光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成28年3月

弁栄聖者九十六回忌報恩念仏会

山本 サチ子

◇日 時:1月24日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:31名

今日は河波上首のご令室・諦様の7回忌のご命日にあたり、ご回向に因み法話がなされました。午前中は念仏実践と聖歌、聖きみくにを岩下玲子さんのピアノ伴奏に合わせ合唱しました。念仏の後、ご回向が執り行われました。

ご法話の概要

河波上首は参加者にお礼の言葉をのべられた後、奥様のお話を少しなさいました。田中木叉先生が奥様によく声をかけられて接して下さったことや念仏熱心なご家族の間で成長し、常に念仏をされていたことなどを織り交ぜながらお話しなされました。

今を遡る800数年前(1212年)の丁度この日、1月23日は法然上人が「一枚起請文」をお書きになられました。法然上人の命日と家内の命日が同じ日であることにご縁の深さを有り難く感じます。そこで今日は回向について話します。

紀元前1世紀の後半、小品般若経が出て、更にその数十年前、三品経の(懺悔・勧請・随喜)の3つの思想が出てきます。そして更に小品般若経・回向・発願を入れると5つが成り立ちます。

お釈迦様が『鹿野苑』で法を伝えられた悟りの法を私たちにも伝えていく、「但受諸楽故名極楽」は人間形成に左右し、その真理を私たちも頂いていくことに繋がります。法然上人は54歳の時、大原談義で「他作自愛」を説かれました。「自受用三昧」が般若経の説く空においてそのまま他作自受になっていきます。他人と自分の対立がなくなっていきます。お釈迦様の悟られた真理を法然上人を通して私たちも頂いていくことは大変ありがたいことです。

私はこれまでウイーンに10回ほど行きました。ある時ウイーン少年合唱団が合唱した死者のためのミサ曲(モーツァルト)を聴いています。ミサ曲が死者と繋がっていくという点ではキリスト教も仏教も同じです。 平成6年に天皇・皇后両陛下が硫黄島を訪ねられました。其の時に、皇后陛下が戦没者の霊を慰めるために鎮魂のお歌を詠まれました。

銀ネムの木木茂りゐるこの島に
五十年(いそとせ)眠るみ魂かなしき

終戦後、硫黄島では夜になると兵士の声があちこちから聞こえていました。
両陛下が訪問され、回向をなされてからは不思議なことに亡くなられた兵士の御靈が静かになりました。

法然上人と回向

回向(パリナーマ)には4通りがあります。

  1. 生きている人から亡くなった人へのご回向。
  2. 生きている人から生きている人へのご回向。
  3. 亡くなった人(死者)が、私たちを回向する回向。
  4. 死者から死者へのご回向。

まさに回向には、時間と空間を超えた世界があります。
後白河天皇の皇女、式子内親王(加茂斎院となるが病のため退下し、出家して承如法と称する。)そのお歌に、

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする

式子内親王は自分の臨終が近いことを悟り、法然上人に手紙を託すのですが上人は別時念仏中であること、逢えば迷いが生じます。「蓮の台」でお逢いしましょう。と返事をされました。法然上人は生きた人から生きた人への回向をなさいました。ご回向とは本当にあるものなのです……と結ばれました。合掌

ご回向

河波上首のご令室、諦奥様のご回向が執り行われました。
至心に回向す(常念院諦誉明遍大姉回向)。
諦奥様のお元気だった頃のお姿を思い浮かべて心よりご回向いたしました。
南無阿弥陀仏

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