【【【【?】】】】一行三昧の会
佐藤 蓮洋
◇日 時:11月2日(日)
◇会 場:光明園
◇導 師:河波定昌上首
◇参加者:22日20名・23日22名
冒頭の開会の挨拶で河波定昌上首は浄土宗伝承の「三種の行儀」の大切さを語られました。祈りの中の世界は繋がっているものがあります。念仏は浄土宗が持っている世界最大の精神的遺産です。2日間の別時でこのことに触れていきたいと挨拶なされました。
ご法話の概要
弁栄聖者はお念仏の仕方を大谷仙界上人に差し出されたお手紙の中に示されています。このご文を朗読して別時を開催したいと思います。
すべてを大ミオヤ(阿弥陀仏)におまかせ申し上げて常に大ミオヤを念じ…
…あなたはそれのみを念うて専らにしてまた専らなる時は段々と心が統一できて…
…あなたの心はなくなりて、残るところはただお慈悲の如来様ばかりとなり候
私達が念仏を申す時に「今現に此処に在ます」と受けとる。これが一番大切です。そして如来さまに相対して「一心に恭礼し奉る」のです。この中にはすべて大乗仏教の精神が入っています。西方浄土と言うが実はどこを向いてもそこが正面でありそこに阿弥陀様がおられます。ニコラウス・クザーヌスも弁栄聖者と同じことを言いました。どこを向いても向いたところに如来様がまします。念仏している時に心が乱れたらもう一度如来様を念じて心を戻しまた続けます。南無阿弥陀仏を称えて心を一点に集中する(正面性が成り立つ)。念仏をすると一点に集中し、あたかも地球の引力が中心におちるように地球の全体が一点に働く。どこへ働くかというと私達に働く。如来様が宇宙全体に満ち満ちています。如来様の鉱脈が私の中にも流れています。これを法界身という。観念論じゃないのです。法然上人もこのことを歌で表現しています。
月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にすむ
浄土宗歌のこの歌は法然上人が『観無量寿経』を日本語に置き換えたのです。『観無量寿経』は点化を説くお経です。阿弥陀様の力が働き点化してぴたっとした時が一つのとうげでそれが択法覚支です。これから本格的に七覚支がはじまってきます。このことは世界宗教文化から見てすごいことなのです。弁栄聖者にご道詠があります。
阿弥陀仏と尊き方を念ほへば
念ふ心ぞいや尊けれ
人間の尊厳性は深い神に対する祈りの中から出てきました。神様が万物の中にいる理論、阿弥陀様に包まれているその私達の中で展開していかねばなりません。P.ナトルプの存在の点化は阿弥陀様のはたらきと同じです。
(択法覚支)
○念仏七覚支
1.択法覚支
弥陀の身色紫金にて 円光徹照したまえる
端正無比の相好を 御名を通して念おえよ
総の雑念乱想をば 排きて一向如来に
神を遷して念ずれば 便わち三昧成ずべし
一心不乱に努力する中に一心不乱が出現してきます。現代人は自由とか平等とかいうが本当の自由や平等は念仏をしないとでてこないのです。宗教体験の深まりと同時に人間が深まっていく。広い視野で宗教を知る必要があります。学問としてでなく実践していく。それが人生の指針となっていくのです。民主主義は日常生活の中に念仏を生かしていくことです。私達は善導大師・法然上人・山崎弁栄聖者の方々の先人の御教えを受け継ぎ広めていくこと、それが大切な使命であります。東京は宗教的に砂漠であり、そういう光明園というオアシスの中でこの2日間念仏ができたことはすばらしいことなのです。と結ばれました。
茶話会
今回は「インターネット」や「岡 潔先生の読者」・「仏教塾の修行生」等の初参加者が多かったので自己紹介と感想をお願いしました。其々の方から新鮮な意見や感想を頂きました。念仏の実践と勉強を続けたいとの意見が多く仲間を増やす絶好のチャンスだと思いました。今回の別時の法話で河波上首が熱弁を振るって下さいましたこと本当に感謝いたします。また光友の皆様のご協力、本当にありがとうございました。
合 掌