関東支部報告
一行三昧の会
鎌尾 美津江
◇日 時:6月5日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:大南龍昇園主
◇参加者:15名
4月の一行三昧の日に河波上人様がお亡くなりになられました。5月の「法のつどい」における追恩法要、光明園での偲ぶ会。そして2ヶ月ぶりに河波上人のご遺志をついで、大南上人様の御法話が再開されました。この日会の終わりに皆で念仏七覚支を歌いました。
今月より、長らくご法話を纏めて下さった佐藤蓮洋師から、バトンタッチいたします。
- 〈御法話の内容〉
- 毎月の光明園短信に載っている田中木叉上人編『お慈悲のたより』(中巻)で弁栄聖者は、譬えをもって、お念仏の申しようを述べられています。
お念仏をすることは、心霊的に復活して、ちょうど鶏の卵子が、雛に孵化するようなものである。一切衆生悉有仏性、すなわち、せっかく頂いだ仏性をお念仏によって実現する。念仏のあるべき姿は、ただ称えるのではなく、三昧が大切である。三昧によって如来様の光明をいただくということです。
また、真っ黒な炭のような私たちの心も、お念仏によって如来様の光明の火がつくならば、快い歓びに包まれる。
このように弁栄聖者は手紙を貰った人が、お念仏できるように、的確な譬えを用いて、教えを理解できるよう繰り返し丁寧に、口説いて下さっています。
光明園の一行三昧は念仏をしながら、弁栄聖者のみ教えを聞き、聞いたことをお念仏によって確認していく事が出来る道場です。頭の中で理解するだけでなく、自分で納得するよう行ができるのが最大の素晴らしいところです。生きるためのお念仏を皆で一心に精進いたしましょう。
念仏と法話の会
志村 稔
◇日 時:6月18日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:大南龍昇園主
◇参加者:20名
昨日6月18日に千葉にあります淑徳大学という社会福祉事業の専門教育を中心にしている大学で、新しい学部の看護栄養学部を会場に建学式が実施されました。この建学式は、大乗淑徳学園という幼稚園から大学院までの教職員が年に一度、一堂に会して、学祖である長谷川良信の大乗仏教を基にした建学の精神を新たにする式です。この式の中で『華厳経』の話をさせていただきました。学祖・長谷川良信は仏教の「自利利他」の精神から社会福祉のあり方を「for him(彼のために)ではなく、Together with him(彼と共に)でなければならない」とし、これを建学の理念に据えました。長谷川良信は華厳経の入法界品にでてくる善財童子を大変敬慕しておりました。善財童子は53人の善知識を訪ね修行をしますが、長谷川良信が大乗淑徳学園の大事業を進める上で多くの方々のお世話になり、その志の道程において善財童子に学んだことが心から慕う所以でした。
一年前の6月20日に故 河波定昌上首が淑徳大学池袋キャンパスの公開講座「華厳経を読む」において入法界品の話をされており、その因縁を感じます。『華厳経』とは『大方広仏華厳経』を正式名称とし、初期大乗経典の一つですが、河波先生は華厳経を「念仏によるさとりを説く教え」と捉えています。入法界品において善財童子は53人の善知識に「どうしたら無上のさとりの世界に入れるのか」と問いながら修行の旅をつづけ、さとりの世界に入っていく経典です。一番最初は文殊菩薩から最後に普賢菩薩を訪ね入法界品は終わるのですが、文殊菩薩に紹介される最初の善知識は功徳雲比丘です。この比丘は「菩薩道とは何か」という善財童子の問いに、「念仏三昧に入り、無数の仏の世界を観察することである」と答えます。入法界品では最初から念仏の実践の方向付けが示されているのです。ところで、弁栄聖者と華厳経の関係を見てみますと、聖者は24歳の時に、東京駒込の吉祥寺において卍山(かずやま)上人から『華厳五敎章』を学ぶのですが、大乗仏教の精髄たる「華厳」の思想を念仏三昧実践の内容そのものとして捉えておりました。
最後に、入法界品の中で善財童子が十人目に出会う「勝熱婆羅門」の話をします。善財童子は火焔の燃え上る大山の断崖絶壁で修行する勝熱婆羅門を訪れ、同じようにさとりの道について質問するのですが、婆羅門は断崖絶壁を登り山頂から火の海の谷底に飛び込めば菩薩行は即座に浄められると答えます。躊躇する善財童子に梵天や諸天たちが婆羅門を信じることを説き、童子は山頂から火の海に飛び込みますが、谷底に着く直前に三昧のさとりが得られます。この勝熱婆羅門の話は道元の『正法眼蔵隨聞記』にもある唐の長沙景岑禅師の偈に「百尺竿頭不動の人、然も得入すと雖も未だ真と為さず、百尺竿頭須らく歩を進むべし、十方世界是全身」の教えのもととなっていると言われます。信じることについて、田中木叉上人が岡潔先生に初対面の折、ただひとこと「だまされて念仏してください」とかたりかけ、岡は即座に「だまされましょう」とひとことで返したと言われます。先入観を離れ信じることの大切さを考えさせるエピソードだと思います。