光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成28年2月

弁栄聖者九十六回忌報恩念仏会

山本 サチ子

◇日 時:12月4日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:30名

今日は弁栄聖者がこの世にどのように出現なされて光明主義をおたてになり活躍なされていかれたのか、その意義を考えていきたいと思います。

ご法話

弁栄上人の意義としては3つの要点が考えられます。

  1. 浄土宗の改革
  2. 大乗仏教の完成
  3. 世界宗教の実現

●第一としては浄土宗の改革をなされたことです。人が死んでからお救いを頂くのではなく、その救いは現生において始まっているのです。そのことを十二光仏の中の①清浄光仏 ②歓喜光仏 ③智慧光仏 ④不断光仏のこの四光を引用してお話し下さいました。弁栄聖者は法然上人のみ教えはもとより、さらに今の浄土宗を時代に相合せしめながらその救済の内容を見事に説かれました。

●第二には大乗仏教の完成であります。たとえば、二祖鎮西上人の『末代念仏授手印』の冒頭にもみることができる「究竟大乗浄土門」という句は実は法然上人のことばです。この句の内容を弁栄聖者が実現していきます。法然上人によって確立した浄土宗ですが弁栄聖者はこれをクローズアップして完成していきました。死んでからのお救いでない。現世からの救いが大切であり始まっているのです。光明主義によって大乗仏教の完全で豊かな展開がされていきました。

十万の億と説きしも誠には
限りも知れぬ心なりけり  (山崎弁栄聖者)

●第三は世界宗教の実現であります。二十世紀になって初めて世界宗教という概念が出てきます。ギリシャは環地中海文明です。エーゲ海を背景にして興りギリシャ文化が栄え滅んでいきます。キリスト教がカトリックとして展開するのが三・四世紀頃であり、まだ地球という概念もなく狭い地中海世界の中でのみ普遍性がありました。イスラム教とキリスト教が血で血を争うことをしていた頃、その時ドイツの(哲学者・聖職者)のクザーヌス(1401~1464)は本当はただ一人の神様を拝んでいるのですよと説きました。

二十世紀になってはじめて本当の世界宗教という概念が出てきたのです。(1961~1965)年にかけてカトリックで最も大切な会議が開かれました。仏教にもキリスト教の真理があると認められたのです。これが第二バチカン公会議であります。しかしキリスト教と仏教の交わりが弁栄上人によって実現していました。

その先駆になったのが弁栄聖者でした。実は弁栄聖者はこの第二バチカン公会議が興る数十年前に宗教改革をされていたのです。改めて弁栄聖者の偉大さが偲ばれます。

おわりに

光明主義はバイブルを通して読むと礼拝儀がよりよく解ってきます。「礼拝儀」はまさにそれはキリスト教と仏教の合作であります。礼拝儀は千年単位のものであり最高の傑作であります。

浄土宗の改革と大乗仏教の変革そして世界宗教の実現が弁栄聖者によって築かれました。このことは私達一人一人にとって世界の歴史的意義の途方もなく大きいことを認識し、弁栄聖者の思想を深めていく必要があります。私達はもう一度、山崎弁栄聖者の出現の意義をよく考え、かけがえのないその真義を受け止めながら弁栄聖者を頂いていくことではないでしょうか。そういうところを頂きながら人類最終の目的として精進していくことが大切であると思います。

合掌

宗教と音楽の会―五日市田鶴子さんをお招きして・クリスマスコンサート―

佐藤 蓮洋

◇日 時:11月13日(日)
◇会 場:光明園
◇参加者:25名

今年も五日市田鶴子先生(東京音楽大学専任講師)とピアノ伴奏の廣瀬宣行先生(同大学准教授)をお招きして、クリスマスコンサートを開催しました。

小雨模様でしたが、近所の方々も多数ご参加いただき、五日市先生の熱唱と廣瀬先生の巧みな伴奏が豊かなハーモニーとなり、とても魅力的でした。コンサートの最後には、清浄光とのりの糸を参加者全員で合唱し、植西武子さんがご準備いただいた花束を田代悦子さんから五日市先生に贈呈していただきました。

宗教の根源である「聖なる世界」をふと感じさせる音楽に、キリスト教と仏教の枠を超えて心静かなる一時を過ごしました。

第7回 光明園別時念仏会

山本 サチ子

◇日 時:11月21(土)・22日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:延べ43名

ご法話

法話は念仏三昧発得記と「三種の行儀」から導入されました。

開経偈について

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

開経偈の作者はわかりません。今日は開経偈を中心として話をします。大切なことは A.無上法(縁起)阿含経 B.甚深法(空)般若経 C.微妙法(無量寿経)この三つなのです。

人間に生まれてきたということは誰でも念仏三昧が出来るように生まれてきています。般若経は縁起から出ていますがいくら縁起を説いても悟ることはできません。それゆえに念仏をすることが大事であります。どこを向いても向いたところに阿弥陀様が真正面にまします。

(すべてを大ミオヤにおまかせ申し上げて…) 無上甚深微妙法はこの中にある。 (専らにしてまた専らなる時は) 私達が別時念仏をしていく大事なところ。

専らになかなかなれないから別時が必要となるわけです。

あみだ仏と 尊き方を相おえば 念う心ぞいや尊けれ
(弁栄聖者)

阿弥陀様と私を縁起の関係におくことが念仏の実践であります。

宇宙は無限である

仏身円満にして 無背の相なり
十方より来たる者 皆対面す(善導大師)

宇宙が無限であるとはじめて言ったのはニコラウス・クザーヌス(1401~1464)です。神が包含であることを説くことによって中世と連続しつつ、またその神の、私の中からの展開を説くことにおいて近代思想への発端となっています。

『知ある無知』の著者のクザーヌスは中世と近世の境界に立つ最大の宗教思想家でした。善導大師の中夜礼讃に「観音頂戴冠中住 種々妙相寶荘厳」があります。そしてまた「威神光明最尊第一にして……」を念ずることによってキリスト教・仏教の対決ではなく融和が顕著である。もっと大切なのは弁栄聖者が語られた(すべてを大ミオヤ(阿弥陀仏)におまかせ申し上げて…)であり、そこにはキリスト教の歴史もあります。

大ミオヤは弁栄聖者によって、釈尊が悟られたダンマが結晶したといえます。如来様におまかせして念仏すれば絶対自力と絶対他力が総合されていきます。どこを向いても真正面に如来様がまします。

道を極める(茶道とポストモダニズム)

一歩入ればお茶も念仏も同じです。お茶の中に念仏の精神を入れていきます。

自分が点前をやっていると思うが実はそうじゃない。私が無くなっていくのです。南無阿弥陀仏と一つになっていきます。お茶をするその所作の中で自分が無くなっていきお念仏の世界と同じ精神統一がされていきます。十二光仏でいえば超日月光仏の世界です。まさにポストモダニズムの修行です。自我から自我を開放する。そのことは近代から脱却していくこと、すなわちポストモダニズムであります。

まとめ

ハイデッガーが20世紀最大の危機は故郷を失ったことだと申しました。まさに私達はこのことをしっかりと受け止め同時に「三種行儀」である ①尋常念佛 ②別時念仏 ③臨終念仏 のこの3つを毎日の生活に取り入れ実践していくことが大切です。私達が亡くなっていく時はターミナル、終わりがあるケアでは駄目です。ターミナルがなくなって、阿弥陀様に開かれていくケアそれが大事なのです。臨終来迎のこの段階に立った時は亡くなる前に光明が差し込んで(如来が顕れて)如来様の光明に包まれてお浄土に生きていくわけです。どうか皆さん念仏を致しましょう。合掌

茶話会

遠方から参加された方が多かった別時でした。参加者のきずなを確かめ合う楽しい一時を過ごしました。河波上首及び関係者の皆様、まことにありがとうございました。

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