだんと集中していく。専らにして(一心不乱に)念仏するとあなたの心はお慈悲の面にうつり、「映・写・移」そうすることにより入我我入(真言宗では加持)が起ってきます。そうしてあなたの心はなくなりて唯のこる処は御慈悲の如来さまばかりと成っていきます。田中木叉先生はかつて法然上人の月影の御歌のなかで、

月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ

この御歌の「すむ」は「はたらいて下さる」ととりなさいと言われました。この場合も入我我入と関係づけて説明なされたのです。念仏が集中していくと「空」になっていきます。空になるということは自分自身から解放されて仏様になっていくのです。日本人は古くからお月さまを通して人間を形成してきました。もしお月さまがなかったらこれほど宗教的にはならなかったでしょう。日本のお月さまに関係した行事にはおだんごやススキを飾る風習が多々あります。

○日本的霊性
鈴木大拙博士は日本に「霊性」と言うことばを広められました。ただ、博士の霊性は鎌倉時代に限定された霊性です。弁栄聖者は霊性についてもっと早い時期から語られていたのです。鈴木大拙博士が日本に霊性のことばを広めたことは偉いと思います。しかし私は縄文の時代から霊性ははじまっていたと思います。月を通して月となっている。つまり月は阿弥陀化されていたのです。そのことは法然上人の「月影の歌」・明恵上人の「あかあかや」等の御歌からも考えられます。縄文的霊性は大乗仏教と繋がって仏教を作っていて大乗仏教はインド仏教だけでなくギリシャ哲学が入っていったのです。ギリシャ文化の絵やお経をなくして大乗仏教は生まれなかったと思います。「天に在ます我等が父よ…」の祈りと「阿弥陀仏」は同体異名であったのです。同じ銀河系に住んで同じ地球に住み神様だけが違うことはないと弁栄聖者は言われています。そのことは「人生の帰趣」を読めばすべて解かります。弁栄聖者は礼拝儀はお釈迦様が祈られた原型でもあると言われています。
そして光明主義は、

大乗仏教+キリスト教=光明主義

であります。 まさに光明主義は「礼拝儀」を通じ古今東西を通じ祈りの原型であると強調され締められました。

茶話会

岡 潔先生(元、奈良女子大学教授)の本を読み光明会を知りましたと新しく若い男性が今日の会に参加されました。茶話会前に少し会員と話し次回また参加しますとのことです。本日は役員会があるため少し早めに終了しました。

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