光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成29年5月

関東支部報告

一行三昧の会

鎌尾美津江

◇日 時:3月5日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一氏
◇参加者:23名

水温み、三月の頼りなさそうな僅かな日差しを求めて光明園の猫がまどろんでいます。猫も春の気に触れながら皆で歌った聖きみくにの歌を聞いていたかのようでした。一行三昧の会に沢山の方がいらしてくださり感謝致します。拙いながら私は講話を以下のように理解致しました。

〈ご講話〉 起行の用心 その8 慧眼 法眼 仏眼(1)

七覚支は「無称光」に照らされて導かれます。その無称光の偈に「七覚心の華開き 神秘の霊感妙にして 聖き心によみがえる」と、一連の流れが謳ってあります。弁栄聖者はどのような世界を「神秘の霊感」とお考えになっていたのでしょうか。
肉眼では見えない世界が念仏していると心眼で見えるようになります。肉の眼で見ているのが自然界で、心の眼で見ているのが心霊界です。
慧眼、法眼、仏眼という言葉は、龍樹が著した『大智度論』で通仏教用語として使われていますが、弁栄聖者は中身の違う意味合いを伝統的な仏教用語に込められています。

法眼
聖者の説く法眼は、宇宙心霊界の依正を見る眼です。依正とは形がある物の意で「事法界」です。如来蔵性(聖者の三身の法身)から生み出された宇宙の一切を感覚します。心霊界の中の如来様や宝地宝樹宝楼閣等、形がある具体的な物、つまり差別の世界が見えてくるのが法眼です。「法眼等 心霊界の勝妙の五塵を感覚す。」(『無辺光』454頁)
慧眼
「理法界」を照観する心作用です。理法界とはすべての物事に共通した一つの真理を心で感じ取る感覚です。つまり平等な理法が共通していて、空というあり方であると分かるのが慧眼が開けたということでしょう。自然界も心霊界も実は別々ではなくて一つの根源から現れてきた絶対観念体である、と聖者は仰っています。「慧眼等 宇宙本体を直観し。彼此一体観。」(同454頁)
 禅宗には悟りの境地を「天地と我は同根である。」「万物と我は一体である。」と慧眼で表現した言葉が多いようです。
仏眼
慧眼と法眼が同時に円かに開けた満位が仏眼です。「仏眼等 慧眼と法眼を統一して五根互用。円融無礙。」(同454頁)
五根互用とは目で聞こえて味わえて、耳で見えて触れられる等々五根にそれぞれ五感が働く不思議な重重無尽の世界です。仏様の中には国土全てが入っている、国土全部が仏様の身体といってもいい。それを依正互融といいます。これは如来四大智慧の一つである「成所作智」が感覚の器官も対象も司っているからでしょう。成所作智の全分が如来様で、一分は如来様以外の衆生なのです。

聖者の偈に読む仏眼体験
 華厳の法界観の修行で空を会得され本堂ができた聖者は、24歳の時心本尊をお迎えする為に筑波山に籠もり三昧発得され、その境界を次の偈に明かされました。(注釈:佐々木)

弥陀身心遍法界 弥陀の身心は宇宙のどこにも在さざるところなく
衆生念仏仏還念 我が弥陀を念ずると弥陀もまた我を念じ還してくださる
一心専念能所亡 念じ続けて一心不乱、弥陀も我も彼此の別なく真実の自己と一つで自他不二である        
果満覚王独了々 しかも不思議や、果満覚王たる阿弥陀仏ご自身が宇宙の中心に独り厳然と露わにはっきり鎮座在ます

一心専念能所亡とは慧眼満位の世界、果満覚王独了々は法眼満位の世界でしょう。以前この偈を拝読した時は、空でありながら何故はっきりと見えるのか疑問でしたが、今は慧眼と法眼が同時に円かに開けているからと了解しました。筑波山で仏眼を開かれた証しでしょう。また『宗祖の皮髄』一〇一頁でも同じ悟りの境地をお示しになっています。

念仏と法話の会

志村念覚

◇日 時:3月19日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:大南龍昇園主
◇参加者:35名

 午前中はお念仏と礼拝儀、午後は大南園主から「春彼岸会に寄せて―光明は見えねども触るゝ―」の題で御法話をいただきました。御法話の後には、本年一月十日に往生された田代直秀様の奥様と二人のご子息ご参列のもとで、大南園主が導師を務められ田代様のご回向がなされました。

〈御法話〉 春彼岸に寄せて―光明は見えねども触るゝ―

はじめに
二月の法話の会では昨年四月三日に遷化された前園主の河波定昌上人と、その九ヶ月後の今年一月十日に往生された田代直秀氏とが信仰を共にする道友であったお二人を偲びながら、釈尊の二大弟子といわれた道友のサーリブッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)のお話しをした。本日は春彼岸に寄せて、田代氏の光明に導かれたご生涯を偲び、その光明の生涯に因んで弁栄聖者の光明のみ教えについて見ていきたい。
一 光明家族の歩み ―田代直秀氏追悼―
田代氏は平成十九年五月に京都の百萬遍知恩寺で行われた「法のつどい」において、「光明主義に救われて」と題する講話(『ひかり』五八四号所載)をされている。その講話はまさしく「光明家族の歩み」といえるものであった。田代氏は、ご子息の直面した苦難に際し、お念仏の光明により我が子が乗り越えていく姿を通してお念仏のすごさを実感する体験をされている。そして、自身も仕事上の困難に直面した際に、お念仏によりその困難を乗り越えていくのである。また、お孫さんたちを上手にお念仏へと導き、その種蒔きをしている。光明主義の目指すところは、一人ひとりが如来の光明を頂いて生きていくという「光明生活」にある。その一人ひとりの集まりのいちばん小さな単位が家族であり、如来の光明により結ばれた家族を「光明家族」といえよう。この光明家族がいかに素晴らしいものであるかを田代氏は実証しているのである。
二 弁栄聖者の光明のみ教え
1.光明に向える人
弁栄聖者は光明に向かって人生を歩める人は幸福であると述べている。人間の調和ある気質、別にいえば円満なる人格の完成のためには、如来の光明により温められ霊化することにより、そのまま念仏者の一人ひとりの人格の上に実を結んでいき、真の幸福が得られるというのである。聖者は法然上人にその具体的な典型を見ておられた。すなわち、
「聖法然が七十余歳の高齢に臨んで一旦念仏弘通の為に種々の迫害に遇い、土佐の国へ遠島せられたるに臨みても、神色自若として、我年来都会の化益は已(すで)に久し辺(へん)鄙(ぴ)の教化を志したりしに幸にも年来の宿願果すも朝恩なりと宣し如き、実に快然たるに非ずや。」(『光明の生活』二二四頁)と述べられている。法然上人は遠島という出来事に際しても不幸と不満の闇はなく、幸福と感謝に満ちていた。目に見えぬ如来の光明は霊的人格として現実化してゆき、それ故に聖者は「宗祖の霊的人格の全きをもって、弥陀の実在を証して余りあり。」(『宗祖の皮髄』一一七頁)とも仰せられているのである。
2.如来光と日光
○如来の光明と日光
弁栄聖者は、如来の光明と日光について、

「一切の生物が太陽の光明に依って動物的に活かされておる如く、如来の光明は人を霊的に活かす能力を有っておる。」(『人生の帰趣』四〇三頁)

と述べ、太陽光線には①光線、②熱線、③化学線の三種類があるが、これに対応して如来の光明には①智慧光、②慈悲光、③威神光があると説いている。光線により人間は万物を肉眼で見るように、如来の智慧光により万物の真理を覚る心の眼が開かれる。熱線は赤外線ともいわれ温める作用があるが、如来の慈悲光は温かい慈悲の心を育む。化学線は紫外線ともいわれその作用で渋柿が甘柿に変化するように、如来の威神光により人間の煩悩を霊化する。聖者はこのように太陽光線にたとえて、心霊界の太陽である如来の光明を説き明かしている。

○太陽と如来光
弁栄聖者は、如来の光明を超日月光といい、太陽と月の光を超えた存在であると説いている。この光明を証明するには、

「日光と如来の光とは物質的肉眼を以て比較することは出来ぬ、けれどもその光明を被りて養成せられたる人の精神に於て証明せらる。日光は人の動物的の形骸を活すけれども人の精神を霊化して高等なる信仰の生活に入れて清き人として活かすことはできぬ。古今に亘り霊的偉人の最も円満なる人格は如来の光明に依て霊化せられたる結果に外ならず。」(『人生の帰趣』四〇四頁)

と述べ、如来の光明により円満なる人格へと霊性が変化する事実をもって証明できると、目に見えぬ如来の光明の実在を説いている。

○光明は見えねども触るゝ
如来の光明は眼には見えないが、如来の実在を信じて一心に念仏して至心不断ならば、だんだんと光明に触れることができるようになると弁栄聖者は述べている。そして、この光明に触れたときの霊的気分は、有り難く歓喜にあふれる心が喚起され、これを信心喚起といい、礼拝儀の難思光に記されている。如来光明歎徳章の「それ衆生ありてこの光に遇う者は三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん」とは、この如来の光明に触れたときに、人の心が一転して霊性の生まれ来る心理状態を説いているのである。
おわりに
見聞覚知(見ること・聞くこと・覚ること・知ること)という六識の作用を説いたことばがあるが、弁栄聖者は如来の光明に触れるという表現で、如来の光明の実在を覚り知ることができると示している。すなわち念仏修行について、如来の光明を肌に感じ心に感じられるような修行の道すじを起行の用心として説かれているのである。
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