光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成27年5月

一行三昧の会

佐藤 蓮洋

◇日 時:3月1日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:炭屋昌彦師
◇参加者:10名

?炭屋師の維那、岩崎氏の大木魚で午前中はお念仏、礼拝儀を唱え、午後はお念仏と炭屋師からご法話をいただきました。炭屋師は、「心からお念仏をすると「はい」「すみません」「ありがとう」ということばを素直にいうことができる心が育ちます。このようなことばを素直に伝えることができる生活が光明の生活ではないでしょうか。お念仏の心が自然に入ってくれば、悪いことはしたくなくなり、そして悪いことはできなくなる。」と熱を込めてお話しされました。

そして「知的障害の方の自立支援をしているNPO法人にお手伝いに行きます。二十二歳の男性ですが、彼は一生懸命クッキーやパンを作っている。手抜きもしないし、人を喜ばせたいと思っている。定期的にでる通信に、『いつも人が美味しいといってくれるお菓子をつくり、何か人のためによいことをしたいと思っています。そして、お母さんに人を喜ばせることをしたことを報告したい。』と書いていました。これが利他行ですね。なにも難しいことを行っているのではない。彼は光明の生活の中にいるのだと思います。」と結ばれました。

?念仏と法話の会

山本 サチ子

◇日 時:3月29日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:32名

冒頭で河波上首は本日の念仏と法話の会に京都から出席されておられる方が3名程おり、光明会が一つに合流していくことはすばらしいことです。と挨拶なされて本論に入られました。法話は主として念仏実践の重要さである経験主義と認識を中心に話されたと受けとめています。

ご法話の内容

●観念論と霊応身

河波上首は現在に生きる私達にそのご縁にあずかりお念仏をさせていただく時、時間の隔てをいっきょに超え法然上人と実に同時的(gleichzeitig)になると説かれました。同時性の概念はたとえばS・キェルケゴール(1813~55)がキリストとの関係で極めて強調された概念でした。宗教はどこまでも時間の概念を超えているので同時的にならざるをえない契機をもっています。この概念は二十世紀の哲学に決定的影響を与えました。お念仏をすると同時的になります。キリストさまと一体化していく同時性(釈迦も同じ)過去・未来・現在が同時的になり三つが一つになり一点に集中していきます。かつて九条兼実が法然上人を伏見までお送りした際に法然上人との別れが寂しいといいうたを詠まれました。

露の身は ここかしこにて 消ゆるとも
心は同じ 蓮の台(うてな)ぞ

台は『同処性(The same)』のことです。同時性・同処性・同事性のこの三つが一つになり霊応身が起こります。同じ場所にあり同処性(The same)はお釈迦さまが念じた念仏を私達も念じているのです。ドイツの哲学者ヘーゲルの最後の著書の中の「理性的なるものは現実的wirklichであり現実的なものは理性的である」にみることができます。シェリング(1775~1854)はヘーゲルの理性を絶対視する立場を突破しつつ「高次の経験主義」を主張しました。シェリングはヘーゲルの理性は現実性そのものに到達しえないことを論じています。シェリングと法然上人は高次の経験主義者で共通したところがあります。最初は観念論は必要でありますがそこだけに留まっていてはいけないと強調されました。

法然上人は一枚起請文を書き、教えの確信を図りました。

もろこし我朝にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず……。

「念仏為先」念仏をもって先とす。つまり念仏の実践が一番大事であります。末代念仏授手印の、

究竟大乗浄土門 諸行往生称格勝
我閣万行選仏名 往生浄土見尊体

「覚と学、是れ青年華 驀直突進 横向く勿れ」(木叉上人のお手紙)。

法然上人が語られた究竟大乗浄土門は念仏が大事であり万行を包み込み学問をかっこに入れて大乗仏教を究竟していかれることであります。田中木叉上人は念仏が「くさび」であるといわれました。念仏をすると一つの変化が生じ霊性が芽生えてくるのです。弁栄聖者もまた浄土宗の儀式化されているところを正し念仏が観念論を突破していくことに力を注いでいかれました。

また弁栄聖者は「同体異名」についてキリスト教の神と大乗仏教の阿弥陀さまは同じであると説かれています。さらに弁栄聖者は宗祖の皮髄の中で念仏三昧が高次の高い経験主義であり念仏をしていると生活に変化が生じてくると語られています。それが「光化の心相」 であり、田中木叉上人はそこがどのように変わっていくのかをうたを通してお説きになりました。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる

白は白 黄は黄のままに野の小菊
とりかえられぬ 尊さを咲く

まさにこれは豊かな精神的な場所となります。「野」とは本当に豊かな大地に恵まれたものであります。河波上首は仏教はインドから入ってきて日本の文化と出会ってできてきたものでありそれが光明主義なのです。と締められました。

茶話会

今日はいつもより遠方からの出席者が多く久し振りの顔ぶれに話が弾みました。京都からも三名出席してくださり感謝! 感謝! です。参加者は和やかに歓談して楽しい会でした。

合掌

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