光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成28年12月

関東支部報告

平成28年度(第16回)関東支部主催 親子別時念仏会

        

植西武子

◇日 時:7月23日(土)~24日(日)
◇会 場:相模原光明学園高等学校(修養室)
◇導 師:山上光俊上人(島根県・向西寺住職)
◇維 那: 関東支部役員 志村 稔氏・森井 明摂尼
◇参加者:45名
*光明会関係の参加者は29名(大人25名、子供4名)*光明学園関係者は16名 (在校生8名、大学生4名、教諭3名、PTA役員1名、その他「法話」にPTA関係者数名参加)

 朝9時に学校に着きましたが、人っ子一人の姿もなく、学校は深閑としておりました。毎年、この時間には既にクラブ活動でグランドや校舎内には多くの生徒の姿がありました。不思議だなと思いつつ、6階の修養室に直行しましたが、やはり誰もおりません。
 でも、会場は既に整然と準備されていました。暫くして、伊藤旭栄先生と卒業生数人が来られ、ほっと安心しました。当日は高校野球地方予選で、相模原高校野球部の試合日となり、全教職員、全校生徒が応援に参加したとのことでした。もし、試合に勝てば午後にもう一試合あり、負ければ昼前に帰ってくると言うことでした。勝って欲しいが、親子別時の開会式には間に合わない。いや、おそらく、夕方までは無理だろうと、非常に複雑な気持ちでした。昼前にぼつぼつと生徒の姿が見られ、例年通りのスケジュールでスタートしました。

〈参加者〉

 最も遠方からは導師の山上上人が島根から、次に、内藤規利子さん、小川晴江さんと友里さん、小川滋子さんが名古屋から、関東と言えど広し、群馬、千葉、埼玉、東京、神奈川から多数の方々が参加下さいました。また、今年は壮年期の男性が7名も参加下さり、非常に嬉しいことでした。最高齢は94才の舟橋さんから最年少は5才のひかるちゃんとバラエティに富んだ年齢構成で親子別時ならではのことでした。このような幅広い年齢構成で成り立つ会合は他に類を見ないものと思います。世代間格差(特に精神面に於いて)が問題になっている今日にこそ、求められる一つの打開策ではないでしょうか?

〈日程〉

第一日
  12:45~13:15 開会式
  13:15~13:30 念仏:聖歌
  13:30~15:30 法話(1)大人対象/法話(2)青年対象
  15:30~16:45 オヤツタイム(自己紹介歓談)
  16:45~17:00 後片付け・会場整備
  17:00~18:00 礼拝・念仏
  18:00~19:00 夕食
  19:00~19:30 献灯式
  19:30~20:00 入浴・自由時間
  20:00~21:30 パジャマ会
  21:30 就寝
第二日
  06:00 起床
  06:30~06:50 ラジオ体操・記念撮影
  07:00~07:50 礼拝・念仏
  08:00~09:00 朝食(各部屋清掃)
  09:00~09:50 念仏・聖歌
  10:00~11:10 法話(青年・大人)
  11:20~11:40 質問・意見
  11:40~12:10 数珠作り、感想カード
  12:20~13:00 昼食
  13:00~13:30 荷物整理各部屋清掃
  13:30~14:00 閉会式

 以上が二日間の日程ですが、実質は丸一日の時間帯の中で多くの事柄を実施して行くには進行が大変です。久しぶりにと言うよりも、年に一度のたなばた様的出会いもあり、懐かしくお話も弾みます。それを知りながら、スケジュールが気になって、ついつい皆様を急がせ過ぎたと反省することしきりです。ゆったりとした日程の組み方が反省点でもありました。今年は楽しく参加し、充実感の残る会にしたいと次の事柄に配慮しました。

〈お数珠つくり〉

 昨年初めて実施し、大変好評でしたので、今年も森井明摂さんが準備から指導までして下さいました。山上上人よりお数珠のお話を聞き、一生懸命作業に取り組みました。さすが、二回目とあって早々と仕上げる生徒もいました。昨年の作品を身につけて来ている人は二つ並べて満足そうでした。よい参加記念になると思いました。

〈献灯式〉

 親子別時のハイライトは何と言っても献灯式です。初めて参加された森井さんのご長男が5才のひかるちゃんをリードして、立派に献灯できました。とても微笑ましい姿でした。親、子、孫の三世代ファミリ―が新しく誕生したことは何よりの喜びでした。遠藤由起さんが弾くやわらかいピアノの音があたりの空気を包み、揺れる灯火と相まって厳粛な時が流れました。

〈オヤツ・タイム〉

 お互いの表情がいちばん和むのはこの時です。自己紹介も兼ねて一人一人が発言しました。なんと、5才のひかるちゃんはマイクが廻ってくるとさっと手を出し、しっかりと自分の名前を言いました。この後に、自然と左右の人との会話が進み、暖かい雰囲気の中で親しみが生じたように感じられました。

〈団欒会〉

 花岡さん、田代さんと二人のお茶のお師匠さんがおられますので、毎年、夜にはお茶会をして、楽しく団欒してきました。同時並行で子供と生徒達と先生方で仲良し会をやっていましたが、今年は生徒を中心に共に過ごし、意思疎通ができる機会にしたいと思い、生徒達を主客としたお茶会としました。田代さんと遠藤さんがお茶の接待をして下さいました。多人数のお茶を点てるのはさぞ大変なことだろうと申し訳なく思いました。いよいよ会が進行するにつれて、生徒達が予想以上に活発に話し出し、大人は微笑みながら黙って聞いておりました。突然、華ちゃんがお上人様の横に、ぴったりと寄り添って、大きな声で詩の書き込まれたカード(お上人様が準備されていたもの)を読み出しました。その詩の内容もさることながら、その堂々たる態度、しっかりした読みに高校生達も驚いた様子でした。視線をおじいちゃんの田代氏に移しますと、ぽっかり口を開けて、驚嘆の表情でした。子供が持つ無限の可能性は何時、どんな形で開花するのかわかりません。2時間はあっと言う間に過ぎ去り、全員それぞれの部屋に帰って行きました。

〈光明学園体育館見学〉

 ここ十数年、会場をお借りしながら、修養室、食堂、宿泊棟以外は訪れたことなく、体育館の如来様を拝みたいとかねがね考えていました。今年は幸運にも女子体操部が練習しているだけと言うことで、そっと見学させて頂くことになりました。
体育館に入るとその大きさに驚きました。さらに入学式や卒業式には建物の両サイドから椅子が出てくる仕組みになっておりました。それは約50年前に訪問したサンフランシスコのある中学校と同じものでした。米国の場合は体育館が昼には食堂として使われるため、長机と椅子が出てくる仕組みになっていました。
 さて、肝心の如来様は正面の壇上の開けられた扉の奧に鎮座しておられました。美術の先生が描かれたものとお聞きして、驚きました。平素は扉は閉じられているそうです。何十年もの間、多くの生徒を見守ってこられた如来様に合掌しました。百回忌には新しい如来様とバトンタッチされるとのことでした。

〈ご法話〉

 ご法話は青年向けと、大人向けがありました。※青年向けのご法話では、まず、最初にビデオを見ました。それは過去の何回忌かの時に作成されたもので「弁栄聖者の御迹を訪ねて」と云うタイトルでした。生徒達にとっては弁栄聖者がどんなお方で、どんな布教をされたかを知るのに、とても有益と思いました。ビデオを見ながら自分の生きた若かりし頃の映像もあり、光明会の全盛期とも云うべき古き、良き時代を懐かしむ懐古のひとときでもありました。かなり時間的に長く、大人向け法話の時間に食い込みました。
 二日目のお話は「大宇宙の愛を感じて生きること」の大切さを説かれました。
 『杜子春』のお話から導入され、彼が仙人に出会い、母の愛に目覚めたことから、その母の愛よりも更に深くて、大きい法身如来の愛について言及されました。そして、「生みのみ親」、「救いのみ親」、「教えのみ親」の三つの働きをもつ阿弥陀如来に帰依することの大切さをお話し下さいました。
 ※大人向けのご法話の第一日目は「み光の花束をあなたに!」と云うタイトルでお話を展開されました。そのみ光とは「清浄光」、「歓喜光」、「智慧光」、「不断光」で、この四つの光を頂くことによって救われる。
 初日は「清浄光」と「歓喜光」についてお話され、「清浄光」では、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」に「思わざる」を加えて五感を閉じて集中することの大切さを説かれました。二日目は最初、「念仏中に煩悩に悩まされる」と言うある参加者からの質問に答えて、かなりの時間を費やしてお話し下さいました。雑念とどう向き合うか? 捕らわれると断ち切れなくなる。人間には煩悩を打ち消す力がそなわっていない。全てを大ミオヤにおまかせして、ひたすら念仏する以外に道はない。愛念、臆念して情の心を育てることが肝要である。

〈おわりに〉

今年も多くの方々のお力添えで、無事に有意義な集いを終えることができました。山上上人様の明るく、温かく、親しみやすいお人柄で、この二日間を一つの光明ファミリーとして過ごすことができました。山上上人様は7月の9日に光明学園の研修会に講師として招かれ、ご講話されました。その直後の親子別時でしたので、何人かの方がお話を聞きに参加されました。光明学園とのご縁が更に深まればと念じています。
伊藤先生、下口先生を中心に学園の先生方は献身的にお世話下さいました。
 また、参加して下さった光明学園の生徒、卒業生にみなさんと親しくお話ができ、とても嬉しく思いました。来年も是非お出会いできることを願っています。
病気療養中にも拘わらず、遠路名古屋からご参加下さった内藤さんには深く頭を垂れる次第です。お念仏の徳を積まれたお方には如来様のご加護が必ずあることをつくづく感じさせられました。ご参加下さった皆様、来年もお元気でお会いできますことを祈念しています。

一行三昧の会

        

鎌尾美津江

◇日 時:10月2日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一氏
◇参加者:15名

 午前中は晨朝の礼拝とお念仏をしました。午後は先月の起行の用心の総論に続き、内容についてご講話を頂きました。光明園の柿も実り、秋空に美しく映えていました。

〈講話〉 起行の用心 その2

初めが肝心
 「起行の用心」はつまるところ『観無量寿経』の思惟と正受を正しく体験することに尽きます。思惟とは障子を隔てて明るい月を見る如く、正受とは障子を開けて皓月を見る、すなわち、阿弥陀様や極楽の荘厳を目の当たりに拝することです。
 その方法を笹本戒淨上人は段階的にお示し下さっています。初歩の念仏者は心に大ミオヤの慈悲の聖容を憶い上げ→次に生きた如来様を見奉る様に→次には慈悲の聖容を何時も見奉り智慧と慈悲をしかと自分のものとさせて頂く様に→今度は法身の全体としかと合一して無生忍を得ることを目標に→最後は無生法忍を得るように如来様をお慕い申します。
 杉田善孝上人は活きた如来様がお絵像となっていて下さる事を忘れないのが一番大事でこれが「先」、お見つめ申してお念じすることはその後で、これが初心の心得です。とお話し下さっています。
ただの記憶ではない
 いやしくも私共の人格を完成して頂くために活きた如来様の御姿をしかと見奉るようになりたい、と念ずる者の心に浮かぶ大ミオヤの慈悲の聖容はただの記憶ではありません。これを弁栄聖者は感覚的啓示の一種であり、活きた如来様が記憶のお姿を通じて心にお宿り下さったのであるから時々は恭敬尊重の想いで三拝九拝せよ。とのご指南で戒淨上人の『光明主義注解』や他の記録に明かされています。特に「心の中に想われる色形に心を注ぐほど精神統一によい方法はありません。」とのご教示は重要です。
平面的な如来様
 弁栄聖者が三昧仏様を平面に描かれている点も大切で、平面的ゆえにむしろ美感即実感(『無辺光』「妙観察智」)と感じられます。美感を通じて妙観察智が実感となり、かくして近縁が働いてきます。平面的の如来様が立体的に見えてきたら活きた如来様と思えて来るので、お育ての程度が自覚できます。
単なるお絵像ではない
 戒淨上人は、「お絵像に即して、活きて在します如来様がお絵像と一つとなっていて下さり一声一声にお光明を下さり、お育て頂いている。」この信念によって偶像崇拝に似て非なるものとなります。
 このように戒淨上人、善孝上人などの先達は、初めから活きた如来様を拝むのは難しい私たちの為に、心当てを繰り返しご指南下さっているのです。古人が「祈りてもしるしなきこそしるしなれ、己が心に誠なければ」と。念仏を称えてしるしがなかったならば、信ずる心が足りないからではありませんか、と弁栄聖者は信念の大切さをお諭し下さっています。

第11回教学布教研修会 

 

佐藤蓮洋

◇日 時:10月15日(土)~16日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:五名の講師
◇参加者:50名

 秋晴れの天候に恵まれた10月15日(土)16日(日)に、光明園において教学布教研修会が開催されました。延べ50人の参加があり、5名の講師の方々からお話を伺いました。
 開会式の挨拶では伊藤支部長より「一日目は故河波園主のご縁が深く、また生前のご意向を踏まえた人選」であること、また「石原義堂上人は多くの関東支部役員のリクエストがあり、数年かけてやっとこの機会が巡ってきたこと」が紹介されました。続いて大南園主の挨拶では、「この研修会が過去において、神父様や日蓮宗の方が講義されるなど、宗派を超えて大変ユニークな研修会である」ことが強調されました。
 一日目は近藤伸介氏、加藤神父(カトリック川越教会)のお話、二日目は石原義堂上人(福岡県浄福寺住職)、炭屋昌彦上人、大南園主のお話がありました。両日ともにお話の後に、質問コーナー(茶話会も含む)が設けられ、リラックスしたムードの中にも、真剣で活発な質疑応答がなされました。
 来年は各支部で実施されているこれら研修会が本部に一本化されるというお話があり、関東支部としては独自の研修会をどのように継続して実施するかが課題となります。
 各講師のお話の内容(項目)を紹介します。
近藤伸介氏 テーマ:「科学と光明主義」。科学とキリスト教の関係、岡潔と光明主義、山崎弁栄聖者に関してはホルモンについて・進化論について・科学と宗教について、田中木叉上人が語る光明主義について
加藤神父 テーマ:「差別のない世界―浄土と神の国―」。ご自身の英国オクスフォードおよび英国での体験、カトリック的霊性とは何か、世親菩薩と『往生論』、「ミサ」=カトリックの「一行」、茶の湯に秘められた大乗仏教とカトリックとの出会い、大乗仏教とカトリックを貫く「真実」の教示、「不二荘厳」の世界へ
石原義堂上人 テーマ:「大御親(オオミオヤ)のみこころ」。具体的な家庭の例を挙げられ、「親の心は形にすることで子供にはわかる」「父・母になれるけれど、父親・母親になるのは難しい。この子を一人前にせずにはいられない、という真実の心があって、はじめて子供は親心に会うことができる。」「障害を持つ子供の子育ての中から、親は親として生まれることができた」「私たちも西方浄土という家庭によって、如来様からお育てをうけるのです」
炭屋昌彦上人 テーマ:「祈り」。語源からすると「いのり」の「い」は生命(霊)力であり「のり」は宣言する、祝詞(のりと)、詔(みことのり)の「のり」と同義語であり、人間が生きんとする欲求そのものである。「祈り」とは、人間を越えた大きな存在・神・仏をつなぐ架け橋である。法然上人・弁栄聖者は『往生之業、念仏為先』を示し、念仏という一行に徹した。
大南園主 テーマ:「浄土教の現代化」―「弥陀教の真理」から『宗祖の皮髄』へ―」。弁栄聖者と同時代である原青民と清沢満之の紹介。聖者と親交が深かった原青民が主筆していた『浄土教報』に掲載された聖者の『無量寿尊光明歎徳文及要解』と『弥陀の真理』について、弁栄聖者より渡辺千代子女史への手紙、弁栄聖者「教相(宗教の三階級)」  

以上

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