光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成30年1月

一行三昧会

鎌尾光栄

◇日 時:11月5日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一師
◇参加者:13名

〈ご講話〉起行の用心 その13 七覚支(4)

(5)定覚支(承前)

 仏眼が開けると如来様から啓示があります。啓示は定覚支以降の重要な特徴で、衆生の悟りによって人格的に仏さまに近づいていき、霊化・仏化していきます。『人生の帰趣』では定覚支で自分と大我が融合した隠没の状態により歓天喜地の状態になると説かれています。その悟りの境地は言語道断で言葉では言い表せません。啓示は智慧光によって促進されますが、啓示の内容は妙観察智の用(おはたらき)です。
 『注解』には啓示と覚支の関係が次のように記されています。

開の位
定覚支における初歩の仏眼。
如来さまが見える。
示の位
捨覚支における初歩の仏眼。
如来さまの智慧を頂く。
悟の位
念覚支における悟の位の仏眼。
宇宙一切の秩序の働きの一部を頂く。
入の位
超日月光における三身四智の仏眼。
お釈迦様とおなじになる。

 『光明主義玄義』には次のように教示されています。

先に慧眼が完全になり、次に法眼が完全になって、この二つが融合統一して初歩の仏眼を得た所が感覚的啓示の満位。
初歩の仏眼が次第に深くなるにつれてミオヤの大智慧と大慈悲の内容と次第に深く合一するようになる。ある程度までミオヤの大智慧大慈悲と合一したところが写象的啓示の満位。
さらに進んで法身全体、特に法身の理法と合一した所が理想的啓示。観念的一切智を得たところ。
ミオヤの体相用の一切が不生不成無作無為の真実在である事実を認識した所が無生法忍。三身四智の仏眼の境界。その満位が認識的一切智。

 笹本戒浄上人が、さらに次のように注解しておられます。

開の位の仏眼の境界
法身の中心たる報身の妙色相好身と合一した境界、感覚的啓示の満位。
示の位の仏眼の境界
報身仏の大智慧大慈悲等の内包の聖徳を感ずるところ、写象的啓示の満位。
智慧と慈悲の如来様の実体をいただくことです。
悟の位の仏眼の境界
法身(永遠の生命としての覚明・平等性智、一切の現象の本体としての如来蔵性、そして法身の理法の三面)といちおう合一できた境界、理想的啓示の満位。
如来様のはたらきを我が身にいただくことです。理想的とは精神の上でということです。
入の位の仏眼、超日月光における三身四智のミオやのお世嗣ぎの境地
法身の中心たる報身仏が実に大宇宙全一の独立自存する絶対純粋円満な現象態で、自然界と心霊界の一切の根本仏、その体相用の無差別平等無相無色の形式とその妙色荘厳の色相の全面が、絶対無規定で迷悟生仏の仮名を絶し一切の差別の相を離れながら、大宇宙の一切を自発する絶対的根源であるところを明了に三昧体験する境界。

とても難しい表現が続いて困りますが、大切なことは自発という点でしょう。

【自発】
大円鏡智が海印三昧のイメージから始まるとして、凪の海に「映す」と解釈されることもあるようですが弁栄聖者は「すべてを生み出している」「大円鏡智からすべてが現れてくること」と、お教え下さり「自発する」というお言葉でお示しくださっています。「自ら現じて自ら観ずる」に通じます。
【法身と報身】
法身と報身はもともと即一ですが分けるとすれば『ミオヤの光』では次のように領分を区別できるとされています。 
法身(自然界)は天則に関する方面、すなわち感覚する方面で報身(心霊界)は終局目的に衆生の精神を摂取して永遠の光明に帰着せしむるものなり。
  • おしらせ

  • 更新履歴

  •